揚州Yangzhou

江南の地図

今回は「江南の旅」であるが,左の地図のように揚州だけは長江の江南ではなく江北に位置している.行きは大橋で長江を渡り,帰りはバスに乗ったままフェリーで越えた.揚州は古くは春秋時代に,一昨日蘇州虎丘で見たあの試剣石で試し切りさせた呉王「夫差」の城があった地であるそうだ.また揚州は長江と大運河の交叉するところであり,唐代には国際港としての位置付けで交易が発展し,明代以降は現在の江蘇省東部の塩田からとれる塩の集積地として機能したそうだ.現在の揚州は国家AAAA級の観光地に指定されている風光明媚なところで,大橋,フェリー,鉄道などで,次の訪問地鎮江と短時間で結ばれるようになり,観光都市として期待されているそうだ.鑑真和上が唐代に日本に来る前にいた寺である大明寺が在り,839年苦難の後たどり着いた最後の遺唐使に随行した円仁(慈覚大師)の到着地もここ揚州だそうだ.きっと日本人にも縁深いところであろう.

大明寺Daming Si(Daming Temple)

大明寺山門

大明寺山門

鑑真和尚が日本へ渡る前に住職を勤めた大明寺は丘の上にある.お線香など並べた露店を広げた階段を上りきると,この山門に出合う.掲げられた篆書の文字は「精霊遺跡」のようであるがどういうことか?
その内側の建物はいつもの黄色の壁で,入り口門上には大明寺と記されているのが見える.


黄金色の仏像

黄金色の仏像

本殿の仏像(中央)と弥勒菩薩などであったかな?とても眩いのだ.両側の壁際にはやはり黄金色の十六羅漢像が並んでいて,それぞれ思いおもいの表情で佇んでいたのが印象的であった.


仏像背面のレリーフ

背面のレリーフ

本殿の背面にある巨大なレリーフの仏像群,何と言う名称だったか?う~ん,他の寺院でも見て,教えてもらったのに思い出せない.ここに並ぶ像は基本的に決められた形式に従うものであるが,1,2個所だけその土地固有の風物が付加されるそうである.それにしてもここの作品は金ぴかでゴージャスだ.


鑑真記念堂

鑑真記念堂

この記念堂は日中両国の協力により建てられたものだそうだ.鑑真和尚の像の横に来日時に使われた船の模型,他の資料が展示されている.鑑真和尚はここ揚州に生まれ,14歳で出家し,律宗・天台宗を学んだそうだ.律宗とは仏教徒,とりわけ僧が遵守すべき戒律を伝え研究する宗派であるそうで,当時大明寺の住職であった742年に,日本から唐に渡った僧栄叡,普照らを介し聖武天皇からの懇請メッセージが伝えられたそうである.

その742年から早速日本への渡航が試みられたが,政治的介入やシケで何度も失敗し,12年間の苦難の末,6回目の渡航でようやく来日を果たしたそうだ.ただこのとき厳しい航海により既に鑑真の視力は完全に失われていたという.来日後,東大寺に戒壇を設け,聖武天皇以下400余人に戒律を授け,759年(天平宝字3年)唐招提寺を創建したそうだ.鑑真は戒律の他,医薬学,建築,彫刻,文学に関しても造詣深く,飲食など中国の伝統文化などと共に日本にこれらの知識も伝え,763年(天平宝字7年)唐招提寺で死去したそうである.死去を惜しんだ弟子の忍基は鑑真の彫像を造り,これが現代まで唐招提寺に伝わっている国宝唐招提寺鑑真像であるのだそうだ.これは日本最初の肖像彫刻とされているそうである.

大明寺の九重の塔

九重の塔

元々の仏塔は,隋の文帝の頃,仏骨を祀る塔として建てられたが,古い時代に焼失しており,現在の塔は1997年になって再建されたものだそうだ.79mの高さがあるそうで,栖霊塔(棲霊塔?)と称されるようだ.とても大きい.手前の白い像に掲げられたプレートにはミャンマーのヤンゴン市長から寄贈であることを示す記載が見られる.ミャンマーの方が多分中国より仏教徒が多いであろうが,よく判らないながら何となく意外な印象も受けた.市長名であることや,軍政下にあることや.....

なお鑑真和上が来日する際にここに納められた舎利9,000粒のうち3,000粒を持参.ここに残された6,000粒は前述の火災で焼失したという.そのため1995年,この九重の塔再建を機に大明寺から要請を受け,日本にあった舎利3,000粒が里帰りしたということだ.


下は,大明寺の写真あれこれ

大明寺の写真
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なお大明寺ではかなり大きな規模の「鑑真仏教学院」の建設が進められているそうで,九重の塔の左側には既に完成した一部の建物群が見えていた.仏教関連をことごとく破壊した文化大革命のころと比すれば共産中国も随分変化してきたものだと思う.

揚州市街Yangzhou City

潤揚大橋

潤揚大橋

通り抜けた鎮江から続く高速道路を走ると,やがて揚州に至るこの潤揚大橋に差しかかる.2005年4月完成の本大橋は,6車線で全長35.66km,世界第3位,中国第1位の吊橋だそうだ.


江沢民前主席

江沢民前主席

江沢民(Jiang Zemin/1926年-)前国家主席はここ揚州市の出身だそうだ.潤揚大橋を越え揚州市に入ると江沢民の顔の入ったこの大きな看板に出合う.~輝ける街,揚州へ,とか何とかであろうか?同氏は中学までここで過ごし,南京と上海の大学を経て中国共産党に入党し,徐々にトップに上り詰めたようである.


カードゲームに興じる

カードゲームに興じる

道端でカードゲームを楽しんだり,将棋に興じる光景がよく見られる.もちろん中国だから麻雀をやっている場面には頻繁に出くわす.総じて賭け事に打ち込んでいるのは男性が多い.


揚州の通り

揚州の通り

概して道は広く,車道,自転車道,歩道が分離されている場合も多い.かと言って,必ずしも安心してのんびり歩いていられるとも限らない.歩道ではしばしばバイクが走ったりするし,車道横断中に信号が切り替われば,容赦なく車は発進してくるのでなかなか大変なのだ.ここでも自転車は電動式が増えているようだ.


下は,揚州に向かう途中風景と揚州市街の様子

揚州辺りの風景
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こうして揚州を見物し,再び長江(揚子江)を越えて次は鎮江に向かう.ただし大橋ではなく,フェリーで渡る予定だ.



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