ブムタン谷at Bumthang valley

このブムタン谷編では,2016年6月10日ブータンのブムタン谷ジャカル市でロダクカルチュゴンパ,ジャカルゾン,クジェラカン,ウォンディチョリン宮殿,メンバルツォを見物し,ジャカルを離れてトンサに戻るときの写真を載せました.


ブムタン谷で訪れた場所のGoogleマップ(スクリーンショットに加筆)

ブムタン谷で訪れた場所のGoogleマップ(スクリーンショットに加筆)

ブムタン谷で訪れた場所は右図のロダクカルチュゴンパ,ジャカルゾン,クジェラカン,ウォンディチョリン宮殿,メンバルツォロダクカルチュゴンパ,ジャカルゾン,クジェラカン,ウォンディチョリン宮殿,メンバルツォである.

別窓でジャカル市辺りの大きなGoogleマップを開く

ロダクカルチュゴンパLhodrakharchu Gonpa

ジャカルの朝

ジャカルの朝

6月10日Mipham Guest Houseで朝が明けた.窓を眺めるとジャカルの街とその先の丘にジャカルゾンが見えていた.ゾンはここからは横から眺める方向で,さして大きいようには見えない.

農耕地も見えているが,ブムタンで最も低地になるこのジャカル市一帯でも標高2,500m余りあり,稲の栽培ができないので,ソバや小麦,じゃがいもなどの野菜が多いそうだ.なおブムタンの高地では伝統的にヤクの放牧が行われているが,若者の都会への流出で衰退傾向にあるらしい.また名産の松林には松茸も採れて,日本にも輸出されているらしい.


ロダクカルチュゴンパにはネパールからも巡礼に

ネパールからも巡礼に

ホテルレストランで昼食を頂いて部屋に戻るとき,写真の婦人と他3人のグループに出会った.婦人のエプロンの段違いカラーストライプはチベッタン模様だ.訊いてみると,ネパールのシェルパ族で,ロダクカルチュゴンパの法会に臨む巡礼の旅だそうである.冷やかしながら同ゴンパには私もぜひ行ってみなくては.


2次元的に掲げられたタルチョー

2次元的に掲げられたタルチョー

さて緩い坂を上り,ロダクカルチュゴンパに向かった.山門に至る少し手前に,赤一色のタルチョーが平面的(2次元的)壁状にワイヤに吊り下げられている.壁は四角状に4面張られ,あたかも大きな立体凧のようである.こうしたタルチョーは初めて見た.


ロダクカルチュゴンパの巡礼宿舎

巡礼宿舎

山門をくぐり更に上ると大きな巡礼宿舎と駐車場があった.ロダクカルチュゴンパではたまたま年に一度の15日間法会の5日目ということで,巡礼宿舎への出入りが目立ち,駐車場の車も多い.


ロダクカルチュゴンパロダクカルチュゴンパ本殿への門

本殿への門

本殿を含めて,僧坊や会堂など多くの建物のあるエリアに入る門だ.上部の法輪を見つめる鹿の像は他のチベット仏教寺院と同じだ.

その下の法螺貝などのレリーフは,これまでいたる所の住宅などに記された吉祥アイコンと同じであろう.チベット辺りで見たことは.....ないような....


ロダクカルチュゴンパ門に連なる僧坊

門に連なる僧坊

門に連なり,また本殿を囲むように僧坊(多分)が建てられている.資料を見ると,当寺院には500人もの修行僧を収容する僧坊があると記されている.他に高位ラマや教師の居住室,教室,図書館,オフィス,僧のホステル,キッチン,お店にダイニングルーム,そして筆者の泊まっているMipham Guest Houseを備えているとある.僧のホステルは上述の巡礼宿舎ではなかろうか.


ロダクカルチュゴンパ会堂では朝の食事中

会堂では朝の食事中

一般の巡礼者であろう,一堂に会し昼食の最中だった.この会堂は屋根だけで壁はなく,開放的な構造だ.皆さんが向いている方向に本堂があり,入り口から祭殿が覗けるようになっている.


ロダクカルチュゴンパ会堂に入り切らない人は脇の通路に

会堂に入り切らない人は脇の通路に

とにかく凄い人の数で,警備のおまわりさんに訊いたら500人以上集まるそうだ.ブムタンだけでなく,ブータン各地,いや上述の如くネパールの人さえいる.そこで会堂からあぶれる人もいる訳で,こうして通路に座り,食事している.巡礼者は基本的にゴやキラで,または臙脂の仏教色スカーフを纏っている.


ロダクカルチュゴンパ本殿側面には王家の写真

本殿側面には王家の写真

本殿側面には二枚の大きな写真が飾られている.何れも現ワンチュク国王が写り,他にお坊さんだ.


ロダクカルチュゴンパ王家とゴンパの主導者の写真

王家とゴンパの主導者の写真

一枚は現ワンチュク国王と,このゴンパまたは宗派最高位のお坊さん(通りかかったお坊さんに訊ねたのだが,よく聞き取れなかった)らしい.

何れにしてもブータンが王国である一面と,仏教が国教であることをよく物語っている一枚ではなかろうか.


ロダクカルチュゴンパワンチュク王家の写真

ワンチュク王家の写真

ワンチュク王家の写真は,左から現ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王,春先に誕生したジグミ・ナムゲル・ワンチュク王子を抱いた先代ジグミ・シンゲ・ワンチュク元国王,ジェツン・ペマ王妃だ.ワンチュク王朝だけに皆似たような名前で私たちにはややこしいが,先代国王は若々しい.


ロダクカルチュゴンパ境内を行く参拝者

境内を行く参拝者

ゴやキラを着用し,しばしば男性はさらに肩に白布を掛けている.カムニ(Kabney)と呼ばれ,正装のアイテムだ.ガイドUDさんもゾンに入るときは着用している(掟だそうだ)


ジャカルゾンJakar Dzong

ジャカルゾンの山門に来る

ジャカルゾンの山門に来る

ロダクカルチュゴンパから戻った私はUDさんのランクルで先ずチャムカル川(Chakhar chhu)を越え,ジャカル繁華街を越え,北のジャカルゾンを目指し,短時間のうちにこの山門に到着した.門内側には広くはないが駐車場も用意されている.

門にも垂木状に見える装飾がブータン風を醸している.


ジャカルゾンの国王ご夫妻肖像画

国王ご夫妻肖像画

車を織り,少し坂を上る.直ぐに国王ご夫妻の肖像画が立てられていた.王様のカムニは白でなく,黄色だ.王と最高位の僧だけは黄色,首相,閣僚はオレンジ,王族,政府高官,ダショーは赤,裁判官は緑,国会議員が青,そして一般人は白,のきまりがあるのだそうだ.

お寺に限らず,普通のちょっとした店舗にも王または王ご夫妻の肖像が掲げられているのは,他国例えば英など欧州の王室,あるいはモロッコなど中東の王室,アジアでもタイ王室などにもあまり例がなく,結構特殊な気もするが,国家がうまく運営されているのであれば結構なことでしょう.


バター彫刻を運ぶジャカルゾンのお坊さん

バター彫刻を運ぶジャカルゾンのお坊さん

肖像画から進むとバター彫刻(と思われる)を運ぶジャカルゾンのお坊さんに出会った.これもあくまで想像だがゾン周囲に在るお堂に運ぶのでしょうか.

ところでブータンのお坊さんは頭をツルツルにはしないのですね.


ジャカルゾン狭い入り口は本来城塞としての名残か

狭い入り口は本来城塞としての名残か

山門から暫くしてこの城門になった.脇にはちゃんと守衛さんの詰め所的小屋が付属している.ゾンは本来城塞であるので,その名残であろうと思うが,違うかな?

ところでジャカル(Jakar)は吉祥のしるしでもある白い鳥の意で,それが降り立ったというこの地に,建国の父ガワンナムゲル(Ngawang Namgyal:1594-1651)がドゥク派(チベット仏教4大宗派の一つカギュ派の支派)寺院として建立したのが始まりだそうだ.

時代が下り近年第三代ワンチュク国王(Jigme Dorji Wangchuck:在位1952年10月-1972年7月)の統治時代に入ると,現在の政教一体のゾンとして再建されたそうだ.


ジャカルゾン雷竜が描かれている

雷竜が描かれている

これが果たしてどこの部分に描かれていたのかはっきりとは思い出せない.急勾配の階段だったように思うが定かでない.ただここにもちゃんとブータンの国の象徴,雷竜が描かれているんですね~細かい鱗一つひとつ.


ジャカルゾンの中庭

ジャカルゾンの中庭

ここはジャカルゾンの中庭.先は高い箇所があるので仏教エリアだったかな......?少なくとも仏教エリアの内部は写真に撮ってはならないので,なかなか記憶を呼び戻し難いのだ(そのせいにしているか)

さすがゾンだけにブータンの伝統デザインがしっかり守られているのはよく判る.コントラストの強い色あいだが,実に落ち着いた配色だ.一面画一的という側面もあるではあろうが.....まあ伝統とはそうしたものであろう.


ジャカルゾンさてこちらはお役所エリア

さてこちらはお役所エリア

中庭中央を挟んでこちらはお役所エリアだったと思う.お役所だが市民の姿はあまり,いや殆ど見かけない.多分普段市民はお役所に用事はないし,ブムタン県全体では1.6万人余,ジャカル市のみでは700人余りと,とても少ないのだ.


ジャカルゾンここは天守閣に相当

ここは天守閣に相当

ジャカルゾンは丘に建つ山城で,元より防御に優位であったであろう.そしてさらに監視しやすく,また中庭に集結した兵に司令を発し易いようにする目的もあったであろうか,一団高い棟が聳えている.なかなか壮観だ.


ジャカルゾンでベル付きのマニ車

ベル付きのマニ車

マニ車の上部に小さなベルが設けてある.車の上に跳ね板があり,一回転で一度『チ~ン』となるようになっている.何回廻したか,つまり何回経を唱えたか判り易いのだ.


ジャカルゾン壁,パドマサンバヴァの八変化相の一人

パドマサンバヴァの八変化相の一人

これはジャカルゾン仏教エリア外壁の壁画.ブータン仏教で最も尊敬を集め,至る所で祀られているのがパドマサンバヴァ(Padmasambhava,或いはグルリンポチェGuru Rinpoche)だ.ただし師はドゥク派(カギュ派)ではなくニンマ派の創始者で,蓮華に生じた者の意で,UDさんの解説ではパキスタン生まれとのことだ.私は以前アフガニスタン生まれと聞いたことがあったが,まあ今の国境確定の遥か昔のことで同じことなのであろう.とにかくその地から遠く,チベット,インド,ブータン....と布教した人物だ.

寺院内部はどこも写真ご法度だが,外壁の壁画とかはOKで,撮った一枚がこれだ.このように頭にドクロを付け,目が3つもある人物は,壁画や立体像,仮面ダンス(チャム)のマスクなどあちこち(チベット,シッキム,ネパールなど)で見たがすべて悪霊とか死神だと想像していた.ところが,これは酷い無知で,UDさんに聞くとパドマサンバヴァは八変化し,この壁画はその相の一人なのだそうだ.大まかには忿怒尊に相当するのであろうか.道を踏み外そうとする者の救済を願う姿とか....?さらに観音菩薩や文殊菩薩も八変化の中の相であるのだそうだが.....こうなると益々混乱して分からなくなってきた.


ジャカルゾン保健衛生局のポスター

保健衛生局のポスター

一方こちらはお役所エリア,保健衛生局的部門前壁のポスター.食品や水,また血液に関する注意事項が図解されている.


南の離れた位置から眺めたジャカルゾン

南の離れた位置から眺めたジャカルゾン

午後メンバルツォを訪れる途中で眺めたジャカルゾンだ.ここから眺めると随分大きな建物と判る.また城らしく窓は上階のみに設けられているのも判る.


クジェラカンKujey Lhakhang

チョルテンの連なる未舗装路を北へ

チョルテンの連なる未舗装路を北へ

ランクルはクジェラカンを目指し,一部チョルテンの連なる未舗装路を北へと向かった.


丘にチョルテン塀が見えてきた

丘にチョルテン塀が見えてきた

やがて先方丘の上にチョルテンが連なって載る塀が見えてきた.あそこがクジェラカンのようだ.


クジェラカンの大きなマニ石

大きなマニ石

山門手前右側に大きなマニ石があった.カラーペイントでチベット文字が記されている.エベレスト街道にもこうしたタイプのマニ石が多かったことが思い出された.

なおチョルテン塀は斜面までしっかり連なっており,セキュリティに注意が払われている様子が窺える.


クジェラカン三つのお堂

クジェラカン三つのお堂

クジェラカン(Kujey Lhakhang)は三つのお堂があり,右(写真手前側)が1652年創建で最古のお堂.先ずはここの3階に入り,本尊前でUDさんに見習い,お賽銭を入れ,ブータン式五体投地(の真似ごと)をする.ブータン式五体投地はチベット式の手足を前後に投げ出す方法と違って,手足は折ったまま伏せるのでいくらか簡単だがそれでもにわかにできるものではない.

さてご本尊はもちろんパドマサンバヴァ(Padmasaṃbhava,別名グルリンポチ)であり,その大きな像の背後にバドマサンババが瞑想したという石窟がある.つまり本堂はそれをそのまま保護するために建てられたものだ.ただそれだけでなく,パドマサンバヴァ瞑想時の姿がそのまま岩に焼きつき,これをKujey=御影(ごえい)と称するそうだが,残っているのがポイントだそうだ.私も薄暗い中でその御影を懸命に探したが,信心が十分でないため見分けられなかった.


クジェラカン中央のお堂と左のお堂はワンチュク王家の建立

中央のお堂と左のお堂はワンチュク王家の建立

クジェラカンはワンチュク王家にとって言わば菩提寺のように重要な寺だそうだ.そして中央のお堂は初代ワンチュク国王がまだ王になる前の1900年に建立,左のお堂は第三代国王のお妃が建立したということだ.

こちらもお参りした筈だが.....思い出せない.

広い庭を挟んだ反対側には大きな僧坊が建てられている.季節ごとに往来するお坊さんの宿で,また住まいとなるのであろう.


クジェラカンもう一度右の本堂へ

もう一度右の本堂へ

奥を見てからもう一度右の本堂へ戻った.

こうして横から眺めるとバカに屋根の薄さが目立つ.トタン屋根であろうが屋根以外の重厚さに比べ何ともアンバランスなような気がする.日本の寺社や,さらに中国の寺は屋根が最も手が込んでおりまた重厚であるのと対照的だ.


クジェラカン本堂一階の入り口

本堂一階の入り口

写真を撮っても構わないという一階の入り口になった.ここも垂木様装飾や模様が施されている色使いはシックな組み合わせだ..


クジェラカン抜けることができるかのトンネル

抜けることができるかのトンネル

入ると小部屋となっており,左側は3階のパドマサンバヴァ瞑想石窟の続きの岩壁になっている.そしてこの岩にはトンネルがあり,UDさんが『普段正しい行いをしている人は,出口に出ることができ,悪行多い人は途中で岩に阻まれ,出てくることができません.試してみますか?』とけしかけられた.

そこまで言われては入らないわけにはいかないだろう.そしてさして太くないので無事通過できた.


クジェラカンでツァツァ(Tshatsha)が並ぶ

ツァツァが並ぶ

入り口山門近くに戻り,岩の下を見るとツァツァ(Tshatsha)と呼ばれるミニ仏塔がたくさん並んでいた.ブータンでは死者は火葬され,その遺灰の一部を土に練りこんで108個のツァツァを作り,お寺や聖地に置いて極楽往生を願うのだそうだ.ツァツァはやがて風化し,土に帰るのがいいようだ.最近はたくさん作るのが大変なので,既成品がお店で販売されているそうだ.

なおブータンでは輪廻転生の観点からお墓は作らず,また各家庭には立派な仏壇がある(後日見せてもらう)が,故人の位牌はないようだ.こうした思想はチベットでも同じだと思う.


ウォンディチョリン宮殿Wangdicholing Palace

ワンチュク国王来訪予定

ワンチュク国王来訪予定

クジェラカンを見物した後,再びジャカルの街方向に向かった.途中写真のきれいに飾られた門と塀の林のお屋敷があった.はっきりと思い出せないのだがここはワンチュク国王の御用邸と聞いたように思う.ダルシンも皆色鮮やかな新しいものに替えられている.

ところでワンチュク国王がこの二日後6月12日(日曜)ジャカルに来られる予定で,そのときの滞在がここなのであろう.なお国王の来訪に合わせ,御前会議が開催され,ブータン国全閣僚が集まるそうである.大臣一人に秘書やドライバも一緒,報道関係者もあろうからこれから戻ることになる東西横断道は少し混むかもと,UDさんの言あり.


レンガ造りの民家

レンガ造りの民家

レンガ造りの立派な民家が壁の両側にポーだけは描かれている.窓に見える逆U字形の脇は壁若しくは閉じた雨戸で内部は暗いかも知れない.

一般にブータン住宅は二階が居住区だそうで地面から急な階段(傍で見ると驚く)が設けてある.一階部分は以前は家畜小屋,現代は倉庫や作業場となっていることが多いそうだ.


ウォンディチョリン宮殿先の野菜市場

野菜市場

さらに戻ると屋根付きの野菜市場があった.キャベツやカリフラワー,芋や菜っ葉....を並べている.人通りは疎らだが,それで成り立つことこそ,非市場経済的,国民総幸福量(GNH)増大に繋がるような気がする.


バトパラタン空港(Bathpalathang Airport )滑走路

バトパラタン空港(Bathpalathang Airport )滑走路

野菜市場から少しのところで東を見ると滑走路が見える.バトパラタン空港(Bathpalathang Airport )若しくはブムタン空港だそうだ.滑走路は1200m,アスファルトで小型機の発着が可能だ.ぱっと見ではパロ国際空港ほど山が間近に迫ってはいないように感じるが....実際は不明.なお定期便はなく,駐機している飛行機もあまり見えない.明後日の国王来訪も飛行機ではなく,車らしい.あの山道を思い出すと飛行機が安全確実に思えるのだが....保有機材が小型機一機程度で,運行はままならないということのようだ.


ウォンディチョリン宮殿(Wangdicholing Palace)入り口

ウォンディチョリン宮殿入り口

さてウォンディチョリン宮殿(Wangdicholing Palace)になった.本宮殿は1856年,初代国王の父親ジグミナムギャルによって建てられたのが始まりだそうだ.かなり古いわけだが,第4代(つまり先代)ジグミシンゲウォンチュク国王がここにお住まいのこともあったようだ.たださすがに今は傷みが激しく,これから修理中の現場を覗くことになる.


ウォンディチョリン宮殿入り口脇の弓道場

ウォンディチョリン宮殿入り口脇の弓道場

ウォンディチョリン宮殿に連なる入り口門の脇に弓道場があった.弓道はブータンの国技でとても盛んだ.ブータン弓道の的はべらぼうに遠い.この写真で2つの板の間が的までの距離となる.してその距離は,な,何と140mというからもの凄い.的もかなり小さい.


ウォンディチョリン宮殿隣のアマンコラブムタン

ウォンディチョリン宮殿隣のアマンコラブムタン

弓道場の奥,宮殿脇には一見変哲もなさそうな大きな建物が見える.UDさんの説明ではアマンコラブムタンホテル(Amankora Bumthang)だそうで,ブータンでは飛び抜けて高い料金,最低15万円はかかるそうだ.へえ~っ!と思うがまあ基本的にセレブリティやお金持ちのホテルだからそんなものなのだろう.他にパロ,ティンプー,ガンテ,プナカにもあるそうだ.


ウォンディチョリン宮殿右隣のブムタン県知事公邸

宮殿右隣のブムタン県知事公邸

宮殿路を挟んでアマンコラの反対側はブムタン県知事の公邸だそうだ.大きな建物で,広い庭は塀で囲まれている.薄い三層屋根の下はよく風の通る構造で,一般的だと思う.


足場が架かるウォンディチョリン宮殿

足場が架かるウォンディチョリン宮殿

宮殿路の着いた先にウォンディチョリン宮殿があった.建物全体に足場が架かり,補修工事中だ.基本的には木の骨組みにレンガの壁,トタンの屋根で,一般的ブータン建築を大型に,装飾を立派にしたような感じだ.


ウォンディチョリン宮殿梁なども交換

梁なども交換

補修工事現場を見せてもらった.例えば数人がかりで装飾された端のある梁など交換している.かなり大掛かりな作業だ.解体ではないので難度は高い.


ウォンディチョリン宮殿梁加工の大工さん

梁加工の大工さん

外部露出する梁の端を加工している.大工さんが今押しているノミを見ると,軸に直角ではなく,少し角度が付いている.日本にはないタイプのノミのようだ.


ウォンディチョリン宮殿の变化してないパドマサンバヴァ像

变化してないパドマサンバヴァ像

この壁画は变化してない元のパドマサンバヴァ像であろう.大きな目やヒゲが特徴的だ.


ウォンディチョリン宮殿の象と猿と兎と鶏

象と猿と兎と鶏

象の上に猿,その上に兎(首を捻っており少し分かり難い),さらに上に鶏がいて,木の上の果実を収穫している.皆で協力し合えば,良い成果が得られる,ということだ.このモチーフは吉祥アイコンやポーと同様ブータンのあちこちで見かけた.


メンバルツォMembar Tso

ブムタン谷のジャカルからチャムカワ川(Chamkhar chhu)沿いを下る

ブムタン谷のジャカルから川沿いを下る

ウォンディチョリン宮殿を見物した後,一旦Mipham Guest Houseに戻りちょっと一休みし,再び出掛けた.今度はチャムカワ川(Chamkhar chhu)に沿う道を下流側に進んだ.

少し山間となるので農家の分布は疎らになっていく.


こちら側も道路工事進行中

こちら側も道路工事進行中

ジャカルの南側も2020年完成目標道路工事が進行中だ.この辺りはアスファルト工事で最終段階だ.完成すればずーっと先の東ブータンまでのアクセスがかなり良くなるであろう.


街道から聖地メンバルツォ(Membar Tso)への小路を下りる

街道から聖地メンバルツォへの小路を下りる

さて目的地である聖地メンバルツォ(Membar Tso)にやって来た.停車し,川沿いのこの小路を下った.川は深い谷だが,小路にはしっかりした柵が付けられている.

さてメンバルツォであるが,メンバル(Membar)=炎,ツォ(Tso)=湖のことで,さしずめ燃える湖となろうか.いや,これだと湖そのものが燃えそうだが,そうではなく高僧ペマリンパ(Pema Lingpa:1450-1521年)師がバターランプを灯しながら,湖底の埋蔵宝典や仏像などの宝を引き上げる際,ランプの火は消えずに燃え続けたということからその名で呼ばれるようになったそうだ.

ではなぜペマリンパ師はメンバルに潜ったか.かの有名なパドマサンバヴァ(Padmasambhava:750年ころ)が後の世の人のために,宝典や仏像など仏教の宝物をある場所に隠した,という言い伝えがあり,その場所が当メンバルツォ湖底であると解明したペマリンパ師が,湖に潜り引き上げたというわけだ.


小路脇岩の窪みに夥しい数のツァツァ(Tshatsha)

小路脇岩の窪みに夥しい数のツァツァ

小路を下ると脇の岩陰に夥しい数のツァツァ(Tshatsha)が並んでいた.メンバルツォは聖地だけに,故人に捧げるにいい場所なのであろう.


メンバルツォ屋根付きの橋は修理中

屋根付きの橋は修理中

ツァツァ窪みの直ぐ先にはメンバルツォを臨む対岸に渡る屋根付き橋があった.渡る手前には作業小屋があり,何人かの工事関係者が橋の補修木材を加工していた.


メンバルツォへの橋を渡る

メンバルツォへの橋を渡る

谷の幅は狭いので,橋の長さも長くはない.ただし谷は深いので手すりがないと怖いと思う.部材の一部は真新しい木材で,既に補修し終えた部分もあるようだ.


メンバルツォに至る

メンバルツォに至る

橋を渡ると大きな岩の上で,その下にメンバルツォが見える.湖と称しても谷川の一部が広くなり,湖状になっているのだ.ペマリンパ師はこの岩からバターランプを翳して飛び込み,そして宝物を引き上げたわけだ.

ただ上も,川も岩場で,滑り落ちると危険で,現に昨年ヨーロッパからの旅行者が落ちる事故が起こったそうだ.お気の毒に.


ジャカルを離れるleave Jakar

Mipham Guest Houseで昼食,そしてチェックアウト

Mipham Guest Houseで昼食,そしてチェックアウト

メンバルツォからMipham Guest Houseに戻り昼食を頂いた.やはり赤いご飯だ.赤飯(もち米)ではなく,赤い色のうるち米だ.それにチキンや青菜.....などだったようだ.

食事が済むとチェックアウトした.お世話になりました.


色鮮やかになったロダクカルチュゴンパのタルチョー群

色鮮やかになったロダクカルチュゴンパのタルチョー群

車で走り出すとまたロダクカルチュゴンパの面白いタルチョー群に出合った.順光になり一段と色鮮やかだ.


ジャカル商店街を少し歩く

ジャカル商店街を少し歩く

チャムカワ川の橋を渡りジャカル商店街に入った.時間があるので歩いてみたらということで見納めでちょっと歩いた.


ジャカルのお坊さんのための既製服店

お坊さんのための既製服店

『お坊さんのための既製服店』と銘打ったお店があって,さすがジャカル~と感心した.お坊さんの多い街ですので需要は多い筈で,しかも高位のお坊さんは別としてやはり手頃な値段の既製服が求められるでしょうね.

一方既製服店ながら窓際にはちゃんと数珠つなぎの乾燥チーズなども販売しており,ブータン式コンビニの要素も入れている.乾燥チーズはドライビングの必需品のようで,UDさんもシフトレバー脇に常備している.私も分けてもらったが,これが曲者で1時間経っても,2時間経っても口の中からなくならない,スルメなど相手にならない.UDさんに見つからないように口からそっと出して処分した.


ジャカルでブータン映画SERYANGのポスター

ブータン映画SERYANGのポスター

どう云う作品か見当付かないが,このようなブータン映画SERYANGのポスターが貼ってあった.6月16日午後6時半上映というのでもう直ぐだ.上映地がxxx学校とあるので,普通の娯楽映画ではなく何らかの教育的作品だろうか....?


さて,と云うことでブムタン地方の旅は終わった.この後は元来た道を辿りトンサに向かう.


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