東西横断道East West Hwy

この東西横断道編では,2016年6月9日,ブータンの東西横断道一部区間であるウォンディポダンを出て,ヌブデンの村見物し,ペレラ峠を越え,ルクビジでランチ,そしてチェンデジ,トンサ眺望点,トンサを経て,ヨトンラ峠を越えブムタン谷に入り,ジュニエー,キキラ峠を過ぎて,ジャカルに至るときの写真を載せました.


東西横断道Googleマップ(スクリーンショット)

東西横断道Googleマップ(スクリーンショット)

この日ウォンディポダンを出てペレラ峠を越え,トンサを過ぎ,ヨトンラ峠,キキラ峠を越え,そして夕刻ジャカルに着いた.

ウォンディポダンを出るleave Wangdue Phodran

ウウォンディポダンから出発

ウォンディポダンから出発

6月9日朝Dragon Nest Resortを出てプマツアン川(Puma Tsang chhu)沿いを少し下り,程なく東に曲がって行った.


東西横断道はどこも道路工事中

東西横断道はどこも道路工事中

さてブータン国西のティンプーから東の外れ(別ページのマップを見るとツアスガン(Trashigang)辺りであろうか)を結ぶこの東西横断道であるが,全区間道路工事を推めており,2020年完成を目指しているそうだ.現在1.5車線程度でスレ違いできないところが多いが,それを2車線(片側1車線)にし,また舗装する予定だそうだ.

現在の状況と,難工事区間が多いことから,果たしてその期間で済むかどうか危ぶむ声が多いそうだ.私が見てもかなりの難工事に見える.


右手に寺(ラカン)のある村

右手に寺(ラカン)のある村

進むと右手陽当りのいい斜面に住宅の密集した村が見えた.3層屋根で少し抜け出た建物は寺(ラカン)であろう.


寺(ラカン)のある別の村を抜ける

寺(ラカン)のある別の村を抜ける

街道沿いに寺(ラカン)のある別の村を通り抜けた.チョルテンの脇に袈裟姿のお坊さんがいる.


街道は崖っぷちを這う

街道は崖っぷちを這う

東西横断道は崖っぷちを這うように進む.ドライバを兼ねるUDさんは冬の凍結路面で運転することもあるそうだが,なぜかチェーンを付けないままゆっくり進めるという.お~怖い.

尤もブータンの人は,転落で亡くなっても極楽に行けるし,また直ぐに生まれ変わるので怖くないのだとか.ただしUDさんが強調したのは,現世で善い行いをしていることが前提で,悪い行いの人は地獄行きですよ~とのことだ.

また別の情報では,ブータンでは自殺はないという.自殺すると生まれ変る度500回それを繰り返すことになるからという.理由は同じではないもののクリスチャンと似た面がありますね.


東西横断道は2車線にするため山を削る

2車線にするため山を削る

物理的に幅が足りないため山の斜面を削り,拡張する以外ない.削りとったところは急峻で脆いから擁壁がないと崩壊する恐れもあるし,なかなか大変だ.

ところで東西横断道工事は複数の区間に区切り,それぞれ別の建設会社に発注されているそうだ.工期の短縮と市場経済原則で費用を競争させるためという.そして,ということで自ずとインド人労働者が大半を占めることになるのだそうだ(労働コストが割安)


美しい緑の田んぼ

美しい緑の田んぼ

暫く行くと大きく育った稲がある田んぼがあった.前日までは田植えの段階の田が多かったが,この辺りは標高が低いのかかなり成長している.

5人固まって何か作業しているが,雑草取りであろうか.


日本政府援助の橋

日本政府援助の橋

さらに行くと川と交わり,日の丸のプレートが嵌めこまれた橋が架かっていた.日の丸付き橋はこの後も幾つか見かけた.ネパールへの援助はこうした形になる前に,特定の政治家の懐に収まるケースが多いと聞いたが,ここブータンでは実際のブツで貢献しているのでいいのではなかろうか.


ここは田植え前

ここは田植え前

さっきの成長した稲の田んぼとは打って変わって,こちらはまだ田植え前のようである.地形や気象条件がいろいろ絡むのでしょうね.

この辺りの農家は3階建て,随分立派ですね.


住宅の構造

住宅の構造

二層屋根の下(二階部分の天井間)は空洞になっている.ここに乾燥させる穀類や野菜を保存するそうだ.

またこの外観だけでは分からないことだが,壁は一般に土に藁を混ぜ,版築工法で成形するそうだ.また梁や柱,窓枠,垂木などはこの辺りで豊富な松などが使われるそうだ.なお山林の多くは国の所有で,個人は国に申請し許可を得て,切り出し可能だそうだ.

壁に絵があるが,これらはブータンの住宅で共通な絵柄で,一部UDさんに意味合いを聞いたのだが.....思い出せない.一般に吉祥や魔除けのためだったか.....


ダルシンの林

ダルシンの林

ここは個人の家の敷地であろうか,たくさんのダルシン(Dharshing)が風にたなびいている.ブータンでは故人を弔うために108本のダルシンを立てることがかなり一般的だという.タルチョーやルンタと同じように経文が記され,風で揺れる度に一回それを唱えると同じ功徳があるそうだ.

ただこれを立てる材木(一般に松だそうだ)が108本と大量に伐採されるのはちょっと問題で,ブータン政府は古い木材の再利用やタルチョーへの転換を推奨しているようだ.

ところでこの辺りの松の木は細く真っ直ぐなものが多く,実に驚く.日本の曲がりやすい松とは種類が違うのだろうか.


ヌブデン辺りNubding village

大麻草の群生

大麻草の群生

道路脇に大麻草が群生していた.タバコに対してなかなか厳しい国だけに大麻は多分違法ではなかろうか.


崖の擁壁工事

崖の擁壁工事

ここは片側が深い谷だ.路肩が崩れたら一巻の終わりで,あまり信心深くない仏教徒(または異教徒)には怖い.で,崖っぷちで石を積み,擁壁を築いている.崖っぷちで頑張っているのはインド人だ.


擁壁が築かれた区間

擁壁が築かれた区間

ここは擁壁が完成した区間だ.これで大分安心できるようになったと見えて牛の親子が散歩している.ただガードレールとかないので,安全度も半ばといったところかも知れないな~.


いつ崩れても不思議ではない区間

いつ崩れても不思議ではない区間

ここは擁壁工事未着手で,いつ崩れても不思議ではない区間.実はこうした区間が圧倒的に多いのだ.まあ,パキスタンとかネパールの山道といい勝負だ.


ヌブデン(Nubding)の村に到着

ヌブデンの村に到着

ヌブデン(Nubding)の村に到着し,緊張の運転に一休み入れるためしばしここに停まる.

村の広場(広くはないが)では簡易市場として使える屋根付き,床付き建屋があり,この時は2人ほどの女性が野菜を販売している.他に暇そうな男性がここで暇つぶしし,子どもたちが遊んでいる.


ヌブデンの広場隣のコンビニ

ヌブデンの広場隣のコンビニ

ヌブデンの広場の直ぐ隣にはGeneral shop and Barの看板を掲げたブータン風コンビニがあった.右の女性がその店主だ.たまにしか客が現れないので店外で通りを眺めている.

白壁に堂々と描かれているのはブータン名物チンポの絵,ポー(po)だ.これは二次元だが3Dで軒下に下げられたタイプや,大きなブツが祀られているレストランやショップもあった.日本でもこれをご神体とする神社があり,かなまら祭りなどでよく知られる.似たようなものだが,ブータンでは普通の民家を含めてあちこちどこでも普遍的広がりがあるようだ.

さてこのポーの発祥は16世紀,チベット生まれの高僧(あるいは風狂とも)ドゥクパクンレ師(Drukpa Kuenlay:1455-1529)に遡るという.師はブータン仏教ではご法度な筈の女性もお酒も大好きで,ポーの先から稲妻を発し悪魔を退治したという.以来魔除けや子宝祈願として飾られるようになったそうな.


ヌブデン村コンビニの商品

コンビニの商品

野菜から日用品,スナック類,清涼飲料....と並んでいる.雑貨屋と称してもいいかも知れない.コークの好きなUDさんは確かここで買い入れていた.


ヌブデンコンビニのバーカウンター

コンビニのバーカウンター

and "Bar"の看板通り,ショップの隣は一応バーカウンターが備えられる.さすが朝早いので飲んでいる客はいなかった.おつまみはショップの乾き物や,上写真のアテンダントのおねえさんが簡単な料理をして出してくれるらしい.


ヌブデン村の子どもたち

ヌブデン村の子どもたち

屋根付き簡易市場の空きスペーでは子どもたちが遊んでいた.就学前の子はゴやキラではなくごく普通の服装,またよく言われているように顔付きは日本人と同じで,特段ブータンらしさを感じることはない.


ヌブデン広場脇でカーペット織りの婦人

ヌブデン広場脇でカーペット織りの婦人

ヌブデン広場脇の陽だまりで織物に精を出す年配の婦人がいた.糸が太いのでカーペットであろう.


ヌブデン広場横でせいろ造りに励む男性

ヌブデン広場横でせいろ造りに励む男性

ヌブデン広場横の小屋でせいろ(蒸篭)を造る職人さんだ.製作中の製品を見ると2段繋ぎで随分高い(深い)タイプのようだ.さてどんな料理に使われるのやら.


ペレラ峠Pele La pass

ペレラ峠(Pele La:3392m)に至る

ペレラ峠(Pele La:3392m)に至る

ランクルはペレラ峠(Pele La:3392m)に着くと,そのままチョルテンを時計回りに一周,つまりコルラし,その先に停車した.UDさんは信心深く,また運転は丁寧だ.たとえ間違えて崖に転落しても極楽であろう.同乗の筆者は判らないが.


ペレラ峠で台北のご夫婦は香炉で香木を焚く

台北のご夫婦は香炉で香木を焚く

私たちの少し後に一台の車が停まり,坊さんと,年配の(私と同程度)ご夫妻と,ドライバが降り立った.直ぐ近くだったので言葉を交わすと台北の方たちだった.坊さんは台北在住のブータン人で,ガイドとして祖国に来たということだ.そして脇の石製の紡錘型香炉に香木を入れ,焚いた.


ペレラ峠脇の売店

ペレラ峠脇の売店

ペレラ峠の脇には売店があった.テーブルクロス,紐,バッグといった布製品を売っている.見る目はないのだが,基本的には手織り,手造りの品ではなかろうか.

ショップオーナーの女性は椅子ではなく,床に座っている.床に座る習慣があるようだ.日本と似ている.


ペレラ峠ショップオーナーのお子さん

ショップオーナーのお子さん

ペレラ峠には大量のタルチョーが架けられている.ショップオーナーのお子さん(女の子)は元気にタルチョーの斜面を駆けている.

ところでブータンでは女の子,姉妹があれば一番下の娘,が跡を継ぐそうだ.ここのショップオーナーの場合,こうして既に女の子がいるのでお世継ぎの心配がない訳だ.

ガイドUDさんの場合上に二人のお兄さんがいて,UDさんがまた男の子,次でようやく妹さんが生まれてご両親はホッとしたそうだ.


ペレラ峠を下り始める

ペレラ峠を下り始める

ペレラ峠を下り始めた.青空に入道雲が見える.夏の空に見えるが,ここは山の中,天気は先が読めない.ただ大雨が連続的に降ることは先ずないようである.


ルクビジでランチlunch at Rukubji

ペレラ峠から暫く下る

ペレラ峠から暫く下る

ペレラ峠からは暫く下る.右側崖の向こう,緑の牧草地がとてもきれいだ.牧草地で柵のある部分は個人所有地,無いところは共有地ということだ.


工事中のところで,一区切りつくまで待つ

工事中のところで,一区切りつくまで待つ

前述のように東西横断道は至る所で工事中なのだが,狭いので工事車両のあるところでは通り抜けできない場所もある.こうしたところでは,一区切りつくまで作業継続し,やがて少し広いところに退避してくれるのを待つ.

ところで崖の下には,斜面に農家が貼り付くように点在し,また畑もその近くに見えるところがよくある.そうした農家はこの街道に出るまで山道を上り降りしなければならず大変だ.農作物運搬などには馬がよく用いられるそうだ.

ということで,山側を削り,谷側に埋めるようにする工事は,そこにある農家には極めて危険で,絶対避けるよう注意を払っているそうだ.工事の制限は大きくなるが,まあ当然であろう.


ルクビジ(Rukubji)のレストランに到着

ルクビジのレストランに到着

ルクビジ(Rukubji)村のレストラン,いやホテルか,に到着した.いろいろブータンスタイル装飾が施された大きな建物だ.


ルクビジ(Rukubji)のレストラン

ルクビジのレストラン

マウンテンビューの広い窓に並行し,一列に細長くテーブルが配置されている.奥に数人の先客が食事中だが,UDさんによるとJICAの皆さんだそうだ.この辺りでは上述の橋建設などに関わっているそうだ.


出してもらった食事

出してもらった食事

赤米のご飯,きのこ炒め,青菜のおひたし,ポーク炒め....などだった.ポークが美味しかった.

ところでUDさんの話では,ブータン人は殺生を嫌うので,家畜の屠殺を行わない(ただし食べるのは問題ない)そうだ.そのため食肉はすべてインドからの輸入で,ビーフはインドのイスラムから,ポークはヒンドゥーから,チキンはインドで区別なく輸入という.ただ病死したのは不可だが,事故(ケガ)死した牛やヤクは解体し食するそうである.


(Rukubji)のレストランから牧場を望む

レストランから牧場を望む

レストランの向こうの斜面には大きな牧場が広がっている.牧草も木立も瑞々しく美しい.

牧畜を主な生業とする農家は,夏の間ヤクを連れてヒマラヤの高地に登り,秋に戻るそうだ.ヤクを連れて行き,戻るときは数戸の農家がまとまって作業に当たることが多いそうだ.


ルクビジで日本から寄贈の救急車

ルクビジで日本から寄贈の救急車

食事を終えて表に出ると救急車が停まっていた.エンジンも停止し,無人だったので単なる係員の食事で停まっていたのであろう,多分.ドアの下を見ると日の丸とともに控え目に『from the people of Japan』と記されていた.橋とともに現物なので確実に役立ててもらえると思う.病院までうんと遠そうな家が多いと思うので効果は大きい筈だ.


ルクビジレストラン近くの立派なお家

ルクビジレストラン近くの立派なお家

何でもよく知っているUDさんのお話では,この地方議会の議員さんのお宅で,名家だそうだ.

3階建ての大きな建物壁には例の(吉祥)アイコンが描かれている.下には薪が積まれている.薪の量は財力の印でもあろう.


チェンデジChendebiji

ルクビジ先の水力マニ車

ルクビジ先の水力マニ車

ルクビジでのランチ後,東行きを再開した.

少し進むと街道(下のコンクリートパイプ)に流れ込む小川があり,ブータン様式建屋に囲まれた水力マニ車が廻っていた.


ルクビジ先,薪拾いの老婦人

薪拾いの老婦人

水力マニ車の先では薪を背負って歩く老婦人がいた.薪の量は多くないが凸凹道を杖で歩くのは大変そうだ.お気を付けて.


チェンデジのラカン(寺)通過

チェンデジのラカン(寺)通過

陽射しが強く,カーブと勾配の多い区間を行くと数基のチョルテンとラカン(寺)があった.チェンデジ(Chendebiji)だと思われる.目玉のあるネパール式チョルテンはかなり大型だ.


チェンデジ先にまた滝あり

チェンデジ先にまた滝あり

チェンデラカンを越えるとまた滝が流れていた.ブータンではこうした小さな滝を含めて川はすべからく北のヒマラヤから南のインド国境に流れているそうだ.まあ地形からして当然かも知れないが.


工事は危険がいっぱい

工事は危険がいっぱい

ここでは区切りが付くまでしばし停車して待ち,工事を見ていた.削った岩がパワーショベルに落ちそうになることもありなかなか危険だ.まあそう言ってはいられないのであろうが,大事を取ってくだい.


トンサ眺望点Trongsa view point

牛の遊ぶ道

牛の遊ぶ道

少し開けた場所になり,牛の遊んでいる.脇の水力マニ車から流れ落ちる水も好都合そうだ.


小さな村になっている

小さな村になっている

牛にいる点から急カーブで廻り,そして下るとそこには村があった.斜面の住宅で,眺めはいいが日常生活は坂が多くちょっと不便そうだ.この家族はお使いの途中であろうか.


眺望カフェテリア

眺望カフェテリア

眺望カフェテリアの看板が掛かっている.眺望とは深い谷を挟んだ対岸のトンサの街,特にトンサゾン(Trongsa Dzong)と呼ばれる県庁兼寺院である.


トンサの街の遠景

トンサの街の遠景

さてその眺望点からトンサの街全体を望むとこんな風に見える.やはり大きな白壁,赤屋根のトンサゾンが目立つ.ゾンの基部から谷に向かってジグザグに旧道があり,谷底の橋を渡り対岸のここまで繋がっているらしいのだが,深い森の中で見ることはできない.

ゾンの左には白く見えるのは現在の道で,Uを横に寝せたような形でこの場所(眺望点)に繋がっているそうだ.また見えている白い道の下の段々は畑でなく,水田だという.ちょっと分かり難いが.


トンサ眺望点からズームしたトンサゾン(Trongsa Dzong)

トンサゾンをズーム

トンサゾン(Trongsa Dzong)をズームしてみた.外観はちょっとラサのポタラ宮のような感じだ.一部が寺院,一部がトンサ県の議会,行政,司法機関なのだが,手狭になったため裁判所だけは右上の白壁/青屋根の建物に引っ越したそうだ.

なおトンサゾンは後日立ち寄り,詳しく見てみる予定になっている.


トンサTrongsa

マンデ川(Mangde chhu)を渡る

マンデ川(Mangde chhu)を渡る

眺望点から大廻りしマンデ川(Mangde chhu)に架かる橋を渡った.橋には日の丸が記されており,またたくさんのタルチョーが架かり,風に舞っている.


橋の袂にチェックぽポスト

橋の袂にチェックぽポスト

渡った側橋の袂にはチェックポストがあり,UDさんが届け出る.まあ,まだ国内には何がしかの不安定要素が残っているのではなかろうか.或いは外国人の場合のみ義務があるのかも知れないが,定かではない.


トンサの街の人だかり

トンサの街の人だかり

マンデ川に沿う対岸の道を暫く行くとトンサの街になった.そして人や車がいっぱい集まっている.はて何でしょう?


トンサの歌謡コンテスト地方選

歌謡コンテスト地方選

反対側の車窓を眺めると,広場で若い女性がマイクを手に歌っていた.何でも全国歌謡コンテストの地方選なのだそうだ.地方選入賞者はそのうち一堂に会して全国大会を競うことになるそうだ.まあNHKのど自慢のようなものであろうか.でも日曜でなく,平日(この日は木曜)昼間,街の広場で歌謡コンテストって.....なかなか良さそうだ.


トンサの棚田

トンサの棚田

これが対岸で見てよく畑か田んぼかよく判らなかった土地.これでもまだ分かり難いが水田で,結局棚田ということになる.こりゃ雲南省の棚田並みの苦労が偲ばれる.


トンサの水力発電所保守道路

トンサの水力発電所保守道路

棚田の向こう側,ちょうど先ほどの対岸眺望点辺りからマンデ川(Mangde chhu)の谷に下る白いジグザグ路が見える.谷底は見えないがここに水力発電所が置かれているそうだ.

ブータンの最大輸出品目は電力,殆どは水力発電でインドに輸出されているそうだ.現在の発電量は全部で150万kWだそうで大型原発一基分くらいであろう.ブータン政府は2020年までにGDP(GNHではなく)の半分を水力発電でカバーするよう目標を置いているそうだ.少なくとも一旦建設工事が完了すれば,かなりクリーンなエネルギを生み出すのでいいと思う.

ここトンサの水力発電所の出力はどれくらいだろう?UDさんによると,最近は一基100MW(10万kW)クラスの発電所が多いそうで,ここもそれくらいかな~ということだ.


ヨトンラ峠Yutong La pass

ヨトンラ峠を目指して上る

ヨトンラ峠を目指して上る

トンサを越えてアップダウンを繰り返しながらヨトンラ峠の上りに差し掛かった.先のヨトンラ峠一帯の松林は濃い霧に包まれている.良い光景だ.松はこの辺りの特産で,しかも真っ直ぐ伸びるのに驚くのは前にも記した.でもやはり不思議だ.


ヨトンラ峠(Yutong La pass:3425m)に到着した

ヨトンラ峠(Yutong La pass:3425m)に到着した

さてランクルは霧のヨトンラ峠(Yutong La pass:3425m)に到着した.UDさんはランクルでチョルテンを一度時計廻りでコルラした.同乗の筆者も自動的にコルラしたわけで,多分通過した水力マニ車程度のご利益が得られるだろうと都合よく考えた.


ヨトンラ峠にはダルシンやタルチョーがいっぱい

ダルシンやタルチョーがいっぱい

峠なのでチベット仏教の慣わしに従い,夥しい数のダルシンやタルチョーが掲げられている.多分一人で108本のダルシンを立てた人もいるであろう.

それと仏教の聖地高い所とどう関係するのか,エイズに関する警告看板が掲げられている.多分この国でも増えてきたのであろうか.


ブムタン谷Bumthang valley

ブムタン県に入り長い直線路

ブムタン県に入り長い直線路

ヨトンラ峠を越えるとトンサ県からブムタン県に入ったことになる.ただブムタン県の呼称についてはちょっとややこしい.つまり他は県名とゾン名は一致している,例えばトンサ県のトンサゾン,のように.ところがブムタン県のゾンはブムタンゾンではなく,ジャカルゾンということだ.

さてブムタン県の谷に入ると,周囲はやはり山なのだが,山と山の谷は素晴らしく広い平地で,それまで一日半通過してきたティンプーからヨトンラ峠までの間のとても狭い空間に居た感覚から一気に開放された感じを味わう.不思議なほどの開放感だ.

写真の辺りであるが,パロ国際空港脇の2km直線路に次ぎ,ブータン国二番目に長い(1.5kmくらい)真っ直ぐな道路も広々感を補う.

ゴとキラの制服姿,中学生であろうか,が帰宅中だ.夕暮れ時と結構遅い時間だがクラブ活動とかであろうか.


ブムタン谷虹が出た

虹が出た

山の天気だけに変わり易いようで,南の山にはきれいな虹が架かった.雨雲はここまでは来ないかな.


ブムタン谷のレンガの家

レンガの家

道路脇に建つこの立派なお宅は壁を見ると,土壁(版築)ではなく,焼きレンガ製で,白ペイントを塗ったタイプのようだ.焼きレンガはコスト高になるそうだ.それと垂木状の装飾は美しく,写真でははっきりしないがいろいろ架空動物のアイコンなど描かれている.

この辺りは松の木が名産なので,かつては松板屋根が多かったが,現在は耐久性で優位なトタン板に変わったという.松板で7年,ヒノキ若しくはスギ板で最大15年の耐久性だが,トタン板はそれらよりかなり長いという.

なお大工技術や壁画は職業訓練校で技術が継承されているそうである.


この辺りの畑

この辺りの畑

ヨトンラ峠越えのこの辺りは,広々しているが標高は2500mより高く水田には適さず,野菜や穀類の畑だそうだ.写真の畑はじゃがいもだったか....?


ジュニエーZungnye

夕暮れときブムタン谷を進む

夕暮れときブムタン谷を進む

大分日が傾き,影が長くなった.そんな中さらに東へと進んだ.

そしてこの写真右側辺りに,現在のお妃様の実家があり,おばさんがお住いだそうだ.UDさんに,それならちょっと家の前まで行ってみようか,と提案したら,いやその手前にゲートがあり,ガードされているからだめだ,とのことだった.


ジュニエー(Zungnye)の織物工房に至る

ジュニエー(Zungnye)の織物工房に至る

少ししてジュニエー(Zungnye)になった.ジュニエー自体正しいかどうか自信がないが,少なくとも日本語でよく記載される『スンゲイ』は著しく違うとUDさんに指摘された.

まあそれはそれとして,ジュニエーはブータン伝統の織物(手織り)で知られるそうだ.そこでここに立ち寄ってみる.


ジュニエー特産の織物

ジュニエー特産の織物

お店にはキラの布地の反物,マットやテーブルクロスのような完成品......いろいろ取り揃えてある.ちょっと見る目を持たないのが申し訳ない.


ジュニエー裏の工房では二人の織り子さんが手織り中

裏の工房では二人の織り子さんが手織り中

ショップ裏の工房では二人の織り子さん,おばさんと若い女性が手織りの最中であった.前後縦糸群にシャトルで横糸を通し,ペダルで縦糸の前後を操作する一般的な折り方だと思う.模様はもちろんブータン伝統デザインだ.


キキラ峠(2,860m)Kiki La pass

キキラ峠(Kiki La pass:2,860m)を越える

キキラ峠(Kiki La pass:2,860m)を越える

ジュニエーの織物を見て,再び東に向かった.そしてキキラ峠(Kiki La pass:2,860m)に至り,これを越えた.キキラ峠もまた夥しい数のタルチョーやダルシンで彩られている.半端ではない.


キキラ峠から一気にジャカル(Jakar)に向かう

キキラ峠から一気にジャカルに向かう

キキラ峠からは今夜の宿泊地ジャカル(Jakar)に向け,一気に進んだ.そして大分暗くなってジャカルのゲートに到達した.


ジャカルに到着get to Jakar

ジャカルの繁華街を通る

ジャカルの繁華街を通る

ジャカルのゲートを潜り少し行くと繁華街に入った.とは言っても道の両側にブータン式コンビニや,お土産店,レストランが少し並んでいる程度で,静かな街だ.


ジャカルのMipham Guest Houseに到着

ジャカルのMipham Guest Houseに到着

さてジャカルの繁華街を抜け,チャムカワ川(Chamkhar chhu)を渡り,少し丘を上ると今夜の宿Mipham Guest Houseがあった.これで一段落だ.

このゲストハウスは当ホテルの直ぐ上にあるロダクカルチェゴンパ(Lhodrakharchu Gonpa)直営だそうだ.同ゴンパは翌朝訪ねてみたい.


ジャカルMipham Guest Houseの客室

Mipham Guest Houseの客室

私は分館のこの部屋を案内してもらった.特産の松を多用したインテリアで結構だ.少し高台に位置しているので,窓からはジャカルの町やジャカルゾンをよく望むことができる.

それとwifiがあるのも気が利いている.


ジャカルMipham Guest Houseにはバスタブあり

バスタブあり

Guest Houseと称しているがバスタブもあった.ただ電気温水器の湯量は十分とは言えない.またパネルヒータが3枚も設備しているが,熱交換器と較べて効率が低いので電力消費は多くなりそうだ.


この日の夕食

この日の夕食

暗くなってレストランに行った.たまたま私と同じように一人旅の男性(私よりかなり若い)が居られ,同じテーブルを囲む.日程や訪問予定地は似たりよったりだ.ブータンではやはりほぼ決まったコースになるのであろう.

写真は一人前で確か後でデザートもあったと思うが,随分多いですな.ただ激辛の純ブータン料理は殆どなく,普通の味付けにしてくれているのは嬉しい.



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