このブータンへ編では羽田から,先ずタイ航空でバンコクへ飛び,バンコクでドゥック航空に乗り換え,コルカタ(インド)経由でパロに到着.ガイドUDさんに出会い旅を始めたときの写真を載せました.
羽田(1)から,先ずタイ航空でバンコク(2)へ飛び,バンコクでドゥック航空に乗り換え,コルカタ(3)経由でパロ(7など)に到着した.
羽田(1)からパロ(7など)に一気に飛べば,バンコク(2)までと同じ位の距離に見えるので甚だ冗長なルートであるが,そうした都合良いルートはちょっとないようだ.
別窓で大きなGoogleマップを開く羽田からは00:20 タイ航空TG-661便で発つのだが,その2時間余り前,つまり夜10時前に京急で到着した.そしてタイ航空カウンターに向かい,チェックインする.機材はB747-400で通路側の46Gが取れた.ただ実際に乗ってみると搭乗率は半分以下のようでゆったり座ることができた.
タイ航空はスターアライアンスグループなのだが,ANAのマイレージカードは忘れてきた.最近は必ず何かしら忘れたりするのだが....出だしからこうだからこりゃ先々思いやられる.
続いて出国手続きを済ませ,売店区間を通り,搭乗ゲートに向かう.
以前パタゴニアに行く際,経由地のアトランタ空港で見てちょっとドキッとした白衣の骸骨が羽田空港にもあった.背後の看板を見るとNew York Apothecaryと云う薬屋さんのようで,1851年来の老舗のようだ.何れにしてもアイキャッチ効果は大だ.
TG-661便は定刻に搭乗し,そしてBKKに向けて飛び立った.
夜も更けていることであり,写真の夕食に確かワインを添えて出してくれたと思う.
今は少なくなったB747-400のたくさん備えられたシートは十分空いており,ビジネスクラスシート並みに体を伸ばして横になった.食べると直ぐに横だ....明日朝牛になってなければよいが.....zzz
一眠りから目覚め,少しするとあと53分でバンコクに到着の画面だった.バンコク時間3:34分なので,到着時はまだ暗いであろう.乗り継ぎ,スワンナプーム国際空港内に留まるのでまあ関係ないが.
BKKスワンナプーム国際空港には定刻4:50より少し早く4:25に着地した.到着ゲートを潜り,広い空港内のトランジットエリアに入り,ドゥック航空カウンタを訪ねKB121便搭乗券を発券してもらう.次いでKB121便の搭乗ゲートに向かった.
トランジットエリアから搭乗ゲートまではさして遠くはなく着いた.時間は余るが待つしかない.
日本人を含めいろいろな人が搭乗を待っているが,このような装束の方もおられる.袈裟の色あいや顔立ちからタイのお坊さんご一行ではないだろうか.タイもブータンも同じ仏教国であるが,タイは上座部仏教,ブータンはチベット仏教(大乗仏教)の違いがあろう.流派は違っても大元は同じなので互いに交流があるのではないか....と想像した.
さてドゥック航空KB121便(機材はA319-115)にボーディングブリッジが架けられ,定刻に搭乗が始まり,歩いた.機入り口ドアにはブータン国旗にも描かれるドラゴン(雷竜)が法輪に絡む絵が描かれていた.実質的に国教が仏教の国営エアラインらしい絵柄だ.そもそもドゥックエアのドゥックとはカギュ派の一支派名なのだそうだ.ただブータンはドゥック派に限定されず,ニンマ派や,さらにインド系はヒンドゥーの国民も相当数いるということだ.
席に着くと生まれたばかりの王子を抱く国王夫妻の写真が表紙を飾るドゥックエア機内誌『Tashi Delek』が目に止まった.王子さまはつい最近お生まれになったということだ.
ワンチュク国王(Jigme Khesar Namgyel Wangchuck)ご夫妻は結婚直後日本を訪問され,東日本大震災の犠牲者の方に祈りを捧げ,また国会演説がTVニュース等で報道されたのも記憶に新しい.そして表紙は当時のままの笑顔だ.
なおTashi Delekはチベット語と同じく,ありがとう,グッドラック...の意もあるが,おめでとうとか乾杯,他の意味もあるとガイドUDさんに後で聞いた.機内誌のタイトルと誕生した王子さまと国王ご夫妻の写真は今号では正にピッタリ一致した訳だ.偶然か或いは期待されていたのか....
概ね定刻であったと思うがKB121便はBKKを飛び立った.そしてコルカタ(インド)に降り立ち,客の一部がここで降り,新しい客が乗り込んできた.こうした一部降ろし,新しい客をいれる操作はテロ防止の観点からなかなか厄介で手間がかかる.
さてこうしてコルカタから再び舞い上がったA319-115の主翼ウィングレットにはブータン国旗が描かれている.国名の由来となっているドゥック(雷竜/Druk),背景の黄は王家の権威赤はチベット仏教を表すということだ.シンプルな日の丸とは対極を成す極めて複雑なデザインだ.多分世界一大変.....
家々が密に並ぶコルカタの街を背後にして,オムレツの朝食を出してくれた.ドラゴンフルーツやパパイヤがいかにも南国コルカタ(またはバンコク)らしい.いや前者はドゥック(=ドラゴン)エアに因む計らいか?
KB121便はブータン領内に入り,パロ空港(標高2235m)に近づいてきた.外界を望むと山(5500m級)に囲まれた谷あいに向けて高度を落としていく.山にはネパールなどと同じように不定形(四角くない)段々畑が展開されている.たが山はネパール辺りと較べて緑豊かだ.雨など気候が異なるのであろうか.
ところで今回ブータン,日本国交30周年記念料金とは,ドゥックエア(またはブータンエアラインズ)バンコク/パロ往復料金,およびブータン国内ホテル料金を半額にするということだ.旅行社の政府への上納金(US$240/一日,一人の一定の割合)は変わりないのだと,後でガイドUDさんに聞く.まあ国営ドゥックエアまたはブータンエアが値引きするので,政府負担があるのは確かだ.私の場合全部まとめて料金の契約で,日,ブータン2つの旅行社が絡むので料金の細目は知る由もないし,性分からしてそれでいいのだが.
KB121便は百数十人乗りの小型,A319であるが,翼端が山の斜面に触れるのではないかと感じられるほど間近を飛び,そしてパロの大地にランディングした.有視界飛行でパイロットの腕に大いに依存するそうで,仮にロシア系乗客の多いフライトなら拍手が起こるシチュエーションだ.
これもUDさんに聞いたことだが,上述ワンチュク国王の奥方ジェツンペマ(Jetsun Pema)さんのお父上は元ドゥックエアのパイロットで,現在はバーレーンエア勤務だそうだ.
BKKでKB121便に乗るときは前方ドアから入った.前方にはビジネスクラスはあったが,ファーストクラスは見えなかった.
そしてパロ空港に着くと,前後2つのタラップが横付けされ,前タラップからは一人のVIP,スウェーデン国王(カール16世グスタフ)が降り,他の乗客すべては後タラップから降りた.スウェーデン国王(夫妻?)も普通にビジネスクラスだったのですね.
前タラップ下にはブータン王室や政府,仏教の要人と思しき人々が待受け,降り立った国王(白髪で濃紺スーツの方)と握手を交わしておられた.スウェーデン国なら政府専用機や王室専用機がありそうだが,1964mと短い滑走路で,一般に中型以上である専用機は降りられないのではなかろうか.
短い滑走路だがターミナルビルもコンパクトにまとまっており,ここにぞろぞろ歩く.これまで本やネットでよく見たことのある典型的ブータン様式デザインだ.ターミナルビル以外近隣の建物も皆ブータン様式だ.それぞれ国には伝統様式建築があるが,大半の建物が伝統様式とはこりゃ驚きだ.多分世界で一番のまとまり具合(若しくは規制)であろう.
イミグレーションでパスポート,入国カード,ビザレターを出して入国審査を受ける.ビザレターは旅行会社が予めブータン当局に申請してお墨付きを得ているという印しで,これなしでは入国できない.これが他国と異なり未だ半鎖国的制限を堅持していると言えよう.
ビザレターがあるので直ぐビザスタンプと入国スタンプが押され,写真のコンベアベルトで荷物を待つ.インテリアもまた伝統デザインで彩られ,しげしげ眺め,たまたまベンチ隣のブータン人と2,3雑談を交わす.
荷物を取って,通関へ.もちろん無問題.なおブータンは2011年来ホテルの部屋など喫煙可能(これもまたある意味不思議)公共の場では完全に禁煙で,持ち込みタバコには200%の高関税がかかるそうだ.高いですな.
そして出口に出た.出口には何人かの伝統衣装ゴを纏った青年が並んで待ってくれていた.国際空港でよく見かける光景だが,伝統衣装でのまとまり具合は随一,いやホノルル空港辺りもそうか?で,その中の一人が寄ってきてくれた.年格好やヨタヨタ具合からして直ぐ判ったようで,ガイドUDです,ときれいな日本語で挨拶してくれた.どうぞよろしく願います.なおガイドは勤務中ゴを纏うべきとの法規制があるのだそうだ
そして『当地通貨ヌルタムNuに両替は済みましたか?』と訊かれた.すっかり忘れていた.これまた年格好や動作から見破られたのであろう.そして両替カウンターは何とイミグレーションの内側にあるのだが,セキュリティ担当者はどうぞどうぞと大らかに親切に通してくれた.レートは5000円→3050Nuだった.
両替を済ませ,UDさんと駐車場のトヨタランドクルーザーに乗り込んだ.UDさんは運転席で私は隣だ.何とUDさんは今回ドライバを兼ねるという.
この日は宿泊地ウォンディポダンに向かうが,一先ず道草を食いながら首都ティンプーに寄り,昼食をとるそうだ.そしてランクルはスタートした.
空港脇のこの道は滑走路と平行して走り『ブータンで最も長い直線道路』ということだ.滑走路が1964mなので直線道路も高々2kmの区間ということだそうだ.
先ずは水を買わねばとブータン式コンビニに寄った.店舗前にはお孫さんを背負うお祖父さん(だと思う)がおられた.先代ブータン国王が国家理念として提唱した国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)要素の大事な一つに家族代々の融和といった項目があったことを思い起こさせた.多分だが.
コンビニの水は20と書いてあり,店のおばさんにその通り20Nu支払ったが,外国人と見透かされNuじゃないよ,dollarだよ,と言われてあせった.もち論ジョークだが.本気で外国人からぼったくるようなブータン人は殆どいないと思っている.先入観かな~?
パロ空港から走り出すと直ぐにブータン仏教寺院があった.実は民家も仏教寺院と似たようなデザイン,つまり緩い傾斜のトタン屋根,白と褐色の壁,格子の入った窓枠若しくは窓枠模様の壁.....など共通だ.これは法的規制があり,建築許可を得るための前提となるそうだ.
仏教寺院は概して民家より大きいとかの差がありそうだが,決定的な見分け方は壁に赤い(臙脂色)横帯があることだそうだ.それを聞いたら私にも間違いなく区別できるようになった.
ただトタン屋根は著しく気品を損なっているように見えて仕方ない.従来木材板(松や杉)工法7~15年の耐久性に比すれば飛躍的に耐久性が高まったと聞けばやむを得ないか.なおトタンはタタ製鉄製が人気あるそうだが,聞いてブータン経済のインド依存の縮図かと思ったのは勘ぐり過ぎか.
ところでこのお寺はブータンに鉄製品を持ち込んだと言われるタントンギャルポ師(Thangtong Gyelpo)が建てたと言われているそうだ.そしてここに連なる鋼鉄の鎖を用いた橋があるのだ,次ページで触れたい.