プナカPunakha

このプナカ編では,2016年6月11日前夜宿泊のトンサを出て,途中事故で閉鎖された道路の復旧を待ち,その後ロベサに進みランチ,そしてプナツァン川沿いを遡り,プナカゾンを見物したときの写真を載せました.


トンサからプナカへのルート(Googleアースのスクリーンショット)

トンサからプナカへのルート(Googleアースのスクリーンショット)

トンサ(右赤丸印)からプナカに移動し,ここを見物した.

別窓でプナカ付近の大きなGoogleマップを開く

トンサを出るleave Trongsa

トンサ対岸へ

トンサ対岸へ

トンサのホテルからマンデ川(Mangde chhu)を遡り,チェックポストのある橋を渡り,今度は対岸沿いを下るように走る.UDさんんもこの辺りは特に難所と認める区間だ.


路傍のチーズ売りおばさん

路傍のチーズ売りおばさん

近所の農家のおばさんが,道端で自家製のチーズを販売している.際立って小規模な商売に見とれてしまう.


若いお坊さんたち

若いお坊さんたち

近くにお寺(ゴンパかラカン)があるのであろう.若いお坊さんが朝の散歩中だ.


路線バスであろう

路線バスであろう

小型バスの屋根に荷物を積み上げ,乗客が待機している.多分路線バスかと思われる.私たちと同じ方向だが仮に首都ティンプーまでなら一日仕事であろう.

屋根にいっぱい積み上げるのはネパールやパキスタン辺りと同じだが,道路が道路だけに横倒しの恐れがありそうでちょっと心配だ.


スクールバスが行く

スクールバスが行く

東西横断道沿いの民家は概して疎らに分布している.学校に遠い子も多い筈で,スクールバスは大いに役立っていると思う.それでもなお,例えば谷の対岸斜面の家などあるので,バスまで相当大変なルートを歩くと思われる.


雨が続いたらどうなるか

雨が続いたらどうなるか

雨で地盤が緩んだら路肩が崩れ落ちる,或いは上の崖が剥がれ落ちてくる,いやそれらがまとめて起こる....幸い,今のところ雨が少ないようだが...


牛追いに出会う

牛追いに出会う

私たちと同方向に進む牛の一行に追いつく.牛に密接しながら横によけてもらいながら少しづつ進む.


牛の列はどこまでも続く

牛の列はどこまでも続く

少しづつ追い抜くのだが,先方には牛の列がどこまでも続いている.ブータンでこれほど大量の牛を飼育している農家があるなんて....ただこの列は数軒纏まって夏の牧草地に移動しているところだという.

耳とか首に所有者の識別タグが付いているようには見えないが,所有者は牛の顔を覚えているのだそうだ.へ~


チェンデジに遠足の小学生

チェンデジに遠足の小学生

ランクルはチェンデジまで来た.大チョルテン前の庭には遠足の小学生が先生の話に耳を傾けているようだ.遠足ではなく歴史の講義とかかな.....


広い牧草地

広い牧草地

やがて広い牧草地のあるエリアに入った.往きでお昼ごはんを食べたルクビジ(Rukubji)村の対岸辺だ.実に美しい.先ほどの牛の大群は,もう少し高地でこういった草地のある場所を目指しているらしい.


道路閉鎖road was closed

トレーラーが身動きできず道路閉鎖

トレーラーが身動きできず

ルクビジ村から暫く行くと,私たちの先行車2台の先に大型トレーラーが身動きできず,結局道路は遮断されていた.

ここは右側の山を削り,道路の左側に削った土砂を積んで道路幅を拡張しているところだ.

そしてどこか先の工事現場にクレーン車を運ぶ大型トレーラーが通過しようとしたのだが,道幅が狭くまたカーブがきついため,クレーン車を積載した台車が山側の土砂に乗り上げ,台車が拗じられ,連結ピンが壊れて牽引車と離れにっちもさっちも行かなくなったということのようだ.


壊れた連結部分

壊れた連結部分

何もすることがないし,壊れたトレーラーや連結ピンを見てみた.牽引車後部には台車先頭を載せる潤滑剤が塗られた大きな台座があり,台車側には鞍がある.そして牽引車と台車は,両端にフランジの付いた直径60mmくらいの大文字I形ピンで連結される.普通ピンには主に剪断力しか作用しない筈だが,台車が大きく傾いたため,台座と鞍が拗じられ,連結ピンフランジが互いに引っ張られ,ピンに過大な引張応力が生じ,それで破断したようだ.


閉鎖道路に助っ人のパワーシャベル現る

助っ人のパワーシャベル現る

事故で遮断された道路両側にはどんどん車が溜まりだした.さてどうなるのかな~と心配していたが,私たちの反対側からパワーシャベルが駆けつけてくれた.そして谷側に積まれた瓦礫の山に上り,車が通れるくらいの幅にならし始めた.

KOBELCO(神戸製鋼所)のロゴを付けた青いシャベルは道を塞いでいるトレーラー一式と見比べるとかなり小さいが,オペレータの腕がいいためであろう,見る見るうちに瓦礫上の道が出来上がっていった.


道路閉鎖は2時間くらいで開通

2時間くらいで開通

そしてついに瓦礫のバイパスは開通した.そして私たちと逆方向の停滞車から通り抜けが始まった.停滞車には次の日曜ジャカルで開催される御前会議参加の大臣などVIP車両もあるらしかった.そして今度は私たちの番になった.元々2台分早く通過していれば難を免れていたのだが,まあ2時間で済んだので,まあいいか.


ロベサでランチlunch at Lobeysa

対岸の斜面にもパラパラ住宅

対岸の斜面にもパラパラ住宅

さて事故現場を無事越えて,ウォンディポダンに近くなった.左の谷対岸斜面にもパラパラ住宅が見える.概して集落としないでパラパラ分散するのはブータンの特徴の一つであるようだ.

でも毎日のお使いとか,通学とか大変そうだな~


谷底の刑務所

谷底の刑務所

谷底の河川敷に建っているのは刑務所だそうだ.確かに四角い建物外側にはあまり窓がないようだ.ただ敷地全体を囲む塀がコンクリートではなく生け垣なのは何とも優しい雰囲気だ.他国であれば島流しといった言葉があるが,山国ではそれがなく,辺境的土地として谷底が選ばれたのであろうか.


再建中のウォンディポダンゾン

再建中のウォンディポダンゾン

やがてウォンディポダンになった.今度は再建中のウォンディポダンゾン(Wangdue Phodran Dzong)が順光でよく見える.出来上がったのは一部分であるようだ.

なお地図を見ると判ることなのだが,ウォンディポダンは東西横断道上にあるのに加えて,遥か南インドに続く街道も始まる交通の要衝だ.ゾンは関所としても大事だったのではなかろうか.


野菜市場

野菜市場

ウォンディポダン先,街道脇に大きな野菜市場があった.品数や全体の規模からすると常設でしょうか.


ロベサのレストラン

ロベサのレストラン

ロベサの村に入ったようだ.田園を前にしたこのレストランでお昼を頂くことになった.庭にはリード無しの犬がいて怖い.ブータンはあちこちにリード無し犬がいて怖い.

ここのは多分レストランの飼い犬であろうが,野良犬も多い.殺生を嫌うので殺処分などとんでもない,ということのようだ.


ロベサのレストランでウエートレスが運んでくれる

ウエートレスが運んでくれる

二階のテーブルに座るとウエートレスの娘が料理を運んでくれて,またビールやジュースはいかが?とサンプルを見せてくれる.昼はビールを飲まないので,UDさん愛飲のコークにしてみる.コークはほぼどこも同じだ.


ロベサのレストランで並んだ料理と窓の田園

並んだ料理と窓の田園

窓の外には田園が広がっている.料理は準(つまり激辛でない)ブータン料理だ.田園だけにハエがいっぱいなのには閉口する.野良犬同様殺生できないからだ.


ロベサのレストラン壁のパドマサンバヴァ

壁のパドマサンバヴァ

壁にはブータン仏教の圧倒的大御所パドマサンバヴァの画が掲げられている.ハエをスプレーでシューと一吹きなど,とても考えられないわけだ.


プナツァン川沿いgo along Puma Tsang Chhu

プナツァン川沿いロベサ新市街

ロベサ新市街

さてプナカゾンに行くためプナツァン川(Puma Tsang Chhu)沿いの道を遡る.最初は集合住宅の目立つロベサの新市街を通過する.この辺りは道幅が広く,路上駐車も多い.


プナツァン川沿い

プナツァン川沿いの道

プナツァン川沿いの道を進んだ.プナカの標高は1350mととても低いそうで,植生も大分変化しているようだ.

ところで,この道の左側の丘の上はタロ(Talo)の村があり,UDさんの実家があり,また先代(第4代)ワンチュク国王の4人の奥方さまの実家があるという.そのため道にはチェックポストが設けられ,一部通行は制限されているそうだ.

なおUDさんのおじさんはダショーの称号を持つお坊さんで,春先お生まれの王子様の命名に関わったということだ.命名のための会議は所定のラカンの一室で,王は参加,お妃様は不参加で,僧を含め5人くらいで行われ,決定されるそうだ.


プナツァン川沿い高校のサッカーグラウンド

高校のサッカーグラウンド

UDさんも若いころ通ったという高校のグラウンドではサッカーの練習が行われていた.サッカーはアーチェリーやダーツのように人気が高いが,広い場所が必要なので,フットサルをプレイすることが多いという.UDさんはそれにバスケットボールも楽しむそうだ.

ところでブータンの高校や中学校ではちゃんと落第があるそうだ.現ワンチュク国王が中学生のとき,実際落第し,新聞で報じられ,UDさん含め一般の人は大いに驚いたそうだ.

なおUDさんは大学はデリー(インド)だったそうだ.


プナツァン川はラフティングにも好適

プナツァン川はラフティングにも好適

プナツァン川はラフティングにも好適だそうで,これを楽しむ人達を見かけた.ここは先にゾンガ見えるようにプラカの中心辺りだが,プナツァン川は相当北から始まっており,長い距離下ることができそうだ.


プナツァン川母川,父川交点にプナカゾン見えてきた

母川,父川交点にプナカゾン見えてきた

プナツァン川は母川(Mo Chhu:向こう側),父川(Po Chhu:手前)2つが交わり,その合流点以降はその名で呼ばれるようだ.また母川は単独でもプナツァン川(Puma Tsang Chhu)と呼ばれるようだ.

その合流点上にプナカゾンが築かれ,見えてきた.ちょうど夕陽に映えて美しい.


プナツァン川沿いの棚田

プナツァン川沿いの棚田

これは帰り道に写したものであるが,プナツァン川沿いにはかなり広い棚田が見える.標高が低いので稲作には適しているようだ.


プナカゾンPunakha Dzong

プナカゾン父川(Po Chhu:手前)に架かるカンチレバー橋

父川に架かるカンチレバー橋

プナカゾンの手前には父川(Po Chhu)が流れている.天然のお堀になっている訳だ.そしてここにはブータン伝統のカンチレバー橋(cantilever bridge:片持ち張梁橋)だ.屋根付きでなかなか趣き深い.


プナカゾン大きなカンチレバー基部

大きなカンチレバー基部

この橋は,トラックの板バネサスペンション同様支持部が厚い(最多重)カンチレバー2枚を両岸の支持基部で支え,中央で連結する方式だ.なので支持基部には最大曲げモーメントが作用するので頑丈である必要があり,立派な形態となっている.色あいはゾン本体と共通にペイントされている.


プナカゾンのカンチレバー橋を渡る

カンチレバー橋を渡る

山形の傾斜の付いた橋を渡った.太鼓橋と同じように楽しい気分になる.

ところで屋根はトタンではなく,木材で葺き,石の重しタイプのようだ.耐久性に劣るそうだが,やはり木製は格調高い.


プナカゾンはちょうど夕陽に映えるころだった

ちょうど夕陽に映えるころだった

思わぬ道路閉鎖で遅れたが,まだ陽は落ちず,橋から眺めると白壁が夕陽に映えている.

手前はジャカランダのようだが,既に咲き終えて葉ジャカランダ状態だ.それでも標高1350mという土地ならではの植物であろう.


ゾンチュン(Dzongchung)

ゾンチュン

橋を渡った先,右手はプナカゾン本体で,左にこのゾンチュン(Dzongchung)が建てられている.小さなゾンの意であるそうだ.現在の姿は1994年の水害で再建された新しい寺院だが,創建は相当古く1616年,チベットからブータンにやって来て,国家の礎を造ったシャブドンガワンナムゲル(Zhabdrung Nawnag Namgyal)がこのお堂でプナカゾン構想を練り,棟梁に伝え,ゾン建設が始まったということだ.


プナカゾン(Punakha Dzong)の正面入口

プナカゾンの正面入口

さてプナカゾン正面入口になった.入り口には階段があり,最初石の階段で,次に木製の階段となっている.木製階段は3つに分割されている.ゾンは言わば中央政府であったので,諸地方の首長がここに納税(献上品)のため訪れたわけだが,その献上品によって格付けされ,高く格付けされた首長のみ中央階段を上ったということだ.

ということでプナカは1955年にティンプーが『通年首都』になるまでの約300年間,少なくともブータンの『冬季首都』だったそうだ.なので初代国王の戴冠式や現第5代ワンチュク国王の結婚式もここで執り行われたということだ.

そしてプナカゾンは本来寺(ラカン)と県庁との複合庁舎だが,現在は概ね宗教的機能に絞られているようだ.また長い間に幾度もの火災や地震,洪水に因るダメージを受けてきたそうだ.ひとつにはバターランプに因るものもままあるようだが,今度近代設備活用などでなんとか防ぐことを願いたい.


プナカゾン入り口近くの大きなマニ車

入り口近くの大きなマニ車

入り口から近い位置に大きなマニ車が据えてあった.廻すのに力が要るが功徳が多いかも知れない(でも計算高いのは問題だな)

背後の楽器を弾く仏様はだれでしょう.先の尖った帽子やヒゲからするとやはりパドマサンバヴァでしょうか?


プナカゾン中庭の大きなチョルテンと菩提樹

中庭の大きなチョルテンと菩提樹

最初の中庭には大きなチョルテンとその脇にやはり大きな菩提樹が植えられている.チョルテンはチベッタンスタイルで,菩提樹は葉の先が細く突き出だインドのそれと同じだ.

ところでトンサゾンのお坊さんが夏の期間は涼しいブムタンのクジェラカンに引っ越すことは以前触れた.同じ発想でここプナカゾンのお坊さんは夏の間,標高が高く涼しい首都ティンプーに引っ越すという.ブータンのお坊さんは結構都合いいのかな~などと思わないでもない.


プナカゾンの各部装飾は華麗だ

プナカゾンの各部装飾は華麗だ

プナカゾンをあちこち見て廻ったが,それまでに見たジャカルゾンやプナカゾンと較べて各部装飾は華麗で,手入れが行き届いている印象だ.

例えばこの写真のチベット文字をあしらった凝ったデザインは意味は判らないながら,なかなか印象的だ.


プナカゾン各所の眺め

ということで広いプナカゾンを地上から,そして二階回廊から眺めてきた.いや~なかなかすばらしい.

プナカゾンでの眺め1プナカゾンでの眺め2プナカゾンでの眺め3 プナカゾンでの眺め4プナカゾンでの眺め5プナカゾンでの眺め6

プナカゾン本堂を見せてもらった

本堂を見せてもらった

そしていよいよ本堂を見せてもらった.広いお堂には最も重要な三体像があった.左からパドマサンバヴァ,中央がお釈迦さま(ブッダ),右がシャブドンガワンナムゲル(Zhabdrung Nawnag Namgyal)だった筈だ.

まったくよくわからないながら,多分この御三方こそブータン仏教を代表する人たちなのであろうと理解することにした.特にパドマサンバヴァは壁画などでよく見かけるので主役では,と個人的には解釈している(多分著しく短絡的だが,まあいいではないですか)

と云うことで,かなり理解した気分で表に出て,記念写真.この広場では他に日本人の方や,シンガポールの方がやはり記念写真に収まっていた.これもまあいいじゃないですか,深く考えずも.


プナカゾンさてこの黄色の花は何でしたっけ

さてこの黄色の花は何でしたっけ

黄色い花は結構大きな木に付いている.これまで見たことないが,はて何でしょう?爽やかな印象の花だ.


離れつつ再度プナカゾンを眺める

離れつつ再度プナカゾンを眺める

何分にも道路中断で遅れたためゆっくり見ることが叶わなくなったが,それでもけっこう楽しめた.カンチレバー橋を戻り,車で途中まで戻ると名残惜しくもう一度プナカゾンを眺めた.いや~なかなかいい眺めですね~



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