このラルナカ編では,ラルナカのマップと,2016/1/13(水)西の海岸からバスで東に進みスカリーノに来て,さらにラルナカに至り,聖ラザロ教会,ラルナカの街を見物し,同日夜ラルナカ空港から出発し,ドバイを経て成田に到着したときの写真を載せました.
西のアフロディーテ生誕ビーチを見物した後,バスは南海岸沿い街道を走り,スカリーノに来て休憩した.ここでちょっとショッピングの後,東進を再開し,ほどなくラルナカに入り,聖ラザロ教会近くで降車した.そして同教会を見て,ラルナカの街を見物し,そして同日夜ラルナカ空港から飛び立った.
アフロディーテ生誕ビーチから暫く走り,街道脇に立派な正教会が見えた.形や配色はこれまでと同様だ.ということで,キプロス(南)は殆ど全てがキプロス(ギリシャ)正教会なのだと確信(たった2,3日滞在で大げさだが)した.
つまり基本的には正教の国である東欧,例えばルーマニアは,ルーマニア正教が主だが,カトリックやプロテスタントの信徒も少しいて,各々の教会も建てられている.そうした点が違うと思う.
緩やかな丘陵が続き,パフォス近くの広いみかん畑やブドウ畑はなくなった.右側の草地など,素人目には家畜の放牧にピッタリに映るが,家畜は一切見ない.不思議だ.以前ガイドCnさんの説明では,家畜は畜舎で飼われているということだ.
山側は半乾燥地か,かなり土が露出し,ブッシュよりは大きいが木々は少し疎らだ.
バスシートも疎らなので,写真は撮りやすい.
バスはスカリーノ(Skarinou)に到着した.そしてここでαからωまで(普通のアルファベットならAからZまで)という名のスーパーに寄った,αからωまで何でも揃います,という意味の総合スーパーだそうだが,食品以外は然程並べているようには見えなかった.
まあ普通の食品売場だが,かなり大きいカートに,バスケットは載せず直接入れる.かなり入りそうだ.
子豚,頭まで付いて丸ごと売られている.BBQ用で縦方向に鉄棒を刺し,火の上で回しながら焼くのであろう.かなり昔,南の島で食べた経験があるが,キプロスでもやるんだ~しかも家庭で.
スカリーノで休憩後,A1街道に戻り,少し行ってA5街道に折れた.そして少し走ると左手丘の上に,キプロスで一番古いというスタヴロヴーニ修道院 (Stavrovouni Monastery)若しくは聖ヘレナ修道院(St. Helena Monastery)が見えた.ちょっと写真が小さいが,黄ばんだ色で見える.
この修道院は,4世紀,ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世(Constantine the Great)の母ヘレナ(Helena)によって建てられたそうだ.岩山で,女人禁制だそうだが,女性のヘレナ氏創設なのにちょっと不思議なような.
ウインドファームに近づいてきた.往くときにも空港近くで見えたので,ラルナカは近いだろう.
塩水湖でその通りソルト湖(Salt Lake)と呼ばれているようだ.海水の2倍の塩分濃度があるというからかなり塩っぱい筈だ.そうした塩水を好むのであろうか,冬季に北から飛来するという.多いときは数千羽に達するそうだ.塩湖でも魚とかフラミンゴの餌になるものがあるのでしょうか?(ボリビアの塩湖では,フラミンゴは塩湖に棲息するプランクトンを食べていると聞いたが....)
キプロス一の国際空港のあるラルナカの街に入ってきた.ラルナカはキプロス共和国第2の商業港湾都市で,人口は約72,000人だそうだ.するとパフォスより人口自体は若干少ないということになろうか.まあここもかなり南国風の街路樹が豊かでなかなか良さそうなところだ.
ラルナカに入ると先ず昼食を摂るためラルナカ港畔のレストランに行った.この港には小型漁船がとても多く停泊していた.今は真っ昼間で,きっと漁のタイミングではないのだろう.
で,停泊中の漁船はその舳先に尽く大きな電動リールを付けている.船尾にはなにもない.同行の人に訊くと,網とか,蛸壺とか....まあ,そういった漁具を巻き上げるためではないかと言う.確かにそうかも知れませんですね.仮に船尾にこれを設けると,スクリューに絡む恐れがありそうですし....
Psarolamano(パサロラマノ?)レストランでテーブルに着いた.ナプキンのマークがヒンドゥーのシヴァ神の持っている三本槍そっくりだ.多分全然関係なかろうが.
そしてビールはケオ(KEO)ビールで,普通に美味しいと思う.英ビールコンテストで一位の記録もあり,ワインメーカーでもあるらしい.
それで,出してもらったのは港のレストラン定番,シーフードメッザだ.元々魚系は好物なので,結構なことだ.
この時間,近所の会社の皆さんであろう,隣のテーブルに10人程度揃ってテーブルに着いたが,出された料理は私たちのと同じようであった.きっと社員食堂代わりに使っているのであろう,想像だが.
腹が満たされ,次は聖ラザロ教会だ,とバスに乗る.小さな街なので少し走ると聖ラザロ教会鐘楼が見える駐車場に到着し,ここで降りる.
バスで着くと聖ラザロ教会に歩き,前庭から眺めた.石造りで,色合いと,付け足されたように見える構造から相当歴史ある教会に見える.
下に記すように一旦復活したラザロは,当初エルサレム近くでキリスト教布教に励まんとしたが,反キリスト,ユダヤ教権威者のパリサイ人に睨まれ,逃れるためここラルナカに至った.そしてこの街ラルナカの主教として30年間努め,没したという.
現在の建物は聖ラザロの時代よりは遥かに遅く,ビザンチン(東ローマ帝国)皇帝レオン6世により,9世紀後半から10世紀前半にかけて建立されたそうだ.オスマン帝国支配下の時代にはモスクに転用されたそうで,ドームなど一部破壊された部分もあるようだ.
ラザロ(Lazarus)はイエスの友人だったそうだ.ラザロが30歳の頃のある日,ラザロが病気と聞いたイエスは彼の住まいのあるエルサレム郊外ベタニアを訪ねた.だが既にラザロは葬られ,4日経ったと知る.イエスは彼の死を悲しみ,涙を流しながら,『ラザロよ出てきなさい』と言うと,布に巻かれたラザロは棺から出てきたという.
写真はそのシーンを描いた絵で,確か地下室に掲げられていた.右が布で巻かれたラザロ,左がイエスで,足元にはイエスの奇跡に驚き,すがる人々のようだ.
聖ラザロ教会はこれまで同様キプロス(ギリシャ)正教で礼拝堂正面にきらびやかなイコノスタシスが立てられている.ただ椅子は並んでおり,ちょうど礼拝の時刻で幾人かの信徒の方がお祈りされていた.
右側から見たイコノスタシスである.少しくすんだ感じが歴史を感じさせる.3段式のかなり大型で,縦方向に湾曲している.私はこうした湾曲タイプは初めて見た.上部イコンも見易くするためであろう.なおマトリクスのイコン配列は一般的な正教(尤も正教だけだが)の様式と思われる.
礼拝堂右の階段を下り,地下室に入った.この銀の箱には聖ラザロの頭部が納められているそうだ.また蓋の内側はもちろん聖ラザロの絵だ.
聖ラザロ教会地下室奥に聖ラザロの石棺(写真左で少し蓋の開いたもの)が収められていた.遺体そのものは棺の下の地下に埋葬されているそうだ.
空であるので,ある外国の女性観光客が中に入って,横になり,友人をびっくりさせる悪戯があったそうだ.
下は,聖ラザロ教会での写真いろいろ
私たちは聖ラザロ教会からラルナカ一番と聞く目抜き通りを,海岸まで歩いた.まあ普通に一地方都市の趣きであろうか.
所々オープンカフェで日向ぼっこの人たちを眺め,私たちも観察される.互いに暇ですからね~
不動産屋さんの店頭には日本と同じように,物件の広告が掛けられている.これはinvestia社(いかにも投資会社的かな)店の一枚で,皆でどんなか見てみた.
先ずプール付き戸建てというのが凄い.販売価格:386,000ユーロ(5,000万円強くらいか).詳細は,住所はラルナカの村Pyla,2012年築,面積200m2,土地415m2,3ベッドルーム,2バスルーム,エアコン付き,セントラルヒーティング付き,駐車場付き,と書いてあるような
中国の人なら爆買い.....ないか?やはり地中海が売りのラルナカで,村部のPylaというところが,山間部の響きで....問題かな.
あっと言う間にラルナカ海岸に出た.この羽根の生えたライオンのようなものは何でしょう?ギリシャ語で見当付かないが,ヴェネチアらしき単語は見える.
聖ラザロ教会前のメインストリートに較べて,海岸通りは新しい.店舗やレストランが並び,ヤシの並木がきれいだ.フィニコウデスプロムナード(椰子の木通り)と呼ばれるようである.
アラビア語で表記されたアルスルタン(Al Sultan)のレストランが海岸通りにあった.ちょうどお店の背後にはモスクが見えるので,ほんの僅かだというイスラム教徒の人達が,安心してハラルフードを食べることができるのでしょう.もちろん異教徒でも問題ないが.
なお同モスクはハラスルタンモスク(Hala Sultan Mosque)と呼ばれ,預言者ムハンマドの乳母がこの地で亡くなり,7世紀に霊廟が建てられたのが起源だそうだ.後に,霊廟に加えモスクミナレットなどが建てられ,18世紀前半に現在の姿になったそうだ.イスラム施設の少ないキプロスにあって,重要な聖地の一つとなっているそうだ.
ここの海岸でも,ちょうど前日見てきたパフォス城と同じように,城(Larnaca Castle)が建てられていた.やはり石造りで海岸に面し,睨みを効かせている.写真左のように大きな銃眼からは砲身を付き出しているようだ.比較的最近まで機能していたのか,現在は博物館なので単なる展示物なのか.....不明だ.
ラルナカ城は,ラルナカ港防衛のため当初ビザンティン時代の12世紀後半に作られたようだ.以降いろいろ変遷を経て,後はやはり牢獄や軍収容所として使われたそうだ.
下は,ラルナカの街での写真
ラルナカ見物が終わり,これでキプロス観光は全部済んだ.そしてバスはラルナカ国際空港へと向かった.
バスはラルナカ空港に到着した.ガイドCnさん,ドライバCfさん,ありがとうございました.
ラルナカ空港からはエミレーツ航空EK108便に搭乗した.機材は確かA330-200だったと思う.
EK108便はマルタ島発で,ラルナカ経由でドバイに飛ぶ.そして往きと同じようにシリア上空を避け,遠回りのトルコ上空経由で飛行した.現位置はトルコ東端で,間もなくイランに入る辺りであろう.
EK108便はワイン付きで食事を出してくれた.随分長い米粒のご飯と,黒いのは....ビーフシチューかな...?
EK108便は定刻にドバイに到着した.ドバイ空港はベンチで横になって休んでいる人が多いのだが,やはりこの日も大勢いる.
私たちは比較的短時間の乗り継ぎ時間で長く退屈せずに済みそうだ.
ドバイからはエミレーツ航空EK318便に乗ることになっており,この出発ゲートに来た.
ここのシートの埋まり具合を見えるとEK318便は空いていると期待していいかな~
ドバイで乗り込んだEK318は空いていた.ラッキー!
EK318便はJALとのコードシェア便なので,お蕎麦に鮭の和風食を出してくれた.ではビールにしてみるか(大して関係ないが)としたら,バドを出してくれた.アサヒとかもあったのかも知れないが,不明.
EK318便二回目の食事もお魚,ただし白身の....タラかな?
EK318便は長いフライトの間,殆ど通して照明を暗く落としていた.それが静岡沖くらいであろうか,明るくなった.成田着陸の準備だ.
成田には定刻17:20より若干早く着いた.機から降り,以前シャトルトレインが走り,現在長い動く歩道に変わった通路を行く.現在の方式が何ぼかいいと思う.
そして外を見ると,完全に陽は落ち,暗くなっている.
入国し,出てくる荷物を待ち,そして取り上げる.皆さんどうもありがとうございました,と互いに挨拶を交わし,それぞれ帰路に就く.
私はいつものように京成で,たまたま同方向のKさんと途中まで一緒で帰った.楽しかった.おしまい