このパフォス編では,パフォスのマップと,2016/1/12(火)午後訪れたパフォスビザンチン美術館,シーフードメッザのレストラン,パウロの柱と聖キリヤキ教会,ディオニソスの館,パフォス港,パフォス城,王族の墓,パフォスの宿の写真,および翌1/13(水)バスで東に戻り,アフロディーテ生誕の地を訪れたときの写真を載せました.
右は主にパフォス(Paphos)の市街地で,訪れたパフォスビザンチン美術館,シーフードメッザのレストラン(Nikos Tyrimos),パウロの柱と聖キリヤキ教会,ディオニソスの館,パフォス港,パフォス城,王族の墓,パフォスの宿(King Evelthon Beach Hotel & Resort Paphos)の位置を示した.
アフロディーテ生誕の地は東に遠く離れているため,翌日のラルナカへ行くときのマップに載せた.
1/12(火)午後,アポロンの聖域を見た後,バスはA6街道を西に走り,行く手にパフォスの街が見えてきた.
パフォスは新石器時代から人が住み,12世紀BCにミケーネ人が神殿を建設し,特にアフロディーテ(ヴィーナス)崇拝の巡礼者を集めたそうだ.ヘレニズム期3世紀BC~ローマ期AD4世紀にかけて,キプロスの都が置かれ栄えたそうだ.なおその後はニコシアに遷都し,政治への影響力は衰えたようだ.まあ,以上のように,何よりも12世紀BCの古い時代からアフロディーテ生誕地として注目が集まっていた訳だ.
現在の人口は9万人弱で,都市の規模としては小さいようだ.パフォスはそのままの名でユネスコ世界遺産登録されており,また海岸もあるので観光が主要産業であろう.
バスは都心のパフォスビザンチン美術館に到着した.館内に入るとキプロス各地の教会から集められた,多分古くなり不要になったものや,閉館/廃館した教会のものであろうか.
とにかくこれでもかとばかりにイコンやリザが展示されている.ガイドCnさん,添乗Aさんの詳しいレクチャーを受けるが,何分にもいろいろあって.....それと,何よりもここは撮影禁止で,一枚も写真がなく,思い出す手掛かりがないのだ.
撮影禁止のビザンチン美術館には売店があり,各種写真集や解説書が並んでいた.ただ有り体に言って,わざわざ買い求めて見るほどの信心はないのだ.すみません.
ザンチン美術館のお向かいにこのお店があり,行儀悪く覗き込んでみた.日本のお店と同じように,待つ間読む雑誌が並んでいる.おもしろいと思った.
ビザンチン美術館前にロータリーがあり,ドライバCfさんがちょうどいい時間にバスを回してきてくれた.そしてここでバスに乗る.
この辺りは公的機関が多そうだが,街路樹も豊かできれいな街並みだ.
バスはシーフードレストランに向かい,南に下った.通りや公園にはヤシなど南国的樹木が多く植えられている.
シーフードメッザを得意とするというニコストリモスレストラン(Nikos Tyrimos)に到着した.
お店入口上に自転車がそのまま載っている.自転車屋さんとかアウトドアショップなら分かるが,レストランとはまた意表を突いたディスプレイだ.まあそれが狙いか.
これがシーフードメッザ(sea food mezza)と呼ばれる食べ物だそうだ.大まかに言って,小さなシーフードの盛り合わせのようなものを指すようだ.ここでは具体的にイカ,小エビ,小イワシ,スズキ,フレンチフライ.....などだった.
シーフードメッザを食べてから,またバスに乗り,パウロの柱を目指し南に下り,そしてこの辺りで停車した.ここはステーキや鮮魚料理のレストランのようだ.
バスを降りて近いところにこの石の円柱があった.右側がパウロの柱(St Paul's Pillar)だそうだ.
聖パウロはローマ人で,キリスト教徒を迫害する立場,しかも指揮官で,その任務のためダマスカスに向かっていたそうだ.そしてある日突然閃光があり,失明し,倒れ,また『なぜ私を迫害するのだ?』というキリストの声が聞こえたという.そして,ダマスカスに着くと,直ぐにユダヤ教からキリスト教に改宗し,洗礼を受けた.すると目も回復していったそうだ.
一旦改心すると,パウロは小アジア,ギリシャ,ローマ,コリント,アテネ.....へと,キリスト教の伝道に励んだそうで,聖ペトロと共に史上最大の伝道者とされるそうだ.ただ,今度は逆にいろいろな迫害に遭う立場になったわけで,そうした迫害や,迫害から逃れるシーンはキコス修道院回廊にも掛かっていた.
上記多数の伝道旅の中で,パウロが最初のAD45年,キプロスのここで布教を行っていたとき,捕えられ,この柱に繋がれ,ムチで打たれたということだ.ただ現在の石柱は,AD45年当時のものではなく,後年4世紀頃それがあった場所に新しく立てられたということだ.
パウロの柱横には大規模なビザンチン時代の遺構が残されている.
4世紀末に,聖パウロゆかりの地であることから,当時キプロス最大の大聖堂が建てられたそうで,その遺構ということだ.
ビザンチン時代遺構の一部に,この聖キリヤキ教会(Church of Agia Kyriaki)が建っている.
この教会は13世紀に建てられたそうだ.非常に古い時代,元々何らかの教会が存在し,AD59年地震で破壊された小さなラテン教会の跡地に,再建されたり,オスマントルコ軍の侵略で破壊されたりしながら,現在の姿になっているようだ.
石造りの正教会で,シンプルで剛健なデザインだ.
最初の倒壊はAD59年と,キリスト教のごく最初であるが,多分その頃の文化であろうモザイク床が残されている.
本堂に入れてもらった.主礼拝堂にはイコノスタシスがあり,正教会の造りだ.石の構造材がむき出しで,色あいもなかなかシックで落ち着いたデザインだ.
ところで,冠した名の『聖キリヤキ』(St. Kyriaki)であるが,3世紀ギリシャ生まれの女性聖人だそうだ.キリスト教のために大いに貢献し,僅か21歳で殉教したとのことだ.
イコノスタシスは下段に聖母子やキリストのイコン,と中段と上段は,よく判らないが預言者や,12使徒などのようである.少しくすんだ色あいもまたなかなか味がある.
イコノスタシス左側柱に掛かっていた二人のイコン.とても珍しい構図で,興味深いが,ギリシャ語で読めない(泣)
主礼拝堂の脇にも小さな礼拝堂が設けられている.
壁には素朴な味の小さなイコンと十字架が掛けられていた.普通多く飾られるきらびやかなイコンや十字架と対極を成すデザインで,これもまた爽やかだ.
ディオニソスの館のある一帯は広い公園のようになっており,先ずはそこから入場した.少し上り坂になっており,背後を振り向くときれいな海が見えた.
ディオニソスとはAD2~3世紀のワイン醸造家貴族で,2000m2の広大な敷地に邸宅を構え,各部屋の床にはいろいろなモザイク画が敷き詰めてあったようだ.ほんの少し前に見てきたクリオン古代遺跡エウストリオスの家のようなものであろう.なおディオニソス(英語名ではバッカスBacchus)は酒の神様だそうで,ワイン醸造貴族だったことからそうした屋号で呼ばれたのでしょうか.
元の館は屋根は失われ,壁も崩れ,床の一部だけが残されていたのでしょう.これも上のクリオン古代遺跡と同じように巨大な覆い屋根が被せられ,保護されている.
そして元の床の上に観察用の回廊が設けられ,そこから覗けるようになっている.ここも私たち以外の観覧者はおらず,ゆったり観察できた.
ギリシャ神話に登場する美少年ナルキソスだそうだ.水面に映る己が姿に恋をしたといういわれに由来するナルシスト(narcist,ただし外国ではナルシシストnarcissistらしい)の語源となった人物だそうだ.
この絵を見る限り,その辺のただのあんちゃん(失礼!)にしか見えないけどな~
ディオニソスの館はAD2世紀頃建設された.ただこのモザイクに関してはもっと古く,紀元前3世紀ヘレニズム時代の作品で,すでに完成し他所にあったものを移設したものだそうだ.白黒二色モザイクという点も異色らしい.
モノクロ写真からカラー写真に変わったが,変わった後もモノクロ表現に拘るフォトグラファーの作品のようなものかな....
四季を擬人化して表現したものだそうだ.右上から反時計回りで,春,夏,秋,冬だというが,人物の意味合いを理解していないので,ちっとも理解できない.
イカリオス(Icarios)もギリシャ神話の人物で,ディオニュソスはこの家の名の人だが....牛を引いているだけのように見えるが.....これもまた分からない.
アポロン(Apollon)とダフネ(Daphne)だそうだ.アポロンはここに来る前,アポロンの聖域の神殿に祀られた病気治療の神様だ.一方ダフネは,アポロンが恋した相手で,彼に追いかけられた.しかしダフネはアポロンを拒否し,どこまでも逃げた,そして最後は月桂樹の木になってしまった.以来アポロンはダフネへの愛の記念に,その月桂樹の葉で冠を作り,生涯それを頭にかぶっていたそうだ.
治療の神として崇められた最高権威者も,つらいことがあったのですね.神に同情するのも何だが.....
パフォス港の周りを少し歩いた.道路脇の堤防からの釣り竿を並べるにちょうど良く,何人もの釣り人が楽しんでいる.見ていた時間内では釣り上げた人は見かけなかったが,岸辺ではまあそんなものなのであろうか.
潮風に吹かれ,波の音を聞きながらシーフードを楽しむレストランだ.いいと思う.
レストラン入口には現物の魚が氷の上に並べられている.お客さんがこれと,これと.....と指定するわけだ.日本の居酒屋入り口の活き造り用水槽の魚,いや炉端焼き店(最近あまり見ないか?)で並んだ魚のような感じだ.
魚やイカは概して小振りで,小イワシやイカはお昼に食べたシーフードメッザにでもするのでしょう.
小型漁船や小型貨物船,セーリングヨット,クルーザーから,海上保安庁巡視船(左下),冒険船(右下)いろいろ停泊している.少なくともこの岸壁では遠洋に出る大型船はなさそうだ.
向こう岸には,これまで幾度となく見てきたキプロス正教様式の教会が見えている.全体の形はもちろん,ベージュの壁色,赤い屋根も大体類似しているように思える.
商店街や集合住宅屋根の白い水タンク,大型のパラボラアンテナもなかなか壮観だ.
パフォス城の位置は上に載せたパフォス付近のマップで見えるように,細く突き出た半島の先に建てられている.半島先端からは写真のように橋で繋がれている.終わり部分は跳ね橋になっていたであろう.ということで,陸城であれば周りにお堀を巡らすことが多いが,ここでは最初からその心配がない防御に強い城となる.
最初AD13世紀ビザンチン時代,現位置の北,上記浜辺のレストラン付近に,当パフォス港防衛のサランタコロネス砦として築かれたそうだ.それが1222年の地震で崩壊したため,13世紀仏系支配の頃現在の位置に移し,新築されたそうだ.
そして1570年オスマントルコ軍襲撃直前に,保管された弾薬に因るものか爆発事故があり,破壊したという.次いでオスマントルコ帝国支配となった1780年,オスマンの下で修復され,現在の姿になったという.
城は壁で区切られた複数の部屋から成り,切り出した石を漆喰(セメント)で固めた頑丈な造りに見える.
オスマンの修復後,用途は城塞から牢獄,やがて19世紀英統治下では塩の倉庫として使われたそうだ.最近は観光施設で,演劇会場などとしても使われるそうだ.
パフォス城はちょっと暗く,狭いが階段で上に上るようになっている.薄暗いところがちょっぴり冒険ぽい.
屋上に出ると全周眺めが効く.独立峰の頂に立った感じだ(←大げさな)
パフォス港が眼下によく見える.まあ,元々当パフォス港防衛のために築かれた砦であるから,先ずは監視は必要条件イの一番であろうので当然か.
平和な今(一応),監視ではなく,ただぼんやりこうして眺めるのは,実に気持ちがいい.
王族の墓と呼ばれる一帯はとても広く,墓地には入口ゲートがあった.チケットは2.5ユーロと書かれており,ガイドCnさんが皆の分を買ってくれる.
この広大な墓地は紀元前3世紀~AD3世紀頃の墓で,全部で100余りあり,そのうち地下墳墓が11あるそうだ.地下墳墓がだれのものか特定できないが,土地の有力者だったであろうところから『王族の』と呼ばれるようになったようだ.
王族の墓は地下墳墓であるが,王族ではない普通の人の墓は普通横穴だったそうだ.この写真断崖状岩肌に掘られた四角い穴が棺を納めた跡だそうだ.夕陽が当たり,美しい.これでもかなり立派に見える.王族ではないまでも,庶民ではなく,例えば上で見てきたディオニソスの館の主人や家族クラスではないかと....個人的想像だが.
地上から眺め下ろすと,こんな風に見える王族の地下墳墓(ネクロポリス).柱頭がシンプルなドーリス式に近く,エンタシスはないか,或いは少ない円柱で地表を支えている.石材は石灰岩であろうか,結構侵食がある.
階段で地下に降りると,地上開口部と同型の中庭があり,その周りが円柱で囲まれている.円柱内部は回廊で,さらに回廊内部が棺を収納する玄室として横穴式部屋が複数掘られている.
この地下墳墓の壁も所々激しく侵食されている.うまい具合に鳩と同じ形に窪んだところを見つけ,ちゃっかりねぐらにしている鳩がいた.賢い.ここなら観光客が現れたとき以外静かだし,鷹とか,イタチとか....から身を守れそうだ.
王族の墓からは,私たちがこれから行くホテル,写真右上の白い建物,が見える.目と鼻の先に見えるが実際はそれなりの距離があろうか.
上とは別タイプの地下墳墓から出てくる人たちだ.傾斜した階段下から横に掘り進めた玄室になっているようだ.
王族の墓からバスで今夜宿泊のホテルに向かった.左手(西)を眺めると,陽は正に地中海に沈まんとしていた.冬至は過ぎたが,まだ日暮れは早い.
キングエベルソーンホテル,正しくはキングエベルソーンビーチホテルアンドリゾートパフォス(King Evelthon Beach Hotel & Resort Paphos)というバカ長い名のホテルに到着した.デカデカと5つの☆がホテル名に並べて掲げてある.中国的感じだ.
レセプション前のロビーで,添乗Aさんがチェックインしてくれるのを待つ.実に広々している.
キーカードを貰って部屋に入ると西南の角部屋だった.既に陽は落ちていたが面白そうなので窓のカーテンを全開してみた.バカバカしいほど広い窓なので,殆ど外のテラスにいる雰囲気が味わえる.
でも夜は閉めておいた方がいいな,やはり.
西側庭,ビーチの手前には大きなスイミングプールが用意されている.いいプールだな~今はちょっと寒いだろうが,外国人の中には入る人も少しいるであろう.途中の海岸で,海に浸かる人を見かけたから.
ホテルレストランはちょっとややこしいロケーションで行ったり来たりしてたどり着いた.
ここはバフェ形式で,ここでいろいろチョイスして食べることになった.
これがお皿によそった内容だ.トマトから右回りに,ローストビーフ,ブルーチーズ,コーン,オリーブ,レタス....他不明と いったところか.好きなものを入れたので,当然美味しかった筈だ.
さて明けて2016/1/13(水)朝になった.西のバルコニーに出ると,今日も天気がいい.海も,庭も,ホテルの壁も輝いている.
さて朝食を食べに行こう.
下の写真のようにキングエベルソーンホテルのビーチは岩場で海水浴には向かない.そのためかどでかいスイミングプールが用意されている.これだけ大きければ,ピーク時でも周りに椅子を並べて皆が寝そべれるであろう.
プールの中ほどには橋が架かり,ちゃんと抜け目なくバーも用意されている.
岩場のビーチで,しかも岩肌は石器斧ほどでないものの,結構切り立っており,靴がないと危険だ.
ただ砂がないので波で巻き上げられず,水はきれいだし,眺めはいい.
ホテルで朝食後,アフロディーテ生誕の地に向かうため,バスに乗った.バスは海岸線を通り,生誕海岸に出る筈だ.
キングエベルソーンホテルの在るパフォス北側から,南側に向かった.途中右側大きな建物に珍しいことに漢字の看板が掛かっていたので,急ぎシャッターを押した.
一部しか写らなかったが,どうやら,長期居住権を得るために,最も適した住居投資のチャンスだ...と,このマンションの売り込みであろうか.
ここキプロス辺りでも,中国人の不動産爆買いが始まっているようだ.
暫く走ると大きな教会があった.前日港で見たのと同じベージュの壁に赤いドームの配色だ.ただドームは複数あり,鐘楼もあって結構大きな教会だ.
パフォスの街を出て,郊外になった.自動車道の横に赤い双方向自転車専用道路が,そしてその横には歩道が備えられている.結構なことだ.ただ日本のように実際走っている自転車はあまり見ない.
広いブドウ畑になった.緑一面広がる風景はキプロスでは滅多に見ない,きれいだ.これでたくさんコマンダリアワインも仕込めるというものだ.
道はいよいよ海岸地帯に入ってきた.間もなくアフロディーテ生誕ビーチであろう.
ここがアフロディーテ(Aphrodite,別名ヴィーナスVenus)生誕ビーチ,ペトラトゥロミウ海岸(Petra tou Romiou)だそうだ.大きな玉砂利の海岸で,玉子型石を拾うと美しくなれるという.探したが既に拾われ尽くされた後で,残ってなかった.
何も看板が掛かっていないので,添乗Aさんの用意してくれた絵を掲げて写真を撮った.ところでこの絵はフィレンツェのウフィツィ美術館に収容されるボッティチェッリ作『ヴィーナスの誕生』だと思われるが,絵は大変有名だ.
さてそのアフロディーテとは愛と美と性を司るギリシア神話の女神だそうだ.少し前,ニコシアのキプロス考古学博物館でニコシアで発見されたアフロディーテ像を見てきたし,また殆ど誰しもが知る『ミロのヴィーナス』を思えば,少なくとも美に関わりありそうだとは薄々感じていた.まあ私にはその程度が全部だが.
神社でおみくじを縛るように,アフロディーテ生誕ビーチ脇の木にはたくさん紙が結んであった.紙に願いを書き入れて,結んでおけば願いが叶うという.そんな安直に...というのは置いておいて,ただのビニール袋も多く結んであり,はっきり言って殆どゴミ捨て場の様相だ.
ドライバCfさんは仕事熱心だ.停車中もこうしてバスを清掃し,窓もきれいに保ってくれている.ありがとうございます.
少し北の丘まで上り,アフロディーテ生誕ビーチを眺めた.蒼い海に白い浜が美しい.美の神に相応しかろう.
なお以上で,ディオニソスの館,パフォス城,王族の墓,ペトラトゥロミウを含む辺りは『パフォス(Paphos)』として,1980年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている.
さてこれからは東に進み,最期の観光地ラルナカに向かう.