ロトルアRotorua

ロトルア市内Rotorua City

ニュージーランド富士?

ニュージーランド富士?

南島のクライストチャーチからロトルアに向かう機内から見える富士に似た山.一度名前は聞いたのだがどうしても思い出せない.インターネットで関連サイトを調べたら,ナルホイエ山とかが似ているように見えるが,判らない.ともあれ雪を抱き実に美しい山だ.この山のほかにも平野に浮かぶ白い島といった趣の山がなかなかきれいだ.ところで目指すロトルアの町はロトルア湖の辺に貼りついている.


ロトルアの街

ロトルアの街

ニュージーランドはやはり北島が暖かい.そのためであろう,ここロトルアは南島に比べて随分と芝や木立の緑が多いように感じた.


レストランへのロープウェイ

レストランへのロープウェイ

丘の上にレストランがある.人気があるのだろう丘へ登るロープウェイの行列はとても長い.でもこのレストラン/ロープウェイは予約客優遇ということで,長い行列を尻目に予約のある我々はゴンドラに優先的に乗り込む.詳しくは,予約客とフリー客とが交互にゴンドラを割り当ててもらう.中には怒り出す無予約のお客様も居て,若干肩身の狭い思いをしたり,それなりに気を使う.このゴンドラではたまたまそのレストランのコックさんと一緒になり,怒り狂う長時間待ちの客も,「まあ,コックが行かないことには我々の食事も用意できなかろう....」と,事なきを得た.なおこの時は,普通5分くらいで到着だという所要時間が,その倍くらいかかり,「たまたまこのロープウェイの定期運転試験中で,走行速度を半減しているため時間がかかり,行列も長くなっている」とそのコックさんが話してくれた.

山頂

山頂

ロトルア湖と周辺の街が見える.悲鳴の好きなニュージーランドの人は,このような人の集まる場所には絶叫マシーンを建設する.言わば大きなブランコをほぼ水平の角度まで吊るし上げ,そこからリリースする.ブランコは殆ど真下に落下に近い状態で,しかも回転を伴って降下する.キャーキャーとまあ,それは大変だ.


下は,ロトルア市内の写真あれこれ

ロトルア市内の写真
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レインボースプリングスRainbow Springs

エミュー

エミュー

レインボースプリングスという小さなちいさな動物園で,大きな飛べない鳥エミューが飼われていた.


キウイ

キウイ

これこそ正真正銘のニュージーランド,キウイ.ガイドの..子さん(失念したが日本人女性)の「ここで撮ればとてもきれいに写せますよ~,なにしろ少しも動かないですからね~」という案内あり.実はこのキウイは剥製なのだ.キウイは夜行性でとてもデリケート,本物は撮影禁止の薄暗いケージで飼われているのを見学した.鶏の親類くらいと勝手に思っていたのに,キウイが夜行性だったとは驚いた.実際薄暗い,いや暗闇に近いケージの中の1羽は虫か何かを探してしきりに地面をつつき廻っていた.な~るほど,これが夜行性というもんだね.


下は,レインボースプリングスの写真あれこれ

レインボースプリングス
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レインボースプリングス レインボースプリングス レインボースプリングス レインボースプリングス レインボースプリングス レインボースプリングス レインボースプリングス

レインボーファームRainbow Farm

牧羊犬の働き

牧羊犬の働き

ここレインボーファームでは牧場の様子をショー形式で紹介してくれる.牧羊犬(シープドッグ)の働きもその1つだろう.牧羊犬には2種類あって,1つは鳴き声を出さずに羊の群れを先導するタイプ,もう1つは後方から吠え立てて柵などに追いやるタイプのようだ.どちらも主人の笛の音に従って働くようである.このショーでは羊の群れを囲いに集めたり,それを別の柵に移したり,といった芸を披露してくれたが,どうしても従わない羊が1~2頭いて,農場の主人も困っていた.単数形も複数形も一緒,「従順」の代名詞のような羊であっても,まあ中にはどうしても人間に背きたい羊も居るであろうよ,それは.


羊の毛刈りショー

羊の毛刈りショー

バリカンで,最初に羊毛としてはあまり役に立たない腹部の毛を取り除き,続いて主要部分を刈り込む.真冬なのにふっくらした羊が見るみる裸になっていく感じだ.尤も実際には毛刈りのタイミングはとても重要で,一般の品種,多くは羊毛と食肉の両用種,では年2回,メリノ種などの高級種では年1回,たしか冬以外の季節に実施すると話していたような....ところで,一般に毛刈りは一日中腰を屈める重労働で,腕の良し悪しで能率が全然異なり,渡り歩き(なんかこれだと渡世人みたいだが...)の専門職人がいて,この人たちに任せるそうである.これらのプロは1頭を1分かそこらで仕上げるそうだ.いや~メチャ速い!!


下は,レインボーファームの写真

レインボーファームの写真
レインボーファームの写真 レインボーファームの写真 レインボーファームの写真 レインボーファームの写真 レインボーファームの写真 レインボーファームの写真 レインボーファームの写真
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ファカレワレワWhakarewarea

マオリ文化保存施設

マオリ文化保存施設

元はポリネシア系と同人種のマオリ族の伝統文化,彫刻や温泉など,を保存するための施設がこのファカレワレワに設けられている.


間欠泉

間欠泉

ここの温泉,間欠泉はポフツガイザー(Pohutu Geyser)と呼ばれるそうで,20分間隔くらいで,最高30m近くまで熱湯を噴き上げるようだ.地面を見ると泥の混ざった熱湯がぐつぐつしている.ロトルアの町を廻っているとあちこちで白煙が上がっているのが見えるので,この辺一帯が温泉地帯なのであろう.


マオリのガイドさん

マオリのガイドさん

マオリ族らしいいい体格の男性だ.ここでちょっとマオリの歴史に触れてみる.先ず,マオリ以前の先住民として今はモアハンターと呼ばれるタヒチ人やサモア人とルーツを同じくする東ポリネシア系の原始的農業兼業の石器狩猟民族が8~9世紀ごろにニュージーランドへ海を渡って来たそうである.彼らの住居や生活の跡からは,大量のモア,つまり前述のレインボースプリングスでその模型が展示されていた例のニュージーランド特有の飛べない巨烏,の骨や卵の殻などが見つかり,彼らがモアを捕獲し,食していたことが判るうようだ.ただ武器はこれまで発掘されておらず,戦争をした形跡はないようだ.

10世紀になると,同じポリネシア系の伝統的な狩猟民族で戦士であるマオリ族が,中央太平洋の彼方にある伝説の地ハワイキから長い航海の末移住して来たようである.以降2世紀間くらいに渡って断続的に移住は続いたようだ.戦闘的民族であったことから,先住のモアハンターは多分征服されたのだろうか?それとも融和したのだろうか?
マオリ族はモアハンター同様,農耕と狩猟中心の生活で,暖かい北島に集中して住んでいたようである.彼らは焼畑農業で森を焼き,連れて来た犬やネズミが外来動物として広まり,それまで7,000万年もの間外部の影響を一切受けずにいた生態系は劇的変化に見舞われたようだ.

大航海時代,~この頃マオリ社会では部族間抗争が激化したようであるが~,1642年,オランダ人船長のアペルタスマンがヨーロッパ人として初めてこの島を発見,上陸を試みた.しかし先遣隊4人が,戦闘的なマオリによって殺害され,船長は上陸をあきらめ,島を離れたという.後,この地はタスマンの故郷であるオランダのジーランド州にちなんでニュージーランドNew Zealandと名付けられたようだ.またタスマンの名は海の名として残った.

続いて1769年,太平洋航海等で有名な英ヴィクトリア女王軍出身のイギリス人航海家ジェイムズクックがこの島に到着.現在のギズボーン(北島)付近にエンデバー号を停泊させ,粘り強くマオリと交渉.やがて船の積み荷と食料の交換に成功し,上陸を果たしたようだ.その後,クックは6ヶ月かけてニュージーランド全土を調査し北島/南島の正確で詳細な地図を作成したそうである.
クックがニュージーランドをヨーロッパに紹介した後,1790年頃から捕鯨,あざらしの毛皮,木材などの資源を求めて多くの白人が訪れ,さらに英国や中国その他の国々から旅行者,ゴールドラッシュに群がる連中,宣教師,犯罪者,冒険家.....まあいろんな連中がこの新しい土地を目指したようだ.侵略される側のマオリ族は原始的な武器,弓矢やナイフで,ピストルで武装した新参者に対抗し,追っ払ったが,最終的には新参者と融和する方向に向かったようだ.やがてヨーロッパ人はマオリから食料を得るかわりに銃や弾丸を与えたため,部族間の闘いに銃器が使われるようになり,その結果,戦死者が急増し,さらにマオリ族が免疫を持たない新種の病気で倒れ,マオリは急速に衰退していったそうだ.

このようにして勢力を拡大したイギリスはやがてマオリとの間に,ワイタンギ条約という露骨な不平等条約を締結するに至った.大まかに言えば,(1)ニュージーランドの主権はイギリスにある(2)マオリによる土地所有は引き続き認められる,しかし土地の売却はイギリス政府へのみとする(3)マオリは今後イギリス国民としての権利を認められる.と云うものだから,まあどこの植民地もこんなものであったであろうがすごいものだ.やがて入植者はどんどん増え,武力で土地を奪い,マオリは絶滅に近い状況に陥っていったようだ.

はるか時代は下り,ようやく1970年代に入ってから,消滅の危機に瀕したマオリの伝統芸術や文化が見直され,土地権復活を掲げて行われたデモ行進「マオリランドマーチ」をはじめ,各地で活発化した住民運動が,社会的にも大きな反響を巻き起こすようになったようだ.また文化面でもマオリ語教育推進運動などが盛り上がりを見せ,1987年にはマオリ語が英語と並んで公用語として認められるに至ったそうだ.その結果1996年には15万人のニュージーランド人がマオリ語を話すまで回復し,14,000人以上の子供たちがマオリ語や伝統文化について学んでおり,小中学校に通う子供たちの約12%がマオリ語クラスを受講し,うち4割はマオリ以外の子供たちだそうである.

言葉は民族としてのアイデンティティーの基本だと思う.しかし冒頭のガイドさんの話では純マオリという人は既にごく僅か残るだけだそうで,アイヌ民族ほどではないにしても文化や言語の継承には継続的な大きな努力が必要であろうと思った.


マオリの彫刻

マオリの彫刻

このように舌を出したデザインは,各地ポリネシア系民族の木彫りの中でもマオリ独特のものではないだろうか.なおこの彫刻自体は高床式食料庫の壁に施されていたものである.まだデザインはマオリ文化の1つ,タトゥ/刺青のデザインと関連があり,部族や家族別に独特の文様が付されると聞いた.なおタトゥ/刺青はマオリに限らずポリネシア系民族共通の文化であることから,元は単一民族であろうと想像し易い.


マオリ伝統工芸のための学校

伝統工芸のための学校

マオリの伝統工芸を後世に伝えるためこのような学校が作られ,主に若い人が学んでいるという.


下は,ファカレワレワの写真あれこれ

ファカレワレワ
ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ
ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ ファカレワレワ

マオリダンスMaori Dance

マオリダンス

ハンギとダンス

宿泊したグランドティアラホテルでのステージで演じてくれた.テーブルではマオリの伝統料理ハンギ(Hangi),野菜,肉類,魚類の素朴な蒸し料理,を食べながらダンスを鑑賞した.ダンスはとりあえず置いて,料理はちょっと味が薄かったように思えた.


ハカ(Haka)

ハカ(Haka)

男性が目を大きく見開いて,舌を出し,奇声のような叫び声を上げる,これがうわさのハカだ.ハカというのは,以前は,マオリのいろいろなダンスをさす一般的な言葉だったそうだが,今では,この写真のように男性が前方で踊りを演じ,女性が後ろで掛け声と楽器でサポートする形式となったようだ. さらに遡れば,ハカは来客を歓迎し,もてなしをする時に行われ,また,闘いに望む戦士の勇気を奮い起こし,敵に畏怖の念を持たせる意味で使われてきたそうだ.世界に名高いラグビーのオールブラックスは,試合の前にこのハカを演じるそうである.

女性のマオリダンス

女性のダンス

動作も衣装も南国風,なかなか明るい踊りだ.腰みのの葦(だったか?何だか)の白黒模様について,葦1本1本の白黒区分染色方法を前述の伝統工芸学校でガイドさんが実演してくれたことを思い出す.


王様の踊り

王様の踊り?

よく分からないながら,衣装からして酋長とその奥さんが....だったか?それとも,違う部族の青年と娘が湖上の離れ小島でデートを重ね,やがて....のストーリーだったか?う~ん,思い出せないね~



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