イスラマバードから帰国go home via Islamabad

このイスラマバードから帰国編では7月7日ギルギットを出て,カラコルムハイウエーを南下し,ベシャムに至りここで一泊し,翌7月8日イスラマバードまで走り,ここから帰国の途につき,7月9日昼過ぎ成田に到着するまでの写真と記事を掲載した.

ギルギットを出るleave Gilgit

ギルギット朝のセレナホテル

ギルギットで7月7日の朝を迎える

今日は7月7日,七夕の日,ギルギットのセレナホテルで朝を迎えた.ダイニングルームからはドバニ(Dobani:6,134m)ハラモシュ(Haramosh:7,406m)が見えていた.ハラモシュは完全逆光のためか,のっぺりとしてイマイチだ.

この日は長い行程故,早くに朝食を済ませ,6時にバスに乗り込んだ.セレナホテルはこの辺り随一のホテル,銃を構えたガードやジグザグ壁が並ぶ道など,自爆テロ進入対策が見られる,


ナンガパルパッドが良く見える

ナンガパルパッドが良く見える

ギルギットを発ち暫く走ると3大山脈(ヒマラヤ,カラコルム,ヒンドゥークシュ)合流点に来た.ここの見晴らし台に登ると既にかなりの暑さになっていた.更に走るとインダスの下流側にナンガパルパッド(Nanga parbat:8,126m)がくっきり見えてきた.


石売り

石売り

往きではあまり見えなかったビューポイントからのナンガパルパッドは,帰路はクリアで,再びバスを降りて眺めることになった.またその反対側にはハラモシュも右肩がすこしけられるもくっきり見えていた.

バスが止まるとすかさず石売りのお兄さんがバイクで駆けつけてくれた.殆どタイムラグが無いのは,どこかで監視しているからか?それに,昨年までは自転車だったそうだが,多分売り上げが増え,利益率も改善したのでしょう,今年からバイクになり,Just on time性は一層改善した模様だ.ただ商品は,パーティに居られた石専門家の解説を聴くに,さして魅力的なものはなさそうで食指が動かない.すみません!



下は,ギルギットを出て暫く走る間の写真

ギルギットを出て暫く走る間の写真
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ベシャムで一泊stay overnight at Besham

不法伐採材木の没収

不法伐採材木の没収

暑さが増す中,エアコンのファンベルトが切れた.車中の温度はさらに上がり,やがてチラスに至った.我々は往きで宿泊したシャングリラホテルで休憩し,運転手さんは部品を探しに出かけた.幸い見つかったようで張替え完了,小一時間して,再出発した.

写真のように途中道路(KKH)脇には,時々材木が積み上げられて箇所がある.北の山中で不法に伐採した材木が検問で見つかり,没収されたものだそうだ.野ざらしの立派な材木が相当数あり,「このままでは腐っていくし,競売とかもっと有効な活用法はないのかね~?」などの意見が出されていた.

お昼は暑いダスーのコンチネンタルロッジとなった.カナジーは急に下痢になり,以降帰国まで殆ど食べることが適わなくなった.所謂パキ腹であろうか?


ダム湖まで大型トレーラでボートを運ぶ

ダム湖まで大型トレーラでボートを運ぶ

前述の土砂崩れによるダム湖とKKH不通の応急対策として大型ボートを運ぶトレーラに何度か遭遇した.何しろ本来ボートなど一切無いエリアなので,南の海に面した地方から運んでいるそうだ.更なる被害が拡大しないよう何とか復旧して欲しいものだ.



下は,ベシャムに至るまでの写真あれこれ

ベシャムに至るまでの写真
ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真 ベシャムに至るまでの写真

バスはさらに走り,8:00PM頃ベシャムのPTDCホテルに到着した.直ちに夕食の手筈であったが,部屋に入るや否や停電となり,ヘッドランプの入ったバッグを開けようにも開けられず,往生した.ろうそくを点してもらって何とかなったが,テント泊並みに気を抜かないのが正解のようだ.

PTDCホテルはバスタブが備えられ,浸かることができた.ただ栓を抜き排水した後は砂が堆積して残っており,驚く.エアコンはないが,天井にファンが廻り,その下で眠りについた.

イスラマバードへback to Islamabad

カラコルムハイウェイ記念碑

カラコルムハイウェイ記念碑

7月8日,ベシャムのPTDCホテルで朝を迎えた.この日は8:00AM出発し,南下を続けた,

暫く走り,カラコルムハイウェイ(KKH)記念碑のところまで来た.ここに登りインダスの濁流を眺めた.フンザ川は堰き止められたが,インダスの本流は大丈夫なのでここでの水量はこれまでと大きくは違ってないようだ.

KKHはウイグのカシュガルからパキスタンのアボタバードまで約1,300kmあるそうである.パキスタンおよび中国政府により建設され,1958年着工,20年経過した1978年に完成したそうである.工事でパキスタン側で500人,中国側で300人の犠牲者が出たそうであるが,工事中に発生した大地震が大きな原因となったそうだ.


イスラマバードの高速道路は快適

高速道路は快適

マンセーラで昼食後,バスはなおもどんどん走った.幾つかの町を越え,やがてイスラマバードに近づいてきた.この辺りから,片側3車線の立派な高速道路に入った.標識は英語とウルドゥー語の併記で,パキスタンらしい.普通車は120km/h,バスは100km/hの制限速度で,道路は空いており快適に走った.


ファイサルモスク (Shar Faisal mosque)

ファイサルモスク (Shar Faisal mosque)など巡る

夕刻になりイスラマバードに到着した.往きと同じようにやはり大変だった.運転手さんご苦労さまです.

イスラマバードでは少しばかり市内巡りがあった.先ず写真のファイサルモスク (Shar Faisal mosque)を訪れた.1966年,サウジアラビアのファイサル国王(シャー)の寄進で建設されたそうで,とても美しい建築だと思う.

次いでモスク近くのマルガラの丘(Margalla Hills)に登り,イスラマバードの街を見下ろす.緑多い街並みは,傍らの説明書を眺めるとまだ更地の部分も含めてブロック毎に用途が予め決められているようである.

マルガラの丘を下ると,今度は僅かに残ったルピーを使い果たそうとスーパーマーケットを訪れた.トレック中食卓に出して貰ったパキスタン産蜂蜜が美味しかったので探してみたが見当たらず,ドイツ産など輸入品が多いのは意外だった.どうやら周囲には外国公館が多く,居住者も外国人が多いエリアのためであるらしい.



下は,イスラマバードへ至るまでとそこでの写真

イスラマバードへ至るまでとそこでの写真
イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真
イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真 イスラマバードへ至るまでとそこでの写真

帰国leave for home

ラワルピンディ(Rawalpindi)で最後の夕食

こうしてイスラマバード巡りも終え,空港へと向かった.途中ラワルピンディのレストランに寄り,最後の夕食を頂戴した.まだお腹の具合が回復していないため,控えめにした.

ラワルピンディのレストランラワルピンディのレストランラワルピンディのレストラン

イスラマバード空港から出国

イスラマバード空港から出国

夕食後イスラマバード空港に入り,ガイドSさんとお別れした.ありがとうございました.出国審査を終えて写真のゲート前で待機した.大国の首都空港にしてはゲートが1つと,とても控えめな空港だ.

乗り込んだPIA機は順調に飛行を続け,途中北京を経由し,翌7月9日昼過ぎ,無事成田に到着した.

同行の皆さん,添乗Eさんありがとうございました.



東京スカイツリー

東京スカイツリー

京成に乗り,押上で半蔵門線に乗り換え帰宅した.押上駅では「東京スカイツリーはこちら」と案内板があり,階段を出て見ると直ぐ目の前に建設中の塔が聳えていた.あまりの近さに驚く.第1展望台は350mらしいが,既にその高さまで工事が進んでいる.

さてこうしてカラコルムのトレックは終わった.カラコルムはすばらしい.安全面や費用を勘案し,また次が行ければいいな~と思う.



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