アヌラダプラ(アヌラダープラ)は紀元前5世紀に創設されたスリランカ最古の都だそうで,最近の考古学的調査ではさらに古く紀元前10世紀には既に都市があったようである.仏教遺跡が多く残り,現在も多くの信徒が訪れるスリランカ仏教の聖地.
アヌラダプラに着いて,先ずはここイスルムニア精舎から見物することになった.紀元前3世紀から建設が始まったそうであるからとても古い.イスルムニア精舎には正面に見える岩山に掘られた石窟の本堂と,左側に白い仏塔(ダーガバ:Dagoba),宝物殿などがあった.この写真では写っていないが手前には紀元前3世紀から残るという沐浴場もあった.なお岩山に登ると緑豊かな田園が周りに広がっている様子がよく望めた.
巨大で極彩色であることに先ず圧倒される.色の塗り替えでは上野の浅草寺の援助もあったと聞く.この写真のように足元から見るとしっかと目が開いているが, 顔の前まで来ると閉じて,眠っているように見える.
本堂脇の宝物殿には,寺院内で発見されたとされる恋人の像があった.ドウッタガーマニー王の息子サーリャ王子が身分の違うマーラと恋に落ちた.周囲は二人を許さず,サーリャ王子は王位継承権を捨てマーラとの愛を選んだという解り易く,またよく在りがちなストーリーで,庶民に人気の話だという.王子の年代(紀元2世紀)と作品の年代(紀元4世紀)のズレなどで疑問視する見方もないではないそうだが,まあそんな野暮なことはいいんじゃないか.
下は,イスルムニア精舎の写真あれこれ
釈迦はブッダガヤ(インド)の菩提樹の下で悟りと伝えられるが,その菩提樹の分け木がここで2300年生き続けている.紀元前3世紀,インドのアショカ王の王女サンガミッタが運び,当時のシンハラ王朝デーワーナンビヤティッサ王が植樹したとされているそうである.この辺に多いガジュマルの大木のような大きさを想像していたが,2300年という年月の割にはそれほど大きくはないという印象を受けた.
ガイドのニハルさんによれば,スリランカ国民にとって,後で訪れる仏歯寺の仏歯に次いで大事なものであるそうだ.この場合スリランカ国民といっても仏教徒で多数派のシンハラ人であろうし,普通公用語のシンハラ語,タミル語の2つが併記される案内板が,ここでは写真のようにシンハラ語だけであった.シンハラ族とタミル族は2000年以上前から抗争を繰り返してきて,また現在も続いてるそうだ.そのためこのスリマハ菩提樹と巡礼者を狙ったタミル人のテロは十分懸念される訳で,シンハラ人の警官が銃を持って厳重な警備をしていた.
日本語で菩提樹というと大まかに次の3種あるようだ.広辞苑などから抜粋すると,
下は,スリマハの菩提樹の写真あれこれ
紀元前2世紀から建設が始まり,修復が繰り返され今に続くそうだ.現在55mの高さで十分巨大であるが,当初はさらにその倍もあったようである.塔の基部には多くの仏像が並び,また塔のテラス外周部にはたくさんの象のレリーフが嵌め込まれていた.
聖地なので国内外から多くの人が訪れよう.ここでも幾組ものグループに出会った.写真撮影にも快く応じてもらってありがたい.ここに限らずスリランカの寺院では皆靴を脱いで参拝する(靴下は認められる).普段軟弱な生活に漬かっている身には,玉砂利などのところでは少し足の裏が痛かったりする.
下は,ルワンウェリサーヤ大塔の写真あれこれ
クイーンズパビリオン跡といわれる場所にある.一番外側の炎の輪は人間の世界とそこに渦巻く欲望,その内側の4種類の動物(象,馬,ライオン,牡牛)の輪は生命力と活力,花の輪は愛する心,その内側の花をくわえた鳥は純潔,中心の蓮の花は天国を表す,ということだ.
左上から,クイーンズパビリオン跡,解説するガイドのニハルさん,2番目の輪の馬,階段の人(?)のレリーフ
今はなき,かつてスリランカの大乗仏教の大本山だったアバヤギリ大塔.木や草が生え放題であることが,この国での大乗仏教の歴史を物語っていよう.しかし上部に修復工事用の足場が組まれているところを見ると,この先きれいになってしまうのであろうか?それはそれでちょっと残念なような....
紀元前1世紀,ジャイナ教により14年間虐げられたワッタガーミニアバヤ王が,その屈辱への仕返しとしてジャイナ教寺院を破壊,その跡地に建設したようだ.それがまた上座部仏教が盛んになり,大乗仏教のアバヤギリ大塔は廃れていったのであろうが.高さは75mで,現存するアヌラダプラの仏塔では最大だそうだ.当時はその周囲に半球状の屋根を含む構造があり高さは100mあったそうである.また塔の周囲には5,000人もの僧が生活した僧院があったそうである.
左右に同じ形の2つの池がある.上述のアバヤギリ大塔で修行していた僧の沐浴所といわれているそうであるが,かなり大きいし,それに深い.どちらかというとスイミングプールに近い印象だ.でも5,000人もの僧が居たというからには決して大きくはなかろうか.現在水は汚いままであるが,さて当時は水の入れ替えはどのようにしていたのであろうか?地面より水位はかなり低いし,排水管も見えないし......
ここも緑豊かで静かな場所にあるが,観光客が来ると透かさず物売りが駆けつけてくる.
紀元3世紀,マハーセーナ王の命により建立され,当時高さ122mで,さらにその上に水晶の柱が立っていたそうだ.現在の高さは70mで,一番上の傘蓋が破損してしまったため低くなったようである.訪問時,地べたにはレンガがたくさん用意され,足場が組まれ,修復作業が行われている最中だった.
アヌラダプラではいきなりたくさんの仏教施設に出合って,こんがらがってしまった.写真とキャプションが違ってないか心配だ.