古代都市シギリヤは,シンハラ王朝のカッサパ王が5世紀にジシギリヤロックと呼ばれる岩の上に建設した王宮跡.カッサパは実父を殺し王になったが,たった11年後には弟に敗れ王宮も廃れたようである.
周囲はジャングルで,シギリヤロックは独立峰のように突き出ている.岩山のてっ辺にはカッサパ王が建てた宮殿跡が残っている.岩山の麓にも宮殿があって,普段はそこで暮らし,敵襲来時に上の宮殿,砦と言った方がよかろうか,に逃げる作戦が採られたようである.
麓の宮殿跡には水の広場(Water Garden)と呼ばれる施設が残っている.ここには王の沐浴場(Royal Bathing Pools),蓮の水路(Lotus Channel)などがあり,古い時代に拘わらず上下水道設備がうまく機能していたようである.どうやらローマ帝国などと同じように水理技術は高度であったようだ.
さていよいよシギリヤロックの登り口に差し掛かった.この辺りから,「階段が1200段もあるから,大変だよ~,手を引いてあげますよ~」というガイドがいっぱい寄ってくる.1200段はガイド売り込みのためのさば読みが含まれているとの説もあるようだ.まあ,しっかりした階段であるから,寧ろ一人で登った方が鬱陶しくなくて良いのでは.....と,思う.実際皆普通に登っていった.またこの辺りには礼拝堂などの仏教施設も幾つかあった.
下は,麓の宮殿跡から登り始めた辺りまでの眺め
写真で上から1/3くらいの位置にシギリアレディ壁画が描かれた窪みがある.その下の赤い壁は回廊の壁で,鏡の回廊(Mirror Wall)と呼ばれ,壁の高さは3m,床は磨かれた大理石である.壁はレンガを積み上げ漆喰を塗りその上に仕上げ剤を塗り,ピカピカにしてあり,それが名前の由来になっている.
しかしながら,頂上へのルートは,垂直な部分や場所によってはオーバーハングもある.壁画工事も鑑賞も,さらに頂上の宮殿にはどうやって登ったのであろうか?現在は適宜鋼鉄の階段が設けられているので,何ら問題ないが.....まあ,容易に辿り付けない構造が砦としての役割からすれば重要だったのであろう.
これが有名な壁画シギリアレディ.実際の大きさを初めて知った.等身大より少し大きいくらいか.現在11人が残っているが,当初は500人くらいの壁画があったとされているようだ.1800年代イギリスの統治下にあったとき,あるイギリス人が下から望遠鏡で見つけて驚き,1900年代になって鋼鉄の階段を取り付けたようである.
ところでシギリアレディは誰であるか?貴婦人,あるいは召使いなど諸説あるも,定説はないそうである.概ね立派な胸で,しかもはだけている大胆な構図が印象的だ.
下は,シギリアレディの写真
シギリアレディを鑑賞して,また少し登ると平らなテラスに至る.頂上の宮殿に登る最終階段の取り付き口になっている.現在,階段を挟む巨大なライオンの両足が残っている.建設当初は全身あったそうであるからさらに迫力があったであろう.
下は,ライオンテラスに至る回廊とテラスの写真
高さ195mという頂上に立つとなかなか広い.1.6ヘクタールあるようだ.もちろん独立峰なので360度のパノラマが開けている.結構広い王宮や兵舎などの建物跡,それと山のてっ辺だけに最重要な生命線,大きな貯水池が残っている.
実父を殺してまで王になったカッサパは,自分自身が尋常でないことを十分に認識し,それ故に今後はいつ自分が殺されるか恐れていたそうだ.その危険を回避する目的でこのようなところに築城したのであるが,それでもごく短期間で滅ぼされたわけである.
下は,シギリヤロック頂上に至る道,宮殿跡,周りの眺め
上では怪しい雲行きであったが,麓に下りてみると陽射しは強くぎんぎらぎんであった.天気は急変するようである.
シギリアロックからの帰路,ろうけつ染め(バティック)工場を見物した.ここはドラム缶の染料タンクに漬けて染め上げる行程だ.この行程は体力が要るのであろう,他は女性が殆どであるがここだけは男性の仕事のようだ.
ミシンを操っているのは十代くらいの若い女性が多い.スリランカバティックは下絵から全て手描きのものが主流だそうで,タペストリーを目的に作られているのが多いようだ.なので,インドやインドネシアなどの先輩地域と比べて,実用品より一層アートとしての狙いがあるのかも知れない.
当然バティック販売コーナーがあり,いろいろ見てみたが買い上げるには至らなかった.また,たまたま近くに学校があり,アジアの国らしく制服姿の子供たちが元気に校庭で遊んでいる姿を眺めることができた.
下は,ろうけつ染め工場の様子