ポロンナルワはスリランカ中部の古都で1017年から1255年まで首都であったところ.
ハバラナのホテルで昼食後ポロンナルワに向け出発した.途中集落を越え,野を走り,象も住むジャングルを抜けてポロンナルワに到着した.
パラークラマバーフ一世の王宮跡.レンガ製の壁は厚みが3mもあって,当時は7階建て,現在も3階くらいの高さまで残っている.
1017年,南インドのタミル系チョーラ王朝がスリランカの特に南方を支配したとき,シンハラ王朝は首都をアヌラダープラからポロンナルワに遷都したという.やがて1070年になると,シンハラ王のウィジャヤバーフ一世はチョーラ王朝を追放したそうだ.つまり強かった訳だ.後,そのウィジャヤバーフ一世の孫にあたるパラークラマバーフ一世がこの王宮を建設し,灌漑設備を充実し,首都の発展的構築に大きく貢献したそうだ.そのため彼の治世の間ポロンナルワは交易と農業が栄え黄金時代を迎えたようである.
暑い国なので沐浴場は大事であったであろう.王の沐浴場と名付けられているので大勢で入る訳ではないと思うのだが,それにしてはでか過ぎるような気がする.それってやはり貧乏人根性か.
ニッサンカマーラ王はパラークラマバーフ一世の後の人であるが,治世は優れず,結果として南インドのパーンディヤ朝に権力を委譲,1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄することになったようだ.
狛犬のようなものはライオンか?壁にもたくさんのライオンや象のレリーフが彫られている.多分当時はその上に屋根があったのであろう石柱が残っている.ここには色々な大臣の名が刻まれているようである.
下は,王宮跡の写真
クォードラングルは四辺形のことで,城壁に囲まれていろいろな建物があって,ポロンナルワ遺跡の中心地でもある.
ここは仏堂であって内部の見学が許されている.玄関で靴を脱いで中に入った.多くの仏像が並んでいた.入り口付近ではヒンドゥー様式も見られた.
柱が蓮のゆらゆら揺れる茎を表現しているそうで,確かに柱としてはかなり風変わりな印象だ.
石柱が立ち並んでいるが,本来柱の上には木造の屋根が覆っていたのであろう.11世紀,ウィジャヤバーフ一世(Vijayabahu-1/1055~1110AD)により建立されたという仏歯寺の跡のようだ.仏歯寺であれば極めて大事なお寺だった筈だが,仏歯そのものは他に移されたのであろう.
一方こちらも仏歯寺跡だそうで,ニッサンカマーラ王(Nissankamalla/1187-1196AD)により建立されたようである.仏歯は上のアタダーゲから引き継いだのであろうか?
円形の建物で,仏塔.四方に入り口があり,石の仏像が設けてある.また入り口にはムーンストーンが設置されている.
ガルポタは石に書かれた本.長さ9m,幅1.5m,厚さ45cm,重さ20tもあるそうで,とても大きい.上述のハタダーゲ建立者ニッサンカマーラ王(Nissankamalla/1187-1196AD)の命により作成されたようである.表面には文字が記され,側面は主に動物のレリーフが彫られている.文字は当時の歴史を記述しているらしい.
下は,クォードラングルの写真
ランコトゥヴィハーラ(黄金仏塔)は,高さ,直径ともに55mでポロンナルワ最大というダーガバ(仏塔).ランコトゥは黄金の意だそうで,往時は尖塔部分が金で覆われていたという.現在はレンガであろうか,下地のままである.
ランコトゥヴィハーラの傍では牛がはべっていた.ヒンドゥー教徒もいるし,仏教もヒンドゥーの要素が入っていたりするので牛は大事にされているのであろう.
ガルヴィハーラ寺院には大きな岩に彫られた坐像(工事中),立像,涅槃像三体の仏像があった.岩の層状の縞模様がそのまま仏像の表面にマッピングされたようになっているのが印象的だ.
前述のように11~12世紀に栄えたアヌラーダプラであるが,やがて南インドタミル系異教徒の侵略を受け次第に衰退.500年を超える長い間ジャングルに埋もれていたが,20世紀に入って発掘され再びその姿を現したようである.
下は,ガルヴィハーラと帰路立ち寄った木彫り店前の写真