この台中編では,桃園からバスで南下し台中(Taichung)に来て,同市内の宝覚寺やその周辺を見物したときの写真を載せました.
桃園から南に向けバスは走った.これまで知らなかったが,冬の台湾北部は概ね天気が悪く,雨が多いそうだ.まさに写真のような空模様が普通だそうである.それに寒波の襲来も多いそうで,南国と云う固定観念から,台湾の皆さんはTシャツかな~などと思っていたが,皆さんこの季節は結構たくさん着込んでいるように見える.
台湾は川が多い,何しろ3,000m峰は100以上と多く,それが海に近いため直ぐに流れる必要があるようだ.川向うは新興住宅街のようである.
桃園から高速道路で下り,泰安(Taian)のサービスエリアに入った.駐車しているバスに描かれた漢字が“台湾”らしい.それだけでなく虹色文字や,図柄,色使い....といったところが,デコトラならぬデコバスの趣きで,まあこれが台湾人の嗜好なのだな~と感心する.
色々なスナックのお店が並ぶ中で,ここはホットドッグを焼きながら,果物や饅頭まで揃えている.ドラゴンフルーツや釈迦頭など日本ではあまり多くないものが目を引く.
普通のコンビニも揃っているので便利だ.お茶は砂糖入りボトルも多いので買うときは注意が必要だ.コンビニの一画には買ったものを食す喫茶コーナーを設けてある場合も多い.アメリカのドラッグストアと少し似ている.
バスは台中の街に入ってきた.台中は台湾第3の都市で人口260万人ということだからかなり大きい.18世紀初頭,大陸から漢民族が大量に移住し,台中の街が形成され始めたようである.つまり古い街ではないのだが,大陸からの移住で拓けた街として,つまり台湾の街としては古いであろう.
街の中心部のオフィス街には高い建物が多いが通りは然程混雑している様子は見られない.以前はベトナムのようにバイクが凄かったように思うが,今はそれほど多くないようだし,3人乗りとか4人乗りも見かけない.
台中近くには勤務先の関連会社があって,昔仕事で訪れたことがあったが,郊外の空港経由だったためかもっと広々したところと云う記憶が残る.当時台中/台北,台中/高雄間には30分間隔くらいでシャトルフライトがあり,便が良かった.
台中中心部,1928年建立の仏教寺院宝覚寺に案内してもらった.臨済宗妙心寺派の禅寺であるそうだ.山門をくぐると大きな本堂が目に入り,二重構造の建物にびっくりする.台中は雨が少なく,温暖の地だということだが,それでも保護がないと傷みが進行するということで本堂全体を覆ったようだ.
本堂両脇には象の像2体が置かれている.象は仏教の聖なる動物だということだ.台湾にも日本の寺社でよく見掛ける狛犬(獅子)があるそうだが,仏教寺院でない道教寺院に据えられるということだ.ふむふむ.
本殿中央には金色のお釈迦様像が据えられれていた.一人の若い女性が長い線香を灯し,熱心に礼拝を繰り返していたいる姿がとても印象的だった.うちの近くの寺で通り一遍の初詣(自分を含めて)とかとちょっと,いやかなり違って,打ち込んでいる様子だ.
本殿先の庭には巨大な弥勒菩薩像(布袋様)が配置されている.高さ約30mもあるという大きさに驚くが,そしてその笑顔が,何と言ったらよいか.....限りなく大らかで素晴らしい!
太平洋戦争時,日本軍に駆り出され,南方戦線などで戦死した高砂族など3万人余の台湾人の霊を祀る碑が宝覚寺境内にあった.言わば靖国神社の代わりの役割と見ることもできよう.碑の傍には観音堂と日本人遺骨安置塚も設けられている.遺族や同胞からは,一部やはり反対の声もあったそうだが,親日家の前李登輝総統らの尽力で実現したそうだ.なお文字は李登輝氏の揮毫である(左に記されている).
下は,台中での写真
ごく短い台中観光を終え,バスで内陸に向かうことになった.車窓から眺めていると台中の街の中でも,また郊外でも写真のような龍を載せ,カールした赤い瓦屋根の立派な寺院にしばしば出合う.『上天宮』とあるが,台湾では一般に道教が盛んと聞くのでその一つなのであろうか?
台中には豊かな平地が広がっているが,海から4,50km東に入れば山となる.次の日月潭観光のため,その山方向に向かった.郊外には畑や田圃が展開され,工場や手狭になったため引っ越してきたのか大学のキャンパスなども見える.米は二期作だそうだから,同じ面積でもきっと日本の2倍収穫できるのであろう.