九ふんKauhun

この九ふん編では,瑞芳駅に到着し,バスで九ふんへ行き観光.そこで昼食後台北へと向かったときの写真を載せました.

瑞芳駅に到着し,バスで九ふんへgo to Kauhun via Ruifang

瑞芳駅前広場の光景

瑞芳駅前広場の光景

花蓮からの特急列車は定刻の10:16AM,瑞芳駅に到着した.駅を出て,駅前広場を見渡すと観光客やタクシーが結構いっぱいだ.観光地の雰囲気だ.

昔は金山で栄えたエリアで,瑞芳はそのための物資や人を運ぶ重要な駅であったのであろう.近年は映画撮影や,観光の街になった九ふんへの入り口の街に変わったということだ.


九ふんに行く川沿いの古い建物群

九ふんに行く川沿いの古い建物群

バスで川沿いの道を進んだ.結構古い建物が建ち並んでいる.これらの建物群は金山で栄えた時代からのものが多いという.金の採掘は19世紀末に開始され,日本統治時代には最盛期を迎えたそうである.当時大勢の採掘関係者が集ったということだ.

だが佐渡の金山なども同じであるが,採掘量は徐々に減り,太平洋戦争後は急減し,1971年には金鉱が閉山され,街はあっと言う間に衰退していったという.

しかしながら,近年になって映画のロケ地になってから脚光を浴び,以来観光地として売り込み,それを街の基幹産業として進めるに至ったそうである.自治体に置ける事業転換のいい見本となりそうだ.


明聖宮(協天大帝)

明聖宮(協天大帝)

立派な寺院があり,この先に観光地九ふんの街(路地と言ったらいいか)が広がっている.寺院には協天大帝,明聖宮の大きな文字が掛かっている.はて誰を祀った神社か?協天大帝とは関羽将軍(関帝)の別名の一つだそうだ.関帝は実はこれ以外にもたくさんの呼び名を有しているのだそうだ.それにしてもやはり関帝は強い信仰を集めている方ですね.

九ふんを歩く

九ふんの路地に入る

九ふんの路地に入る

九ふんの狭い路地に入ると両側には所狭しとお店が並んでいる.そこを観光客が行き交っている.上野アメ横とかと違って坂道で,狭く,古く,全体を小ぢんまりまとめた雰囲気だ.私たちにもそこはかとなく懐かしい香りが感じられる.

元々九家族のみの寒村だったことから九ふんの名が付いたそうだが(九つの村なのでちょっと違うが,何げに四川省の九寨溝が連想される),1890年に金脈が見つかり,ゴールドラッシュで瞬く間に4000世帯の街へと変貌したという.しかし鉱脈には限りがあり,上述のように1971年には閉山され,街は急激に衰えていったそうだ.

しかし近年になって台湾の重大な歴史を語る映画のロケ地となって以来,今度は観光地として注目されるに至ったということなのだ.街並みはそんな歴史背景も踏まえて,古い景観を保存しているのであろう.


神棚の前で,饅頭を作る人達

神棚の前で,饅頭を作る人達

道教の神棚であろうか,路地に面した販売カウンタの背後で,商品の饅頭を作っている場面だ.6人で休みなく作り続けているから,どんどん売れていく訳だ.この日は火曜日,週末でもないのに随分繁盛している.

販売されているものは街の雰囲気に合う大衆的なものが多く,お菓子やお茶などに加え,例えば魚の干物腸詰めツミレなどが多く並んでいる.

さて,九ふん復活のトリガーとなった映画であるが,それまでタブーとされてきた二・二八事件を扱い,空前のヒットとなった1989年の「悲情城市(A City of Sadness)」という作品だそうだ.二・二八事件とは,太平洋戦争終結の少し後の1947年2月28日,台北市で発生し,後台湾全土に広がった事件で,本省人(台湾人:当時まだ日本国籍)と外省人(在台中国人)との大規模な抗争だそうだ.事件後約40年間の戒厳令の終了と政府側の遺族への謝罪によりようやく終結したそうである.この戒厳令の期間こそ台東沖の緑島を眺めた時,ガイドKさんが『台湾の暗黒時代で,島には無数の政治犯が流された』と説明してくれた時代だ.

事件の発端は,敗戦した日本軍の武装解除を行うために大陸から来た蒋介石率いる国民党政府の官僚や役人による本省人(台湾人)女性に対する暴行だったそうだ.当初こそ本省人側の台湾の「祖国復帰」と喜んだ国民党ではあったが,実際は腐敗や悪質ぶりが甚だしく,本省人側は国民党政府に対して激しく抗議行動を展開.しかし発令された戒厳令の下,李登輝総統時代になるまで40年間解かれることなくその下に置かれたという.もち論反対者も多かろうが,『自由な台湾』に変えた李登輝氏の功績は大きいのではなかろうか.


阿妹茶酒館

阿妹茶酒館

坂の途中にあるカフェで,海を望むロケーションにある.宮崎駿氏がここのテーブルでコーヒーを啜りながらアニメ映画の構想を練り,スケッチしたそうだ.そんな訳で日本人観光客には特に人気があるようだ.


九ふんは坂のある街

九ふんは坂のある街

坂の街は味わい深い.提灯や日本語の看板も見えて,夜になると特に魅力が増しそうだ.狭い階段なので,夜,私のような年寄りは,酔っ払った後は気を付けたほうがよさそうだ.私たちは残念ながらお昼の後,直ぐ立ち去り,夜来ることはできなかった.


九ふんの映画館

九ふんの映画館「昇平戯院」

上の階段を降り切った脇に,映画館「昇平戯院」があった.日本統治のゴールドラッシュの頃は台湾でも最大級の規模だったそうだが,閉山後は廃れ,上述の「悲情城市」ができる前,1986年には既に一旦廃館になっていたという.それが街も復活し,しかも映画には縁が深い街とあって,修復が図られ2011年秋から再開されるに至ったそうである.往時の雰囲気を残し再生したのが味噌で,しかも入場料無料で観覧できるのだそうだ.めでたし!


下は,九ふんの写真

九ふんの写真
九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真
九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真 九ふんの写真

九ふんで食事後,バスで台北に向かう

九ふんのレストラン

九ふんのレストラン

レストランの名前は思い出せないが,阿妹茶酒館の真向かいのお店だった.郷土料理として出して貰ったが,もち論台湾料理の範疇であるし,なかなか美味しかった.


海が見える

海が見える

レストランからは海が望める.沖縄の方向だ.日本の地図では東シナ海になると思うが,ガイドKさんに頂戴した台湾の地図では東海と記されている.韓国政府が主張する東海だと日本海のこととなるが,それとは明らかに違う.結局東海は東シナ海の中国式呼称であろうと思われる.

宮崎駿氏もこの眺めをスケッチしたのでしょうか?


バスに乗り,西の台北に向かう

バスに乗り,西の台北に向かう

九ふん見物を終え,食事で満腹になるとバスに乗り,西の台北に向けて出発した.この辺りは高速道路も整備され,台北までは遠くない.まあこれが九ふんを訪れる人の多さの理由にもなっていよう.


台北に近くなる

台北に近くなる

畑の中の集合住宅が多くなった.台北に近くなったのであろう.通勤時間が掛かるであろうが,自然が豊かな住環境で,生活するにはいいかもしれない.



Cannergy'sホームへ