この台東編では,高雄を出て南下し,台湾南端少し手前の楓港で東に向かう山道に入り,そこを抜けて東海岸の達仁に至り,ここより東海岸沿いを北上し台東知本温泉に至り一泊.次の日北上を継続し台東市街を通過し,三仙台を見物したときの写真を載せました.
高雄の観光を終えるとバスは西海岸沿いを更に南へと下った.周囲はヤシの木だらけで一層南国の趣だ.そして写真のような鰻の養殖池も時々見える.鰻はもち論日本でも養殖できるが,温かい方が成長が速いのかも知れない.それよりやはり生産コスト的に優位なのであろう.ただ最近は中国本土辺りに押され気味であろうが.
またもの凄い数のアヒル(いやガチョウか?)のいる養殖場も見える.アヒルもガチョウも中華料理には欠かせない食材だし,需要が大きいのであろう.
街道脇にお墓の見本が並んでいた.お墓建設会社の商品見本であろう.台湾のお墓は寺院や宮と同系統のデザインで,そのミニチュア版と云った趣だ.写真はまあ普通クラスで,中にはもの凄く豪華絢爛なものもある.
東海岸に渡るちゃんとした道路は多分ここが最南であろう場所,楓港という町で山道に入っていった.この道に入ると直ぐに深い森林に覆われた地帯となる.所々に集落があるが,原住民が多いそうである.台湾の地図を眺めると,西側1/3は平野,東側2/3は山岳地帯である.現在平野は大陸から渡って来た漢人が占領してしまい,17部族あるという原住民は山岳部に追いやられたというのが実態だそうだ.
山道を辿り,東海岸に到着した.達仁という小さな町である.ファミリーマートのある休憩所でバスは止まった.看板の『火偏に考,香腸』最初の文字は炙るという意味らしいので,香ばしい腸詰め焼きといった意味になろうか.お昼から間が空いてなかったので食べなかったが,美味しそうである.
達仁からは狭い太平洋岸沿いを北上した.単線の鉄道も,道路と一部は近接し,一部は少し離れて概ね平行して走っている.ただ列車(火車)の本数は多くないようで,運行中の列車はあまり見かけることがなかった.なお鉄道は台湾全島を一周するように通っているそうだ.
この写真では写ってないが沖に緑島という小島が見えた.その昔,反蒋介石派の政治犯がたくさん捕らえられ,ここの刑務所に収容されたそうだ.ガイドKさんによれば,台湾の最も暗い歴史,暗黒時代がここに凝集されていたそうだ.つまり決して国民の誰もが蒋介石万歳ではなかったし,反蒋介石の人は数限りなくいたわけで.....まあそれはそうであろう.そして1988年蒋経国の死亡,李登輝氏の総統就任,同氏の推めた民主化の結果,急激に社会が明るく改善されていったという.これは別にKさんのみならず,殆どの国民が思っていることであろう.
そのうち知本温泉地帯に入ってきた.日本の温泉街より少し疎らな感じで,温泉ホテルが点在している.目指す東台温泉飯店は大分奥に位置し,しばらく山道を登って到着した.
玄関には原住民らしき装束の女性(多分)が描かれている.この辺りはプユマ族が多く住むそうで,きっとその人たちの衣装であろう.
フロントでキーを受け取り,3階の客室に入ると,とても広かった.バスタブには温泉も引かれている.湯はぬるっとしているが無色である.さてどんな成分か?湯から上がる時,清水できれいに流し落として下さいね,とガイドKさんが案内すると,「日本では無色透明の温泉では普通流し落としませんが...」との声があったが,台湾の人はよく洗い落とすそうだ.
ホテルには道路の反対側にジャグジープールも備えていた.写真でヤシの木の元に2つのプールがある.やはり南国なのだからと水着は持っていたが,キャップも被らないといけないそうで入り口で50元で買う.倒れそうになるくらい強烈なシャワーや体が浮き上がりそうになるくらい強力なバブル噴出などあるが,比較的小さく区分され,長い距離泳げるプールではなかった.それでも私は一応パチャパチャしてみたが,台湾の人たちはあまりがつがつ泳ぐ様子はなく,お上品に湯に体を沈めている程度だ.
タオルを肩に掛けた程度でプールから引き上げたが,まあ温泉リゾートであるし,公道の往来も疎らだし,これでいいようだ(多くの人がそうしている).久しぶりにほんの少しだが泳げて良かった.
下は,知本温泉での写真
知本温泉で一泊の後,バスで再び北上を続けた.この周辺では黒い遮光幕で覆われたビニールハウスが所々に見える.ビンロウを噛むとき,石灰と一緒に口に含む葉っぱ(野菜)を育てる畑だそうだ.もやしのようにあまり陽に当てないで柔らかに生育させるのであろう.
ガイドKさんはテレサテンの大ファンだそうで,バスの中でCDやDVDを掛けてくれた.台湾出身だが,映った画面(NHK制作)のように日本でも日本語の演歌で大ヒットを何本も飛ばした.確かに今改めて聴いてもなかなかすばらしいと思った.
台湾育ちだが「アジアの歌姫」と称されたテレサテンのテンは本名の姓(鄧)の英語読み,テレサ (Teresa)はカトリック教徒だった彼女の洗礼名だったそうである.日本での演歌以外に,台湾民謡,英語ポップスなど多ジャンルの曲をこなし,言葉も北京語,台湾語,広東語,日本語,英語,マレー語,フランス語...と多彩だったそうだ.
やがて8つの太鼓橋で繋がれた岩の島が見えてきた.島のず~っと沖合いには大岩礁があり,3人の仙人がそこへ泳いで行く途中,先ずこの目の前に見える岩の島に上がり,一休みしたそうである.それが三仙台の名の由来となっているそうだ.
仙人は泳いで渡ったが,私は折角橋があるのだから...と,太鼓橋を渡って島に行ってみた.太鼓橋のステップは上部ほど緩やか(高低差が少ない)というのが判った(←別に大したことなく,当たり前だが).やはり歩行者以外,バイクや車が渡るのを避けるため太鼓状にしたのでしょうか?
亜熱帯なので,私たちから見ると観葉植物のような珍しい植物や花が育っている.道も整備され,地元の人もよく訪れる行楽スポットになっているようだ.
さほど大きくない波が岩の海岸に押し寄せている.岩場のせいか澄んだターコイズの水がきれいだ.さすが今は寒いであろうが,夏場この辺りはサンゴ礁に熱帯魚が群がるそうだから,ダイビングに良いだろう.
ところで海岸や島の岩は火山の溶岩が固まったような形態であるが,これは強い風と海蝕作用でできたのだそうである.ふ~ん.
下は,三仙台島辺りの写真
上に仏教徒などの墓見本の写真を載せたが,こんどはキリスト教徒の墓地だ.東海岸沿いは原住民が多く住むが,多くはクリスチャン(主にカトリック)だそうである.その昔,イエズス会等がカトリックの布教活動を進めたとき,既に道教や仏教信仰に篤かった漢人を改宗させるのは容易でなく,自ずと原住民がその対象とされ,帰依したのが理由だそうだ.
クリスチャンの墓はシンプルで清清しい印象だ.目いっぱいごてごてな雰囲気のお墓をたっぷり見てきただけにそんな風に思う.