台北Taipei

この台北編では,故宮博物院,忠烈祠,台北の夕暮れ,中正記念堂,龍山寺,台北の街,行天宮など見物し,再び桃園に行き,成田に帰国したときの写真を載せました.

故宮博物院National Palace Musium

九ふんから台北に来る

九ふんから台北に来る

バスが進み,2004年には世界一であった101階建て高さ509mの台北101ビルが見えてきた.逆台形ブロックを積み重ねたような造形が特徴的で,直ぐさま台北と認識できる.


故宮博物院を見物

故宮博物院を見物

故宮博物院に到着した.以前より大分大きくなった館内に入って,入場券の列に並ぶ.平日なのにすごい見物客の列に驚いてしまう.展示室は紀元前1600年という古い商の時代や,少し後の内側に金文の記された鼎などの青銅器,有名な翠玉白菜(翡翠)や肉形石(瑪瑙類)などの彫り物や玉,白磁青磁といった陶磁器,一体どうようにして作ったのかと思われる象牙多層球(親子二代で数十年要したという)などの超細かな象牙細工,展示は少なくなかったが書画,シルクロードの交易品.....など多様な品々が展示されている.

北京の故宮博物院(紫禁城)より圧倒的に展示品が多く,見応えあるが,混み合っていて例えば翠玉白菜などは短い時間制限なのでじっくり見ることができないのが惜しい.それと撮影禁止なのも残念である.

ガイドKさんが,台湾観光ではやはり故宮博物院と太魯閣峡谷が目玉です,と言われるだけある.


故宮博物院近くの住宅街

故宮博物院近くの住宅街

博物院は台北市北部の士林区に位置し,この辺りは高級住宅街だそうだ.近年博物院は大幅に拡張されたのだが,それでも圧倒的多数の収蔵品展示には手狭で,更なる拡張を図りたいそうだ.でもここに隣接して広げる土地確保は難しく,台湾南部都市に分院を作ることになっているそうだ.スミソニアン博物館のような感じであろう.

国民革命忠烈祠The National Revolutionary Martyrs' Shrine

辛亥革命始め,中華民国建国および革命,抗日戦争などで戦没した英霊を祀る祠.日本の靖国神社に相当し,高雄寿山公園でお参りした忠烈祠と同じ.

国民革命忠烈祠国民革命忠烈祠
国民革命忠烈祠国民革命忠烈祠

日本人としては考えさせられるが,それはそれとしてお参りする.立派な忠烈祠大殿は衛兵が守り,一時間毎に交代することが有名だ.いくら暑くとも,寒くとも微動もせず守るのは,陸空海軍から選抜された選りすぐりのイケメン兵士だそうだ.

台北の夕暮れevening in Taipei

民生東路一段の夕暮れ

民生東路一段の夕暮れ

忠烈祠の後私たちは民生東路一段のお店に案内された.台北の中でも中心的繁華街だ.夕暮れの電飾が灯り始めてきた.日本語の看板も結構目に付く.高雄とともに台北は最も日本語を目にする外国の街ではなかろうかと思った.


百寿の掛け軸

百寿の掛け軸

お店には陶器や絵画仏像などどと並んで,右写真の『百寿』の掛け軸があった.金文から篆書の諸字体で記したもので,とても参考になる.

尤も,見ただけで買い上げはしなかったので,お店には何ら貢献しなかった.すみません.


農安街の豪爵大飯店で落ち着く

農安街の豪爵大飯店で落ち着く

民生東路一段の後,農安街の豪爵大飯店にチェックインした.エレベータが一基という小ぢんまりしたホテルで,この日と翌晩,二泊の予定だ.客室もコンパクトだが清潔で良かった.


豪爵大飯店ホテル近くを歩いてみる

豪爵大飯店ホテル近くを歩いてみる

豪爵大飯店は比較的便利な場所にあった.近くには松江路という大きな通りもあるが,手前の小さな通りにもいろいろお店が並んでいる.写真のようにビンロウショップもあって,台湾らしいのでついシャッターを押してみる.18歳未満は禁止,妊婦に勧めるのは禁止,のような文言が並んでいるので,やはり害が認められるのであろう.


下は,台北夕暮れの光景

台北夕暮れの光景
台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景 台北夕暮れの光景

中正記念堂National Chiang Kai-shek Memorial Hall

大理石でできた中正紀念堂

大理石でできた中正紀念堂

中華民国初代総統蒋介石(本名:中正)の記念堂.中国の伝統的な宮殿陵墓のデザインであるそうだが,陵墓自体は他所に設けられているそうだ.巨大な大理石の建物は実に壮大で立派だ.同じく大理石製霊廟のタージマハルなどど比べても何ぼか大きいように見える.

総工費は公開されていないが竣工の1980年で30億元(100億円くらい)だったとの話もあるようだ.ムガール帝国皇帝シャージャハーンはタージマハル建設で国家財政を傾けてしまったが,さすが台湾の財力では問題なかったようだ.台湾の皆さんには3.11災害で,他国より飛び抜けて多額,紀念堂建設費相当くらいの義援金を贈ってもらった.ありがたいことだ.ガイドKさんによれば,以前,台湾地震で日本から支援金が届けられ,それをちゃんと覚えてますから,だそうで,実に義理堅く温かい人達だ.


蒋介石像と衛兵

蒋介石像と衛兵

記念堂最上階の大広間に蒋介石像が据えられ,傍らには衛兵が銃を持ち守っている.忠烈祠の衛兵同様,微動だにせず,瞬きもしない.大変な訓練をかいくぐってきた選ばれた男前の兵士だそうだ.実際間近で見ていても瞬きは見えなかった.ただ流石1時間くらいが限度だそうで,1時間毎に交代する.その交代式が観光客の目当てにもなっているも忠烈祠同様だ.

蒋介石像背後壁には蒋介石の三民主義(民族主義,民権主義,民生主義)に根ざすという政治思想,左から順に「科学」「民主」「倫理」の文字と,中国語なので読めないがそれらの理念若しくは解説らしき文が記されている.


中正記念堂資料館

中正記念堂資料館

蒋介石に関する様々な資料や物品が展示されている.日本の政治家,例えば吉田茂氏,佐藤栄作氏など会談した何人かの写真なども貼られている.


孫文と列車内で会う蒋介石

孫文と列車内で会う蒋介石

辛亥革命を起こし,「中国革命の父」と呼ばれる孫文(1866年~1925年)より,1887年生まれの蒋介石は21歳若いが,孫文の後継者として北伐を完遂し,中華民国の統一を果たして最高指導者となった.この列車で対面の絵は,まだとても若い蒋介石(左)が孫文と軍用列車内で出会い,会談する場面なのだそうである.

ところで蒋介石夫人宋美齢氏の姉宋慶齢氏は孫文夫人だったそうで,言わば蒋介石と孫文とは義兄弟の関係でもあったそうだ.なお,蒋介石はキリスト教徒の宋美齢と結婚するため,キリスト教に改宗し,前妻や多数いた愛人と別れたそうである.


蒋介石のキャデラック(古い方)

蒋介石のキャデラック(古い方)

1955年製という蒋介石総統専用のキャデラック(古い方).米国暮らしが長く,抗日戦でも米国と共に先頭に立ってアピールしたという前述の宋美齢夫人の好みもあったのでしょうか,もう一台も含めて車はキャデラックだったようだ.


蒋介石の執務室

蒋介石の執務室

当時の執務室を再現した調度品と人形.金日成,毛沢東,カストロなど国家を独裁的に支配した人達は押しなべて生涯軍服で通したイメージがあるが,蒋介石もやはりそうであったのであろうか?着ている服を見るとやはりそんな風であるが....


何れにしても,独裁政権で台湾の暗黒時代を作ったとされる見方も多い中で,この中正記念堂にはさぞかし反対の国民も多かろう.忠烈祠とはまた別の意味で,ここを外国人が観光で訪れるのはどうなのか?という意見もあろうし....


下は,中正記念堂の写真

中正記念堂の写真
中正記念堂の写真 中正記念堂の写真 中正記念堂の写真 中正記念堂の写真 中正記念堂の写真 中正記念堂の写真 中正記念堂の写真

龍山寺Longshan Temple

総統府前を通る

総統府前を通る

龍山寺への通りすがり,バシャバシャ雨も降っており単に通過しただけだが,これが台湾(中華民国)の総統府の建屋だそうだ.元々は日本統治時代の1919年の完成で,台湾総督府として利用されていたそうだ.太平洋戦争終結後,台湾へ進駐した中華民国政府が接収し総統府として使うようになったそうだ.

赤レンガに白いセメントが美しいし,日本統治の歴史があるに拘わらず再利用されているのが救いであろう.

龍山寺正殿

龍山寺正殿

台北の下町に相当するエリアに建てられ,市内最古の寺院だそうだ.国家古蹟であって,「四大外国人観光地」の一つでもあるそうだ.雨の平日なのに参拝者が詰め掛けている.

本尊は一応観世音菩薩(多分写真中央のガラスケース内)であるも,道教や儒教など様々な宗教も一緒になり,孔子や関帝,媽祖(下の写真)など,各種合わせて100以上もの神様が祀られているそうだ.一神教の世界から見ると異常であろうが,それ以外の多神教からすれば,若干多目ではあろうが驚くには及ばないであろうか.


線香を灯しお祈りの人々

線香を灯しお祈りの人々

前殿の後ろに正殿の前庭とお祈りの回廊が設けられている.正殿には観世音菩薩,他仏教系が祀ってあるので,その礼拝であろうか大勢の信徒が線香を灯し,祈りを捧げている.

大変人気の高い寺だそうで,老若男女いろいろな人が集っている.日本の寺社の正月三が日のような賑わいに見える.


媽祖神

媽祖神

宋代に実在した女性が神となったのが媽祖神だそうだ.顔立ちはいかにも女性らしく優しい感じだ.航海や漁など海の守護神として,福建省など中国大陸南の沿海部,台湾,マレーシアなどを中心に信仰を集めるようだ.日本にも横浜など幾つもの媽祖神神社があるそうだ.


後殿の媽祖神や関帝にお参りの人

後殿の媽祖神や関帝にお参りの人

後殿には媽祖神や関帝など主に道教系の神々が祀られているようだ.香炉の手前に供物を並べるテーブルがあり,ここに花や食物を並べ,線香を灯しお祈りしている.

供物は寺の前の道路辺りでも売っている人がいる.またお備えし,お祈りをした後は持ち帰っていい,いやそれが普通なようだが,寺側も処分に困らず良いだろう.


龍山寺前の通り

龍山寺前の通り

台北で最も古いエリアと言われる龍山寺近くの通り.少し先に淡水河という大きな河があり,越えたところに松山空港(国内線)がある.

古いエリアだが東京の古いところと比べれば然程でもない気がする.


下は,龍山寺の写真

龍山寺での眺め
龍山寺での眺め 龍山寺での眺め 龍山寺での眺め 龍山寺での眺め 龍山寺での眺め 龍山寺での眺め 龍山寺での眺め

台北の街city of Taipei

松江路のモンゴリアンBBQでランチ

松江路のモンゴリアンBBQでランチ

龍山寺見物の後,松江路のモンゴリアンレストランでバーベキューのランチとなった.皿に盛ったお肉や野菜をコックさんに渡すと,大きな丸い鉄板に載せて焼いてくれる.ビーフもマトンもキャベツもピーマンも....全てごっちゃごっちゃに混ぜて焼いてくれるので,何だかな~と思ったりする.最初から皿に分けておけばいいのか....

まあ,でも美味しかった.また既に出来上がった料理も選べるのだが,ウランバートル辺りと比べて中華風のものも色々あって気に入った.


林森北路の辺り

林森北路の辺り

ランチの後は時間があったので,長春路を西に歩き林森北路の辺りにやって来た.傘を差して歩いていると,通りがアーケードのようになっているところと屋根のないところが混じっているのがよく判る.

この辺りの百貨店,と書いてあるがスーパーマケット規模,に入って買い物をする.大まかに言って食品などは日本より安いと思う.また日本の食品ブランドも結構多いと思う.


中山北路二段辺り

中山北路二段辺り

さらに西に進むと中山北路二段という通りに出た.この通りは銀行だらけの印象だ.そしてそこを少し北に行き,西に折れると雙連站という地下鉄駅が見えた.


地下鉄に乗ってみる

地下鉄に乗ってみる

雙連站から豪爵大飯店最寄駅の中山国小までたった2駅であるが,その中間で乗換えがある.とりあえず写真の雙連站で20元(安い!)のトークンを買って,改札に入る.入るときは一見おもちゃ風丸いプラスチックトークンをカードリーダの上に翳すと,ゲートが開く.プラスチックの内部にはICチップが入っているようだ.

なお降りて出るときはトークンを投入口に入れると,トークンは回収され,ゲートが開く.


地下鉄車内

地下鉄車内

先ずシートが硬いプラスチック製であることに気付く.外国の電車ではよくあることだ.

博愛座と記された優先席の絵文字マークは,お年寄り,妊婦,けが人,赤ん坊連れ,と日本と同じである.ただ日本と違ってこのシートでふんぞり返っている若者など見かけないと云う話を聞いていたのだが,それはホントだった.モラルがちゃんとしているようである.本来それが当たり前と思うが.


下は,台北の街での写真

台北の街での写真
台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真
台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真 台北の街での写真

行天宮Xingtian Temple

翌朝は晴れる

翌朝は晴れる

さて,台北で2泊目の朝を迎えた.この日は行天宮を見物して台湾観光はおしまい,桃園空港から成田行きに乗って帰る日だ.晴れてもらいたかった前日まで降って,この日は皮肉にも晴れた.まあ,降るよりはましだが.写真は豪爵大飯店からも近く,行天宮の隣接する松江路の通りだが,明るくて清々しい.


行天宮前の歩道で植木の手入れ

行天宮前の歩道で植木の手入れ

晴れたので外の仕事には持って来いだ.バスで行天宮前に到着すると,同じ作務衣の人達が歩道の植木の手入れ中だった.どうやらここの植木は台北市ではなく,行天宮の管理のようだ.ただ一部の道路は専有するため,お巡りさんが傍で立ち会っているようだ.


行天宮正門

行天宮正門

台北で大変有名な関帝廟がこの行天宮なのだそうだ.ただし台湾道教の特徴である,他にも数人の神も同時に祀られているそうだ.多い日は一日二万人もの参拝者があるそうだからすごい.私たちのような遊山観光客も幾らか混じっている.

普通のサラリーマンから,主婦,商売人,ビジネスマン,経営者,学生....いろいろで,お参りすれば霊験あらたか,『お陰で事業成功した』と100万元単位で寄進する人も稀ではないそうだ.そのためこの行天宮の財政は極めて豊か,複数の病院,複数の図書館,学校....等々経営するに至っているそうだ.


行天宮参拝の人々

行天宮参拝の人々

お線香を翳してお祈りする作法は他の台湾寺社と同じだ.後ろに用意されたテーブルに置いた供物は普通持ち帰るという.庶民(多分)の供物は普通の袋入り菓子など,持ち帰って食べるに手頃なものが多い.

寺院には制服の社務担当員が参拝者を世話したり,講堂では宮司のような人が何かレクチャーしていたりする光景が見られる.繁盛しているだけに皆忙しそうだ.


下は,行天宮での写真

行天宮での写真
行天宮での写真 行天宮での写真 行天宮での写真 行天宮での写真 行天宮での写真 行天宮での写真 行天宮での写真

行天宮近くの占い通り

行天宮近くの占い通り

行天宮から反対側に抜ける松山路の地下道には占い師が軒を並べている.あたかも占い通りの趣だ.日本人観光客は上得意なのか,日本語できます,日本語OKとかの看板を掲げている.占い手法は手相,人相といったある程度医学的根拠があるかも知れないものから,筮竹のような殆ど確率問題のような類までいろいろ見える.

日本ではうちの近くの駅前で手相見など時々座っているが,ここは行天宮の直ぐ脇,何らかの関係ありそう...と思わせるのが手か?とか勘ぐったりしたくなる.

桃園から帰国

桃園に向かう

桃園に向かう

台北の観光が終わって,高速道路で桃園の国際空港に向かった.増設されたレーンの向うには圓山大飯店が見えている.以前泊まったとき,少し古かったが広く格調高かったように思う.

え~と,河は龍山寺の先を流れる淡水河かな?天気が良ければ同じ名前の淡水まで言ってみようかな~などと思っていたものだ.次来るときは行ってみたい気がする.


桃園から発つ

桃園の空港に着き,ガイドKさんとお別れした.ありがとうございました.ゲート近くのカフェで軽食をとりながら搭乗時間を待った.そして定刻になり,エバー航空BR-0196便に乗り込み,離陸した.

桃園国際空港桃園国際空港
桃園国際空港エバー航空BR-0196便機内食

BR-0196便機内では夕食を出して貰ってワインと共に美味しく頂く.成田には6:00PM定刻に到着した.皆さんに御暇し,京成と東京メトロで帰宅した.楽しかった.おしまい.



Cannergy'sホームへ