8日目:シヌワに下るgo down to Sinuwa

このシヌワ編では2010/3/4(木)アンナプルナBCを出発し,マチャプチャレBC,デオラリ,ヒマラヤ,ドバン,バンブーを経て,シヌワに下るまでの写真と記事を掲載した.

アンナプルナBCから下山開始go down from the Annapurna BC(4,130m)

ガンダルバチュリとマチャプチャレを眺め下山

ガンダルバチュリとマチャプチャレを眺め下山

2010/3/4(木)アンナプルナBCで3日目の朝を迎え,朝食の後ゆっくりと下山を開始した.谷あいのトレイルにはまだ陽が届かないが目指すマチャプチャレBCの上に聳えるガンダルバチュリとマチャプチャレ稜線のエッジが光っている.

トレイルは昨夕の僅かな積雪で白くきれいだ.踏み固められた場所をずれると膝近くまでぬかる場合もある.傾斜部で,下層が凍っており,ポーターSさんが2度ばかり転んでしまう場面もあった.

途中登ってくるトレッカー数人と出会った.多分マチャプチャレBCに宿泊し,早朝のアンナプルナBCの眺めを楽しむ人たちであろう.


下は,アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真

アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真
アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真 アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真 アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真 アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真 アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真 アンナプルナBCからマチャプチャレBCに下るときの写真

マチャプチャレBC辺りaround the Machhapuchhre base camp(3,720m)

マチャプチャレBC脇を通過

マチャプチャレBC脇を通過

1時間足らずでマチャプチャレBCに来た.4軒のロッジにはまだ陽が射しておらず,ひっそりと佇む.対照的に,背後にはグレーシャードームガンガプルナ(右),それに歩いてきた方向にはアンナプルナⅠが燦々と輝いている.


マチャプチャレBC近くの下り坂

マチャプチャレBC近くの下り坂

マチャプチャレBCを越えた辺りは急坂の表面が凍り,薄く新雪が覆い,滑り易い.ガイドGさんが,ポーターSさんの背中を背後から引きながら下る場面もあった.

マチャプチャレBCから下はまだ足跡が無かったが,暫く行くと登ってくるグループに出会った.まだ早い時間だったので次のデオラリで泊まっていたのであろうか.


下は,マチャプチャレBC辺りの眺め

マチャプチャレBC辺りの眺め
マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め
マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め マチャプチャレBC辺りの眺め

デオラリでお茶tea at Deorali(3,230m)

モディコーラに出る

モディコーラに出る

やがてトレイルはモディコーラ脇に下った.川原のトレイルに出ると,広々し,傾斜も緩やか,陽も高くなり,そろそろ強い光が射しそうだし,とても晴れがましい気分になる.

この辺りでは最初モディコーラ右岸のトレイルで,そのうち左岸に渡り,なぜか比較的雪の多いエリアを過ぎると再び右岸に戻る.この辺りは浅いU字谷なので下流で多く見られる吊り橋でなく,ごく簡単な短い橋が架かっている.


デオラリの茶屋では雪かき

デオラリの茶屋では雪かき

そのうちデオラリへの急坂にやってきた.上りではあるが凍っているため滑り易く,慎重に歩く.上り詰めるとデオラリに着いた.往きと同じ茶屋でお茶とした.

少なくともこの辺りまで昨夕降ったようだが,高々4~5cmの積雪であろうか.ただトタン屋根なので,温度が上がると雪崩となって落ちてきては厄介,と茶屋の主人は雪かきをしていた.雪もさることながら,人も滑り易いので気を付けてくださいね~


下は,デオラリの写真あれこれ

デオラリ辺りの眺め
デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め
デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め デオラリ辺りの眺め

ヒマラヤホテル辺りaround the Himalaya hotel(2,920m)

上に向かう韓国隊

上に向かう韓国隊

デオラリを過ぎ少し歩くと雪がなくなった.そして程なく洞窟のヒンク(Hinku)の辺りを過ぎた.やがて三々五々上ってくる大きなパーティと行き交う.“何とかかんとか...セヨ?”と声を掛けられる.外見と“セヨ”の語尾から,多分韓国の人たちであろうと,筆者の知る唯一の韓国語“カムサンハムニダ”を返す.頓珍漢な答えで苦笑されたが,精いっぱいの対応は理解して戴いたと思う.

老若男女入り混じり,楽々行く人から,かなりふうふうしながら遅れて登って行く人まで多彩だ.女性はマチャプチャレBCでのオランダ女性の指摘した装い,幅広帽子,マスク...に当てはまる人が多い.

ヒマラヤホテル

ヒマラヤホテルを通過

やがてヒマラヤホテルまで下った.11時ちょっと過ぎで,お昼にはちょっと早いか.天気も良く歩くに快適なのでここを通り過ぎることにした.


下は,ヒマラヤ辺りまでの写真

ヒマラヤホテル辺りまでの写真
ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真 ヒマラヤホテル辺りまでの写真

ドバンで昼食lunch at Dobhan(2,600m)

ドバンの茶屋

往きに泊まった茶屋

ヒマラヤホテルから暫く歩き,ドバンに到着した.12時半ころであったかな.この頃から例によってまた雲が出てきたようだ.ドバンでは多分ガイドに馴染みの,往きに泊まったときと同じ茶屋でお昼を食べることにした.まず間違いはなかろうカレーライスとした.ただし,ネパールの山のロッジでは殆ど肉はないのは残念だ.今回は確かガンドルンのロッジでチキンモモ(餃子)を食べのが最後だ.つまり,誰もがベジタリアンにならざるを得ない訳だ.


下は,ドバンに下るまでの写真

ドバンに下るまでの写真
ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真 ドバンに下るまでの写真

バンブーを過ぎるpass by Bamboo(2,310m)

バンブー

バンブー辺り

ドバンで昼食後再び歩き始めた.午後2時頃になるとバンブーの村に入った.ちょっと一休みするが,雲が全天を覆い,少し寒いのと,雨になるといやだな~と云う気持ちから先を急ぐことにした.


下は,バンブーの写真あれこれ

バンブー辺りの眺め
バンブー辺りの眺め バンブー辺りの眺め バンブー辺りの眺め バンブー辺りの眺め バンブー辺りの眺め

シヌワに到着get to Sinuwa(2,360m)

シヌワ(上の分村)に到着

シヌワ(上の分村)に到着

バンブーから暫く歩くとヤギを連れたおじさんに出会った.家畜がいるということはシヌワが近いのであろう.そこから暫く歩き,4時近くになってシヌワの村に入った.ここでもガイドGさん馴染み,往きでもお茶にしたSinuwa Lodgeに泊まることにした.

4時近くということは,これまでで一番長く歩いたようである.ただ下る一方なので,さほど疲れることはなかったようだ.空模様は華々しくなかったが,大分高度を下げたことだしとシャンプーと洗濯を行う.でも洗濯物はなかなか乾かなかった.


ネパールの人気女優スニタグルンさん

ネパールの人気女優スニタグルンさん

Sinuwa Lodgeのダイニングルーム壁にはこの若い女性のポスターがいっぱい.ここのロッジのお嬢さんで,ネパールでテレビや映画の人気女優スニタグルンさん(グルンは部族名なので,スニタが名前)だそうだ.注文したモモを運んできてくれたスニタさんのお母さんにミーハー根性で,「写真撮らせてもらっていいですか?」と言ったら,少しはにかみながらOKしてくれた.娘さんと違ってお母さんの方は撮影されるのにあまり慣れてないようだった.

スニタさんとは全然関係ないが韓国のペナントとかそういった類のものがあちこち,とても多く見られる.ここのロッジに限らず,どこのロッジでもだ.トレッカーの多いヨーロッパとか,同じ東アジアの日本,いや韓国以外のものは殆ど見ない.多分韓国の文化に根ざしたものなのだと思うが....正しい意義は理解できていない.


下は,シヌワでの写真

シヌワ辺りでの眺め
シヌワ辺りでの眺め シヌワ辺りでの眺め シヌワ辺りでの眺め シヌワ辺りでの眺め シヌワ辺りでの眺め シヌワ辺りでの眺め

この宿では筆者より数歳若いが半引退したという豪の男性と一緒になった.ネパールは今回が8回目で,アンナプルナサーキットを廻り,ここまで来たそうで歩き始めて3週間になるそうだ.ベジタリアンでネパールのダルバートは最高だ,と讃える.奥さん共々長い間ベジタリアンで,健康的理由が主で,動物を殺すことにも少し抵抗はあるようだ.インドのある宗教では虫を吸い込まないようにマスクをしているというが.....と訊いたら,「それはジャイナ教徒で,私はそれほどではなく,ミルクや卵は食べる」という.

問題はそれからだ,つまり筆者が日本人と知るや,“鯨は食べたことがあるか?”→最近こそ食べてないが,以前は食べた,と答える.反捕鯨の豪で,しかもベジタリアン,とても不可解という顔をされる.“捕鯨や反捕鯨活動をどう考えるか?”→太古から捕鯨は日本文化の一部,捉えた獲物は他国のように油脂だけでなく全部を使うし,....例えばシーシェパードの行為は私にとっては非常に不快,テロリズムに似ていると思う,と応える.ただ,世界の大勢がどうしても捕鯨禁止に動くのであれば,それも已む得ないのでは,と付け加える.これに対して,“鯨は大変インテリジェントな生き物だ.それに鯨は豪ではホイールウオッチングとして大きな観光資源だ.食べるより何ぼか大きな価値がある”ときた.これには豪で反捕鯨を力む大きな理由を垣間見た気もした.

それと,息子さんは大学のとき交換留学生として一年間日本での滞在経験があり,日本語は話すのみならず,書くこともできるという.コンピュータサイエンスが専門で,日本が好き,できればこの先日本で仕事を見つけて住みたい,とも言っているそうだ.と云うことで,ガチガチの反日,何が何でも反日という訳ではなく,賛成はしないまでも,他の意見もあることだけは認めるようである.ガイドGさんが傍でバフモモ(水牛肉の餃子)が好き,と述べたとき,“血液型によってはどうしても肉が必要みたいだ,それで何型?”とか言ってたし....

この後もいろいろ話し,穏やかに寝床に向かった.そして,翌朝また朝食を共にし,互いに“グッドラック”を交わし,無事反対方向へと旅立った.



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