12日目:ヒレへgo to Hille

このヒレへ編では2010/3/8(月)ゴラパニのロッジを出て,ゴラパニ本村,ナンゲタンティ,バンタンティ,ウレリ,ティルケドゥンガと下り,ヒレに到着するまでの写真と記事を掲載した.

ゴラパニ本村Ghorepani village

ゴラパニ本村

ゴラパニ本村を通る

ゴラパニのロッジを発ち,南へと下り始めた.程なくゴラパニの本村に着いた.ここは本来の,つまり昔からあったゴラパニの村だったそうで,朝まで滞在したロッジの多いところは見晴らしが良いため新たに作られた集落ということだ.本村にも意外と多くのロッジがあるが,客はあまり見当たらず,多分ハイシーズンにあぶれたトレッカーが泊まるのではなかろうか.


ゴラパニ本村石畳の道

林の中の広い石畳の道を下る

この辺り,石楠花などうっそうと茂る林をどんどん進む.道幅は広く,馬の街道といった趣か.ただここも石の階段が多く,結構膝には応えそうだ.

ナンゲタンティNangethanti(2,460m)

ナンゲタンティのチョータラ

ナンゲタンティ

ゴラパニから4,500mほど下るとナンゲタンティ辺りに至る.村外れのチョータラで荷物を下ろして休憩した.ナンゲ(Nange)は一昨日通ったナンゲダラ(Nangedanda)と同じ「裸の」の意味だという.確かに一部木はないが,適度に畑のようになっているように見える.なおタンティ(thanti)は定住地,集落の意味だそうだ.


下は,ナンゲタンティ辺りの写真あれこれ

ナンゲタンティ辺りの眺め
ナンゲタンティ辺りの眺め ナンゲタンティ辺りの眺め ナンゲタンティ辺りの眺め ナンゲタンティ辺りの眺め ナンゲタンティ辺りの眺め ナンゲタンティ辺りの眺め

バンタンティBanthanti(2,210m)

バンタンティの茶屋

バンタンティの茶屋

深い森を抜けるとバンタンティの集落に着く.開けた東側を眺めると大きな谷が流れている.川名不明であるが,下でモディコーラと交わるようだ.ここでお茶を啜っていると,数人のポーターが日本の旅行会社のマークが入ったダッフルバッグを担いで登っていった.

バンタンティの茶屋から暫く下ると,別の茶屋で一休みしている十数名の日本人トレッカーの方に出会った.ポカラからゴラパニ,タラパニを廻り,ポカラに戻るコースを歩くそうで,皆さん当然元気で張り切っておられた.これから石楠花も満開になろうし,いい旅になることでしょう.


下は,バンタンティ辺りの写真

バンタンティ辺りの眺め
バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め
バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め バンタンティ辺りの眺め

ウレリUlleri(2,120m)

ウレリのキリスト教会

ウレリのキリスト教会

バンタンティ辺りを過ぎると段々畑が多く見られ,また標高も下がるためバナナの木なども現れるようになる.やがてウレリの辺りに至る.道の脇に十字架を掲げた質素なキリスト教会があった.この辺りはマガール族が多く,大半は仏教徒とヒンドゥ教徒であるが,一部キリスト教徒もいるそうだ.

ポーターSさんはチェトリ族でヒンドゥの神と同名であるように元々はヒンドゥ教徒であったが,4年ほど前キリスト教に改宗したそうである.何でも,奥さんが病気で苦しんでいたのが改宗すると程なく回復したそうである.

後日,カトマンドゥ担当のBさん,深い田舎の出身だそうだ,が色々話してくれた中で,たまたまキリスト教への改宗について話してくれた.その中で,奥さんが病気で改宗し,癒える例は著しく多いらしい.キリスト教への勧誘は,アフガニスタンでのタリバン誘拐殺害事件の例で思い起こされるように,ネパールでもまた韓国からの宣教者が多いそうだ.改宗で教会から幾らかの経済的援助が得られのも近年改宗者が多い要因とも言っていたのも興味深い.

ウレリの茶屋

ウレリの茶屋

この辺りに来ると農家が多いので,チキンには不自由しないようだ.で,鳥インフルエンザはどうなったのか~?と,ふと思い出すが,チキンチャーハンを注文する.

茶屋で通りを眺めていると,大変珍しいことに日傘を差した女性が混じったグループが登っていった.後ろを行くポーターの人に訊ねたら,台湾のグループと教えてくれた.やはり東アジア系の人一般には陽射しを避ける傾向が強いようだ.


下は,ウレリ辺りの写真

ウレリ辺りの眺め
ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め
ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め ウレリ辺りの眺め

川原で水牛の解体をしていた(最後の写真)

ティルケドゥンガTirkedhunga(1,577m)

ウレリからさらに下るとティルケドゥンガに至る.標高は1,500m余で,ブーゲンビリアなど咲く熱帯の雰囲気になってくる.

ティルケドゥンガ辺りティルケドゥンガ辺り
ティルケドゥンガ辺りティルケドゥンガ辺り

ヒレに到着arrived at Hille(1,430m)

ヒレ

ヒレの畑

この辺りまで下ると広い畑が多くなり,野菜や穀類が多く栽培されている.また畑の面積に比例して農家の個数も多くなっているように見える.1時過ぎには到着したが,予定通り今日の歩きはここまで,今夜はここに一泊予定だ.


ヒレのスサマゲストハウス(Sushma Guest House)

スサマゲストハウス

ヒレではスサマゲストハウス(Sushma Guest House)の看板を掲げたロッジに泊まることになった.時間がいっぱいあるので通りを眺めたり,いっぱい話を伺ったりした.

先ずご家族はご主人奥さん,不在のご長男のお嫁さん(中央)と孫娘,長女で,グルン族一家だそうだ.ご主人は長いことグルカ兵としてインド軍に従事し,少し前に退役したそうである.カシミール,シムラーと云った紛争地帯やデリー勤務が長かったそうだ.不在のご長男もインド軍の傭兵として現在同じような地域で働き,1年に1,2度しか帰省できないそうである.勇猛なグルカ兵として知られるがやはり大変な訳だ.

スサマゲストハウスは建てて4年ほど経ち,スサマ(Sushm)はお嬢さんの名前だそうだ.実際ロッジは彼女が中心になって切り盛りしているようだった.まあ,兄嫁は子供の世話もあるし,長男はこの先も留守がちなので,一人娘に将来を託してロッジを建設したのであろうか.ご主人は元兵士の面影とか全く感じさせない温かい人柄に感じられた.

通りに面した小さな庭のベンチで眺めていると,お揃いの,あたかも金剛杖のように長い杖を携えたグループがばらばらに登っていった.まだ歩き始めて幾らでもないと思うが,シェルパに肩を抱えられて歩く人もいたりする.東アジア系の顔立ちであるがどこの人たちだろう?興味津々一人の方に訊いてみた,中国?韓国?台湾?...全部違った.マレーシアの人たちだそうだ.多分中国系であろう.さすがネパールでも代表的なトレッキングルート,いろいろな国の人が歩いていく.金剛杖はわざわざ国から送ったのであろうか?妙に気にかかるのだが.....


下は,ヒレでの写真

ヒレでの眺め
ヒレでの眺め ヒレでの眺め ヒレでの眺め ヒレでの眺め ヒレでの眺め ヒレでの眺め ヒレでの眺め

ヒレのロッジにて:YouTube(2分30秒)

動画でヒレのロッジで撮ってみた.


これで歩くのは明日一日残すのみとなった.早いものだ,この分だと明日もいい天気であろう.



Cannergy'sホームへ