このエンジェル滝キャンプへ編では,2015/2/5(木)朝サンタエレナのホテルから空港に行き,6人乗りセスナでエンジェルフォール上空を旋回後カナイマ空港に降り,着陸後一旦カンパメントホテルで休憩し,ボートでカラオ川,及びチュルン川をクルーズで遡り,エンジェルフォールキャンプに着いて,宿泊したときの写真を載せました.
さてこの日2015/2/5(木)は,サンタエレナ(20)からカナイマ国立公園を横切りカナイマ村(21)に飛び,ボートでカラオ川(22)と,チュルン川(23)を遡り,アウヤンテプイ(24)から流れ落ちるエンジェルフォール(26)の麓エンジェルフォールキャンプ(25)に至ったときの関連周辺マップを掲げた.
さて2015/2/5(木),サンタエレナのペトイホテルで朝が明けた.私たちはダイニングルームに集い,朝食を頂いた.ハム,チーズ,エッグのごく一般的な内容だ.
食後荷物をまとめて表に出た.サンタエレナの空はよく晴れていた.フライトキャンセルはまず心配なかろう(目的地は不明だが,少なくとも山ではないし).そしてDさん,Lさん,Wさん,U社長に車でサンタエレナ空港に送ってもらう.
車はサンタエレナ空港に到着した.Dさん,Lさん,Wさん,U社長お世話になりました.ありがとうございました.
サンタエレナ空港ビルは藁葺き屋根で,長閑さを演出している.特にここに到着した観光客は一気にリゾート気分に入れそうだ.
ボーディングゲートから駐機場を眺めると小型機,大方セスナ,だけが見える.多分滑走路の長さが短い小型機専用なのかも知れない.
ところでロライマ山トレッカーはこれまで見たところブラジルからの来客が多そうだが,陸路からが多いのであろうか.そして話が変わるが,取得したエイローカードであるが,少なくともマイアミからカラカス入国時,検疫でチェックされることはなかった(←せっかく取得したのに).で,サンタエレナ直ぐ先(20kmくらい)のブラジル国境から入る場合や,同国に抜ける場合には必要になるようだ.
サンタエレナ空港から,5人づつ3機のセスナに分乗し,飛び立った.パイロットはTシャツ1枚だからあまり高度は上がらないはずだ.プラスチックの窓には細かいクラックが入りキラキラしているのはちょっと残念だ.
着脱タイプのナビゲーター(写真中央)は,トレッキング用GPSを二回りほど大きくしたようなGarmin製で,へえ~こんなGPSも作ってるんだ~と思った.確かに,マップに位置や高度,方向などトレッキング用と基本機能的には大差ない筈だ.
サンタエレナを過ぎ暫くすると大きな森になった.これまで見たロライマ山近くのサバナでは,谷の流れの周辺ではこうした森が見られた.だがここは谷部のみならず,丘を含めて広大なエリアが森になっている.きっと地質や雨量が樹木に適しているのであろう.
小一時間飛んだであろう,エンジェルフォールの流れ落ちるアウヤンテプイの辺りに近づいた.100余り存在するテプイの中でアウヤンテプイは最大の大きさだという.
テプイの上はマクロ的にはやはり平らで,縁は垂直な崖から徐々に傾斜を緩めながら,平坦なサバナに連なり,微分係数でみると∞から0になるまで徐々に変化している.
パイロットはアウヤンテプイの上に入り,旋回してくれた.テプイの頂きは深いクレバスで区画された恰もミニテプイが並び凸凹だ.まあ,ロライマ山などと似ていよう.
そして遥か下には一条の川(写真左から上へ)が流れている.この日午後ボートで遡上する予定のチュルン川であろう.
パイロットはエンジェルフォールを十分に見せるため,谷あいに入り,旋回してくれた.
谷周辺は気流が不安定で,機体は相当揺れた.カメラをあちこちに向けるためシートベルトをゆるゆるにしておいたが,一度大きく降下したとき,天井に頭をぶつけた.セスナの天井は低い.なおパイロットがわざと急降下させたのではないと思う....ヘリではあったが.
幸運にもエンジェルフォールには雲がなく,全落差の区間,それに周囲までもがよく見えた.ちょうど中程には虹も架かっている.すばらしい!それにパイロットはあわやクラッシュか,と思わせるほど機体を近接させて喜ばせてくれた.
エンジェルフォール(Angel Falls)は落差979mで世界一という.この落差があるため落ちる水は途中で霧状になり,従って滝壺はないという.確かにこの写真で見ると下は霧状で,滝壺はなさそうだ.ただ翌日滝の真下を訪れるのだが,その霧が集まってさらにその下に流れるのだが,そこには滝壺状の池が形成され,グループの何人かの皆さんはそこで泳いでいた.
なお,ツアー申し込み時まで,エンジェルと付くからにはキリスト教の布教活動とかに由来,或いは端的に『天使の滝』と思っていたが,実は全く違った.1937年,夫人や関係者と共に金鉱山探索の飛行中にここを発見した米国人ジミーエンジェル(Jimmie Angel)氏に因むという.なおAngelのスペイン語読みはアンヘルで,地元ではアンヘル滝となるようだ.
で,この滝を発見したとき,エンジェル氏の飛行機はアウヤンテプイ頂きに着陸したそうだ(ヘリではないし,かなり大変だと思う).だがそこは酷い泥地で再離陸できず,一行4人は何とかアウヤンテプイから下れる場所を探り,11日間かけて下山したという.いや~そりゃスゴイですね~
ところで『発見』とはやはり征服者側のロジックで,先住民ペモン族には当然既知で,最奥の滝とかの名で呼ばれていたようだ.こうした例は,他にもマチュピチュなど,枚挙に暇がないかもしれないが....引っかかる.
エンジェルフォール遊覧が終わると目的地カナイマ空港に向かった.この辺りはロライマ山山麓の草原に似た景観,つまり殆ど草原で谷筋に沿って森林が覆っている.
そして草原には大きな川が流れている.着陸後クルーズ予定のカラオ川(Carrao river)のようで,こりゃ楽しみだ.
6人乗りセスナはカナイマ空港に到着した.滑走路からダートの駐機場に寄せ,荷物を運び出した.後続機も程なく到着し,この地域でのガイドJさんにお会いした.どうぞよろしく.
この空港はサンタエレナ空港より長い滑走路があるようで,セスナより少し大きな双発の機体も停まっていた.
カナイマ空港のこの建物には多分空港業務のオフィスに,コーヒーショップ,数軒の露店風お土産屋さんが入っているようだ.サンタエレナ空港ビルより一層ローカル色が演出されている.そして到着した,或いはここを去る観光客がとても多い.ここはきっとベネゼエラ有数の観光地なのであろう.
カナイマ空港ビルにこの方が居られた.ペモン族の伝統衣装を纏っているようだ.写真撮ってもいいですか?と訊いたら,このポーズをとってくれた.頭の羽飾りやネックレスなどからすると,下々の者ではなく,酋長クラスの大物を演じているように見える.そして現在この人の現職は....カナイマ村役場観光係長,と云ったところかな.なお赤い腰巻きに描かれた線画は,お土産品石のアクセサリーなどにも刻まれ,ペモン族伝統デザインのようだ.私も幾つか買い求めたが,安いながら味わいがあった.
ガイドJさんの案内で,トラックバスに乗り,カンパメントホテルに向かった.歩いても大した距離ではないが,トラックバスというところがワイルドリゾート気分を盛り上げる.
村入り口に,スペイン語,英語に並べて,『ようこそ』『歓迎光臨』の文字が記してあった.日本人と中国人も比較的多いのであろう.歓と臨の文字が簡体字であるところからすると,台湾ではなく,本土対象のようだ.
あっと言う間にカンパメントホテル(Campamento Venetur Canaima)に着いた.レセプションにはマヤ文字風アイキャッチャー(カウンター下)や3枚のポートレートが掲げてあった.2人は全く知らないが,左のチャベス前大統領だけは有名人なので見覚えがある.氏は1990年代末から政権に就き,途中政権を離れることがあったが返り咲き,2013年病没するまで大統領でいたようだ.大統領就任以来,革命家シモンボリバル (Simon Bolivar)の思想実現を目指した国家造りを目指したそうだ.同行のHさんに伺ったことだが,国名を長いベネズエラボリバル共和国に変え,通貨単位をボリバルフェルテBolivares Fuerte(BsF)に変えたはそのためだそうだ.氏は強烈な反米家で知られたが,こうして亡き後もポートレートが掲げられているのはきっと今も一定の支持があるのであろう.
この日カンパメントホテルに寄ったのは,ここでコーヒーを頂き,荷物を仕分けて一方をキャンプまで運び,他方をここに残し,預かってもらうためだ.今回のツアーは荷物の仕分けが多く,情けないことにその度に間違ったバッグに入れてしまう(涙).
なおこのホテルはカナイマ湖畔に沿ってコテージが並んでおり,明後日戻って一泊することになっている.
カンパメントホテルの近くに小ぢんまりしたキリスト教会があった.石を漆喰で固めたモザイク模様が美しい.森を離れ定住した先住民はキリスト教徒(多分カトリック)になった人が多いのであろう.
私たちはカナイマ村傍らのカナイマ湖先ボート乗り場にやってきた.この湖に流れ込むカラオ川(Carrao river)のクルージングに出かけるためだ.そしてライフジャケットを着け,2槽のボートに分乗した.
各ボートには3人のクルーが乗った.一人はエンジンとラダーを操作し,二人はパイロット並びに浅瀬で降りて腕力でボート操作したり,オールで操作したりする.
カナイマ湖はカラオ川から流れてきた水で形成されており,湖を少し行くとカラオ川に入っていった.この辺りは十分な水深があり,ヤマハ船外機は轟音を響かせ,船体は激しく飛沫を上げて疾走した.
なかなか快適なのだが,飛沫は予想外に強烈で,もち論カッパを着ていたのだが,露出部とともにあちこちの隙間からも水が掛かる.なかなか大変だ~
少し行くと右岸に上陸した.この辺りからは川底が浅くなり,乗船したままではボートが上れないそうだ.で,ここでは全員降りて,喫水を小さくして乗り切るそうだ.
ここは中洲との説明があったが,周囲を見渡すと普通の陸地ではないかな~と思えた.何れにしても上陸すると直ぐカッパを脱ぎ,樹の枝に掛け,そして写真のレストランでランチを頂戴した.
ここの辺りは川幅が広く,浅瀬の区間は相当長いそうだ.そしておよそ30分ほど歩くことになった.多分雨季の水量の多い時はボートで遡れるのではなかろうか.
水深が確保できるエリアになり,私たちは再び乗船した.実はこの先浅瀬での下船/乗船のシーンには幾度か出くわすことになる.
川底が赤いが,これは植物のタンニンが流れてきて,沈着したものだそうだ.害はなく,心配ないので泳いでも大丈夫ですよ~と説明があった.
空荷になったボートはものすごいスピードで船首を上げて浅瀬に突っ込み,ボート後部を川底に接触させながらも強引に遡る.船外機の推進力とボートの慣性をフル活用しているわけだ.まあすごいワザでほとほと感心させられた.
その後船頭さんは重量分布調整のため,乗客の体つきを見ながらシートの移動を指示する.重量分布調整は結構微妙なバランスが必要なようで,特に浅瀬エリアでは何度か繰り返された.
そして暫くは快適に進んだ.なかなか気持ちがいい.
改めてボートを眺めると丸太を繰り抜いて作った,いわゆる丸太舟だ.板厚は相当厚く,川底の岩とぶつかり合っても大丈夫なようになっている.この写真では1シート1人掛けだが,中間以降は2人掛けで,結構な幅があるのだが,素材になりそうな巨木は少なくとも遡上している川縁にはないようだ.もっと上流にそんな巨木が生えているのだろうか?それとも他所で製作し,ここに運んだのであろうか?ちゃんとガイドJさんに訊いておくべきだった.
それはそれとして,前方にテプイが見えて,次のチュルン川への分岐点が近くなってきた.実にいい眺めだ.
ボートはカラオ川にチュルン川が流れこむ合流店に至り,そしてボートはチュルン川方向に分岐した.チュルン川は当然カラオ川より小さく,浅瀬が多いようだ.
チュルン川は自然の川であるから,全川幅の中で比較的深い処も,浅い処もあり,また流れの方向や曲度も様々である.で,驚くべきは船頭さんは全川幅の中の何処を通過すれば遡上可能なのか,という最適解を知っていて,そのルートにボートを誘導することだ.誘導はヤマハ船外機のラダーだけで可能なこともあり,また舳先の船頭さんのオール捌きの手助けが必要な場合,はたまた2人の船頭さんが川に降りて,ボートを懸命に押すことが必要な場合がある.
また私たちが降りて,喫水を小さくしなくてはならないこともあるのは前述の通りだ.
さてそんな難所の一つに差し掛かった.ここは浅瀬の急流で,しかもその瀬の付近では流れが巻いている.そこで先ず,重量分布調整のシート移動を行い,下流からエンジン全開で突進した.そして船底を擦りながらも,何とか乗り越えた.だが渦巻く流れに舳先を奪われ,それが浅瀬に乗り上げた.こうなると船頭さんが舳先を押しながらエンジンを吹かしてボートの向きを変える以外に手がなく,二人の船頭さんが降り,鬼の形相で押してくれた.すみません,ありがとうございます.
浅瀬は船頭さんには大変だが,私たちは楽ちんで,スピードが適度に抑えられ,従って飛沫も掛からず,眺めも素晴らしいしとても快適だ.
テーブルマウンテンとも称されるテプイはこの写真のように平らではなく大きく凸凹しているのもある.まあ100余りもあるそうだから,いろいろなのがあろう.
川縁の明るい緑の草も美しい.雨季になれば水で覆われそうだが,水草の一種であろうか.なお水位は一晩で1m変化することも稀ではないそうで,雨季/乾季での変化はず~っと多いようだ.
ここは下船しないと通れそうもなく,皆で降りて歩く.先頭の赤シャツの子は,U社長からの信頼も厚いガイドJさんのお子さんで,ちょうど小学校が謝肉祭の休みで,同行しているそうだ.こうして小さい時から感覚を養い,水路を身体で覚えていくのであろう.
川縁の樹木を見ると,水位の変化が大きいせいであろうが,長い根っこが露出し,マングローブのようになっている.
水面にさざ波が立ち,いかにも浅瀬の急流を感じさせる.さて進めるかな~
船底は川底に接触している.だが客を降ろさず,船頭さんが渾身の力を込めて押して,また引いて乗り切ってくれた.ほんとに頭が下がります.
やがて進行方向にエンジェルフォールが見えてきた.少し距離があるので一条の流れはやや霞んで見えるが,皆一様に,わーっと歓声を上げる.乾季なので場合によっては最後まで行けないことがあると言われていただけに,ここまで来れて嬉しい.
ただこの直後,一槽の船外機が故障し,動けなくなった.幸いボートは喫水を小さくするため,二槽に分かれて乗船したが,皆が乗っても大丈夫なキャパシティだという.と云うわけで,皆が一槽に乗り移り,最終地点に向かった.ヤマハ船外機はフル回転で頻繁に川底に当たるなど,極めて過酷な稼働状況だった.まあ無理からぬことであろう.
私たちのボートは終点の船着場に到着し,直ぐ近くのエンジェルフォールキャンプに歩いた.到着した時はガスが架り,残念ながらエンジェルフォールは望めなくなっていた.まあ,明日になればまた見えるであろう.
エンジェルフォールキャンプでは,周囲を少し歩いたりしているうちに暗くなってきた.同じサイトで,右側に陣取った他グループではハンモックが吊られた.少しして私たちスタッフの皆さんもハンモックを張り始めてくれた.私たちのは白い蚊帳で覆われた特別なタイプだ.
ところでどうしてハンモックなのか?この辺りには少なくとも毒アリとか毒グモが棲息しており,普通の家の床にベッドだと,そいつらが這い上がってきて噛まれる危険が高いので,ということだ.この界隈で生活している人(つまり森に住む人か?)もハンモックが普通なのだそうだ.
サイトはすっかり暗くなった.調理場脇の焚き火では,ベネゼエラで最も一般的な食材チキンをローストしてくれていた.私たちはここでマシュマロを串にさし,火にかざして,甘くして口に放り込む.久しぶりだ,正に童心に帰ったひと時だった.
チキンが焼き上がり夕食となった.チキンとトマトと,あと何だったかな~暗くてよく見えない.それと確かビールは無かったように思う.まあ場所が場所だけにここでは無理であろう.
食事も済み,この日は終わりだ.さて,いよいよこの歳まで未経験,これが初めてとなるハンモックに入る.どうしてもエビのように背中が曲がるのと,頭の先に置いたプレーヤーとかヘッドランプが落ちてくる.少しハンモックに対して平行ではなく,斜に寝ればいいよ,とのアドバイスでそうしてみる.確かに改善した.そのうち9:00PMになり,灯りが消された.音楽を聴いていたが,なかなか眠れない....でもそのうち寝入った.