このトレック4日目:チルバサへ下る編ではタボバンで朝の散歩を行い,タボバンを下り,チルバサに戻るまでの写真と記事,および見かけた花を少し載せた.
トレック4日目の朝,アマルガンガ川を渡り丘を歩き,東の先でまた川を戻り,キャンプサイトに帰る散歩に出掛けた.
日の出から少しの間雲がなかったため見通しが利いた.メルー山はシブリンより高いが距離があるため必ずしも高くは見えない.それでもこうして陽が当たりコントラストが付くとそれなりに見応えがある.
なおキリマンジャロに登ったときに見えたタンザニアのメルー山(Mt.Meru:4562m)も同じ綴りであるが,それよりは大幅に高い.
1980年9月,飛騨山岳会(100年以上の歴史を有するそうです)が北峰に初登頂,続いて10月に別の日本隊が南峰に初登頂したそうである.以降多くの登山家が挑戦しているが,難しい山で,落命した人もおられるようだ.
シブリン峰の脇にアマルガンガ川源流があった.その近くはどうした訳か湿地帯になっている.まだ初夏の筈なのに一体いつ青くなるのか?今は枯れ草と成り果てた幹を伝って歩いた.
シブリン登山隊は普通この湿地の少し山側にテントを張るそうだ.多分ここで遭難し亡くなった人の慰霊板であろう,岩に貼られたプレートなども見られた.
マトリとヨゲスワルの位置を記してみた.マトリの背後にはここからは見えないが,ガンゴトリから見えたスダルサン(Sudarshan:6,507m)が控えているそうである.
なおこの2つに並んでいる他の山はいずれも無名峰のようである.右から2番目の白い峰などはかなりの高峰に見えるが.....
下は,タボバン巡りの散歩で撮った写真.実に快適,いい散歩だった.
さて,タボバン朝の散歩を終えていよいよ下山することになった.山岳ガイドSさんの判断で下りは難ルートのアマルガンガ右岸トレイルを通ることになった.冷たい川の渡渉はないが,下り始めると,脆いガレ場の連続で,しばしば落石が起こり,予想通りかなり危険なルートだ.
さらに下ると両側が崖の脆い稜線を通過する必要があった.何十年かの昔,腰を下ろし跨いで渡った戸隠山『蟻の戸渡り』を思い起こした.『蟻の戸渡り』は硬い岩だったが,ここは脆い土砂でしかも下り斜面であるのでとても怖かった.
2日前,ゴウムクでテントを張っていたグループが登ってくるのとすれ違い,挨拶を交わした.オレンジ色の袈裟は比較的年配の日本人とインド人,それに普通の服装の若い日本人のお弟子さん二人が同行していた.
この方々とは後にリシケシで偶然ホテルが同じで,再会することになった.一箇所に長めに留まるも,私たちと似たようなコースを辿るようである.いや,私たちが巡礼コースを歩いている,と云うほうが適切かな?
ゴウムクより上に登ったインド人一般巡礼者も当然のことながら下る.一般に軽装で,タボバンではテントを見かけなかったし,宿泊や食事はどうしていたのかな?とか思う.アシュラム若しくはそれに付属する宿泊所に泊まり,別途ポーターが運び上げた備蓄食料を食べるのであろうか?
下は,タボバンを下るときの写真.茶色い谷は土砂を被ったガンゴトリ氷河(←氷河には見えませんね)
ゴウムクまで下れば後は普通の巡礼道であるから何ら問題はなくなり,登ってくる巡礼者と行き交い,花など眺めながら気軽に歩く.
ちょっと高齢の方はこのように籠で登ってくる人もいる.多分馬よりず~っと楽であろうと思われる.
午後になって小雨がぱらつき始めたが,強くなる前に無事チルバサに到着することができた.良かった!
下は,チルバサに戻るまでの写真.色々なサドゥー(ババ)ファッションが興味深い.
よく出会うサドゥー(ババ)について,ガイドGさんにちょっと教えてもらった.
この日は下のような花を眺めながら下った.