このリシケシへ編では旅行2日目の行程,デリーを発ち,カトリ,ハリドワールを経て,リシケシまで辿ったときの写真と記事を掲載した.
ホテルを出発するに際して,インド人シェフと助手,ネパール人諸々世話役と顔合わせして,一緒にバスに乗り込んだ.
なお,次の宿泊地(ウッタルカシ)ではインド人登山ガイド,またその次の宿泊地(ガンゴトリ)ではネパール人ポーターの皆さんと会うことになる.
さて,デリーを出て街道を北へと進んだ.街道は車だけでなく,馬車やトラクタ,自転車,オートリクシャー(ミニ三輪自動車),人力車など色々行き交っている.トラックはタタ,小型車はマルチスズキが多いようだ.
なおデリーおよび近郊では新しい大きな空港とそこに繋がる地下鉄の建設工事中であちこち地面が掘り返されていた.地下鉄は前のページの丸の内線のように,全線地下でなく場所によって一部地上を走る方式となるそうだ.デリー地下鉄に殆ど関係ないが,私は地下より,地上を走る電車が好みだ.
途中,ガイドGさんが卒業したという大学の前を通り過ぎた.デリー北近郷は,東京圏で言えば,八王子のような感じで,大学がいっぱい在る地帯だそうである.なおGさんはまだ24歳と若く,弟さんと妹さんがいるそうだ.現在独身で,30歳くらいで所帯を持ちたいとも.
下は,リスなども見えるデリーのホテルとそこを発ってからの眺め
昼時カトリ(Khatauli)のレストランに着いた.大勢の家族客で賑わっていた.ここではチキンカレーを出された.ただ次のハリドワール以北はヒンドゥーの聖地に入るため,肉類や玉子,酒類は一切ご法度となるそうで,しっかりチキンを摂るよう促される.カナジーは肉食俗物なので,たとえそうした案内がなくても食べることは言うまでもない.ただどれも辛いのには少し堪える.
街道に沿っていろいろな露店や自転車やカートの小規模移動店舗が多く点在する.写真の野菜/果実売りは大きなさやのお化け豆のようなものを並べているが,はて何であろうか?
灼熱の陽射しの下,売り物が干からびないように時々水を掛けている.う~ん,この打ち水は不慣れな余所者にとって下痢の元凶のように感じられちょっと心配だね.
下は,カトリ辺りの写真あれこれ.この辺りの鉄道は単線で気動車が多いようである.
カトリで昼食後再びバスでハリドワールへと向かった.辺りはまだ平坦で,弱いながらエアコンが作動し,灼熱のインド路北上を助けてくれる.
バスは時々休憩をはさみ北上を続けた.畑でも大麻が栽培されているが,道端でも野草としてたくさん生えている.大麻が合法かどうか正確には判らないが,少なくともサドゥー(ヒンドゥー行者)はこれをガンジャ=神の草として嗜むそうであるし,麻薬扱いとはしない文化があるのではなかろうか.
なお,タバコを吸っている人は殆ど見かけないが,ガイドGさんによればこれは宗教上の制約ではなく,健康上の理由だそうである.ただ酒は,聖地へ連なるこのルートでは上述の如く宗教上の理由で特に強く制限されているようだ.
ハリドワールは『聖地への入り口』と云った意味だそうだ.ちょうどこの時期は巡礼の最盛期に当たるそうでガンガー(Ganga=ガンジス川)の畔は夥しい数の巡礼者で賑わっている.
異教徒から見るとガンガーは単なる濁った流れであるが,ヒンドゥー教徒にとっては聖なる川.ここで沐浴するのは大きな願いだ.ましてはこれから我々の向かうガンガー源流やシブリン山は圧倒的な聖地であって,イスラムで言えば世界中のモズレムが集うメッカに相当するようである.尤もイスラムに比べて,ヒンドゥーの広がりは少なく,ここインド(人口は多い),隣のネパール,バリ島(インドネシアの一つの島),およびバングラデシュ,スリランカの少し,などであるようだ.
ガンガーの畔では水を汲んで持ち帰るためのポリタンクがたくさん売られている.ガンガーの水はシヴァ神の身体を伝って流れ出て来た聖水とされ,また川自体も女神ガンガー/母なる川として崇拝の対象であるそうだ.ガンガー沿い各所には沐浴場(ガート)が設けられた聖地が点在し,ハリドワールは重要なその一つと云うわけだ.ガートでは水に頭までつかって罪を清め,また水を飲む.ポリタンクはここに来れなかった親類縁者へのお土産や自家用に持ち帰るためのものだ.ガイドGさんは時間があまりなかったため,大急ぎでズボンをめくり上げ,足をガンガーの聖水に浸し,頭に被せていた.あ~Gさん,やはりヒンドゥー教徒ですね.
下は,ハリドワールでの眺め
1968年頃,彼のビートルズ一行がヨガ修行のために滞在したことで知られると云うリシケシに向かった.ヨガを指導されたサドゥーはとても有名な方だったそうだ.帰国時の装束などがヒッピーに影響を与え,リシケシを世界的に有名にし(一面俗化し),またビートルズ自身はシタールなどインド音楽の要素を詩や曲に反映させたそうである.私たちのツアリーダTさんも,かつてここリシケシに永く滞在し,ヨガや横笛の修行に励んだが,残念ながら目立った成果を得ることはできなかった,と言われていた.謙遜かも知れないが,まあ容易ではないでしょうね.
さてバスは順調に進み,リシケシのホテルに到着した.リシケシはまだ標高340mの平地で,起伏なくバスのエアコンも大丈夫だった.ホテルはガンガーの流れを望む丘にあった.
夕刻ここから三輪のオートリクシャーに乗り,リシケシの街を横切りプジャ(Puja)見物のため会場へと向かった.
プジャは神への礼拝の一つで,信仰の実践方法だそうである.ここリシケシのプジャは司祭が音楽(録音)が演奏されるなか,写真のように火を振りかざし,信徒はそれを眺め,一部の人は灯籠流しを行う.終わると司祭が小さな粒状のお菓子を配ってくれて,私も頂戴して口に含むと甘かった.
日本の仏教で行われる護摩炊きなどの祈願/祈祷は,その源をインドのプジャに発するそうである.各地のプジャを見たことのある詳しい同行者に聞くと,プジャの流儀そのものは,場所ごとにかなりの差異があるそうである.すると日本の護摩炊きも同じカテゴリーに含めても不思議ではない気もする.また,後の寺院参拝など含めて観察するに,マナーとして,帽子は何ら問題ないが履物はだめで裸足になるのは必須のようである.
下は,リシケシの街やプジャ風景