スベイトラSbeitla

ケルアンからオリーブ林を見ながらローマ時代の植民地スベイトラ(ただし当時はSferulaと呼ばれたそうであるが)に向かうことになった.スベイトラの浴場,劇場など遺跡は主に3~4世紀に造られ,7世紀半ば,ビザンチン帝国もしくは東ローマ帝国のチュニジアでの最高責任者グレゴリーがアラブの侵略に対抗するためカルタゴからここに移ってきたそうだ.そしてここでコンスタンチンノープル(現イスタンブール)からの独立を宣言し自ら皇帝と名乗りこの地スベイトラに都を築いたそうな.しかしアラブ兵2万人の攻撃を受け,あっと言う間に壊滅し,都は廃墟と化し,ビザンチン時代が終焉した,ということだ.アラブから見ればビザンチンを侵略した最初の町であって,「スベイトラからアラブの時代が始まった」と言われ,歴史的にも重要な町ということになろう.

スベイトラへの道すがらway to Sbeitla

オリーブとサボテン

オリーブとサボテン

ケルアンからスベイトラの道中,バスの車窓からはオリーブ林とサボテンが目立つ.ただオリーブ林はビシーっと一面という感じではなくどちらかというと疎らである.オリーブとその加工品であるオリーブオイルはここで古くから産出し,それを目当てに上述の古代ローマ人はじめいろいろな侵略者に狙われてきたようである.サボテンの実はチュニジアで“フルーツの王様”と言われるという説もあり,旬であれば美味しいそうである.樹から実を1つもいで見たが,実の表面の所々に密生した微細な刺が刺さると大変である.老眼には細かすぎてよく見えないし一旦刺さるとなかなか抜くのが容易でないことがよく判った.扱うには革手袋のようなちゃんとした防具が必要であろう.

人形と土器

人形と土器

街道脇のお土産屋さんではこのような素朴な感じの人形と土器が並べて売られていた.どのような顧客がターゲットなのであろうか?土器は大きく実用一点張り的であるし,.....興味深い.


下は,スベイトラへの道すがらの光景

スベイトラへの道すがらの光景
スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景 スベイトラへの道すがらの光景

スベイトラSbeitla

スベイトラの古代ローマ劇場

劇場

基本的には半円錐形状のローマ劇場形式のようである.ただ深さは浅く,比較的小型の劇場だったように見える.子供たちは入場無料なのか格好の遊び場でここにもそこにも遊ぶ姿が見られる.


古代ローマ大浴場跡

大浴場跡

たしか正面の穴の辺りで燃焼させたとか.....?はっきりと思い出せない.何にしてもローマ人は昔から風呂好きで知られる.ロンドン西方のbath市のローマ風呂は征服したローマ人が建設したと聞くし,トルコのエフェソスとか,とにかくローマ人が足跡を残したところに風呂は付きものだ.50haの地に最盛期には1万人以上の人が住んだそうでさぞかしお風呂も繁盛したであろう.


アントニウスピウスの門

アントニウスピウスの門(Porte d’Antonin)

フォーラムの入り口にあり,139年皇帝アントニウスピウスとその2人の息子に捧げる目的で建てられたという門.


古代ローマ神殿群

神殿群

この辺りはフォーラムと称され,そこの奥まった所には,左からミネルバ,ジュピター,ジュノの各神殿が並んでいる.石柱の頂部や,礎部分はいかにも古代ローマ的な様式で刻まれている. 神殿の背面に廻ると,これまた重厚な石造りで,いかに神殿が重要であったかを思い起こさせるようだ.


古代ローマ風呂

ここもお風呂

こっちはプライベートなお風呂だった(と思う).遺跡はカルタゴの後にこの地に造られたローマビザンチン時代のものではあるが,きっとフェニキア人の伝統を採り入れたのであろう,浴槽のモザイクや,床のモザイクがなかなか美しい.


礼拝所跡

礼拝所跡

たしかこの辺りには教会があって,看板を拡大すると「何とかかんとかchaplle」のように書いてあるので礼拝所であったのだろうか.

それにしても今日は風の強い日であった.まるで台風並だった.でも青空でよかった.


下は,スベイトラの写真

スベイトラの写真
スベイトラの写真 スベイトラの写真 スベイトラの写真 スベイトラの写真 スベイトラの写真 スベイトラの写真 スベイトラの写真
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