麗江Lijiang

成田から広州へ飛び,ここで一泊し,翌朝昆明経由で麗江へ向かった.

広州へFly to Guangzhou

広州の夜景/Guangzhou

広州のホテルに夜到着

広州の広い空港に降り立ち,バスに乗り,途中レストランで広州料理の夕食を済ませて,華厦大酒店(Hotel Landmark)に落ち着いた.22階の部屋で街の夜景が良く見えた.18年前に訪れた時の印象とは随分異なり,高い建物が随分多い.ただ補修工事の足場か,キーキー夜通し煩かった.


下は,日本アルプス上空,広州のホテル窓景,そのレストラン,前庭早朝風景など

広州での眺め
広州での眺め 広州での眺め 広州での眺め 広州での眺め 広州での眺め 広州での眺め 広州での眺め

昆明経由麗江へFly to Lijiang via Kunming

朝の広州空港

朝の広州空港

正式名は広州白雲国際空港.北京国際空港,上海浦東国際空港に並ぶ三大空港の一つ.現在も拡張工事中で,3本の滑走路が,2009年には5本になるそうだ.目の前で中国の若者が大きなカップラーメンを美味しそうに食べていた.この空港のレストランは,テナント料が高いためか,しばしば市中レストランの相場の10倍もすることがあるそうで,そう聞けばカップ麺が好まれるのも納得できる.なお,狭かった旧空港は宿泊した華厦大酒店の傍で,今は閉鎖されたようである.

中国南方航空CZ-3478便は昆明中継

一旦昆明で降りる

中国南方航空CZ-3478便は昆明中継である.なぜか中国では,その先まで行く客も一旦全員降ろされることが多いように思う.これは国際線の場合もそうだ.また,国内線でも搭乗手続きにパスポートの提示が求められるが,これは他国でもあるかも知れない.


麗江空港に到着

麗江空港に到着

さて昆明で再び中国南方航空機に乗り,麗江に到着した.幸い天気がいい.出口広場には名前札を掲げた出迎えの人が待機している.背後の看板には「2006年11月8日:雲南移動客戸超越一千万....」と掲げられている.観光客が1000万人を超えた,ということかな?


下は,広州白雲国際空港,昆明空港での写真

広州白雲国際空港,昆明空港での写真
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麗江市街City of Lijiang

麗江市街

玉龍雪山

麗江の街に着くと玉龍雪山が見えてくる.もう少し雪が多い方が見応えがあるであろうが,まあやむを得まい.右が麗江での宿泊ホテル官房酒店(GuanFang Hotel)だ.何でも江沢民前主席も泊まったことがあるそうで,眺めが良さそうだ.


展望レストランから眺めた玉龍雪山

展望レストランから

官房酒店最上階の回転レストランで昼食をとり,麗江の街並みを眺めた.中国の他の都市と同じように立派な道路だ.中国では都市計画で立ち退きの勧告が来て,6ヶ月以内に出ていかないとブルドーザーが来て,強制的に更地にしてしまうそうだ.まあ,一党支配のお国柄であるが,何十年たっても曲がった滑走路の首都空港を備える国もどうかと思うし.....


焼きトウモロコシの屋台

焼きトウモロコシ

トウモロコシは偉大だ!日本でも焼きトウモロコシの屋台があるし,ここでも同じようである.イスラム圏でも焼きトウモロコシの屋台があるし,アメリカ辺りではよくポップコーンの屋台を見かけるし.....やはりトウモロコシは歩きながら食べるのにピッタリな食材なのだ.


下は,市街の写真

麗江市街
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黒龍澤公園Black Dragon Pool Park

黒龍澤公園大門牌楼/Black Dragon Pool Park

黒龍澤公園大門牌楼(黒龍澤公園の入り口)

黒龍澤(こくりゅうたん)公園は玉泉公園(Jade Spring Park 若しくは Yuquan Park)とも呼ばれるようである.黒龍潭という大きな池が名前の由来のようである.一方玉泉公園の別名は,池の水が玉のように碧いことから命名されたようである.入り口で貰ったパンフレットに依れば,清朝の乾隆2年(1737年)に建設が始まったようである.景観は中華民族の「天人和一(人類と自然との調和)」思想が盛り込まれているそうだ.


五孔橋と五鳳楼

五孔橋と五鳳楼

橋は1966年に作られたそうだ.円弧状の路面は実用面では必ずしも理想的とは言えないであろうが,異なるサイズの孔と共に湖面に映る形が美しい.

一方塔は,確か五鳳楼だったと思うが,似たような建物が多いし.....100%確信はない.仮にこれが五鳳楼であれば,明代の創建で法雲閣とも呼ばれるそうで,高さ20mあり,弓状に反り上がる屋根が鳳凰の飛び立つ姿を連想させる,とは言っても中国でこのスタイルはごく一般的ではあるように見えるが.....楼閣の欄干にナシ族の東巴(トンパ)文字が書かれているそうで,これが他の地域の建築との最大の差異ではなかろうか.

日向で麻雀に興じる人々

麻雀

園内の日向で麻雀に興じる人々の姿が見える.一般に賭け事が好きな中国の人々の生活を垣間見るようで面白い.多くは男どもであるが,この写真のようにもちろん女性でも楽しむ人はそれなりに存在する.麗江では男は遊ぶ,つまり学問とか大きな事業を成すまでは麻雀などで遊んでいればいい,というありがたい文化があるそうだ.必ずしも自発的とは言えないかもしれないイスラム文化とちょっぴり共通点があるような.....

竜神祠

竜神祠

確か竜神様だったと思う.竜神の怒りを鎮め,雨を願うためのナシ族の神社だ.両側の柱や壁にトンパ文字が記されている.これも大門牌楼と同じように清朝の乾隆2年(1737年)に建設されたようである.


下は,黒龍澤公園の写真

黒龍澤公園の写真
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東巴(トンパ)文字

東巴(トンパ)文字

チベット東部と雲南省北部に住むナシ族に伝わる象形文字.1400の文字で構成され,現在世界で唯一「生きた象形文字」とされるそうである.眺めると,概念が抽象化され,それが象形化され,それがかなり写実的で複雑,といった印象を受ける.もちろん「日」のように,古い漢字書体である甲骨文と似たものや,説明を聞けば比較的容易に理解できる(ただし筆者にとってはその場限りで,記憶には留まらないが)ものもある.世界の文字の中でも唯一色によって意味を変えうる文字でもあるそうだ.例えば黄色にお金や金持ちの意を含め,既存の文字に色をつけて字の意味を拡張していくのだそうである.なかなか興味深い文字であるが,ナシ族のごく一部の人しか使えないのは少し残念な気がする.

ナシ族の司祭

ナシ族の司祭

ナシ族でもトンパ文字を解するのはごく一部の人,古代ナシ族の宗教典籍「東巴経」を読むことができる司祭や学者に限られるそうである.写真の方は,お土産物を並べた建物の一画にこの日特別に出張してこられたそうで,東巴経の司祭ではなかろうか.まあ,この日はセールスマンとして働いていた訳だ.北京の紫禁城で清朝末裔の方が書を認めて,販売しているのと似た事情であろう.耐久性が高いトンパ紙にトンパ文字が記された色紙を家内が買い上げると,漢字の名前をトンパ文字で書き加えてくれた.基本的には漢字と同様表意文字なので,文字変換が容易なのであろう.なおここ麗江のトンパ文化研究所には日本から訪れている研究者も結構多いそうである.


下は,東巴(トンパ)文字あれこれ

東巴(トンパ)文字
東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字 東巴(トンパ)文字

麗江古城Old Town of Lijiang

麗江古城入り口の1つ

麗江古城入り口の1つ

中国語で城は街,従って麗江古城は麗江の旧市街ということになる.どのくらい古いかと言うと,南宋(1127~1279年)時代から作られたそうで,現在は明代の民家が約千軒あり,納西(ナシ)族中心の街だ.


三眼井(three-mouth well)

三眼井(three-mouth well)

井戸が3つに分割され, 上流から飲み水用,野菜洗い用,洗濯用にそれぞれ供される.水を有効に活用するための知恵だ.井戸は所定エリア毎に掘られているようで,それぞれ固有の名前が付けられ,たくさんあるようである.縦横に入り組んでいるこの給水システムは今も重要な役割を果たしているのは間違いない.


ナシ(納西)族の民家(House of Naxi family)

ナシ(納西)族の民家(House of Naxi family)

木造二階建て,黒い瓦葺きが基本的な構造のようだ.釘を一本も使わない独特の工法だそうで,本格日本建築工法とその点同じようだ.使われている木材を見渡すと実に立派で,永続的に木材が調達できれば理想的な建築かも知れない.


下は,麗江古城の写真(1)

麗江古城の写真(1)
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麗江古城の写真 麗江古城の写真 麗江古城の写真 麗江古城の写真 麗江古城の写真 麗江古城の写真 麗江古城の写真

木府 (Mufu palace)

木府 (Mufu palace)

オリジナルの木府は,その昔麗江の土司(土地の少数民族の指導者に皇帝が与えた世襲の官職だそうだ)であった木氏の役所で,元代(1271年―1368年)の建物.清代以降,最近では文化大革命などで,建物は何度も破壊されたそうだ.また1996年,雲南省を大きな地震が襲い,そのとき被害を蒙った部分もあろうか,現在の建物は1998年再建されたものだそうで,博物院として使われているようだ.木府の敷地面積は約3ヘクタール,中には入らなかったが,162の部屋があるそうだ.木氏はかつて朱氏に仕えており,極めて優秀だったため,「朱」の文字の上の部分を取り払った「木」という姓をもらったとか何とか.....

麗江の茶屋

茶屋

麗江の都が造られたのは宋代末から元代初期,13世紀末頃だそうだ.当時ナシ族の言葉で「イクディ」などと呼ばれていたそうで,イクディとは近くを流れる金沙江(この後訪れる)の後背地,といった意味だそうだ.また米の集散地として,麗江は相当な規模の都となり,雲南,四川,チベット一帯の交通の要衝,物資の集散地として栄えたようである.また一時期,インドからチベット,雲南に向かう隊商の通路となり,主に茶の取引きでも重要な役割を果たしたそうである.このルートは「茶馬古道」とも呼ばれるのだそうだ.写真の茶屋はそんなお茶取り引きの老舗であろうか.なお店先のお茶は,写真のように丸く,かちんかちんに固められたタイプの茶,多分十分に発酵させた茶であろう,が多いようだった.

四方街(Square Street/Sifangjie)

四方街(Square Street/Sifangjie)

四方街は麗江古城の中心部に位置しているようだ.ここに広場があり,見渡すと1階部分がお店で,2階がホテルになっている建物が幾つも建っている.四方街を中心として,道が周囲へ向かって放射状に連なっているようだ.こういった形はヨーロッパにも多いと思うし,結構普遍的な都市の形態であろうか.路地を含む道が石畳で舗装されているのも中世ヨーロッパのようであって,日本の道とかとは異にするのが興味深い.また太鼓橋など橋の多くは石製で,いずれも小さなものであるが,その数は300にも達するそうである.

ヤク(もう牛)肉店

ヤク肉店

牛偏に毛は日本には無い漢字で,これに牛を連ねた「もう牛」はヤクのことだそうだ.ヤクは牛科の家畜で高地に強いそうだ.ネパールのシェルパ族や,四川省のチベット族などにとって,日本人の米のような基本的な存在,のように感じる.そんなヤク肉のお店が幾つか軒を並べていた.干し肉が多いようである.エベレスト街道で何回か食べたヤクステーキを思い浮かべるも,美味しい中華料理がふんだんに味わえる地にあっては食してみようと云う気にはあまりならないが....


さらに麗江古城の写真(2)

麗江古城の写真(2)
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丘から眺めた麗江古城

麗江古城を丘から眺める

万古楼に至る途中の丘から麗江古城を眺めると,黒い屋根がびっしりと並んでいる様子がよく見える.民家の造りは(あまりよく判ってないが)「三坊一照壁・四合五天井」と言われるそうだ.麗江は海抜2400mに位置し,面積は3.8平方km,6200世帯で人口は25,000人,その内少数民族ナシ族の人口が60%と最多を占めるそうである.住民は銅や銀の工芸品,毛皮や皮革,紡績,醸造業など手工業と商業に従事している人が多いようだ.観光客も多いので,多分今は観光事業に就いている人も多いであろう.

上から眺めた木府

上から眺めた木府

周囲の建物に比べて一際大きな建物から成る木府.一般に城や街は城壁で囲むことが多かろうが,ここ麗江では木府も古城も囲いが見当たらない.「木が囲まれると『困』るになるから」と,木氏が言ったとか......


万古楼(Wangu tower)

万古楼(Wangu tower)

古城西の丘,獅子山と呼ばれるようだ,の上に五重塔「万古楼」が建っていた.高さ33mあるそうだ.境内の功徳箱と記された箱は賽銭箱であろうか?その右に並ぶ箱には「佛」と書かれている.よって万古楼は少なくとも仏教には縁がありそうだ.ただ,仏教そのものも一神教ではないし,インド,アジア地域で一般的な多種多様な神々を祀った寺で仏陀もその中の一つなのかも知れない.


もっと麗江古城の写真(3)

麗江古城の写真(3)
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下段左端の写真のようにこの街では女性,特に年配の方,は伝統的衣装で,観光客に対するサービスに積極的だと感じた.ちょっとユニークなスカートと,これまた独特なたすき掛けベルトのショール(?)を羽織っていることが人目を呼ぶ.筆者にとって特に目立つのは,ショールの背中の7個のコード付き円形模様である.どうしても心電図の吸着プローブを連想してしまうのだ.これはどうやら「七星」と呼ばれるもののようで,日,月,星のアイコンで,ナシ族女性たちの賢さと勤勉さを象徴するのだとあるサイトに記されていた.

なお,麗江古城は,1997年,『麗江古城』(Old Town of Lijiang)として,ユネスコ世界遺産世界遺産ロゴ(文化遺産)に登録されている.



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