梅里雪山Meili Xueshan

前ページの飛来寺地区から眺めた梅里雪山の何枚かを並べてみた.地図で見ると,梅里雪山の辺りはヒマラヤ山脈東端から,さらに東に少し離れて位置している.5,000万年前,ユーラシア大陸とインド亜大陸が衝突し,東西に連なる山脈としてヒマラヤ山脈が隆起したそうである.一方その東縁にある横断山脈,つまりここ梅里雪山辺りでは,ヒマラヤと直行する力を受け,深い襞,つまり南北に連なる複数の山脈と峡谷が形成されたのだそうだ.山脈は梅里雪山などで,峡谷は三江併流の金沙江,怒江(サルウィン川),瀾滄江(メコン川)などということになろう.

飛来寺地区から梅里雪山を望む

飛来寺地区から梅里雪山を望む

梅里雪山(主峰はカワカブ/6,740m)はチベット仏教,特にカキュ派にとっては修行するための聖地だそうだ.死後無事に天国に行けるようにと,地元雲南をはじめ,チベット,青海省,四川省などから多くの教徒が巡礼にやって来るそうだ.

梅里雪山主峰カワカブは,1987年,日本登山隊によって登頂が試みられたが,氷河を突破できず失敗に終わったという.続いて,1989年~1996年にかけて幾度か,京大山岳会,中国登山協会,雲南省体育運動委員会の合同登山隊が本格的な登山を試みたが,いずれも登頂できなかったそうである.その中で,2度目の1991年1月の登山で,雪崩により17人(日本人11人,中国人6人)が遭難するという大惨事が起きたという.誰1人帰らなかったため正確な遭難原因が不明であったが,主稜線付近から発生した巨大な乾雪表層雪崩が,テントとともに埋没させたのではないかと推察されたそうである.

1998年7月になって,この辺りの村人によって遭難した登山隊員の遺体,テントや登山用具などの遺品が発見された.発見現場は,今回のハイキングで訪れた明永氷河の標高3,700m付近であるそうだ.尤も我々が登ったのは正確には分からないがこれより大分低い所までだが.発見後,直ちに日中合同の収容隊が派遣され,6人の遺体と遺品を収容したそうだ.ピッケルなどの金属類が折れ,遺体の多くは寝袋に入っていたため,17人は就寝中に雪崩に埋められたことが明らかになったそうである.この登山隊員の慰霊碑については前ページに記したように残念なことになっている.

この日中合同登山隊以外にも,これまでイギリス,アメリカ,中国などの国家登山隊が幾度かカワカブ登頂を試みたが,絶壁と複雑な氷河地形に阻まれ,まだだれも成功していないそうである.前述のようにチベット仏教の聖地であるため,容易に入山許可が得られないのもまだ未踏峰である要因かも知れない,聖地はやはりそうあるべきとも個人的には思ったりもする.

夕陽の梅里雪山

夕陽の梅里雪山

左端の主峰カワカブに雲が架かっているのが残念だが,まあ夕陽を浴びる雪山はやはり美しい.1月は一番雲が取れて見える確率が高い統計があり,足掛け2泊3日滞在すればいずれかのタイミングで完全に雲が切れるかとも思っていたが,やはりそう簡単に問屋は卸してくれなかった.

宿泊した飛来寺地区の南か扎西酒店(Nanka Hotel:「か」の漢字は「上」と「下」を組み合わせた文字)は,前年10月新築開業,という触れ込みであったが,窓やドアの建て付けはかなり大雑把で,閉め切っていても冷たい隙間風が部屋を突き抜けて行くのだった.また夜中に2,3回停電し,その度にエアコンが停止し,湿らせたタオルでドアと窓とを目貼りすると,明け方にはそれが凍っているのだった.それでも部屋から梅里雪山を望むことができ,また上階には専用の展望室もあったので,まあ良しとしようか.


下は,梅里雪山の写真

梅里雪山の写真
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