このサハマ編では,2015/5/31(日)ラパスのホテルを発って,街道を南下し,サハマ国立公園に入りトマラピ村に到着,そこで昼食後サハマ展望ハイクに出かけたときの写真にキャプションを添えて載せました.
この日はラパス4から南下しサハマ山9麓の村トマラピ10に進み,ここでサハマ山展望ハイキングだ.
赤い線がGPSロガーの記録したこの日のトラック.サハマ国立公園に入るまではきれいな舗装道路であった.
2泊したカサグランデホテルを出発した.今日の車のドライバーはCeさんで,ガイドPさんの近い親戚だそうである.顔はやはり幾らか似ている.どうぞよろしく.ラパスすり鉢の北側はこれまで数回通過したが,今回は南側の縁に出るようだ.
少ししてラパスすり鉢の南縁に出た.市内の方向には激しい凹凸のエリアが展開されている.やはり脆そうな岩石に見える.
少し行くとラパスすり鉢の外に出た.起伏はなくなり,海抜4,000m弱程度になった.エルアルトのように大きな街ではないが,やはりラパスのベッドタウン的小さな街があり,通過した.建設中の建物が目立つ.
ラパス周辺の街を抜けると荒野に入っていった.概ね海抜4,000m前後,緩やかな起伏のとてもいい道だ.道の周囲は荒れ地で畑は少ないようだ.リャマなどの家畜も時々見える程度で多くはない.
所々に小さな集落がある.リャマなどの放牧を生業として家庭が多いので,多くの戸数が集積した村は形成され難いのであろう.農家は大体日干し煉瓦(アドベ)の平屋造りに藁屋根若しくはトタン屋根が多い.
街道沿いの集落の前に人が集まっている.バス停だと思われる.街道沿いに住んでいればまだいいが,離れた住まいだとバス乗り場までが大変だ.日本も同じだがやはり個人個人の車がないと生活は大変そうだ.
お手洗いのあるコンビニで休憩することになった.BMWの立派なバイクのお兄さんも寄っている.お手洗いがなかなか無いのは,こうしたワイルド地帯のツアーでは普通で,ドライバーさんが苦労して探してくれる.この先は一層なくなる筈だ.
コンビニは日用品や食べ物,土地のお土産などに加え,写真のように骸骨のようなちょっと薄気味悪いものも扱っている.ラパスのサガルナガ通りにあったリャマ胎児やアルマジロのミイラなどと同じように土着信仰の祭事,呪術に用いられるのであろうか?多分そうであろう.
コンビニ中庭の壁はなかなか可愛らしい装飾が施されている.やはり気味悪いものよりこちらがいいのでは.....
コンビニから少し進んだガソリンスタンドで給油した.ガソリンスタンドはこの先疎らで,しかも休業のケースもよくあるそうだ.そのため補給には大変神経質になっており,満タンはもち論のこと,屋根に載せたポリタンクも常時いっぱいにして運んでいる.
このGSの壁にはマリア様とキリスト像がはめ込んであった.マリア様信仰は元宗主国スペインはじめカトリックの国ではかなり普遍的なことなのであろう.
GS近くで4台のランクル中1台が釘でパンクしたそうだ.幸いこの街に修理店があり,そこで直ぐにタイヤ交換してもらうことができた.それにしても釘が落ちているなんて.....
修理店の近くに半ば露店,それにしては少し大きいお店が営業している.食料を扱っているようだ.ボリビアは露店が多い印象だ.まあ,概して途上国は多いであろうが.
さらに南下を続けるとサハマ山(Mt.Sajama:6,542m)が先方に見えてきた.ボリビア最高峰で,周囲は国立公園に指定されている.
サハマ山はチリとの国境に近く,ボリビア側のサハマ国立公園(Sajama national park)は国境まで続き,一方チリ側もラウカ国立公園(Lauca national park)として保護されているようだ.
なおチリと国境を接するこの辺りは既にアタカマ高地(Atacama highland)のエリアに入ったのではないだろうか.
標高は4,000m前後でラパスとさしたる違いはないがこの辺りは赤土が多くなってきたように見える.住居のアドベも赤みが増したようだ.家畜はやはりリャマが圧倒的に多い.
サハマ国立公園に近づく頃,このような日干しレンガ製の大きな直方体が数カ所で見えた.下部に穴が見えるが内部は空洞らしい.文字が無いので多くは解らないがプレインカ時代の造りで,当時の有力者のお墓と見られているそうだ.それにしても日干しレンガは長い年月持つものですね.
さらに進むとサハマの右側にパリナコータ(Parinacota:6,342m/左)とポメラペ(Pomerape:6,282m/右)が見えてきた.今は静かだがどちらも火山のようだ.特にパリナコータは軸対称に近い端正な姿が特徴的だ.
ところでこの2山は見る場所によってロケーションが左右反転して見えるような気がするのだが.....?気を付けねば.
殆ど乾燥しきったように思えるアタカマ高地であるが,写真のように珍しく湿地のようなエリアも存在する.こうした場所は家畜の育成にぴったりなようで,写真のようにリャマなどが大量に群れている.きっと水だけでなく草も豊かなのであろう.
街道を逸れ,ダートの脇道に入った.そして程なく写真のサハマ国立公園と記した建物が目に入った.公園管理事務所であろうか,ただ特段の手続きを要するなどなくそのまま進行を続けた.ともあれこれでサハマ国立公園に入ったのであろう.
国立公園入り口から暫く走りトマラピ村のロッジ,アルベルクトマラピ(Lodge Albergue Tomarapi)に到着した.村と言ってもこのロッジ以外の建物は非常に少ないようだ.
ロッジは日干し煉瓦(いや焼きレンガか?)に藁葺きでなかなかの雰囲気を醸している.同じ山小屋と言っても,石作りが多いネパール辺りのそれとは随分異なり,土地固有の香りが楽しめよう.
ロッジの脇に古いキリスト教会が建てられている.スペインが進出してきた16世紀に建立された(途中修復はあるだろうが)そうだ.現在周りには然程住居は無いし,住民も少なさそうだが,往時布教のため建てられたのであろう.
大都市の権威的カトリック教会と違って,質実剛健,土地の建築資材と工法を最大限に活かした素朴な香りを感じ取ることができる.なお現在,普段は聖職者は居らず,無人のようである.
到着し車から荷物を部屋に運んだ後,先ずは写真のダイニングルームで昼食となった.キヌアのスープにビーフ料理だった.キヌアは荒れ地にも育つ穀類でアンデス各地でよく栽培されるようだ.ビーフは固めであるが,まあ南米では普通かもしれない.
このロッジは村営若しくは準村営であるのか,調理や部屋の片付けには村の人が当たっているらしい.それと時によって宿泊申し込みが多く,客室が足りないそうで,新たな客室を増築中とのことだ.この日は私たち以外の客は見当たらなかったが.
さてお腹が満足し,サハマ展望ハイキングに出かけた.快晴で,気温も最適だ.ただ風は強く,砂が舞い上がる.風は地形に因るものであろうか.トマラピ村からほぼ平らなトレイルをサハマ山を目掛けて歩く.
高低差がない真っ直ぐな一本道で極めて単調だ.先方にドッシリ構えるサハマ山があるからこそのハイキングだ.
トレイル脇には針状の草が生えているが,これがまたリャマには必須の食べ物なのだそうだ.ガイドPさんによれば,リャマの歯は放っておくとどんどん伸びて,やがて自らの口の下側を突き破るという.一方この草は細いながらとても硬く,リャマがこれをかじることで歯が摩滅し,ちょうどいい長さに抑えられるのだそうだ.へえ~この変わった草にもそれなりに取り柄があるものなんですね~それにリャマもなかなか厄介な面を抱えているのですね~と驚いた.
いつまで行っても変わりないので,この辺で終わりにしよう,ということになった.ほんとに変わりないのだから仕方なかろう.でここで添乗Hさんに皆がカメラを預けてシャッターを押してもらう.サハマをまじまじと眺めればアザラシの顔に見える,いや熊だ,イヌだ...とか言いながら....平和だ.
そして来たと同じ道を辿り,トマラピ村のロッジに舞い戻った.まだ日暮れまでには間があった.
部屋にはガスストーブがあり,夕方ロッジの係員がマニュアルで点灯してくれた.電気も夕方から点灯し,確か10時,いや9時だったかまで点いていてくれた.シャワーはあったが,冷たいので足程度で全身は躊躇われる.十分な,ただとても重い毛布が備えられていたが,添乗Hさんの特段の計らいで冬用シュラフも用意してくれた.さて今夜は毛布にするか,それともシェラフにするか,それともそれら併用とするか....寒がりの私は併用としてみた.ただ翌朝目覚めて,どちらか一方で良かったな,となり次の日からは(別のロッジだが)毛布だけにしたのだった.
夕方になったので表に出てサハマの夕焼けを待った.6時過ぎであったと思うが,徐々に赤みが射し,輝いていった.そして写真が最も赤くなったときだ.まあスゴイ夕焼けとは言えないが,それなりに焼け綺麗だ.
夕焼けの後は夕食になった.野菜たっぷりのスープに,やはりビーフだったか?それとキヌアの混じったチャーハンのようなもの....か?
こうして5/31は暮れていった.単調ながら快晴の大空の下,サハマを眺めながら歩けて良かった.明日はさらに南に進む.どんなかな~?