このウユニ経由ビリャマル編では,6/2(火)タフアのロッジを出発し,ウユニ塩湖を走りトゥヌパ火山麓に着き洞窟など見物,そして再びウユニ塩湖に入りインカワシ島に至りハイキングと昼食,そしてまたまたウユニ塩湖を走り,南湖畔から上陸しフラカ駅に来て休憩.そこからはアタカマ高地の荒れ地を延々と南下し,この日の終点ビリャマルに到着.そんな一日の写真にキャプションを添えて載せました.
この日はタフア13出発し,ウユニ塩湖14からトゥヌパ火山麓に立ち寄り,再びウユニ塩湖からインカワシ島15に上陸し,昼食後三たびウユニ塩湖を走り,南湖畔に上がり,フラカ経由でアタカマ高地をひた走りビリャマル16の宿に到着した.
パープル線(午前)とグリーン線(午後)がGPSロガーの記録したこの日のトラック.
前日の続きこの日もマイナーなダートの道だった.
6/2朝が来た.電話はないので添乗Hさんが部屋のドアをノックして回ってくれた.Tさんも私もよく寝ていてノックがなかったら寝坊するところだった.
窓から入る光を見ると今日もいい天気で始まりそうだ.
ロッジレストランで朝食を食べた.ここの朝食に関しては,種類が少なく,例えばクラッカーにジャムを付ける程度で,甚だ芳しくない評価だった.
昨日は遅く到着したので,よく見えなかったが,こうして表に出てみると青空で,向こうには白いウユニが広がり気持ちがいい.ロッジの整形されていない柱や藁葺屋根も尤もらしい雰囲気だ.GRBの缶からは分別ゴミ入れかな~?
私たちのランクルはタフアから白いウユニ塩湖に入っていった.境界には土が混じり,少し水も浮かんでいた.ここから東のトゥヌパ火山目掛けて走り始める.
暫く走ると前方に,赤いギザギザの頂きを持つトゥヌパ火山(Thunupa Volcano)が立ちはだかって見えた.標高5,432mだそうで,海抜3,760mのウユニ(富士山3,776mに近い)からは1,672m高いことになろう.火山であるが休止中とのことだ.
トゥヌパはアイマラの人々には聖なる山とされているそうだ.大昔女性とされるトゥヌパ山を除く全ての火山は男性で,歩くことも話すこともできたそうだ.そしてあるときトゥヌパ山は妊娠し,父親が不明ながら小さな火山を出産したそうだ.そこでかつて関係を持った全男性火山は,さて誰が父親かを巡って恐ろしい争いに入ったそうだ.そして若い火山であると判明するや,男性火山群は若い火山をコルチャニ(Colchani:ウユニの東にあり,私たちは後日宿泊予定)平原に幽閉した.ただこれを聞いた神は激怒し,男性火山群がもはや歩くことも話すことも禁じ,石のように定位置に留まるようにした.一方元々動けないトゥヌパ山はコルチャニに移された小火山に会いには行けず,白いミルク色の涙を流し泣き,やがてそれがコルチャニ平原を満たし,そして乾いてウユニ塩原になったそうだ.また子供である小さなコルチャニ火山は驚くほどよく彼女に似ているということだ.
と,まあ甚だ人間,しかも俗人くさいストーリーなのだ.
車はトゥヌパ火山麓に着き,そのまま山への斜面を上り始めた.脇には教会があり,シンプルな四角錐の鐘楼が建っている.頂部の十字架がないとカトリックの教会とは気付かないほどシンプルなデザインだ.
たくさんのリャマが朝食で,枯れ草を食んでいる.1,2頭だけ警戒し,こちらを眺めているが,他は食事に余念がない.リャマはグアナコを家畜化してできたそうで,臆病なアルパカより人によく馴れるというから,多くは人の気配は気にしないということか.
ランクルは砂塵を巻き上げながらウユニ塩湖を見渡すトゥヌパ火山中腹まで上っていった.頂きは赤いが麓は普通の砂利の色で,灌木と針状草が疎に生えている.
ランクルはトゥヌパ火山中腹,と言っても直ぐそこの丘程度だが,に至った.私たちは塩の海を見下ろしながら丘の斜面をトラバースしながら歩いた.トレイル脇には雪が残っていた.つい2,3日前に降ったようであるが,乾季だが一応冬であるし,降れば雪になることもあるようだ.
トラバースしているうちに洞窟入り口に着いた.脇にチャルパス墓地の看板(綴りちょっとおかしいが)があった.チャルパまたはチャルパス(Chullpa,Chullpas)とは古代アイマラ( Aymara)の墓地のことであるらしい.墓地の洞窟なんて....と薄気味悪いが,好奇心が勝る.
洞窟は浅く入り口からある程度光が射し込む.そして数体のミイラが見える.エジプトのミイラのように処理され,布で覆われたのではなく,比較的自然のままに近いように見える.ナスカのミイラに近い.ミイラはここで成仏したものではなく,比較的最近他所から運び込まれたということだ.
添乗Hさんの解説では,右側の一体は当時の神職のミイラで,生まれた時から頭の両側の押え板で挟まれ成長した形だそうだ.圧迫され育つので,顔は幅狭,前後に長く,上にも伸びた形になるそうだ.つまり白人的形のようだ.
元々の場所で,最初は故人の調度品や貴金属など収められていたが,どこでもよくある話しのように盗掘やここに移動する際にそれらはなくなり,ここに見える埋葬品は土器程度である.
暗い洞窟から出ると陽が眩しい.それにしてもリャマの毛色は多様だ.同じラクダ科のヒトコブラクダやフタコブラクダが押しなべてラクダ色なのに,リャマは色々だ.どうしてでしょうか?→答え:染めなくても色々な色の毛糸が取れるように改良した(うそ)
ウユニの白い大海原は,大雪原と全く区別が付かない.なかなかの圧巻だ.
ランクルはトゥヌパ火山から再びウユニ塩湖へと繰り出し,駆けた.周りはだれも居ないので縦横無尽に走れる.尤も実際はインカワシ島目掛け真っ直ぐに向かうのだが.
そしてまた中程で停まり,白い広さを楽しむ.その広さは南北に120kmの長さ,面積が12,000km2で,秋田県と同じくらい,或いは四国の半分くらいになるという.
塩の表面は6角形のハニカム状凸線区画で区切られている.まあ不思議なもんだが,どうしてでしょう.
塩はそれなりの価値であるが,コイパサ塩湖と同様,この下には膨大なリチウム(Li)が埋蔵されているそうだ.リチウムは二次電池材料として,あらゆる電子機器に使われ,特に電気自動車やハイブリッド車の電池は巨大で,キーパーツだ.ボリビアの別の場所で生産されたリチウムは既にこうした分野に輸出され,使われているが,今後さらに需要が増大するのは明らかだ.日本は最大の需要国の一つで,住友など商社各社などが出資や共同開発に積極的だということだ.
何れにしてもボリビアでは就労人口こそ農業が大だが,産業は亜鉛,錫,鉛,銀,天然ガスなどの鉱業が最大だそうだ.そこにリチウムが加わった訳で,かつて宗主国スペインには金を含め全部巻き上げられた苦い経験があるだけに,ボリビア政府は各国の争奪戦には慎重に対応中という.
広いウユニ塩湖の遠近感のない光景を活かしたトリック写真は定番だ.で,コーク瓶に載るというワザをHさんが写してくれた.ただ悲しいことに,瓶口ではなく,広い塩面に立つのにさえ不安定で,Yさんが支えてくれた.ありがとうございました.
ウユニ塩湖ちょうど真ん中辺り,インカワシ島(Incahuasi)に到着した.インカワシとはインカ時代の主民族ケチュア族(Quechua)の言葉で『インカの家』の意だそうだ.ケチュア族の人々は交易の過程でこのウユニ塩湖を渡ったが,何分にも長いトレイルなのでこの島にも立ち寄って,宿泊したということだ.なおインカは,前述のトゥヌパ火山墓地のアイマラ人の時代より後の,新しい時代になろう.
到着したので,山頂に向かってハイキングだ.トレイルには太古に隆起したという海底の珊瑚の岩も転がっている.またそれに貝殻の化石なども付着している.上述のリチウムも太古には海の底だったそうで....思えば長いことだ.
インカワシ島最大の見ものはこの大きな柱サボテンの林立する様子だ.ガイドPさんの説明では,最大で17mの高さがあるという.ところがこの柱サボテンは極めて成長が緩やかで,1年で僅か1~1.5cmしか伸びないそうで,17mのものはざっと1500年くらいの樹齢ではないかという.いや,そりゃ~スゴイ.
ゴミ箱本体はそっくりそのまま柱サボテンの枯れ木を輪切りにし,蓋と底は輪切りした円筒を展開し平らにして貼り付けたものだそうだ.つまりトゲトゲの薄い外皮内側に円筒状の本体があり,内側は空洞だ.一般のサボテンが内側に果肉が詰まっているのと大いに異なる.また本体円筒部は触れて見るとかなり硬く,破線状の孔が連続的に開いている.
もっと仔細に円筒本体を眺めると,円筒の厚さは一様ではなく,厚いところと薄いところがある.外円に対して内円が偏心している形で,厚さは連続的に変化している.陽当たり方向などが関係しているのであろうか?
柱サボテンは内部が空洞なのでキツツキの巣には持ってこいだそうだ.つまりキツツキは本体円筒部に孔を開ければ,内部の広い空間に藁などで網をかけ,巣にできる,という訳だ.
写真はそんな円筒部に孔を開ける途中の状態だそうだ.ところで円筒本体はとても硬いので,キツツキは長い期間掛けて開けるのだが,先ずまだ小さな樹に小さな孔を穿つそうだ.すると小さな孔は,サボテンの成長とともに大きくなるので,キツツキは楽して孔が大きくなるのを待てば済むという.いや~実にスマート,悪賢い!ただサボテンにも人の傷と同じように修復力があり,穿たれた孔を塞ごうとするそうで,キツツキは時々それを妨げるため孔の周りを突っつくらしい.
で,難なく頂上に出た.白い塩の原がきれいだ.
またPさんの話は続く.柱サボテンには枝がないものと,あるものとがある.これは枝ではなく,子孫の柱サボテンが親サボテンに寄生している姿なのだそうだ.柱サボテンは雨季の11月~2月くらいに赤い花が咲くのだが,その種が地面に落ちれば,地面で新しい芽が出て,トゲトゲに引っかかって留まればそこで芽が出て,枝のように成長するという.こうした親子間パラサイトは人社会でも見られるが,柱サボテンの方が古そうだ.
帰路に洞窟を通った.今度はミイラはいないので心配ない.インカ時代,旅のケチュア族の皆さんが雨露を防ぐためにここで宿泊したという.
ごく短いハイキングを終えて,麓に下った.地元ボリビアの行楽客であろうか,レストランの戸外テーブルで食事中だ.やはり戸外での食事が好きな人たちなのであろう.
私たちは同じレストランのテーブル席に着いた.そして出してもらったのがリャマ肉ステーキにポテト,インゲン,ニンジン,ご飯添え.それと食後のコカ茶,というボリビアならではのメニューだった.初めてのリャマ肉はフライパンのオイルが少し多かったのではと思われたが,普通に食べやすく美味しかった.
コカ茶は私には味が薄めで,一杯だけではコカ特有の効き目を味わうには至らなかった.昔鉱山の重労働などではこれを飲み,コカインを補給しながら何とか頑張ったと聞くが,私たちは遊びの真っ最中なので身体が要求するというわけでもないし.ただ高山病には効くらしい.なお日本を含めた諸国は,写真のようなコカの葉っぱ,コカ茶の持ち込みや所持は違法だそうだ.
展示館があるというので寄ってみた.これはその中の一つの展示だ.
男女ペアの前のテーブルには何やら薬の材料のようなお皿が並んでいる.またその前には顔を白布で覆ったアルパカのぬいぐるみがいる.さて何でしょう?傍らの説明書きがスペイン語だけで,皆目見当が付かない.
昼食後,塩のテーブルやベンチの据えられた駐車場から,この日三度目のウユニドライブに発った.駐車場には結構台数が増えていた.さすがボリビア屈指の観光地であろうから客は多いようだ.日本からの客は普通,山歩きがメインの私たちと違って,雨季ミラー状のウユニを目指す人が多いそうである.このときも確かに日本人は私たちだけであった.
インカワシ島を出ると南に向かった.前を行く2号車の遥か先には対岸の山々が蜃気楼で浮かんで見えた.蜃気楼は大気の温度分布が垂直方向で差が出て,それが光の屈折を生じさせて起こるそうだ.地表が冷たく上空が温かい時の上位蜃気楼と,その逆の下位蜃気楼の二種があり,この写真は山の麓で,上下反転した同じ山(虚像)が重なっており,後者下位蜃気楼のようである.雲ひとつ無い青空の下,白い塩面の反射で地表の大気が暖かくなったのであろう.
ウユニ塩湖の南端に上陸後はまたダートのラフロードをひたすら南に走った.そしてフラカ(Julaca)の村に出た.特段記録するような土地もないのだが,何分延々と続くアタカマ高地の光景にあっては,鉄道駅があって珍しいのだ.
線路の直角にフラカ駅(Julaca)の標識が掲げられている.つまり主に列車の運転手や車掌への標識なのであろう.また海抜3,656mと,この前後の駅名と思しき名称が小さく併記されている.
別に鉄道マニアでも何でもないが,こうして鉄道線路を眺めると,はて何処に行くのか,どんなところを通るのか....と,幾ばくかの思いが馳せる.ただこの路線は貨車だけで旅客列車は走っていないらしい.
この路線は単線だが,フラカ駅には引き込み線があり,そこに停車した貨車屋根で仕事中の人がいた.補修作業であろうか.路線は程なくチリ国境に至り,そのままチリ領内を走り,そして太平洋に続いているようだ.この駅を含めて鉱物資源の積み出しに供されているそうだ.
足元の線路を見ると,写真のように継ぎ目のボルトが欠落していたり,枕木への固定ボルトが抜けている.大丈夫かな~?と思うが.
フラカ駅の傍にモラレス大統領(Juan Evo Morales Aima)の写真入り広告塔があった.スペイン語を解しないので内容が理解できないのだが,アドビ住居が殆どのこの原野の中でしっかりしたコンクリート製で,愛用するというアイマラ族伝統衣装を纏ったカラー写真付きだ.まあ,左派,反米の氏は,2006年初当選後,国名をボリビア多民族国に変え,先住民の権利拡大に熱心で,昨年3選目を果たしたが,何らかの政治プロパガンダであろうか.
フラカもアタカマ高地にあるのだが,フラカを過ぎてなおアタカマ高地は延々と続く.そんな中で先ずなかなか豪快な奇岩帯エリアを通過した.なかなか見応えがある.
前日も見かけたが,薪集めの男性がいた.暖房用であろうか,調理用であろうか....
キヌアであろうか,或いは大豆とかであろうか.細かな作物をビニールシートに広げ,天日干し作業中のようである.天気が良いのでよく乾きそうだ.
大きな赤十字標識が見える.この村にはクリニックがあるのであろう.広いアタカマ高地には住宅が疎らに点在し,こうした大きな村は多くない.クリニックまで駆けつけるまでも大変だが住民に頼りにされていることであろう.
アタカマ高地に沼地があり,水鳥が遊んでいた.カモメではないかという声があった.
随分と広い畑で,綺麗に畝が形作られている.前年度の刈り残し茎が見えているのでキヌアの畑のようだ.また家畜や野生動物を防ぐためであろう,柵も張られている.
下は,アタカマ高地でのいろいろな写真
遠目には,向こうに一見たくさんの家が密集して建っているかのような眺めだ.単なる縦筋の入った巨大で扁平な岩の塊が横たわっているのだ,とこうして近くになってはっきりした.
酷い乾燥のためかダートの路面は完全にパウダー状だ.ランクルは夥しい砂ホコリを巻き上げながら進む.大変だ~
見える風景に赤みが増してきた.東に伸びる影も長くなってきた.今日も長い距離走ってきた.ご苦労さんでした.
ここは終点ビリャマル直前のマルク(malku)であろうか.そうであればビリャマルの本村のような位置づけの村だと思われる.そしてなぜかダートの通りにゲートがあり,写真のおばさんが開けてくれた.軍の駐屯地でもあるのであろうか?とにかくここを通過し,走行中の窓から暗くなった街を眺めると,住宅や商店らしき建物が結構建っていた.
そして完全に暗くなって,ビリャマルのロッジ,Hostel Piedritasに到着した.私は昨日に引き続き部屋が足りないということで,写真の離れのツイン部屋をTさんとシェアすることになった.昨夜と較べて狭い部屋だが,まあ山小屋以上ではあろう.
夕食は昼に続きまたリャマ肉料理(お皿下側)だった.昼と較べて油っぽさがなく,オニオンミックスで美味しい.それとキヌアやトマト,ブロッコリー,カリフラワーなどが添えてあった.
それと特筆すべきはこのレストランではビールが大ビンだった.同じブランドでお代はそれまでのレストランの小ビンと同じ4~5ドルだった.良心的だ.後にも先にもボリビアで大ビンビールはここだけだった.
まあこうして6/2は暮れていった.明日はウトゥルンコ峰を望むクエテナチコ村を目指す.