このコルチャニへ編では,6/5(金)ビリャマルを発って,奇岩帯で岩を眺め,サンクリストバルを通過し,ウユニの列車の墓場を見物し,ウユニの街で昼食を食べ,午後コルチャニに来たときの写真にキャプションを添えて載せました.
この日はビリャマル16を出発し,ウユニの街(ウユニ空港22近く)に来て昼食.午後北上しコルチャニ21まで至る.
茶色線は午前のビリャマルからお昼のウユニの街まで,グリーンが午後ウユニの街からコルチャニに移動したときのGPSロガーの記録.
前夜ここに到着したときは暗くて見えなかったが,翌朝目覚めてホテル前に立つと,ホテル背後には大岩が連なっている.なかなかの迫力だ.硬そうな色に見えるので崩れて押しつぶされるといった心配はなさそうだ.
ホテルレストランで朝食を頂き,ランクルに分乗し北に向かった.これまで同様乾き,パウダー状ダートの路面は思いっきり砂塵を巻き上げる.
奇岩見物のためダートの街道から少し西に入った.入って振り向くとウトゥルンコの双耳峰が見える(写真右側)かなり離れたもんで,これが見納めかな.
奇岩が林立している.少しカッパドキアのようでもあるが,それに比べて岩質が硬く,凹凸が鋭く不規則,エッジはシャープだ.
ちょうど向き合う2匹の犬のような感じだ.或いはライオンと犬であろうか.自然の景観を他に見立てるのは中国の人が得意だが,傍に中国人観光客はいないので訊くことはできない.いや,中国人どころか,私たち以外誰もいないのだが.
巨大なマリモが積み重なったような岩がある.多分苔の生えた岩ではなかろうかと思うが不思議だ.つまり,ここは地面も岩も乾ききっているのに,苔が生える余地があるのだろうか?実際上の犬岩を含め,他全ての岩は苔や草は全くなく,全面岩肌だ.
奇岩見物の後,再び北に進んだ.するとまた別の奇岩帯が遠くに見えてきた.背後にはきれいな山も見えていい眺めだ.まあ,アタカマ高地は奇岩の多いところなのであろう.これまでさんざん眺めてきたように呆れるほど塩湖の多いところでもあるが.
塩湖も多いと振り返っていたら,また小さな塩湖に出合った.水場のあるところにはリャマ,の定石通りリャマが遊んでいた.私たちがそれを邪魔したようで,一斉にこちらに不審そうな顔を向けた.ごめん.
サンクリストバル(San Cristobal)の標識があった.標識先の山が鉱山で,銀,亜鉛,鉛を露天掘りで産するそうだ.
数年前から,住友商事100%出資会社が採掘権を有し,採掘した鉱石はチリの港から太平洋に運びだされ,日本だけでなく,アジア,欧州の精錬会社にも販売されているそうだ.
ただ大変な労働争議なども起こっているそうで,例えば2010年,チリに向かう鉱石運搬の鉄道が封鎖されたり,採掘した鉱物が破棄されるなどの事件もあったそうだ.昔からスペインに天然資源を盗られてきた歴史があるが,現在もまだ類似した搾取が行われている....との思いが背景にあるようだ.
なおサンクリストバル鉱山では銀,亜鉛,鉛を産するが,ボリビア他地方ではさらに錫(独立以降ボリビア経済を支えたそうだ),金,銅,鉄,タングステン,アンチモン,それに例のリチウム(世界一)等の鉱産物が豊富だそうだ.現在南米で最も貧しい国に属するというボリビア多民族国が経済成長するための鍵になるのではなかろうか.
ランクルはまだガス欠の不安がなくならないようで,屋根には大きなポリタンクを積んだままだ.ボリビアは上の鉱物以外に,石油と天然ガスも出るそうで,羨ましい.
天然ガスは大きな埋蔵量が発見された一方,石油の規模は小さく,自国の消費全量を満たすには至ってないそうだ.ただし,社会主義的国策で,ベネゼエラなどと同じようにガソリンの末端価格は低く抑えられ(実際の価格は聞かなかったが)ているようだ.そのため南米最貧国クラスなのに車が多い....という話もあるらしい.
街道脇,サンクリストバル郊外の小規模なメルカド(市場)だ.店舗よりまだまだメルカドが幅を利かせているようだ.写真のように赤ん坊を連れた家族が近隣の人に会って四方山話もできるし,いいと思う.
やはり街道脇,サンクリストバル郊外に建つ教会だ.通りに面し,二つの塔が門のように建っている.その奥の藁葺き屋根が礼拝堂であろう.石積みの多段塔も珍しいし,それが二つ並んでいる形式もあまり見たことがない.全体的になかなか印象的なデザインだ.
サンクリストバルから大分走り,そろそろ広大なウユニ塩湖に近くなったようだ.湿地の地面には塩が浮いている.
そしてウユニの街外れ,列車の墓場(Train Cemetary)にやって来た.予想よりたくさんの蒸気期間車(SL)や貨車の残骸が,2本の線路の上に打ち捨てられている.文字通り『列車の墓場』の様相だ.
あるいは産業廃棄物不法投棄の現場で,ウユニ市当局が,廃棄した会社に撤去するよう命令したのだが,いや回収資金がない,会社が潰れた,廃棄時と経営者が変わった.....何のこうのと責任逃れしている....そんな雰囲気にも感じられる.
車輪の埋没量を見ると,相当長く放置されていると思われる.JRのSLより動輪が多い.また溶接よりリベットが異常に多く打たれているところを見ると,相当古い時代の製造だ.つまり何だかんだとちゃんとした廃棄処理を免れていた訳で,そのうち私たちのような酔狂な,物好きな,暇な人たちが見物に集まるようになり,市当局も『まいいか,観光資源になりそうだし放っておくことにしよう』となったのか.
元々これらの鉄道は1800年代終わり頃イギリスの投資で進められ,太平洋からの鉱物資源搬出用に敷設されたようだ.だがそのうち,ボリビアは例のチリとの太平洋戦争に破れ,海を失う.イギリスは大いに怒り,ボリビアを離れた.ボリビア政府はそれを引き取り,細々と運用を継続するが,二次大戦の後ぐらいには搬送する資源が少なくなり,鉄道設備も余剰になり,こんなところに捨て始めた,ということのようだ.
この列車の墓場には観光客が多い.若い人が目立ち,機関車の前や上でポーズを決めている.やはり古く大きな人造物は人も惹きつける力があるのであろう.ひょっとして産業廃棄物の不法投棄者はそれを読んでいたか?
SLのボイラーは水管式はあまりなく,煙管式だったようだ.そこでボイラの前や運転室から覗いてみたのだが,既に煙管は全部なくなり,それを支えたであろう無数の丸穴が開いたホルダープレートが残されていた.それにしてもリベットが多いな~煙管式では外側胴には水と蒸気が満たされていた訳で,蒸気,或いはさらに加熱蒸気の圧力で漏れないようにビッシリ打つ必要があったのだろう(想像)
列車の墓場からウユニの街に入ってきた.あまり高い建物は見えないようだ.写真は主要な通りの一つであろうが,狭い分離帯ながらベンチが置かれているのが風変わりだ.埃っぽく,騒がしいし,ここでのんびりする気にはなりにくそうな....でもちゃんと座ってます.
左は駄菓子屋さんの前の露店.露店側が客入り多い.この写真だけで3匹もリード無し犬がいる.
中央はお買い物が終わったのか,背中の風呂敷が重そう.
右はトラベルエージェントでトレックツアーも扱っている.
広場にはメルカドが開かれていた.お店の数も,その商品も,お客もいっぱいで活気がありそうだ.
時計塔が在るということはウユニ町役場か何かであろうか.道路の反対にはアンテナ塔が2本も立ち,いろいろなアンテナが付いている.ケータイのマイクロ波用などであろう.
コロンビア通りは多分南米や北米の街のどこでもありそうだ.ポトシ街は,ここウユニの東にあって,1545年世界最大級の銀鉱脈が発見されたという標高4,000mのポトシの街に因むのであろう.先住民インディオの強制労働などの大変な歴史があるようだ.また現在も鉱山労働は過酷というし,コカの葉も噛まれるようだ.
スペイン語の解る人に聞くと,『ウユニの庭ホテル』ということだ.ここのレストランでお昼を頂戴することになった.ちょうど昼時で,通りには学校から帰る小学生などが歩いている.
内部は小規模で,落ち着いた内装のレセプションにレストラン,客室など整っていた.レセプション脇のカウンターにPCがあったので,日本のニュースを見てみると,円が一時125円台まで安くなっているという記事がトップに掲げられていた.
この日は久しぶり,三回目のリャマステーキだ.厚い肉はミディアムレアのちょうどいい焼き加減,味を損なわず,また軟らかな仕上がりだ.これまでで最高だ.添えられた中でトウモロコシは粒が大きく,南米特有の品種であろうか.なお,トウモロコシもトマトも,じゃがも今こそ世界のどこでも食べられるが,皆南米原産で,広まったのだそうだ.
腹がくちくなり,砂の道をコルチャニに向かった.ホテルの前にコルチャニのメルカドに寄ることになっている.
暫く走りコルチャニのメルカドにやって来た.長屋風に数軒の店舗が並んでいる.メルカドだが生鮮食品等は扱っておらず,アルパカのセーター,マフラーなどの衣類,それにティワナク遺跡出土品の小さなレプリカや,ウユニの塩を彫ったリャマ....など,いわゆるお土産品だ.後者をほんの少しだけ買ったが,驚くほど安い.翌日訪れるティワナク遺跡の道端でもこうしたものが売られていたが,やはり激安で,もち論値切るなど思いつかない.
アルパカのセーターあたりだともち論高価なのであろう.実際Tdさんらはいろいろ爆買いされている様子で,中国人と勝負ですか?などと言われていた.
上述の列車の墓場ほどではないであろうが,それなりにお客さんが集まってくる.多くはふ~んと,眺め,一部の人が手にとって見ている.まあお土産品であるから.
ところでここの売り方さんはアジアの国のお土産屋さんとは丸で反対で,全然商売っ気がない.例えばインド人比で商売っ気は1/20程度だ.一例を挙げると,ドル紙幣も受け取ってくれるのだが,お釣りが要るような紙幣を出すと,お釣りがないから,或いは面倒くさいから,売るの止~めた,といった感じなのだ.つまりインドより何ぼか安心して楽しくショッピングできると思う.
別の場所でガイドCさんに聞いた,生涯金輪際切らないという長い髪の女性が先を行く.年取ったらどこまで伸びるのか人ごとながら気になる.それにシャンプーは大変そうだ.
ところで男性の体型は他国とさして違わないのに,女性だけはどうして大きく違うのだろう?ボリビアに着いてからず~と感じる疑問だがまだ解けない.
メルカドから今夜の宿泊地Palacio de Salホテルへと向かった.ウユニの畔であるので塩っぽい通りになっている.車は傷みそうだ.
そして向こうに白い三角屋根が幾つも突き出たPalacio de Salホテルが見えてきた.そうか,原っぱの一軒家なのか.そしてここ数日の長い行程と違って,今日は短い.まだ陽は高く真っ青な空が輝いている.
コルチャニのPalacio de Salホテルに到着した.広いレセプションホールの柱やテーブル,椅子などが塩でできている.柱は大きいので,塩のブロックをつなげて大きく,長くしているようだ.
ここから続く廊下の調度品やオブジェも塩で,何れにしてもホールも廊下も広々しているのが気持ちいい.
ベッドや屋根が塩造りだ.まあ話の種にと言うか,いや既に何度か聞いたり,写真で見たことがあるので何だが,よく作ったものだ.天井は塩ブロックをドーム状に組んだもので,例えば中東で多い,レンガで組むスークの天井ドームなどと似た手法ではなかろうか.
天井を見ると,垂れ下がったつらら状塩があちこちに見える.一旦融けて,液状の塩が垂れ下がり,また固まったのだと思うが,さて一旦融けた原因は何であろう.部屋の暖房温度が上がり過ぎたか?いや温度だけでは溶解せず,大気中の水分によって融けたのか?隣のシャワー室から大量の湯気が来て...かな?
なおこの部屋にはちょっとしたお庭風別室(写真右ドアのとこ)と,シャワー室があり,熱い湯が出た.また暖房もあり,十分暖かかった.
夕方になった.ウユニ塩湖まで出掛けてみることにした.ホテルレセプションで訊くと,30分くらいでしょう,というので.ちょうど陽が落ちる頃目掛けて出かけた.
途中大きなトレーラーとすれ違った.トレーラー荷台には満杯の塩とその上に人が2,3人乗っている.ウユニで採塩し,加工工場とかに戻るところなのであろう.
少し赤みが射す頃ウユニの上に着いた.ホテルを出て30分足らずであろう.真っ白とはいかず,土砂など混じり,凸凹が多い.まあ,それでも広く概ね白い大地を歩き回ってみた.歩いてもさしたる変化がないばかりか,随分入り口から離れて不安になる.まあ,この辺に留めておこう.そして元の方角に目を向けると,塩のトラックが陸に向かい,夕陽鑑賞のバイクであろうが逆方向に走っていった.
この時間になると,正につるべ落としの如く陽は落ちていった.塩の面は赤く染まり,僅かな塩の突起も長い影を引いていった.轍の微かな窪みも強いコントラストの像を形成している.夕焼けもいいものだ.
ほぼ日が落ちてきたのでホテルに引き返すことにした.二人のカメラマンが小山に載り,も少し頑張るみたいだ.いやこのまま星の出るのを待つのかも知れない.いいショットが撮れるといいですね.
Palacio de Salホテルに引き上げ,暫くすると夕食の時間になった.ホール横レストランで,バフェだった.レストランには白人グループと,私たちと,20人くらいの中国人グループがいた.結構大きなホテルだが満室と聞いたが,これで納得した.ズッキーニの詰め物,春巻き風,ブロッコリーなどのようだった.ビールはHuari(ワリ)ブランド,いつも出してもらう銘柄で,美味しい.Huariは,プレインカの100~800年ころペルー中部高地に栄えた文化中心地の名で,明日見物予定のティワナク文化とは同じ頃のようだ.
夕食の後表に出て空を見上げると満天の星が輝いていた.天の川も南十字星もクリアだ.こりゃ写真に撮らなくては...と思い,Tkさんに三脚をお借りして撮った(つもり).ただ後で見てみると像が流れ,ノイズと星が混じったような絵で,とても見られない,残念.
これでアタカマ高地の観光は終わった.明日は空路ラパスに飛び,そして車でティアワナコ遺跡を訪れることになっている.楽しみだ.