タフアへgo to Tahua

このタフアへ編では,2015/6/1(月)サハマ国立公園のトマラピ村を出て,露天風呂のあるサハマ温泉に寄り,サハマの街に立ち寄り,アタカマ高地を南下し,コイパサ塩湖を通り,またウユニ塩湖を通過し,同塩湖縁のタフアに到着したとき撮った写真にキャプションを添えて載せました.


サハマからタフア辺りのGoogleマップ

この日はトマラピ10を出発し,アタカマ高地11を南に進み,コイパサ塩湖12,ウユニ塩湖14を経てタフア13に到着した.


6/1(月)のルート

6/1(月)のルート(Googleマップのスクリーンショットに加筆,拡大可)

赤い線がGPSロガーの記録したこの日のトラック.

コイパサ塩湖とウユニ塩湖は水を湛えた普通の湖でなく,塩原という扱いなのかGoogleマップ上に示されない.航空写真では雪山と同じように白く写っているが境界ははっきりしない.そこでおおまかな場所を書き入れた.


トマラピを出るleave Tomarapi

トマラピの朝

トマラピの朝

6/1(月)が明けた.サハマの朝焼けがあるかな~と思い見上げていたが,残念ながらなかった.ただ幸い少し雲があるが東の光線を浴びてきれいに見えていた.


トマラピ教会も朝日できれいだ

トマラピ教会も朝日できれいだ

トマラピ教会も入り口の方向に朝日を受け,きれいに輝いている.青空との対比が素晴らしい.


荷物をまとめ出発

荷物をまとめ出発

朝食のあと,荷物をまとめてランクルに積み込む.今日はCaさんの4号車になった.窓のスイッチが壊れており,開けたいときはドライバーシートから操作する必要がある.

出るころはサハマの雲もすっかり無くなったようだ.


小さな湖脇を通過

小さな湖脇を通過

トマラピを出て少し行くと小さな湖脇を通過した.乾ききった大地ゆえ,水のある風景はどうしても目立ち易い.前日より風は弱めであろうか,波も小さいようだ.


パリナコータ(左)とポメラペ(右)が間近に

パリナコータ(左)とポメラペ(右)が間近に

私たちの車がサハマの背後(西側)を通過するのでパリナコータ(Parinacota:6,342m/左)とポメラペ(Pomerape:6,282m/右)に近づくわけで,それだけ大きく見える.なかなかの勇姿だ.


アコタンゴ(Acotango:6,052m)も近くに

アコタンゴも近くに

パリナコータ(チリ領内)より左にはアコタンゴ(Acotango:6,052m)も見える.チリとボリビアの国境に聳えているそうだ.ここからだと幾つも峰が連なっているように見える.

この山の麓にも小さな集落が複数見えている.やはりリャマ農家であろうか.ガイドPさんに訊くと,リャマ農家では自宅の家畜囲いから,朝普通100頭ほどのリャマを連れて水場のある草地に行って放ち,夕方また連れて戻るということだ.しかし暗い中でリャマを見かけることもあるので,毎日のことではないのかもしれない.因みにリャマ一頭はUS$100くらいだそうだが,ちょっと安いような気もする.

サハマ温泉Sajama hot springs

サハマ温泉

サハマ温泉

そしてまた少し行くとサハマ温泉の駐車場に着いた.向こうに見える建物の脇に湧き出ているそうだ.

地面の白い部分はソジウム(Na)だというが,それだと金属なのでその化合物お塩であろうか?この先塩は嫌と言うほど見ることになるのだが.


お湯が湧き出てプールに

お湯が湧き出てプールに

このプールの上の辺りから湧き出ており,結構高めの温度だ.ただ何分にも野ざらしのプールなので反対の縁辺りでは若干低目の湯温になっている.


お二人がお湯に浸かる

お二人がお湯に浸かる

お元気な男女各一名がお湯に浸かった.足元が多少ぬかるがいい気持ちとコメントがあった.確かにここは4,200mくらいの標高で,サハマを正面に仰ぎながらの温泉はいいであろう.

なお,脇には男女用更衣室が設けてあり,ロッジであろうか?別棟も用意されている.


小川は凍っている

小川は凍っている

温泉脇には浅く小さな流れがあるが,薄く氷が張っている.まあ陽射しがあるので寒くはないが,夜間は冷え込み,気温そのものはまだそれほど高くなっていないのではないか.温泉に浸かったTさん,Nさんはやはりタフだ.


サハマ温泉からパリナコータとポメラペますますクリアに

サハマ温泉からパリナコータとポメラペますますクリアに

サハマ温泉からパリナコータとポメラペは一層クリアに望めるようになった.ここは4,200m,山は6,300mくらいであるから,雪の境界は5,500m程度であろうか?


サハマ温泉から流れ出る川

サハマ温泉から流れ出る川

サハマ温泉から流れ出る水が川となって下る.川の底には異常に丈の高い水草がビッシリ生えている.温泉から吹き出る成分と温かい水温が異常(?)な植生を養っているのであろう.


サハマの街city of Sajama

サハマの街にやって来た

サハマの街にやって来た

温泉を後に,車は進みサハマの街にやって来た.小さな街だが広場とそれに面して教会がある.大きな街でのアルマス広場と同じ役割であろうか.教会はトマラピ教会のように古びた外観で,やはり長い歴史を感じさせる.

閑散としているが,広場のモザイク状石畳はなかなか美しい.


道脇で日向ぼっこ

道脇で日向ぼっこ

道脇のベンチで日向ぼっこの皆さんが手を翳して挨拶してくれた.私たちと同じように退職した人たちであろうか.


サハマの街の店舗と商品

街の広場を囲んで幾つかの店舗がある.清涼飲料やお菓子のお店,帽子,マフラー,手袋....といったハンドクラフト品のお店,などだ.表にはWelcomeなど一部英語も併記されているので観光客も歓迎であろう.

サハマの街の店舗1サハマの街の店舗2
サハマの街の店舗3サハマの街の店舗4

アルパカも見かける

アルパカも見かける

サハマの街を去り,再び南に進んだ.道端でアルパカが歩いていた.これまでラパスから昨日のトマラピ辺りまでは専らリャマであったが,Caさんのお話ではこの辺りからはアルパカも飼育されているのだそうだ.気候などがアルパカにも適するのであろう.

アルパカはリャマより小さく,首が短い...かな.だがリャマ同様ラクダ顔で,私にはなかなか容易に見分けが付かない.写真のように耳にリボンを着けてもらって可愛い.リャマもよく着けているが.


ビクーニャもいた

ビクーニャもいた

アルパカの次にはビクーニャ(vicuna)も現れた.ビクーニャもリャマやアルパカ同様ラクダの仲間だそうで,そんな顔付きをしている.ただ,ビクーニャは全体の体型が,鹿とかガゼルやインパラのようにスリムだ.それと,ビクーニャは野生で家畜ではないということだ.

なお,南米にはもうひとつのラクダの仲間グアナコ(Guanaco)もいる筈だが,今回の旅行で見かけることはなかった.パタゴニア辺りではいるが,ボリビアには少ないのかもしれない.


サハマ国立公園南の端

サハマ国立公園南の端

サハマ国立公園南端に出た.案内板と,朽ちているが,元は管理所と思しきアドベ東屋があった.

これまで見てきたように国立公園内の放牧などは認められており,また温泉施設なども大丈夫なようである.ボリビアで豊富な鉱物資源の開発などはどうであろうか?

アタカマ高地南下go through the Atacama highland

公園を抜けると舗装道路

公園を抜けると舗装道路

サハマ国立公園南端を抜けると舗装道路に出た.国道4号線で,直ぐ先にチリ国境がある.つまりボリビアにとっては太平洋に出るためのとても重要なルートであるそうだ.

先に見えるはチリ領内の火山だということだ.白い峰が美しい.


アタカマ高地荒野のヒッチハイカー

荒野のヒッチハイカー

舗装道路は僅かな区間で終わり,私たちはまた南に向かうダートの通りに入った.少し行くとこのワイルドな地で右手を上げるヒッチハイカーに出会った.ドライバーCaさんは無言ながら,ごめんこの車には乗せられん,とばかりに通過した.すみません.まあ普通そうであろう.次の村まではとてつもなく遠そうであるが,女性は風呂敷を背に,手荷物を携え一体何処を目指しているのであろう.


アタカマ高地に湿地があった

湿地があった

暫く行くと湿地があった.当然とばかりリャマがたくさん放牧されていた.乾いたアタカマ高地の土地だが,きっとさらに高いアンデスの山々からもたらされる水なのであろう.


アタカマ高地小さな村の素朴なキリスト教会

小さな村の素朴なキリスト教会

南下を続け,小さな村を通過した.通りの脇にはアドベ造りに藁葺き,素朴なキリスト教会が見えた.こうした光景に出合うと,95%以上がキリスト教徒というボリビア社会が実感できる気がする.


アタカマ高地の沼地を走る

沼地を走る

乾燥した高地なのに水の張った道路とはこりゃまた不思議であるが,実際に遭遇するのだから文句は言えないであろう.豊かな水のお陰でアルパカ(左)やリャマが元気に草を食んでいる.


アタカマ高地にある陸軍の駐屯地

陸軍の駐屯地

沼地の後に村を通過した.前を行く車両3号車が検問を受けている.ここには陸軍の駐屯地があるようだ.スペイン語だが看板にMILITARの文字が見えるのでそうであろう.かつて敗れたチリとはごく間近だし,またアルゼンチンともそう遠くはない.備えは大切だ.今思うと写真はまずかったかもしれない.


アタカマ高地薪拾いの青年とすれ違う

薪拾いの青年とすれ違う

殆どすれ違うことのない通りで,薪拾いの青年(いや壮年か?)に出合った.この埃だらけの道は生活道路なのだと改めて認識する.それとラパスで聞いて来たのだが,高地なので酸素が薄く,火事は起きない,タバコの火も吸っていないと消えると.なので薪で火を起こすのは結構大変でしょうね~と思った.


アタカマ高地の湖にフラミンゴ

湖にフラミンゴ

さらに行くと結構大きな湖に出た.畔には集落が展開されている.そして写真のように湖面にはフラミンゴがいる.かなり大きな鳥だが,泳いでいるのか底に足を着いているのかはっきりしない.後者かな~?フラミンゴはやはり王選手のように一本足で立つ姿であって欲しい.打たなくてもいいから.


アタカマ高地の大きなアドベ製墓地

大きなアドベ製の墓地

前日サハマ手前でも見かけたが,ここの4基の直方体は紀元前数世紀から紀元後数世紀,プレインカの墓所だということだ.時の権力者が権威を知らしめるために建造したと考えられているそうだ.


アタカマ高地墓所の一つ,随分大きい

墓所の一つ,随分大きい

傍に寄るとまあ随分と大きい.ただ遺体はここに置かれず,この地下に埋葬されたようである.


アタカマ高地の川を渡る

川を渡る

4基のお墓を見て,再び南下を続けた.そのうち川に出合い,ランクルの出番がやってきた.そして難なく渡る.さすがトヨタだ.ここはまだ大変な度合いが大きくないが,もっとひどいパキスタン辺りではトヨタランクルに寄せる信頼は絶大なことを思い出す.


また新たな直方体彩色墓所

そしてまた新たな直方体墓所のある地に到着した.近づいて眺めると,先程よりさらに大きなように見える.直方体という形状,入り口の形やその上の横向きの凹み模様などに共通性があろう.大きな違いは彩色された力強い文様だ.左は赤と白,右はさらにグリーンが加わっている.なかなか見事だ.なお色は染料ではなく,色の付いた石を砕いてアドベに加えたもので,抗退色性に関しては折り紙付きということだ.

直方体彩色墓所1直方体彩色墓所2

こうして改めて写真を眺めても,なかなかどうして印象的なデザインだ.


アタカマ高地チリ国境の山々

チリ国境の山々

新しい山が見えてきた.名は判らないがきっとチリ国境の山であろう.アタカマ高地自体がチリ国境近くにあるので国境の山も近い筈だ.

そして地面はラパスから一貫して高山性の草や灌木で高い樹木は一切ない.まあ随分と長い距離が森林限界を超えたままなのだ.


コイパサ塩湖salar de Coipasa

さらに南へ進む

さらに南へ進む

ダートの道は南へと続く.あまりにもマイナーな道なのでGoogleマップにも記されていない.まあ道無き道を行くといったところか.この辺り標高は3,600~3,700mくらいで,それまでより幾らか低目であるが地面は砂漠っぽさが増して草が疎らになっている.


もっともっと南に

もっともっと南に

もっともっと南に進んだ.灌木が勢いを増してきたようだ.脇には5,000m後半クラスであろうか,雪山が見えてきた.緩やかな裾野が印象的だ.


空き家の多い集落

空き家の多い集落

砂漠の集落を通過した.屋根が落ち朽ちた家や空き家が目立つ.この国もやはり都会に移住する人が多いのだそうだ.例えば前述のエルアルトの街などが受け皿になっているのだろう.


コイパサ塩湖(salar de Coipasa)に至る

コイパサ塩湖に至る

そのうちコイパサ塩湖(salar de Coipasa)にやってきた.道はそのまま塩湖に続いている.続く辺りは土と塩の境界層で斑模様だ.


コイパサ塩湖一面塩となる

一面塩となる

そのまま進むと一面塩となる.真っ白できれいだ.海抜3,665mで,雨季になれば全面水が張るのであろう.

コイパサ塩湖はおよそ2,000km2の面積でボリビア2番目の広さの塩湖(塩原)だが,一番のウユニと比べるとかなり小さい.

近年ウユニ塩湖のリチウム(Li)が二次電池の原料として注目されているが,ここコイパサ塩湖も塩(NaCl)の下にやはり塩化リチウム(LiCl),塩化マグネシウム(MgCl2)という化合物で豊富に埋蔵されているそうだ.


どこまでも白い塩の原

どこまでも白い塩の原

コイパサ塩の原は広い.塩と言うと食用のイメージがあるので,微かな罪悪感を抱きながらも車でどんどん踏みつけて進んだ.道幅は無制限に広く,対向車も皆無.対岸まで猛スピードで進んだ.


ウユニ塩湖salar de Uyuni

コイパサ塩湖対岸の村

コイパサ塩湖対岸の村

コイパサ塩湖を渡り切ると対岸の村に出た.右手前に少し大きな木がある.これまで灌木だけだったので今日初めて出合う大木(?)だ.

それと背後の丘にニョキニョキ何やら大きな棒が見える.サボテンということだ.この辺り特有の柱サボテンで,次の日ウユニ塩湖のインカワシ島で間近に眺める予定だ.


キヌア(Quinua)の畑(畝)

キヌアの畑(畝)

まだ塩っぽい対岸村を進むと,何も作物は見えないが畑の畝が見えた.畑を見るのも実に久しぶりだ.キヌア(Quinua)の畑だそうで,こうした普通の植物なら全く育たない塩っぽい荒れ地でも育つそうだ.いや~実に健気だ.そう言われれば収穫したキヌアの枯れ茎が少し散らばっている.

昨年同時期,隣国ペルーのブランカ山群を訪れた時は穂を付けたキヌアを多く見たものだが,ここボリビアでは既に収穫後,次の栽培準備だ.少し作付けタイミングが早い方にずれているようだ.


夕刻のアタカマ高地を進む

夕刻のアタカマ高地を進む

思いっきり砂塵を巻き上げながら荒野のダート一本道を進む.車間をとってもやはり車内に幾らか入り込む.さすがのトヨタ車にもまだ改良の余地はありそうだ.

大分陽は低くなり,低い灌木の影でさえ,道を横切るほど長くなった.ところで今日一日は薄雲が架かっている土地が多かった.これまでと,この後の日は殆ど完全な快晴が続いたように思う.


ウユニ塩湖近くに来て陽が落ちる

ウユニ塩湖近くに来て陽が落ちる

アタカマ高地を南下し,ウユニ塩湖が近くになった.そして陽が落ちて真っ暗になった.ダートの道はもち論外灯とか一切ないのでドライバーの皆さんは大変だ.長時間ドライブで疲れているし,ご苦労さまです.


ウユニ塩湖に入る

ウユニ塩湖に入る

そして道はウユニ塩湖に入っていった.そして向かう方向,湖畔のタフア方面(東)からは月が昇ってきた.ちょうど満月のようである.


延々とウユニ塩湖を渡る

延々とウユニ塩湖を渡る

月明かりの下,ランクルの隊列は延々とウユニ塩湖を渡り続けた.外灯はないが満月の明かりが助けてくれるし,信号なし,対向車なしでぶっ飛ばせる.ただ巻き上げる塩分で車体の傷みは進むそうだ.

上述のコイパサ塩湖縦断よりず~っと長い距離走るのだが,夜間なので途中で中断せず走り続けた.


タフア到着get to Tahua

タフアのロッジに到着

タフアのロッジに到着

ウユニ塩湖北の湖畔に位置するタフアのロッジ(Hotel Tayka de Sal Tahua)に到着した.

周囲には住宅などなく,静かな環境で,平屋建てロッジ風の造りだ.


部屋が足りなくなり相部屋に

部屋が足りなくなり相部屋に

全部で20程度の部屋があろうか,幾人かの外国人客も見かけた.添乗Hさんから,何れにしても部屋が足りなくなったので相部屋でと言われた.実は出発前に電話で告げられ,ここと翌日ビリャマルのロッジでもそうだという.腑に落ちないが....

で,Tさんと同室ということになった.ツインベッドの部屋に入り,開かずの踏切の解消や日立のソフトウェア工場など,少し言葉を交わし,初めにTさんがシャワーに入った.湯が意外とちゃんと出るという.それを聞いて私も心配なく入ったが,たしかに十分熱い湯が出てほっと,いやhotか,した.

なおこの日もシェラフも用意してもらったが,毛布だけで十分そうなので使わなかった.


大きなストーブの灯るロッジレストラン

大きなストーブの灯るロッジレストラン

ロッジレストランは中央に大きな薪ストーブが据えられ,赤々と火が灯っていた.ただレストランは広いし,熱気は厚い石壁に遮断され,そのまま煙突で外に排出される熱効率の低そうな構造で,あまり暖かくならない.いわゆる見掛け倒しというやつだ.

とは言ってもインテリアとしては十分で,楽しい食事を助けてくれるであろう.


タフアでチキンの夕食

チキンの夕食

チキンで,丸くなった米にキヌアだったか....?味はまあ,取り立ててどうこう言うものではなかろう.添えたビールは今までと同じ小瓶で,味はこれまで通り美味しい.5ドルだったか.

甘いデザートのとき,シェフがテーブルに現れ,挨拶した.そして味はどうでしたか?と訊く.こうした場合,まさか『まあまあでした』とか言いづらい.やはり良かったです,かな~


ということで長い一日は終わった.明日はまたウユニ塩湖ドライブの後,南に進む.


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