このアルジェ(後)編では,2018年11月14日アルジェで朝を迎え,アルジェのカスバへ行き,カスバの通り,ムスタファパシャ宮殿,ケチュアモスク周辺,ジェディッドモスクなど見物した後,アルジェ空港へ行き,最初ドバイへ飛び,翌15日未明ここから成田へと飛び,今回の旅行を終えたときの写真を載せました.
アルジェ(前)で載せたのと同じマップで,アルジェで訪れた場所を記した.この中で今回は旧市街カスバを見物した.
別窓でアルジェ辺りの大きなGoogleマップを開く11月14日ハニホテルの朝,5:30AM大音響のアザーンで目を覚ます.そして5:58AMまた鳴り響いた.元々6:00AMにコールしてもらう手筈だったのでちょうど良かろう.
レストラン階に降り,朝食を頂き,また部屋に戻り荷をまとめる.
そして窓を開けると,大きな青いドームのモスクにミナレットが見えた.比較的近い右隣にも見えている.どうやらこの2つからのアザーンがズレた時間であったようだ.
バスに乗り,カスバに行くため湾岸通りを北に向かった.このルートは既に幾度となく通っている.程なく建設中の大モスク,大ミナレットをまた眺める.大きいが湾岸国のきらびやかなモスクと比べると,少なくとも外観は実にさっぱり,シンプルである.
大モスク先辺りは道路がよく整備されている.中央分離帯は公園になっており,庭木に芝生,それに噴水などきれいに手入れされている.
ここはアルジェ中央駅近く,いや既にその内側かな.青い車体の電車がこちらに向かってきた.混み具合を見たかったが,わからなかった.
小型漁船がいっぱい港に停泊している.既に朝の漁が終わり,水揚げが済んだのか.それともこれから出かけるのか,あるいはこの日はお休みかな.
昨夜食べた夕食の魚は,レストランから近いのでこの辺で水揚げされたものでしょうね.
銅像前になった.ブルッギーンイブンズィーリ(Buluggin ibn Ziri:ズィール朝王973年~984年)像,ベルベル人でズィール朝を興した人物という.それ以前はにファーティマ朝同盟国格の支部長であった父親ジリイブンマナド(Ziri ibn Manad)の下で働く軍人で,アルジェ,ミリアナ,メデアなど平定した功があったそうだ.そして父ジリ亡き後,ブルギンはアルジェリアの総督になり,他部族を制圧したということだ.
アルジェの始まりはカスバなので,カスバの創設者とも言えよう.
アルジェのカスバは丘の斜面に造られているが,その高い位置の入口辺りから入り,下りながら散策する.
この辺りにあった住宅のタイル模様はなかなか素晴らしい.タイルは色合いからすると磁器(セラミック)でしょうか.
アルジェだけは他の都市や村と違って警察官の警護がなくていいのだが,カスバだけは一人私服警官を付けないとならないそうだ.観光客に危険なのでしょうか,それとも観光客が厄介なことを引き起こす恐れがあるからでしょうか.....
大昔観た映画『アルジェの戦い』は殆ど覚えてないが,カスバのように込み入った建物や路地で銃撃や爆破のシーンが多かったことが微かに思い出される.今も僅かながらもそうした要素があるということなのでしょうか.....
さて,そうこうしているうちにかっこいいお巡りさんが出てきてくれて,カスバの散策が始まった.
石畳の路地を下り始めると建物の壁にタイルの絵が架かっていた.カスバの特徴的な部分を描写しているようだ.水彩画のようなトーンだが,ちゃんと焼かれたタイルで,雨でも大丈夫なようだ.
こちらはアルジェ湾から眺めたカスバを描いたタイル画だ.丘の斜面に扇型に展開されている様子,それにその前に築かれた堤防で守られた港湾の様子がよく解る.
アルジェのカスバは,本来オスマン帝国支配下の16世紀,このアルジェの丘に建てられたオスマン帝国太守の城塞のことであるそうだ.この城塞と海岸線と起伏のある地形に囲まれた一帯,つまりタイル画の扇形部分で人口が増加し,(旧)市街が形成された.やがて市街全体もカスバと呼ばれるようになったという.
なお宮殿やモスクはいくらか残っていて,後で訪れる予定になっている.
前述のようにカスバは斜面に貼り付いた街の構造で,上下高低差は118mあるそうだ.それなので多くの道(路地)は階段状で,しかも曲がっている場合が多い.
路地が階段状で,曲がっているので,その両サイドに隙間なく建つ住宅群もまた凸凹し,曲がっている.それがまたなかなかの奇観を呈する要因となっている.
路地右側の建物は傾きかけ,このまま放置すると完全に倒壊しそうな状況にある.そこで鉄骨の支え棒(ブロック)を入れ,路地反対側の家にもたれ掛るようにした.
ただ今度は左側の家が危なくなりそうな.....左が耐えられないと,両方潰れてしまう.ここは世界遺産なので取り壊しはままならないし....
カスバを歩いていると幼児のためのメドレセ(madrasa イスラム神学校)があると聞いて驚いた.ガイドSさんが交渉し,中を覗かせてもらった.男の子も女の子もいて,一見普通の幼稚園のようなものであろうが,イスラムの教育がなされるのが他とは決定的に違うところだ.驚いた.
少なくとも昔は全住宅に水道は行き届いてなかったのであろう.そのため街のあちこちにはこうした水場が設けてある.多分現在も機能しているように見える.
カスバからアルジェ湾に造られた港を望むことができる.往時は海からの襲来に備える監視がし易かったであろう.
カスバの通りはどんどん続く.カスバの路地は,ムザブの谷の村の路地と比べて階段のステップ幅が広く,傾斜が長く続いているように見える.
たまたま家事が忙しくて,外に出る人が少なかったのか,ロバやロバ車は見なかった.ロバやロバ車,それに手押し車にはちょっときつく見える.
ところでアルジェのカスバと言えばやはり『カスバの女』でしょう.
ここで大高ひさを氏作詞の歌詞1番を転載させてもらおう
“ 涙じゃないのよ浮気な雨に
ちょっぴりこの顔ぬらしただけさ
ここは地の果てアルジェリア
どうせカスバの夜に咲く
酒場の女のうす情け
”
そしてこの歌をエト邦枝さんが唄った後,何と青江三奈,八代亜紀,藤圭子,ちあきなおみ,石原裕次郎....等々たくさんの歌手が唄っているのですね.Youtubeで幾つか聴けた(青江三奈は見つけられず).音痴のカナジーが言うのはおかしいというのは置いておいて,特に八代亜紀は素晴らしく,他のアーチストもそれぞれ特徴を発揮していてとてもいい.
それと,地の果てとか,イスラム圏の酒場とか,なかなか大胆ですね.
無条件に可愛い子猫たちだ.
イスラムで猫は問題ないので,このようにまとめて飼っている人もいるのだ.いや,路上なのでひょっとして捨て猫かな......
なお最初のころ,犬を見かけて,Sさんに訊いたところ屋外であれば問題ないしとの答えを得たことがあった.でもその後犬はあまり見てないですね.
カスバの靴工房で,オーダーに応じて一から作る靴屋さんのようだ.東京だと登山靴を注文で作るショップがあるようだが.もちろん高級店なら他にもいろいろあるでしょう.
ここのパンは1つ20DA(20円くらい)と安いようだ.アルジェリアのパンはこれまで皆美味しかったので,ここのも美味しいと思う.
入口前にホワイトボードがあるので,メニューだと思う.そして二人の女性が,ここ入ってみる?と話し合っている,と想像.全く違うかな.
それにしてもこの坂半端ないですね.
庇付き窓は雨を防ぐためか?いや窓が細いので違うかも.この細窓から通りを見下ろすのだが,その際道路を挟んでお向かいの建物から女性の顔が見えないようにするためかも知れない.
ここも急坂だ.右側の建物は表面の白い漆喰が剥がれ,内部のレンガが露出している.世界遺産なので,建て替えはままならず,元の姿を維持した補修はコストが高くつくので,大変そうではある.
さらに急な坂があった.元々城塞を山城として建設したことから始まったので,城下町が坂だらけになったということだろう.
風景と鳥の壁画があった.ただの落書きではなくしっかりしたタッチで描かれている.鳥の下の矢印先に小鳥屋さんがあるのかな.
壁にはレリーフが施され,非対称観音開きのドアには鋲で模様が描かれている.お金持ちの住まいなのでしょうね.
ここは1799年築のムスタファパシャ宮殿(1799年~).今は博物館になっている.ムスタファパシャという名の方はオスマン帝国で何人か居られるようだが,この場合のダルムスタファパチャ(Dar Mustapha Pacha)のことを指すのであろうか.よく解らないまま眺めて時間となった.
ムスタファパシャ宮殿は幾つもの展示室で諸物が展示されているのだが,入り口付近と,パティオ周辺の写真やイラスト以外は撮影禁止で,ちと残念だ.
ムスタファパシャ時代の女性(多分宮廷クラス)のファッションのようだ.全般に華やかで,極端な寸胴スタイルはなく,また髪の毛はかなり露出しており,むしろ自由度が高かったのでは....
女系社会で,男性が全身覆い隠し,女性はむしろフリーな服装というイスラムでは特異な生活様式を持つというトゥアレグ族(Tuareg)男性の肖像画.この絵では黄色であるが,本来青い装束が基本という.
オスマンのムスタファパシャにとっても,普通のベルベル人とは異なる対応が必要だったのでしょう.
よく分からないが美女の写真が並んでいた.アラビア語と仏語で困ったが....ムスタファパシャ宮廷に特段縁ある女性とは書いてないような....
カスバの通りを大分下り,美術商の店頭になった.さてこれはパステル画であろうか.額に入れた作品を翳して通り行く人の反応を待っている.絵の他にも壺などの実用品も展示している.
美術商(またはその近く)の壁にはタイル画があった.ただこの絵はちょっとややこしくて,宮廷若しくはその周辺の優雅な生活を描いているように見えるのだが,果たしてそれでいいのか....自信がない.
色のコーディネートなどはとても優れていると思う.
これが著しく衝撃を受けたアルジェリアイスラム,多分イバード派だけか,の女性三態だ.もちろん左と中央は他国でもしばしば出会うし,まあ,一般的だ.特異なのは右女性の片目だけは見せ,他全てを覆うという様式だ.つい一昨日ムザブの谷で実際に見かけびっくりしたのだった.
この写真のようにたとえ一緒のグループであっても,片目出し,両目出し,顔出しそれぞれ勝手であるところも面白い.
坂を下るとケチャウモスク(Ketchaoua Mosque)があった.
当モスクは最初1436年に建立され,17世紀にオスマン帝国に占領されると一部オスマン様式に改築されたそうだ.
しかし今度は仏植民地になり,サンフィリップ大聖堂(St. Philip's Cathedral)の名のカトリック教会に変更されたそうだ.現在のファサードで横の塔,元はミナレットなのであろうが,カトリック教会でよく見かける鐘楼デザインのようにも感じられる.実際仏建築家がカトリック風(ビザンチン風)にさらに改築したようである.
そして1964年,アルジェリアが独立を果たすと,再度モスクに変換され,いまここに佇んでいる.
ケチャウモスク下,海に向かう緩やかな傾斜の付いたショッピング街になっている.カスバとは対称的に広い道路と開けた空間で,普通に安心して歩けるエリアだ.
私たち一般人が決してその着衣姿を見ることはないであろう,華やかな婦人服のお店だ.家の中や,或いは女性同士のパーティーなどで楽しむということだ.
金や銀の婦人靴のお店だ.靴に関しては制約はあまり聞かない(ような気がする)し,しかもアルジェリアではドレスコードが緩い(法的に制限なし)ので,市中で履いている人がいるでしょう.
このエリアは観光客も多いところだ.当然デーツ専門店があっていい筈だ.前にも書いたが,アルジェリアデーツは,これまで食べた各国のデーツの中では最高だと思う.
海岸まで降りると白亜のジェディッドモスク(new Mosque)に至った.ジェディッドとはアラビア語で新しいという意味だそうだ.実際新しく,ミナレットは時計台を兼ねている.
またモスク前広場には,ここで寛ぐ一般市民の姿が多く見られる.
ジェディッドモスク脇には発掘中の遺跡が眠っているようだ.部分的に掘り起こされたところを覗くと,レンガ積み構造物などが見える.
アルジェ見物が全部終わり,湾岸を通過しアルジェ空港へと向かった.
この辺りはコンテナヤードになっているようだ.
途中大きなスーパーマーケットに立ち寄った.カルフールとかでない現地資本のスーパーであるようだが,1フロアのとても大きな売り場だ.
皆さんアルジェリアデナール消費を兼ねて,デーツやクッキー,チョコなど仕入れていた.概して安価であると思う.
バスは波型屋根のアルジェ空港(ウアリブーメディアン空港 Houari Boumediene Airport)に着いた.ここで荷を下ろす.バスドライバーCさん長い距離と時間,ありがとうございました.
私たちはエミレーツ航空カウンタでチェックインした.昨夜シートはwebチェックインで確保してあるので,荷物預け入れだけだ.
チェックインが済むと,2階レストランでサラダとハンバーガーのランチを頂く.そしてガイドSさん,アシスタントJさんとお別れになった.ほんといろいろありがとうございました.
安全検査を受け,ドバイ行きEK759便搭乗口へと進んだ.なぜかエミレーツ航空は水の持ち込みに寛容で,別に何も言われなかった.
ドバイ行きEK759便は,機首にはB777-300ERの機材名,それに2020年ドバイEXPOがロゴと共に記されている.国際博覧会は色々なものがあるのでしょうが,つい先だって決まった大阪2025EXPOと同じ大げさなものでしょうか,多分そうですね.
EK759便に乗り込み,昨夜苦労して確保した39D席に座った.39Dの横には薄い字でEK758 Dubai to Algiersと書かれている.どうやらドバイからアルジェに飛んできた機材がまだちゃんと整備されていないようだ.
EK759便の夕食は野菜サラダに,マッシュポテト,ブロッコリー添えビーフシチューかな.ワインを付けてくれるのが嬉しい.
エミレーツ航空は,何社かのリアルタイムTV放送が映るのがいい.CNNはUKのEU離脱問題を報じていた.メイ首相は大変そうだ.
画面右上にロンドン時間5:08PMが出ているが,真っ暗ですね.まあ,この時期だから1時間位前から暗くなりかけていたでしょうか.
EK759便は定刻にドバイに到着し,COBUSで乗り継ぎターミナルに入った.これから次の成田行きEK318便ゲートに向かう.
一部関空組の人はそちらのゲートに向かう.どうぞお気を付けて.
さてドバイでは深夜成田行きEK318便に乗ったのだが,幸い隣の席が空いていたので肘掛けを上げ,エビ形に背を丸めてよく寝ることができた.
そして起きると,まだ暗いが朝の時間帯で,朝食を配ってくれた.これを見るとお蕎麦に,オムレツ,ブロッコリー,人参....左は不明...などか.
何れにしても朝からワインを付けてくれたのは嬉しい.
朝食のトレイ回収の頃はもう日本上空だった.いや~フライト時間は長いが,各地見物はあっという間に終わりだった.なかなか良かった.
EK318便は定刻に成田に到着し,入国する.そして荷物を受け取り,同行の皆さん,添乗Nさんにお礼を述べ,通関し,JALABCにバッグ配達を依頼する.
そして京成に乗り,帰路に就いた.楽しかった,おしまい.