コンスタンティーヌConstantine

このコンスタンティーヌ編では,2018年11月9日ジェミラ遺跡見物後,コンスタンティーヌへ向かい,着くと街の丘に上り,次いでコンスタンティーヌあちこちの橋を巡り,当夜宿泊ホテルへ行き一泊.あくる日10日朝コンスタンティーヌの朝風景を眺め,アブドアルカーディルモスクを見物したときの写真を載せました.

コンスタンティーヌ付近のGoogleマップ(静止マップ)map around Constantine

コンスタンティーヌ付近のマップ(Googleマップのスクリーンショット)

ジェミラ遺跡8を見物後,パトカー先導の下で,元の東西街道に戻り,そこを東に走りコンスタンティーヌ9に到着した.コンスタンティーヌはアルジェリアで3番めに大きい街だそうだ.

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コンスタンティーヌへgo to Constantine

ジェミラからのもどり道,黒い雲が出てきた

ジェミラからのもどり道,黒い雲が出てきた

さてジェミラからの南北道への戻り道,黒い雲が出てきたようだ.その下で羊は草を食みならゆっくり移動している.羊は食べるのが仕事だ.


西道へ分岐する

東西道へ分岐する

そのうち東西道にぶつかり,Constantineの標識があり,そちら東方向に折れる.ここら辺も道は空いており結構だ.


コンスタンティーヌの街が見えてきた

コンスタンティーヌの街が見えてきた

この辺りはまたジェミラから続く穀倉地帯のようで広々している.そしてその一方の緩やかな丘陵に建物が貼り付くコンスタンティーヌの街が見えてきた.


コンスタンティーヌの街に入る

コンスタンティーヌの街に入る

やがてコンスタンティーヌの街に入ってきた.この辺りは街の縁なので新市街地なのであろう.建物は近年のものが並んでいる.

コンスタンティーヌ(Constantine)は人口は約55万人でアルジェリア第3番目の都市だそうだ.標高640mで,街の中央をラーメル渓谷(Rhummel)が走り,そのため峡谷を跨ぐ橋が多く掛かっているのが特徴とのことだ.そして物好きな私たちはそれをわざわざ見るために行こうとしている.

このエリアには元々ベルベル系の半遊牧民の部族連合ヌミディア人(Numidae)の縄張りで,紀元前3世紀頃にはギリシア入植民の助けも得て都市が建設され,兵力も有していたそうだ.ただ後にローマ帝国に侵略され,敗れ,ローマ市民権を与えられながらも,配下になったという.そして4世紀初頭アフリカ諸州で争いが起こり,この地方も甚大な被害を被ったが,再建し,時の皇帝コンスタンティヌス一世の名を冠したコンスタンティーヌの市名に改めたという.まあ有りがちな謂れではあろうがやむを得まい.


シディムシッドの丘Sidi M'Cid Hill

コンスタンティーヌ中心部になる

コンスタンティーヌ中心部になる

コンスタンティーヌ市街に入り少し進むと,歴史のありそうな茶色っぽい建物が並ぶ中心部になった.そして早速大きな橋が目に入る.この写真中央はシディラシッド橋(Sidi Rashid bridge)と呼ばれるそうだ.

シディ(Sidi)は偉大な人につける尊称だそうで,ラシッドがどういう方か判らないが,例えばラシッド師橋のような感じになろうか.シディラシッド橋は深いラーメル渓谷(Rhummel)に架けられ,市中心部クディア地区(Coudiat)とコンスタンティーヌ駅を結ぶ橋だそうだ.橋は1908年~1912年の間にフランス人の手で設計し建設されたようだ.当時世界で最も高いコンクリート橋で,全長447m,幅12m,高さ107mで,27のアーチで支える多重スパンアーチ構造というそうだ.


高架道路を進む

高架道路を進む

ここはラーメル渓谷の上ではないが,起伏ある市内の地形上に設けられた陸橋のようである.吊橋構造であるが大きなポール両側複数箇所から並列にワイヤを張る,現代で一般的な斜張橋構造だ.


ラーメル渓谷に近づく

ラーメル渓谷に近づく

ラーメル渓谷に近づいてきた.道路標識がアラビア語だけのものがありお手上げだが,まあ目指すシディムシッドの丘は直進方向の筈だから関係ないか.


ラーメル渓谷脇通過

ラーメル渓谷脇通過

深く大きなラーメル川の渓谷(Rhummel)が見える.こんな大きな街の真ん中をこんな大きな渓谷が流れているなんて.....実に不思議な感覚だ.

巨大都市東京にも等々力渓谷と呼ばれる立派な渓谷が流れているが,規模がまったく違う.ラーメルと比較してしまうと箱庭のような感じだ.やはり比較せず,単独で見るのが良さそうだ.


コンスタンティーヌの鉄路

コンスタンティーヌの鉄路

道路の下に鉄道線路が見えた.起伏ある地形なので所定の勾配に収まるように敷設してあるのでしょうが,なかなか大変だったのではないでしょうか.


シディムシッドの丘

シディムシッドの丘

シディムシッドの丘(Sidi M'Cid Hill)に着いた.シディムシッド橋の袂にあり,戦没者慰霊の門が据えられている.門の上には勝利の女神像が置かれ,第一次世界大戦でフランスと共に戦い,市民の命を守ったコンスタンティーヌの人々を記念したメモリアルだそうだ.


シディムシッドの丘崖っぷちに立つ二人

崖っぷちに立つ二人

シディムシッドの丘は崖の上だ.崖はものすごく深い.この写真では全くフラットにしか見えないバカげた写真だが,実はこの二人は崖っぷちに立っている勇者(?)だ.


シディムシッドの丘もう一方ラーメル渓谷側の眺め

もう一方ラーメル渓谷側の眺め

上写真の左側眺めで,ラーメル渓谷対岸の眺めだ.対岸側もやはり崖の上で,トンネルが掘られ,道や建物が作られている.崖の巻道は怖そうですね.


コンスタンティーヌの橋巡りbridges in Constantine

コンスタンティーヌのシディムシド橋(Sidi M'Cid Bridge)

シディムシド橋

シディムシドの丘から直ぐ近くに架かる吊り橋がシディムシド橋(Sidi M'cid Bridge)で,ラーメル渓谷(Rhummel)に架り,仏技術者設計で高さ175m,長さは164m,1912年開通し,当時は世界最長だったそうだ.また小型車なら対面通行も可能そうだ.12本のメインワイヤは2000年に交換修復されたそうで,安全性は確保されているそうだ.

いくらか雨が落ちてきたが,私たちはシディムシドの丘側から,向こうの旧市街側に歩くことにした.


コンスタンティーヌのシディムシド橋中程の眺め

シディムシド橋中程の眺め

シディムシド橋中程に至り,渓谷真上になると渓谷両側から立ち上がる急峻で高い崖が眺められる.圧倒的な崖だ.この上に城を築けば,所謂山城として防御に強い砦になろう,と先人は思ったでしょうね.

また上流側比較的低いところには橋脚のある橋(名前不明)も見えている.


コンスタンティーヌのシディムシド橋さらに先に至りエルカンタラ橋を望む

シディムシド橋さらに先に至りエルカンタラ橋を望む

シディムシド橋をさらに先に進むと,中央の大きなアーチをその左右のアーチ型2連橋脚で支えた白いエルカンタラ橋(El Kantara Bridge)が見えてくる.なおアーチ型2連橋脚は左右とも崖の縁まで複数設けられているかな.....はっきり見えないな.

エルカンタラ橋は高さ125m,スパン57m,1863年建設で,ローマ様式からフランスの鉄鋼アーチにコンクリートを採り入れたマルチアーチスタイルが特徴のようだ.なおこの場所には,も少し低い位置に古い時代の水道橋として機能した2段アーチ型石橋が架けられていたそうだ.

またエルカンタラ橋手前には大きな穴が見えるが,これは流れで侵食され自然にできたものということだ.

なお左側崖の中腹をトラバースする道路とトンネルが通っている.崖は岩のようであるから,建設は大変であったであろうが,崩れる心配は少ないであろう.


コンスタンティーヌのシディムシド橋から右岸を眺める

シディムシド橋から右岸を眺める

シディムシド橋中程で右岸を眺める.こちらも崖中腹をトラバースする道が設けられ,路面はカーブと起伏があるし,ガードレールは見えないし,なかなかスリルがありそうだ.


コンスタンティーヌのラーメル渓谷右岸の旧市街に出る

ラーメル渓谷右岸の旧市街に出る

シディムシド橋を渡りきりラーメル渓谷右岸に着いた.右岸の通りはコンスタンティーヌ旧市街を貫通しているようだ.


コンスタンティーヌにロープウェイ駅あり

ロープウェイ駅あり

ラーメル渓谷を渡るロープウェイがあるようだが,このときはメンテナンスか何かで休止中なのか動くゴンドラは見えなかった.いや単に運転が疎らなだけかな....


コンスタンティーヌ旧市街を歩く

コンスタンティーヌ旧市街を歩く

コンスタンティーヌ旧市街を歩いた.旧市街的趣はいろいろ感じられるが,カスバと称していいものかどうか....

そこで改めてカスバ(casbah)を引いてみると,城塞とか,城塞に囲まれた居住地区,と載っているが,はてそれに該当するかな....


コンスタンティーヌでラーメル渓谷右岸から上流を眺める

ラーメル渓谷右岸から上流を眺める

上流側にも自然に刻まれた大穴があり,上にブリッジができている.穴の大きさ,高さを見ると増水時は相当高い位置まで水位が上がるのでしょうね.


コンスタンティーヌ左岸の穀物貯蔵サイロ

左岸の穀物貯蔵サイロ

対岸(左岸側)を眺めると穀物貯蔵サイロが見えた.ここ周辺特産小麦の貯蔵が多いそうだ.


コンスタンティーヌでエルカンタラ橋を渡る

エルカンタラ橋を渡る

先程シディムシド橋上から眺めたエルカンタラ橋(El Kantara Bridge)を,右岸から左岸側に渡った.幅があり,歩道も十分で,また車もたくさん通っている.雨脚が速くなってきた,急ごう.


コンスタンティーヌのエルカンタラ橋から眺め下ろしたラーメル渓谷

エルカンタラ橋から眺め下ろしたラーメル渓谷

エルカンタラ橋から眺め下ろしたラーメル渓谷は見事なほどのV字谷だ.つまり氷河が抉ればU字谷となるが,V字状なので水が削り取ったのだ.

いや~ほんと見事なV字谷だ.


コンスタンティーヌ駅とローマ皇帝コンスタンティヌス一世像

コンスタンティーヌ駅とローマ皇帝コンスタンティヌス一世像

エルカンタラ橋を左岸に渡り切るとコンスタンティーヌ駅があり,その前に白い大理石のローマ皇帝コンスタンティヌス一世(Constantinus I,Gaius Flavius Valerius Constantinus)像が立てられていた.同皇帝は当コンスタンティーヌ市の名の元になった人物だ.前にも記したが,ミラノ勅令を発布しキリスト教を公認したことは有名.


コンスタンティーヌのペレゴ歩道橋(Perregaux Footbridge)

ペレゴ歩道橋

橋渡り締めはペレゴ歩道橋(Perregaux Footbridge)の往復だ.この橋は歩行者専用の狭い吊橋で,高さ107m,長さ125m,1925年に架けられたそうだ.結構古く,車が通れなくともそれなりにニーズがあったのでしょう.


コンスタンティーヌのペレゴ歩道橋袂の家

ペレゴ歩道橋袂の家

ペレゴ歩道橋を右岸側まで渡ると行き止まりで,確か上に上るエレベータ,いや階段だったか....があったようだ.

そしてその袂右側には殆ど岸壁に同化した家が建てられていた.いや~すごいですね~


コンスタンティーヌのペレゴ歩道橋からまたエルカンタラ橋とラーメル渓谷を眺める

ペレゴ歩道橋からまたエルカンタラ橋とラーメル渓谷を眺める

ペレゴ歩道橋からまたエルカンタラ橋とラーメル渓谷を眺めてみた.左岸には結構崖の縁まで建てられてますね.多分地盤が岩石で,崖崩れの恐れが少ないのでしょうか.


コンスタンティーヌのホテルへgo to the Ibis Hotel

コンスタンティーヌ新市街を通りホテルに向かう

コンスタンティーヌ新市街を通りホテルに向かう

雨も多くなり,私たちはバスに乗り,コンスタンティーヌ新市街を通りホテルに向かった.

写真古代風エクステリアの建物は一見博物館のような感じだが,はて何だろう?


コンスタンティーヌのイビスホテルに到着

イビスホテルに到着

バスは欧系のイビスホテル(Ibis)に到着した.確か入り口にX線ゲートがあったか.

部屋に入るとイビスらしくコンパクトに纏まっている.結構だ.


コンスタンティーヌのイビスホテの窓風景

イビスホテルの窓風景

左側は旧市街のようで,また真ん前は住宅が疎らに点在する新市街か,いや農業地帯か?緑豊かだ.


コンスタンティーヌイビスホテルの夕食

イビスホテルの夕食

ホテルレストランではバフェ形式の夕食を頂いた.ここはビールを出してくれた.多分300DA(≒¥)程度ではなかったか.


コンスタンティーヌの朝風景in the morning at Constantine

コンスタンティーヌ朝のイビスホテルの窓風景

朝のイビスホテルの窓風景

さて明けて11/10(土)朝になった.窓を覗くと,昨夕と同じような光景が展開されている.つまりこの日も天気はイマイチの感じだ.


コンスタンティーヌ朝のイビスホテルで朝食

朝のイビスホテルで朝食

昨晩と同じイビスホテルレストランで朝食を頂いた,皿左側は枝先に付いたままのデーツで,これがアルジェリア風だ.元々デーツは好きなのだが,アルジェリア仕立てのデーツはベタベタせず,とても扱いやすく,また美味しい.気に入った.


コンスタンティーヌの朝最初はフランス団体とまとめてパトカー先導

最初はフランス団体とまとめてパトカー先導

同じホテルにはフランス団体も泊まっていたようで,最初だけは同じ辺りに向かうらしい.そこで先導パトカーはその人達と私たちをそこまでまとめて世話するそうだ.そして双方のガイドとドライバー,警察官がルート等について打ち合わせをしている.


コンスタンティーヌの朝風景

コンスタンティーヌの朝風景

バスでコンスタンティーヌ市街を通った.通勤時間帯であろうが,車があまり混み合うことなく動いている.


コンスタンティーヌ郊外は集合住宅が多い

郊外は集合住宅が多い

コンスタンティーヌ郊外は集合住宅が多いようだ.外壁はベージュ系落ち着いた色が多く,また意外と樹木が豊富に植えられている.なかなかいいと思う.


コンスタンティーヌでトラムも走る

トラムも走る

一両の長さが短い(錯覚か?)が7両編成のトラムが通過していった.市の中心部に向かうのであろう.


アブドアルカーディルモスクEmir Abdelkader Mosque

アブドアルカーディルモスクに到着

アブドアルカーディルモスクに到着

バスはアブドアルカーディルモスクゲート前駐車場に着いた.ゲート内側には白亜のモスクと高いミナレットが見えている.


アブドアルカーディルモスク全景

アブドアルカーディルモスク全景

アブドアルカーディルモスク(Emir Abdelkader Mosque)は1994年建立され,これまでではアルジェリア最大のモスクという.礼拝堂ドームの高さは64m,2本ミナレットの高さは107mで,中の階段は365段あるそうだ.そして礼拝堂は15,000人収容可能だそうだ.

また本モスクはエミールアブデルカダーイスラム科学大学も併設しているそうだ.

ところで名を冠したアブドアルカーディル(Emir Abdelkader:1808~1883年)についてであるが,フランスによるアルジェリアの植民地化に抵抗した人物で,アルジェリア民族運動の父とも評されるそうだ.

元は先祖から受け継いだスーフィー教団指導者で,1830年仏のアルジェリア侵略が始まると同国に対してジハードを宣言し,16年間抵抗を続け,一時アルジェリアの三分の二を制圧し,軍事,財政面の近代化を図った.しかし1847年に降伏せざるを得ない事態になり,1852年まで仏ポー城に幽閉され,ルイナポレオン(ナポレオン三世)政権のもとで釈放され,以降ダマスクス(シリア)で暮らした.一部のアルジェリア人は師の教えを請い,ダマスクスへと移ったそうだ.その頃アルジェリアの『アラブ王国』化構想(先住民に一定の配慮をした植民地統治という)を抱いていたナポレオン3世に協力し,1860年に仏最高勲章を授けられたという.


アブドアルカーディルモスクの広い庭

アブドアルカーディルモスクの広い庭

アブドアルカーディルモスクにはとても広い庭が設けてある.白い大理石に黒い石の模様が象嵌されているようだ.

礼拝堂に入りきれないときはここでお祈りするのではなかろうか.


アブドアルカーディルモスクで一人お祈りするチャドルの女性

一人お祈りするチャドルの女性

庭の片隅で,コーランであろうか本を広げて祈っているような姿の女性がいた.これは想像だが,このモスクは女性が入ることができないので,こうして外でお祈りしているのであろうか.他国でも女性の入れないモスクはよくあるので.だが今思うに,私たち見物人は女性も含めて問題なく入れてくれたし....どうやら別の理由で外で読んでいたのだな.


広い庭から眺めたアブドアルカーディルモスク全容

広い庭から眺めたアブドアルカーディルモスク全容

広い庭から幅広い階段の上にモスク本体が建てられている.ファサードは円柱で支えられた5つの連アーチは典型的イスラム様式で,とても美しい.

ミナレットは細身の四角で,これまで見てきたような,四角いアルジェリア様式が採用されている.


アブドアルカーディルモスクアーチの細かい彫刻格子

アーチの細かい彫刻格子

アーチは礼拝堂本体前の回廊部の外側に配され,アーチには細かな彫刻格子が組み込まれている.またアーチを支える2連円柱柱頭も,若干イオニア式要素を加味したような独自様式であろうか.


アブドアルカーディルモスクファサード回廊部の床

ファサード回廊部の床

ファサード回廊は相当広く白大理石,赤,黒の石を幾何学的形状に組み合わせて象嵌したもので,とても美しい.細い部分まで隙間なくピタリと合っているのが素晴らしい.


アブドアルカーディルモスク一般の入り口

一般の入り口

私たち一般人もここから入る.回廊はなくアーチと支柱は本体に接して建てられている.アーチや柱頭のデザインはファサードのそれと同じ様式である.


アブドアルカーディルモスク礼拝堂内部

モスク礼拝堂内部

礼拝堂は中央部にドームがあり,周囲は格子状柱と,縦横の梁が渡されている.そして床はシンプルなカーペットだ.


アブドアルカーディルモスクのミフラーブとミンバル

モスクのミフラーブとミンバル

入り口の反対奥側に控え目な鍾乳石飾りが,やはり小柄なシャンデリアで照らされたミフラーブ(Mihrab)と,その右に木製のミンバル(Minbar)が配置されていた.

また壁はタイル製なのであろうか,落ち着いたベージュ系の幾何学模様で,全般にシックなデザインだ.

また壁の一部はステンドグラスが嵌め込まれている.


アブドアルカーディルモスクの円柱

モスクの円柱

円柱の表面はやはりタイルなのであろうか,ただ壁と違って色の種類と形が多く,全般にきらびやかだ.また円柱下部はアラビア文字のカリグラフィーのようであるが,漢字で言えば草書のような感じで,文字には見えない(どのみち読めやしないのだが)


アブドアルカーディルモスクのドーム

モスクのドーム

ドームは,内部から見ると窓付き直方体の上に短い円柱を載せ,そこに半球体天井で覆った構造のように感じるが.....上の外観写真を見ると,四角い部分はなく,窓を持つ円筒部だけだ.この部分は円筒と四角筒が二重になっているなど複雑な構造なのかも知れない.

あるいは外観写真は撮影位置が近すぎるため,四角い部分が写っておらず,円筒の上部から上だけが見えているのかもしれない.う~ん,こっちかな~


アブドアルカーディルモスクで指導者に教わっている人

指導者に教わっている人

ガイドSさんの説明によれば,若い人がイマームなど指導者に教えてもらっている場面だそうだ.

他に6,7人のグループで,コーランを唱和している皆さんも居られた.これはコーラン読みコンテスト(というのがあるそうだ)に参加するため,皆で練習しているのだという.熱心ですね.



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