このワルグラ編では,2018年11月11日バトナを出た後少し寄り道し,街道を南へと走り続けトゥーグルトに至りここでランチ,食後南進を再開し,ワルグラ砂丘に至りここに上る,そしてワルグラのホテルに着きここで一泊.翌朝ワルグラの街を眺めながら今度は西に進み始め,このときの写真を載せました.
前ページではバトナ11を出てから途中ビスクラ手前のデーツショップ辺りで道草を喰いながら来たのを記した.このページはその続きで,ビスクラを通り,どんどん南下しトゥーグルトに着くとここでランチ,その後ワルグラの砂丘に至ってここを歩き,そしてワルグラ12に到着した.
別窓で大きなGoogleマップを開くビスクラ(Biskra)を過ぎると砂漠地帯に入ってきた.俗に土漠と言われるように,さらさらの砂ではなく,土の原ではあるが.標高の急な低下は全く感じなかったが,どうやら100m以下になったようだ.
そしてこの辺りでは道路の直ぐ近くに鉄道線路が敷設されている.列車が通らないかな~と心待ちにしたが.....通らなかった.
砂漠は続き,レールも暫く並行したが,そのうち道路と離れていった.多分またその辺で一緒になるであろう.暫く並行していた区間では残念ながら列車の通過は見られなかった.
近くには多分小規模ながらオアシスがあるのであろう,ナツメヤシの林が茂っている.
砂漠は果てず,一本調子で続いた.また送電線は多重化され,こちらもどこまでの続いている.比較的低電圧の配電系の電柱もコンクリートではなく,鉄鋼製が多いように見える.
大分走りトゥーグルト(Touggourt)の街に入ってきた.そして早速街道脇にモスクとそのミナレットが見えてきた.
トゥーグルトの人口は約70,000人,サハラ沙漠の広大なオアシスに発展してきたそうだ.標高62m程度で周囲のオアシスは大変肥沃でデーツ(ナツメヤシ)が特産であるのは,通過してきたビスクラ(Biskra)などと同じであろう.
私たちは落ち着いたデザインのTidjaniホテルに入り,そのレストランに座った.すでに1時40分だった.特にドライバーさんはご苦労さんだった.
レストランで出してもらった食事は,サラダに続き,写真のビーフシチュー,それに洋梨やみかん,デーツのデザートだった.この国ではビーフはステーキにすると硬いのか,煮込むタイプのレシピが多い.確かに柔らかでいいが.
ごちそうさまでした.
この辺りで先導パトカーの交代があったのだが,自動小銃を持ったお巡りさん(普通の警官でなく,例えば中国で言うと武装警察などに相当か)と話してみた.銃はカラシニコフAK-47だそうで,そうかこれが,有名なソ連時代からロシアに変わった今も続く,世界で最も多く生産された銃か~と初めて本物を見て,感心(?)した.そして円弧状弾倉を外して,中身を見せてくれた.弾丸は2列に合わせて30発装填されるのだ,なるほど.観察不十分だったが,銃口は一つなので,2列の待ち弾丸位相は弾丸径の半分だけズレているのかも知れない....もっと詳しく見ておけばよかった.でもどうもありがとうございました.
食事を終えるとトゥーグルトの街を抜け,またサハラ砂漠南下を再開した.砂漠は続くどこまでも.送電線,配電線も続くどこまでも.
砂漠なので電力会社は送電鉄塔を好き勝手にどこでも立てることができるので,地主とか,自治体との交渉が要らないので楽だ(←真に受けないで下さい)
サハラ砂漠の道路は続いた.この辺りは片側2車線で,中央分離帯もあり,しかも横から入ってくる道など全然ない.実質的に高速道路で,制限速度80km/hの標識も出ている.
砂漠なので道路も好き勝手にどこでも通せるので,土地買収で難航し,20年間全く進展なしとかいう事象が理解できないし,建設費用もタダ同然で済む(←うそです,これも)
ありました速度80km/hと,この先左カーブの標識が.他に多いのは傾斜地,ラクダに注意....といった標識だが,ラクダはともかくとして,砂漠だけにカーブや傾斜の程度は大したことない.むしろ居眠り注意の警告があった方が良かろうかと思う.
ナツメヤシ林が見えるようになった.つまりオアシスがあり,村や街が近くにあるであろう.
ところでディグリットヌールと呼ばれるアルジェリアデーツは大変美味しいと前に述べたが,大阪に詳しい添乗Nさんによると,大阪名物お好み焼きにはオタフクソースがよく使われ,その成分としてアルジェリアのデーツが使われているという.確かオマーンのデーツも使われると聞いたような気がするが,成分詳細はもちろん企業秘密であろう.お美味しければいいのだ.
村や街はすぐそこであろうが,その手前にワルグラ砂丘(Ouargla Dune)があり,上ってみた.間もなく陽が落ちるので間に合って良かった.ぶっ飛ばしてくれたドライバCさんありがとうございます.
ところでこの日は距離が長かったのに加えて,警護警察の交代が多かった.5回以上交代が行われ,その時間も要したと思う.
ワルグラ砂丘はちょうど赤味を帯びた斜光線に輝くタイミングできれいだった.間もなく輝きが失われる直前だ.
サハラ砂漠と言えども,俗に言う土漠が殆どで,こうしたサラサラの砂の土地は少ない.これは近隣のモロッコ,チュニジア,エジプト辺りでも同様だ.
ワルグラ砂丘の麓(入り口)は既にワルグラ(Ouargla)の街外れ,つまりワルグラの街に入ったのだった.
VISA TRAVELの看板が架り,青い鉄格子の嵌められたお店はちょっと怪しげなアラブの街の雰囲気だ.でもこれこそがガイドSさん,アシスタントJさんの属する旅行会社VISA TRAVEL本社なのだ.看板にある鍵穴形ロゴは,ヨレヨレながらバスの車体にも貼ってある(下の写真).
鍵穴内側はサハラ砂漠で一休み中のラクダとトゥアレグ族(Tuareg)の男だという.トゥアレグ族は元の言葉の意味からすると青い服,青いターバンが正装というか普通なのだが,ここでは目立たせるためか赤にしたようだ.ところでイスラム圏では,女性が全身,顔を隠すが,トゥアレグ族だけは女系社会で,反対に男が全身および顔を(青い布地で)覆い.女性は皮膚を露わにすることもあるそうだ.衝撃的なお話ですね,できれば出会ってみたいものだ.
鍵穴ロゴはそうした謎の世界への扉の鍵ということでしょうか.
さらにJさんと話してみると,教えてくれた.つまりJさんの父親がVISA TRAVELの社長で,Jさんを含めて9人の兄弟姉妹が皆この旅行社の仕事に関わり,まあファミリービジネスということだ.
なおJさん自身は9人中の末っ子で,建築学専攻で建築士だそうだ.ただそちらの仕事が途切れたりするときは,こうしてアシスタントガイドとして仕事するのだという.マルチジョブ,いいですね.
話は変わり,背後に数本の高い建設中の柱が見えるが,途中に床がなく,このように高い柱が必要なのは屋内競技施設,モスクなどであろう.こりゃ土地柄やはりモスクかな~と想像してみる.
この子はかっこいいマウンテンバイクにまたがり,何と言うのでしょう,こうした片輪走行や,階段昇降ワザを見せてくれた.いや~なかなかやるね~
ワルグラの子はとても友好的だ.明るい笑顔を振りまき,寄ってきて,写せ写せと言ってくれた.
私たち東洋人は殆ど見かけないので,珍しいので客寄せパンダ的に見られている面もあるだろう,多分.
バスはワルグラの街を進んだ.そしてどんどん陽は傾き,暗くなった.三相交流送電鉄塔,単相交流配電鉄塔が夜空に浮かび上がってきた.何れも避雷線が見えないのは雷があまりない土地だからであろうか.
TOYOTAの看板,そして多分そのアラビア文字表記,ロゴの掛かった既にシャッターを下ろした販売店が見えた.閉店時間は早い.
バスはルタッシリホテル(Le Tassili hotel)に到着した.リゾートホテル風デコレーション入り口には何げに4つ星が掲げてある.えっ,ほんとかな~一体だれの評価なんだ~と正直思った(←疑い深いたちだね)
ルタッシリホテルのレセプションに入ると,やはり4つ星が掲げてある.やはり本物かな~(←まだ疑っている)
またここにもテフリカ大統領の肖像画が掲げてあった.よほど好意的に見ない限り,こういうのは独裁政権の国に多いのだが....
はいこれが4つ星ワルグラルタッシリホテルの客室です.砂漠の中でまあこれで十分と思う.これが仮にテントであればサソリが入ってくる恐れとか,全く次元が異なってくるのだ.
ワルグラルタッシリホテルで夕食を頂いた.野菜スープに続き,うどん風スパゲティミートソース,フルーツサラダだったようだ.
写真からするとビールは33ビールだったようだ.exportと記されているので,外国産であろう.
ごちそうさまでした.
さてルタッシリホテルで一夜明け,11月12日朝になった.この日も早い時間の出発で,ホテルで朝食後,バスに乗り,走り始めた.まだ夜は明けきらないようで,若干薄暗い.街の交通量もまだ多くなくスムーズに走れる.
ワルグラの街にはトラムが通っている.まだ早い時間なので駅で待つ人の姿は多くない.いいことだ.
市内オフィスのデザインはアラビック風味に感じられるものがそれなりに見られる.例えばアーチ型壁やそれを支える円柱などだ.そして一般に色使いが柔らかで,配色がどぎつくなくナチュラルに感じられるのが多い.
トラムが来た.まだ乗客が少なく,空いている.
ベドウィン族,いやアルジェリアであるからトゥアレグ族(Tuareg)の人であろうか.前にも記したが,トゥアレグ族はベルベル系民族で,普通男性の青いターバンと民族衣装から『青衣の人』とも呼ばれるようだ.しかしこの人は全身白衣装ですね.でも常時青一色ということはなく,時折り白など色を変えることはよくあるそうだ.
なおトゥアレグ族はトゥアレグ語(若しくはタマシェク語)を話しアラブ世界の少数民族で唯一独自の文字を有しているということだ.何れにしてもこうした場所でラクダとそれを連れた人を見たのは驚いた.他国,例えばヨルダン,オマーン,エジプト....といった,アラブの国ではどこでも見かけるが,アルジェリアではあまりなさそうだ.
ワルグラの街を抜け郊外に出た.アルジェなど遠くの街までの案内も掲げられ,これからは西のガルダイアに向け進む.
ワルグラが標高130mくらいに位置していたが,この先は少し標高を上げていくようだ.先方の山は樹木がなく,朝日に照らし出された岩石の色一色だ.
さてこれからはガルダイアを目指す.