このバトナ編では,2018年11月10日バトナに行き宿泊,翌朝11日ワルグラ目掛けて出発するのだが,先ずバトナ周辺のナポレオン三世橋へ行き,次いでデーツの街へと進むときの写真を載せました.
11月10日ティムガッド遺跡10見物の後バトナ11に到着し,翌朝道草を喰いながら西に進む.
別窓で大きなGoogleマップを開くティムガッド遺跡を見物後,バスで西のバトナを目指した.夕方になり天気も怪しいことから暗くなってきた.羊飼いに連れられた羊たちも家に帰る頃だ.
少し行くとランバエシス(Lambaesis)の地名で呼ばれるここに,写真の廃墟があった.ティムガッドの街より以前の43BC頃に造られ,アフリカで唯一軍団を抱える総司令部が駐屯していた砦だったようだ.
つい先ほど見てきたティムガッドの街を造り,後に凱旋門が建てられた五賢帝の一人トラヤヌス帝も128年にここを訪れ,その時の演説内容が円柱に刻まれ,残されているそうだ.
途中軍団の内紛で途切れることなどあったそうだが,400年くらい続いたそうである.
街灯の灯り始めたバトナの街に入ってきた,少なくともこの辺りはあまり高い建物のないエリアだ.ただバトナ全体では結構大きな都市で,人口30万人近くで,アルジェリアで5番目に多く,オーレス山脈の中心都市になるという.
アトラス山脈とサハラ砂漠を結ぶカンタラ街道防衛,それと周辺の山地警備のため1844年,フランスによって設置された軍事基地がバトナの起源だそうで,さほど古いわけではなさそうだ.
2007年当時のアブデルアジズブーテフリカ(Abdelaziz Bouteflika)大統領来訪の機会を狙い,アルカイダの自爆テロが起こったことがあるそうだ.
バスはサリムホテルに到着した.HDRiのようなというか,いくらかケバい感じというか,そんなエクステリアかな.
レセプションは2階であったか,右手の壁にアルジェリア民主人民共和国ブーテフリカ大統領の肖像画が架けてある.1999年の大統領選挙で選出され,任期5年後,第2期目も当選し,その任期途中の2008年,憲法で規定する最長2期10年の制限をなくし,3選を果たす.そして日経の記事によると,ブーテフリカ氏は2013年に脳卒中で倒れたのだが,そのままの状態,実質連続的に国の統治が継続されている状況らしい.
二間の大きな部屋だった.一応スイートだったのかな....
でも暖房の効きはあまり良くなかったよ.カシオで見ると870mの高さがあるので,気温は低めなのだ.
バスルームも一応タブ付き.それよりも陶器にやり過ぎ,といった感じの模様や,タイルの配色コントラストがきつい.目がチカチカするよ.
なおwifiは問題なかった(なお今回はどこのホテルもOKだった.速度が遅いところもあるが)
7:00PMサリムホテルレストランで夕食を頂いた.これを見るとビーフシチュー系の食べ物だったのかな~ビールは出してくれたと思う.
11月11日,5:15AMという早いコールでサリムホテルの朝が来た.この日は行程が長いので早い時間の出発なのでそれに合わせたわけだ.
いろいろ片付けて,カーテンを開けると茶色っぽい住宅の多い風景が広がっていた.向こうにはアトラスの支脈も見えている.冬なら完全に白くなるであろう.
でも空模様は.....今日も雨かな.....?
サリムホテルで朝食後,バスに乗って,西のワルグラに向かう.ただし途中バトナ近くのナポレオン三世橋やデーツの街に立ち寄る予定だ.
そして何よりも空が晴れ渡って来た.やはり砂漠の国はこうでなくっちゃ.
バスは比較的平らな場所から山と渓谷の地に入った.El Kantaraのエリアになるらしい.鉄道も通っていたらしいが私は気付かなかった.なかなか風光明媚なところだ.
まだ陽の位置は低く,崖のみを強い光線で照らす辺りの路肩にバスは停まった.傍らにはpont romainの標識があった.仏語でローマ橋(ローマ水道橋など)のことらしく,上写真に見える連アーチ橋か,それともこの横に在るはずのナポレオン三世橋なのか判らない.
停車位置から渓谷側に行くと,このアーチ石橋が架かっていた.渓谷の名はthe eponymous gorgeで,幅は最大部で40mほどとされ,この橋の場所はそれより狭そうだ.
正しくは地名のエルカンタラ橋(El Kantara Bridge)らしいが,これではコンスタンティーヌで見てきたラーメル渓谷に架かるエルカンタラ橋と同名だが.....まあそれは仕方ない.
さてこちらは最初古代ローマ時代,紀元3世紀頃ローマ軍が建設し,今見ているのは仏政府が1862年に修復した姿で,その落成式にナポレオンⅢ世が臨席したそうだ.そこで一般にはナポレオン三世橋の通り名が用いられるに至ったようである.
ところで改めてカンタラ(Kantara)を引いてみると,アラビア語で『橋』のことだそうで(Elは多分冠詞),単に一般名詞だけのようだ.....何かバカみたいな.つまりエルカンタラ橋は『橋橋』のようなもので,サハラ砂漠が『砂漠砂漠』であるのと同類のようだ.
仏語でよく解らないのだが,単語からすると1862年エルカンタラ軍用橋修復:ナポレオン三世皇帝....何とかかんとかと記されている.軍用(militaire)とはっきり記されているところが効いてますね.
この辺りで警察の管轄が代わるようで,先導警察官交代のため一休み.コーヒーを頂いたと思う.
新しいパトカーが来て,交代が済み,そしてまた街道に出て西に向かう.
街道脇にはナツメヤシ林が所々に現れるようになる.そろそろサハラアトラスと言われるエリアになったのであろうか.も少し先に行くとビスクラ(Biskra)の街があるそうだ.
バスはそのうちデーツ屋さんが並ぶデーツの街(村)になり,それらショップに立ち寄った.種々取り揃えてあるが概ねベタつかない,しかし固くもなく,食べやすくしかも美味しいタイプが多い.私もここで少し買い入れた.添乗Nさんによるとここのデーツはディグリットヌール(光のデーツの意)と言われ,最高級デーツとなるそうだ.
こちらは陶器やなぜかカテゴリーの全く異なる衣類と陶器の販売店だ.多分お客さんにとって利便性が高いのであろう.またお店の背後には立派なナツメヤシ林が見えている.
その陶器店では,近所の女性であろうが,ケーキをオーブンで焼くような平たく大きなパンを選んでいた.多分焼くケーキは甘かろう.イスラム圏ではお茶も甘いが,一般にケーキやクッキーも甘いのが通り相場だ.