ブレッドBled

このブレッド編では成田からウイーン経由でグラーツに降り立ち,そこからバスでスロベニアのブレッドへ行き宿泊.翌朝ブレッド湖や,聖マリア教会,ブレッド城を見て回ったときの写真とキャプションを載せました.

今回は先ず朝のオーストリア航空便でウイーン,グラーツ経由でブレッド(スロベニア)に向かう.成田空港第1ターミナルのツアー会社のカウンタに行き,燃油サーチャージ(29,800円,高い!)を支払い,添乗員KさんからEチケットを受け取り,説明を聞く.前回マレーシアのJALはWEBチェックインだったが,オーストリア航空は従来通りカウンタでのチェックインだった.

ウイーン,グラーツ経由ブレッドへfrom Narita to Bled via Vienna and Graz

成田空港で展示されたグラーデ単葉機80%スケール模型

グラーデ機80%スケール模型

オーストリア航空カウンタの近くに展示されていた.傍らの説明書によれば,「この模型はドイツ人ハンスグラーデ氏が製作したグラーデ機を80%に縮小した模型です.航空科学館の企画展示『日本の初飛行100年』で展示するために新たに製作したものです」とあった.

製作者ハンスグラーデ(1879-1946年)はドイツで初めての動力飛行に成功したパイロットであり,またこの単葉機を80機生産したということだ.日本では徳川好敏大尉のファルマン機と共に日野熊蔵大尉によって1910年(明治43年)12月19日最初の公式飛行が行われたということだ.

模型飛行機をそのまま大きくしたような機体で軽量,華奢な作りだ.エンジン出力は24馬力だったそうである.

大変興味深く眺めさせてもらったが,80%スケールならほぼ原寸に近く,なぜそのままサイズ模型にしなかったか不思議に思う.でも体積は0.83,約半分で費用削減効果大だったのかな~?


B777機の窓を開け,拭き掃除

旅客機の窓は開くんだ!

オーストリア航空カウンタで搭乗券を発券してもらい,出国審査を済ませ36番ゲートに行った.なかなか搭乗が始まらない.そのうち『エンジンに不具合が見つかり,これから整備します』と云った旨案内があった.私たちの乗る機が落ちるよりは待つ方が何ぼか増し,と待つこと3時間.最後のテストでB777-200機のジェットエンジンを吹かす大音響が響き渡った.搭乗ゲート近くで吹かすことは滅多になかろうから,これもそれなりに興味深く聴き入った.またテストで消費したであろう燃料も追加注油していた.多分僅かな消費であろうが念入りなもので感心した.

整備の間,隣で駐機のオーストリア航空機,やはりB777か,の離陸準備も眺めていた(だって暇なんだから).何と写真のようにコックピット窓を開けて,内側から身を乗り出して拭き掃除をしているではないか!気密性や強度維持の面からまさかここの窓が開くとは想像だにしたことがなかった(常識かな~?).いや~驚きました.

さてこうして乗り込んだB777-200機はエコノミークラスでも入り口に新聞があった(ただなぜかスポーツ新聞だけ).映画はオンデマンドではなく,一斉再生であるが多チャンネルが流れていた.ジョディフォスターの「The Brave One」とか,かの有名なフェイスブックを作った人のストーリー「ソーシャルネットワーク」とか楽しめた.

ウイーン空港で夕食

ウイーン空港で夕食

成田を3時間遅れて出たのでウイーンにもそれだけ遅れて到着した.現地時間で夕方の6時半くらいだった.ウイーンからグラーツに飛ぶ便には間に合わず,その次の便に乗ることになった.

テロとか自然災害でないのでオーストリア航空から一人当たり16ユーロの夕食代が出たそうで,皆でウイーン空港のカフェテリアで思い思いの夕食を食べた.私はこの地でよく知られるヴィーナーシュニッツェル(Wiener Schnitzel)と思しきものを食べてみた.機内でも食べ通し,飲み通しだったためか味はイマイチ.....やはり空腹のときでないと....


Fokker 70機の氷落とし

Fokker 70機の氷落とし

ウイーンからグラーツに飛ぶフライトは当初予定の便に間に合わず,4時間ほど遅い次のOS-975便になった.機体はFokker 70(2-3シート配列)と云う小型ジェット機だった.この頃ウイーンは-2℃くらいであったが,乗り込むとクレーンと消防車を一緒にしたような車がやってきて,主翼と尾翼に勢い良く放水を始めた.付着した氷を取り除くようだ.フラップが動かないと真っ逆さまになり得るので,お願いしま~す.

Fokker 70は70席くらい,100席級Fokker 100の短胴型として短縮した機体だそうだ.1993年に原型機が初飛行,途中でフォッカー社が倒産し,1997年引き渡し最終機までにたった48機だけが生産されたそうだ.T字尾翼近くにジェットエンジンを左右各1基ずつ装備している.ボンバルディアとか三菱重工のMRJなどと近いサイズであろうが,1910年創立という伝統あるフォッカー社にとっても旅客機ビジネスはなかなか難しかったのであろう.


Fokker 70機はグラーツに到着

Fokker 70はグラーツに到着,そしてブレッドへ

ウイーンを飛び立ったFokker 70機は40分ほどでグラーツに到着した.グラーツ(Graz)はオーストリアで人口第2の都市だそうだが,その数たったの約25万人ということで驚く.尤もウイーンでも150万人程度だそうだからちょっと羨ましい.

グラーツ空港で入国手続きを済ませ表に出るとバスが待っていてくれた.ボルボバスとドライバのジェサンさんはこれから向かうスロベニアの首都リュブリャナ住まいだそうだ.この先ここに戻るまで旅の全期間乗せてもらいます,どうぞよろしく願います.

バスは順調に走り,オーストリアを越えてスロベニアに入った.そしてなおも暫く走り,やがてこの日の宿泊地ブレッドに到着,クリムホテルに落ち着いた.既に深夜を回り2時半頃になっていた.お休み~

う~ん,何だか飛行機の写真とそれにまつわる話に終始したかな....別にマニアではないが....


ブレッドのガイドさん

ブレッドのガイドさん

この人がブレッド湖や聖マリア教会,ブレッド城を案内してくれたシュベラさん.写真はそれらの見物を終えて,ブレッド市内のレストランでフライドターキーと野菜スープ昼食を食べ,これでブレッドはおしまいというときに撮ったもの.ありがとうございました.


ブレッドの聖マーチン(マルティン)教会

ブレッドのキリスト教会

昼食のレストラン近くに立派な教会が見えていた.尖塔や屋根の模様がシックでとても美しい.聖マーチン(マルティン)教会(Church of St. Martin)と呼ばれるようだ.マルティンと聞くと,宗教改革の人,つまりプロテスタントの源のマルティンルター(Martin Luther/1483-1546)を思い浮かべるが,果たしてその人であろうか?一方スロベニアの人々殆どはカトリック(西方教会)教徒だそうだから,多分これもカトリック教会ではなかろうか.

いろいろ覗かせて貰ったところ,この聖マルティン教会のマルティン氏はどうやら違う人物のようである.こちらの聖マルティンは,その昔(4世紀の頃らしい),ハンガリーに住まう勇敢な男の子で,ローマ皇帝軍の兵士になるのが夢だった.ある極寒の日,兵役中だったマルティンは寒さと飢えに苦しむ乞食に出会い,自分のマントを剣で半分に切って与えたそうだ.で,その晩,夢にキリストが現れ,いろいろな言葉を聞いたそうな.そして翌朝には切ったマントが元通り復元していたそうである.その後,マルティンは貧民を救う聖職者を志したそうである.そして,やがてマルティンは人々に慕われる立派な司教になったということである.

いずれにしても美しい建築だと思う(それ以上何も分からない).内部を覗ける機会があればいいな~とも思った.


ソーラーパネルを備えた駐車券発行機

ソーラーパネルを備えた駐車券発行機

P Tikcketの標識があるので多分駐車券発行機だと思われるが,上にソーラーパネルが載っかっている.この日も天気は芳しくなかったが,一般に天気にはあまり恵まれなそうもないヨーロッパの国でソーラーパネル機器が使われていることに感心する.こうした化石燃料に頼らない電力は現状では微々たるものだがこれからの積み上げがやはり重要であろう.


下は,ブレッドでの写真いろいろ

ブレッドでの眺め
ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め ブレッドでの眺め

グラーツの家の屋根瓦は,この先訪れるアドリア海沿岸のほぼ赤一色に比べると黒っぽい.しっとりした感じに映る.街の電力線は地上であるが,電柱ではなく家々の軒を借りて配電線を巡らせている.ヨーロッパの街でよく見かける方式だ.あまり大きくない電力範囲ではコストが少なく,景観上も少しいいかも知れない.

ブレッド湖Lake Bled

さてブレッドの朝目覚め外を眺めると,まだ薄暗く濃い霧の中,ドイツなどと似た雰囲気の住宅が薄らと浮かび,車のヘッドランプが煌々と光を放ち通り過ぎて行く.起きて先ずはホテルのダイニングルームに行き朝食を頂いた.

ブレッド湖と周辺

ブレッド湖は濃霧

朝食の後,バスでブレッド湖の畔にやって来た.周辺はやはり濃い霧に包まれていた.ブレッド自体がスロベニアを代表する観光地,その中心がこの湖で夏のハイシーズンはもの凄い混みようだそうだ.6000人弱のブレッド人口に対して,4000人分の宿泊施設があり,しかも日帰り客はさらに多いと聞けばその様子が想像できよう.だが天気がイマイチな今の時期は物好きな私たちくらいで,人影は疎らだ.まあこれもそれなりに一興ではあろう(←負け惜しみ)

ブレッド湖畔には昔からヨーロッパの貴族が集まったそうで,現在もなかなか瀟洒な建物が見える.水辺に連なる階段の上には旧ユーゴスラビアのチトー大統領の別荘も霧の中に佇んでいた.現在は改装されホテルとして運用されているそうだ.


ブレッド湖中ほどのブレッド島をお兄さんの手漕ぎボートを漕いで往復

ブレッド湖中ほどのブレッド島を往復

船頭のお兄さんが屋形舟風手漕ぎボートを漕いで,湖の中程にあるブレッド島まで往復してくれた.たくさんの人を乗せているのでかなりパワーが要る.ブレッド島には下に掲げる聖マリア教会があるのだ.

ブレッド湖は氷結するときもあるそうだ.氷が厚ければ良いが,薄いと歩けないし,ボートも漕げないので....さて,島の人は生活上どうするのだろう?


下は,ブレッドのホテルとブレッド湖のいろいろな写真

ブレッド湖での眺め
ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め ブレッド湖での眺め

聖マリア教会St. Mary's Church of the Assumption

聖マリア教会への98段の階段

聖マリア教会への98段の階段

ブレッド島に上陸すると直ぐに聖マリア教会(正式には聖母マリア被昇天教会か?)に登る98段の階段が目の前に立ちはだかる.この教会で結婚式を挙げるのはスロベニアの人たちに人気だそうで,予約でいっぱい,1年待ちとか.ただし花婿は花嫁を抱えてこの98段を登り切るのが慣わしだそうで,登り切る自信のない男は諦めねばならないようだ.映画でも女性を抱きかかえて歩くシーンはしばしばお目にかかるが,一般に平坦な室内とかで,階段登りはあまり見かけない.上のボート漕ぎのお兄さんクラスならきっと大丈夫そうだけど.なお新婦は,登る間沈黙を守らないといけないそうだが,それは別にどうって云うことないのではなかろうか?何とか抱えてもらうためにダイエットに励む女性もいるそうだが,こちらは大変そうだ.


聖マリア教会の主祭壇

聖マリア教会の主祭壇

教会に入ると主祭壇の立派な金ピカの聖母マリア像が眼に入る.教会は8~9世紀に建立され,途中ロマネスク様式,ゴシック様式への変遷を経て,17世紀に現在のバロック様式に改築されたそうである.このマリア像もそのバロック様式となっているようである.例えば両サイドのねじりん棒など典型的バロック様式の1つかな?

祭壇の手前には天井から長いロープが垂れ下がっていた.教会屋根に取り付けた「願いの鐘」(鐘楼のとは別の鐘)で,願を掛けて引っ張り,鐘が鳴れば願いが叶うという.連れ合いがやっとの思いで引っ張っているのを見て,私は止めることにした.まあ,日本の神社の鈴と少し似ていようか.力は要しないが,お賽銭が必要,と云った違いはあろうが.

主祭壇両脇には11世紀のブレッド領主という大きな肖像画が掲げられ,政治と宗教の一体性が強く感じられる.さらに左側信者シートに近いところにはバロック様式と言われる説教壇や,両側の壁際にも聖マリア像や聖書に基づくであろういろいろな画像が掲げられている.ただ何分にも知識が全く不十分で理解するに至らない.また背後(入り口側)二階には1639年製というパイプオルガンが置かれていた.


聖マリア教会の礼拝堂

礼拝堂

教会本体の左手に古い感じに見える小ぢんまりした礼拝堂があった.壁や天井には剥がれかかったフレスコ画が描かれている.フレスコには生乾きの漆喰に描く方法と乾いてから描く方法があり,前者が発色や耐久性に優れているそうだ.で,これはどちらだったか......少なくとも残っている部分はかなり鮮明で,厳重にに保護された高松塚古墳とかに比べれば,全くむき出し,そのままなのに大したもんだな~と思う.

礼拝堂のさらに手前にはコーヒー店やミニ展示場を兼ねたちょっとしたショップがあった.


下は,聖マリア教会あちこちの写真

聖マリア教会での眺め
ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め
ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め ブレッドの聖マリア教会での眺め

ブレッド城Bled Castle

ブレッド城城壁のゲート

ブレッド城城壁のゲート

ブレッド城は11世紀にイツ皇帝ハインリヒ2世という人が築き,ブリクセンの司教に進呈したものだそうだ.丘に立つ山城で,ヨーロッパの城の常として周囲は堅固な城壁で囲まれている.そして写真のゲートが設けられている.ゲート上部には敵が攻め入って来たときに防戦できるように兵を配するスペースと銃眼が設けられている.

城を進呈したハインリヒ2世も太っ腹であるが,司教が皇帝に匹敵するような権力を有していたことにはもっと驚く他ない.進呈された後も,19世紀までのほぼ全期間ブリクセンの司教の占有物であったそうだから権力が継続したことに間違いなかろう.

晴れていれば直前に廻ってきたブレッド湖や聖マリア教会,また西にはトリグラヴ山(2863m)などが美しく一望できるそうだが,あいにくの天気で殆ど見えない.先ほどしっかりお祈りもせず,ポケ~と眺めていただけだったので神に見放されたのであろう.


ブレッド城の礼拝堂

ブレッド城の礼拝堂

城門をくぐり少し登るとブレッド城があった.その左端は小さな礼拝堂になっており,中央には現代風デザインの聖マリアと抱かれたキリストの像,そして壁際には右の写真,歴史を感じさせる像があった.でもこの人物がだれであったか.....思い出せない.天井や壁は剥がれかかっているが多くのフレスコ画が描かれている.


ブレッド城の博物館

ブレッド城の博物館

お城の主要スペースは博物館として解放されている.陶器などの出土品から,中世庶民の装束,左写真の騎士の甲冑.....といろいろ展示されている.それにしてもこのように全身を覆う無垢の金属板(多分鋼であろう)では相当重く,機敏に動くのはエライ大変そうだ.それだけ鎧としての防護性は高く,日本刀のように薄刃でシャープな刀では役に立たず,専らヨーロッパのあのやたら頑丈な直剣で突き破るか叩き潰す戦法で立ち向かったのであろう.アナロジーとして,刺身包丁を引いて切るのと,ナタのような洋出刃包丁で叩き切る調理法の違いに似ていよう.


ブレッド城のワインセラー

ブレッド城のワインセラー

ブレッド城の一画にワインセラーがあって,ボトリングやラベリングを体験し購入するコーナーがあった.でも何よりもここのご主人の尤もらしい中世風顔立ちと装束のハマった感じがいい.

中世風と言えばグーテンベルグの印刷でカードなどちょっとした印刷をし,販売してくれるコーナーもあった.鉛のミラー活字を直接並べ,インクを塗り,上に紙を置いてプレスすると云う活版印刷の原型そのものだ.その昔小学校の遠足で新聞社を見学したときの活版は,組んだ活字の集合体に厚いシートを被せ,プレスして凹型を作り,そこに溶解した鉛を鋳込んで活版を作っていた.こうして鉛活版はどんどん複製可能,版摩滅を気にせず大量の新聞が発行できた.今日の輪転機は活版を用いないので版摩滅の心配はないが,ネット情報の進歩で逆の心配,つまり新聞需要そのものの減少が懸念される時代に入ってきた.衰退は革新との裏表で,これまた已むを得まいか.

なお活版印刷発明者グーテンベルグはここスロベニアではなく今から600年ほど昔ドイツの生まれだそうだ.彼が主に聖書の商業印刷を事業として始めたことから,司教の居城で,また礼拝堂も備えたこのブレッド城の一画で活版印刷サービスはふさわしい,....とされたと想像する.


下は,ブレッド城の写真

ブレッド城の写真
ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真
ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真 ブレッド城の写真

こうしてブレッドの観光を終えた.昼食後はバスで次の観光地ポストイナに向かう.



Cannergy'sホームへ