このピラン編ではピランの港やタルティーニ広場,聖ユーリ教会,およびポルトローシュの写真とキャプションを載せました.
ポストイナからバスは西に走り,アドリア海を望むピランにやって来た.バスはピラン湾脇に停車し,海辺をぞろぞろと歩き始めた.ハーバーには立派なモーターボートやヨットがたくさん停泊している.ディンギーとかではなく皆立派なヨットで,お金持ちの多い街だな~と思う.地図で見るとスロベニアの海岸長はごく僅かで,それだけにここは同国屈指の観光地,殆ど唯一のビーチリゾートでもあるようだ.
ピランではスロベニア語,イタリア語双方が用いられているそうであり,また南部はクロアチア国境と接しており,かつては大変な国境問題(=戦争)もあったようである.まあここに限らずバルカン半島は争いの地ではあったが.
港から少し入ったところにタルティーニ広場があった.広場には18世紀,ここ出身の作曲家にしてバイオリン奏者というジュゼッペ=タルティーニという人の立像があった.広場からその生家,現在は記念館になっているそうだが,が望めると説明されたが....どの建物だったか思い出せない.周囲は重厚な市役所など中世的趣の建築物で満たされ,なかなか味わい深い.また先方,坂の上にはこの後歩く聖ユーリ教会の鐘楼が白く照らし出され,全般的に明かりの乏しいこの街にあっては特別扱い,の印象だ.
1334年ルネサンス様式で建立され,17世紀になってバロック様式に改築され,現在はそれら2様式併せ持つに至ったようだ.夜人気のない後部入り口から眺めただけであるが正面はもちろん天井に至るまで随分華やかでまた他にあまり類を見ないユニークな装飾の印象だ.
聖ユーリは全く別の響きに感じられるが,ピランのガイドのお話からすると,英語の聖ジョージ(St. George)のこと,同一人物だそうだ.聖ジョージであれば例えばコーカサスのグルジア(Georgia)や米ジョージア州は,この守護神聖ジョージの名前に基づくものであろうし,他国でもこの聖人を祀る教会は多いようである.なので聖ユーリ教会は聖ジョージ教会(St.George's Church)と言い換えてもいいようだ.
その昔カッパドキアに,毎日2匹ずつの羊を生け贄として食べる巨大な悪竜がいて,やがて人間の生け贄,しかも王様の娘をも要求するに至ったそうだ.そのような折,聖ジョージが現れてその竜を退治し,この異教の地をキリスト教に改宗させたそうである.ただ後に聖ジョージは異教徒に捕らえられ,殉教するに至ったそうである.ガイドの人のこの説明を聞いている途中,何とまあ日本書紀におけるヤマタノオロチと須佐之男命のプロットと似ていようか....と思わずにいられなかった.
聖ジョージはあちこちで守護神として祀られ,筆者も例えばグルジアのイカルト修道院,ヨルダン,マダバのギリシャ正教教会(聖ジョージ教会)などを見たことがあった.聖ジョージ伝説は11世紀か12世紀グルジア辺りで成立したということだから,比較的最近のことでなかなか興味深い.
で,日本ではどうなのかな~?と調べてみたら,聖ジョージ教会は幾つもあるようだし,須佐之男命を祀る神社も全国津々浦々多数あるようだ.
港近くのバス停では今日の仕事を終えたのであろう,路線バスに乗り込む若い女性たちの姿があった.旧ユーゴスラビア諸国は概して失業率の高いところが多いが,スロベニアはEU加盟国で通貨もユーロだけあって比較的経済が安定しているようだ.ピランは人口17,000人ほどの小さな町であるので多分大きな会社とか無さそうだし,さてどのような勤務先かな~
下は,ピランの写真いろいろ
ピランで夜の街を歩いた後バスで海岸線沿いにポルトローシュまで走った.ごく短い距離のため高々5分程度でルシアホテルに到着した.外は既に真っ暗闇で何も見えない.
到着し程なくホテルレストランでバフェの夕食となった.初めの計画から違ったホテルになったそうで,その変わった先がこのルシアホテルだった.ホテル側は新しい顧客を呼び込め,この先日本のツアー会社と継続的契約を交わす期待も込めて(多分),私たち客にはシャンパンなど振舞ってくれた.食事も美味しかった.
部屋はシンプルな内装ながらTVは壁掛けLCD(右写真右端),ネット接続端子など備え,新しい造りだ.
翌朝ポルトローシュで目覚めると雨だった.まだ明け切らないためもあって,車はヘッドライトを点けて走っていく.道路を挟んだ先はアドリア海で,ここもピラン湾の一部なのであろう,停泊する船やクレーンなどが見えていた.
さてこうしてこの日が始まったが,朝食後バスでスロベニアを抜けクロアチアのザダールに向かう予定だ.