スプリットSplit

このスプリット編ではスプリットへ行く途中の眺め,ディオクレティアヌス宮殿,スプリットの街の写真とキャプションを載せました.

スプリットへ行くgo to Split

バスはスプリットに向け進む

バスはスプリットに向け進む

クルカ国立公園を歩いた後,バスはスプリット(Split)に向け進んだ.Splitは英語動詞「分割する」と同じ綴りだが,クロアチアのこれは固有名詞で全く関係なさそうだ.スプリットまでは90km/1時間半くらいの予定だ.途中の山は概ね岩山で林はなく,麓には畑や牧草地もあまり見られず,早い話が荒地だ.

逆に不毛の地なので適度な風があれば風力発電に適しているようで,山には多くの風車が見られた.


下は,クルカ国立公園からスプリットへ行くときの写真いろいろ

スプリットへ行くときの眺め
スプリットへ行くときの眺め スプリットへ行くときの眺め スプリットへ行くときの眺め スプリットへ行くときの眺め スプリットへ行くときの眺め スプリットへ行くときの眺め

ディオクレティアヌス宮殿Palace of Diocletian

ディオクレティアヌス宮殿の図

ディオクレティアヌス宮殿の図

スプリットに到着すると早速この街のガイドにくっ付いてディオクレティアヌス宮殿にへと案内してもらった.左写真は宮殿一画に掲げられたディオクレティアヌス宮殿の図で,宮殿エリア(右側)と家臣民衆エリア(左側)が半分づつに分かれ,共に堅固な城壁で守られている.全部で3,000人くらいの人々が生活していたようだ.

この図を前に先ずは当地の歴史のレクチャーを受ける.スプリットは紀元前の昔からダルマチア人が定住し,ギリシャの植民地や共和政ローマの属州となった経緯があるそうだ.時代が下り紀元4世紀ローマ帝国時代,皇帝ディオクレティアヌスは20年ほど在位した後健康を害し,自ら皇帝の地位から退くことを宣言し,ここスプリットに隠居用宮殿を建てたのが今日のスプリットの始まりとなっているそうである.ガイドの男性も,添乗Kさんも頻りに強調していたが,追われたり,殺害されたり...が普通だった当時の帝国で,このように平和裏に政権移譲されたのは初めてだったそうである.


ディオクレティアヌス宮殿の一画

ディオクレティアヌス宮殿の一画

さすが土木や建築に長けたローマ帝国譲りの宮殿らしく石造りの立派なものだ.ただ巨大な建築なので,内側の部屋には窓がなく,また電気もあろう筈はないので,普段ちゃちな空間で暮らしている身には圧迫感,もっと言えば牢獄のように感じられなくもない.

ディオクレティアヌス帝は広大なローマ帝国の統治と防衛に巧みな政治手腕を発揮したそうだが,キリスト教に対する弾圧などもあったそうであり,後世の評価も色々あろう.

ところで宮殿の建材である石材は,スプリット近くにブラチ島という石灰岩の島があり,そこから切り出され,運ばれたものだそうだ.そこの石材は本宮殿のみならず,ドブロヴニク宮殿からベネチアやイスタンブールの宮殿にまで広く使われているそうである.


ディオクレティアヌス宮殿内部は今も市民生活の場

宮殿内部は今も市民生活の場

城壁内部にはローマ時代の建造物が多く残っている.集合住宅も多く,石畳の狭い路地を行く市民はごく普通にここでの生活を営んでいる.ここは1979年と随分早い時期にユネスコ世界遺産『ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリットの歴史的建造物群(Historical Complex of Split with the Palace of Diocletian)』に指定されているそうだ.今から1300年も昔に作られた街に今も普通に生活が営まれているのは実に不思議だ.1300年前と言えば日本では時の権力者の古墳が作られた頃であろうか.


スプリット大聖堂の鐘楼

スプリット大聖堂の鐘楼

スプリット大聖堂は元々ディオクレティアヌス帝の霊廟として造られたものを,後の世に教会に転用したのだそうだ.前述のようにディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したということだから,転用に至った経緯も関係するやも知れず,野次馬的には興味深い.

大聖堂内部を見ることはできず単に写真の鐘楼など眺めただけだが,それなりに面白い.6層の鐘楼はロマネスク様式なのだそうだが全然痛んでおらず,石材の合わせ目は隙間なく,表面も真平ら,円柱飾り彫刻もくっきり,そんな風に見える.大聖堂入り口の扇型彫刻もまた典型的ロマネスク様式だそうだが,真新たらしく見える.ロマネスク様式とは1000年から1200年頃までの中世の建築様式,ゴシック建築以前の様式だそうであるから,1000年近く経ってもあまり朽ちないということだろう.


ディオクレティアヌス宮殿内部あちこちの写真

スプリット大聖堂の鐘楼ディオクレティアヌス宮殿内部の路地ディオクレティアヌス宮殿内部の路地
ディオクレティアヌス宮殿内部の時計塔ディオクレティアヌス宮殿内部の路地ディオクレティアヌス宮殿近くの教会鐘楼

下は,もっとディオクレティアヌス宮殿各所の写真

ディオクレティアヌス宮殿での眺め
ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め
ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め ディオクレティアヌス宮殿での眺め

スプリットの街City of Split

スプリット港

ディオクレティアヌス宮殿前のスプリット港

ディオクレティアヌス宮殿の前にはスプリット港が広がっている.停泊しているカタマランの白い船体がアドリア海に映える.宮殿内部で眺めたスプリット大聖堂の鐘楼は外部からもよく見えている.この高さは天に近づくため?それとも教会の権威の象徴かな~


スプリット/ディオクレティアヌス宮殿前の通り

ディオクレティアヌス宮殿前の通り

宮殿城壁に相当する部分は現在居住部分を備えた建物になっている箇所もある.一階部分は店舗になっているところもある.その前,アドリア海との間はヤシの木の生えた広い通りがあり,なかなかの賑わいだ.上に載せたディオクレティアヌス宮殿の図では現在と違って城壁は海岸に接している.多分現在の土地は埋立られたものであろう.


下は,スプリットの街の写真

スプリットの街での眺め
スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め
スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め スプリットの街での眺め

スプリットの観光が終わると,またバスに乗り,一旦ボスニア・ヘルツェゴビナのネウムを経由し,またクロアチアのドブロヴニクに行き宿泊の予定だ.



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