ザダールZadar

このザダール編ではザダールへ行く途中,シーオルガンなどザダール海岸,聖フランシスコ修道院,ストシャ大聖堂,聖ドナト教会,聖マリア教会と修道院などのザダール旧市街風景の写真とキャプションを載せました.

ザダールへ行くgo to Zadar

ザダール手前でのランチ

ザダール手前でランチ

朝起きたポルトローシュからザダールへは320kmもある.最初海岸から内陸に戻り,南に向けて走り,程なくスロベニアを抜けクロアチアに入った.主に高速道路を走っているが,途中でお昼になった.道路脇のレストランでバスを停め,魚のトマトソース煮のような郷土料理を頂いた.いわしのように小骨が多い魚で,質素な料理ながら元々魚好きな筆者にはワインともそれなりにマッチして美味しかった.

この近くでは色々な野生動物が棲息しているのか熊や鹿といった大物からうさぎのような小動物まで,種々剥製が展示されていた.ハンティングの成果を見せるためか,野生動物保護を訴えるためか,単に客を喜ばすため(多分これだ)か,定かでないが,動物愛護団体からは苦情が来そうな気配も.


ザダールへ行くときの電光式道路標識

電光式道路標識

この辺りの国の高速道路標識は電光式で気象状況に応じて制限速度や注意情報,気温などが表示されるようになっている.ここでは100km/hr,11.1℃,横滑り注意(?)が表示されているようだ.概して道路はよく整備され,人口が多くないためか比較的空いているように見える.なお平常時の最高速度は110km/hrのようである.


下は,ザダールへ行くときの光景いろいろ

ザダールへ行くときの眺め
ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め
ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め ザダールへ行くときの眺め

ザダールの海岸the seaside at Zadar

ザダール港の風景

ザダール港

ここはザダール旧市街の港.フェリーなど大きな船やヨットが多く停泊している.ザダールの人口は7万人余りだそうだが,ここも随分立派なヨットが目立つ.それに比べて漁船があまり多くないような.....気がするが,漁船の形を見分けられないのかな~


ザダール海岸のシーオルガン(Sea organ)

シーオルガン(Sea organ)

ザダール港の裏側にシーオルガン(Sea organ)があった,と云っても実際目に見える訳ではなく,波の打ち寄せる海岸の歩道下に設備されているようだ.音楽といえば,音楽か?ある種のメロデイーを奏でてくれる.普通のパイプオルガン同様,パイプに空気を送り,パイプの長さに応じた波長,つまり音程を共鳴させるようである.普通人力などでふいごを動かすが,その代わりに海水の波動で動かすそうだ.でもそれだけではメロデイーにはならない,波の強弱で音色が変化するらしいが詳しい構造は聞き漏らした.

この波動エネルギー活用に加え,歩道床に貼り込めたソーラーパネルとLED照明もあって,エントロピー増大を防ぐ非化石燃料活用をアピールしているようだ.音の出る歩道脇のベンチ(右写真)はオルガン鍵盤を模したデザインとなっている.市民が海を眺めゆっくり散歩するにはとてもいい場所に思えた.


下は,ザダールの海岸風景.最初の写真は旧市街(手前)と新市街(先)を繋ぐ橋.

ザダールの海岸での眺め
ザダールの海岸での眺め ザダールの海岸での眺め ザダールの海岸での眺め ザダールの海岸での眺め

ザダール旧市街the old town of Zadar

ザダールのローマ遺跡

ザダールのローマ遺跡,そしてその後の世界

ザダールはダルマチア地方(クロアチアのアドリア海沿岸地域)で最古の町で,古代より先住民族イリリア人が住んでいたそうだ.紀元前3世紀頃になるとローマ人が侵入し始め,長く二者の攻防が繰り広げられたが,紀元前1世紀になるとローマ人が天下を取るに至ったそうだ.となるとお約束の典型的ローマ都市の建設が始まり,城壁,神殿,道路,市場,浴場,水道橋,.....を築き,ダルマチアの中心となったようだ.そしてローマ人の建造物の多くは堅固な石造りで,写真のようにそれから2,000年を隔てた今日にもその面影をしっかり残している訳だ.少し惨めではあるが一部は教会など後の建築物の建材として活用されている.ローマ遺跡はあちこちで見かけるが何度見てもその土木や建築の技術には感嘆せざるを得ない.

時代は下り,7世紀頃にスラブ人がやって来てやがて9世紀にはこの辺りを支配するようになったそうだ.そしてさらに下り13世紀に入ると,第4回十字軍に関わる悲劇を味わうことになるそうだ.ヴェネチアを出た十字軍は目的地エルサレムに向かわず,進路を変更し,何と同胞である筈のキリスト教徒の街ザダールを攻撃したのだそうだ.十字軍の指揮官はスポンサーのヴェネチアに追加資金を依頼したが,生憎その頃ヴェネチアはスラブ人(ハンガリー)とアドリア海の覇権争いで資金に余裕がなかったそうだ.そしてヴェネチア総督は「十字軍がザダールを占領してくれるなら追加資金援助しよう」と返答したそうだ.こうしてザダールは同胞十字軍に攻撃され,破壊された.さらに十字軍はビザンティン帝国の首都コンスタンチノープルをも占領し「ラテン帝国(1204~1261)」を建国するに至ったということだ.まあ十字軍も本来の大義名分とは全くかけ離れた挙に走った訳で,結局覇権争いの手段だったと言っても不都合なさそうだ.とはいっても,現代においても例えばパキスタンやイラクでのシーア派/スンニ派の戦いなど,あちこちで同じようなことが繰り返されているのもまた事実だが.....


ザダール旧市街のネクタイ

旧市街の衣料品店とネクタイ

歴史ある街並みであるが,古い建物の一階部分には小さなお店を開いているところが多い.古い建物に新しい店構えが不思議としっくりマッチしているように思える.写真はCROATAブランドのお店だが,CROATAのAがネクタイの絵になっている.ヨーロッパの多くの言葉で,ネクタイはクラヴァト若しくはそれに類する発音で呼ばれ,元を質すとCroat(クロアチア人)に行き着くそうだ.つまりクロアチアはネクタイ発祥の地なのだそうである.17世紀前半,ヨーロッパを二分する戦争で,クロアチア騎兵団の首には,妻や恋人が無事を祈り色とりどりの布が巻き付けられていたそうだ.やがて戦争が終わり,そのかっこ良さをフランス人がファッションとして取り入れ,広まった,ということだ.なおCROATAはクロアチア最大のネクタイメーカーPotomac社のブランドということだ.

他にもしゃれたお店は多く,例えばadidasのお店などもなかなかシックな内装だ.やはりご近所のドイツブランドはクロアチアの人に親しみ易いのであろうか.


ザダール旧市街の聖フランシスコ修道院(Franciscan Monastery)

聖フランシスコ修道院(Franciscan Monastery)

「聖フランシスコ修道院」で検索すると日本にも同じ名の修道院がたくさん見つかる.フランシスコ会は13世紀初頭イタリア中部のフランチェスコによって始められ,既に16世紀には日本にも入っていたようだ.

同じキリスト教徒でもプロテスタントには基本的に修道院は無く,東方教会,正教会,カトリック教会などにのみあるそうだ.修道士の日々はお祈りは当然として,イコンの製作などもあるそうである.祈りの対象は異なるであろうが,『禁欲的な生活』と云う意味で,悟りを求めて実践する仏教の修行僧や,アシュラムで修行するヒンドゥーのサドゥーなどとも似ているのかな~と思う.


ストシャ大聖堂(Cathedral of St. Anastasia)およびその鐘楼

守護聖人ストシャの名を冠した聖堂.その聖ストシャとは,4世紀頃キリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝(スプリットのページ参照)時代,火あぶりの刑で殉教したローマの女性だそうだ.12世紀にロマネスク様式で建設が始まり,途中上述の同胞十字軍に襲われたりしたりもして1324年に完成したそうである.他にも幾度かの破壊される不遇に遭いその都度修復を重ね,現在はロマネスク様式とゴシック様式が入り混じった様式となっているようだ.また建材も新旧石のモザイクが見てとれる......かな?カトリックのダルマチア地方の大司教座(Archbishop)が置かれていることから大聖堂(Cathedral)の名を冠している.なお座の有無だけが問題で,建物の大小は全然関係しない(例えば,大司教の座があれば小さな教会でも大聖堂)と教わった.そんなことからもカトリック系はかなりの階級社会と印象付けられる.


ストシャ大聖堂(Cathedral of St. Anastasia)ストシャ大聖堂の鐘楼

鐘楼は大変高く,ザダール旧市街で大変目立つ.


ザダールの聖ドナト教会

聖ドナト教会(Church of St. Donat)

上からみると十字架の形が圧倒的に多い教会建築の中で円筒型であることが大変珍しい.ローマ遺跡の石材が多く転用され,東方ビザンチン様式なのだとか....9世紀に建立されたそうで,ザダールの象徴的建物となっているようだ.この形状は音響効果が良好でコンサートもに向いているそうだ.もちろん普段の礼拝時の合唱やオルガン演奏にも良かろう.


下は,ザダール旧市街の写真

ザダール旧市街での眺め
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ザダールの聖マリア教会と修道院(St. Mary's Church)

聖マリア教会と修道院(St. Mary's Church)

ルネッサンス様式という丸い形状が特徴的.ベネディクト派修道女の修道院ということだ.天気が悪いせいもあろうが,外観はなかなかシビアな印象だ.ベネディクト会はカトリック教会最古の修道会であるそうだ.同じ名「聖マリア教会」は,つい昨日ブレッドにおいても訪れ,しかも内部も眺めることができた.でもここザダールでは中に入れずちょっと残念.

修道院手前はローマ遺跡のゼレニ広場だったそうで,お棺(多分)や建物の基礎,柱などの石材が置かれている.


ザダール旧市街路地の聖母マリア像

路地の聖母マリア像

住宅街の路地を通ると壁にキリストを抱く聖母マリア像を掲げた建物があった.かなりインパクトがあるし,ザダールにはやはり信仰心に篤い人が多いのかな~と思った.


ザダール旧市街城壁港門とピカピカの石畳

城壁港門とピカピカの石畳

旧市街は堅固な城壁で囲まれており,海に面して1つのゲート(Port Gate)があった.聖クルシェヴァン門とも呼ばれるようだ.城壁はヨーロッパの街では殆ど必ず備えられているようだ.ただしここの城壁はさほど大きくはなく,比較的小ぢんまりしたもののようだ.

きれいな石畳の道は摩滅しピカピカ,長い歴史と共に,今も立派に活用されていることの証であろう.


ザダール旧市街城壁港門にあったポスター

城壁港門にあったポスター

その城壁港門壁面はチラシ貼りには格好の場所だ.貼られた中の一枚,BOMBAさんのサイト http://www.bomba.com.hr/をアクセスしてみると,クロアチア語らしき記述が見えて(全く読めないが)YouTubeではPokusaj sa mnomのようなタイトルのなかなかいい曲が聞こえてくる.

こうしてザダールの観光は終わった.さて次はシベニクだ.



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