嘉峪関Jiayuguan

この嘉峪関編では嘉峪関へ行くとき,嘉峪関の写真とキャプションを載せました.

嘉峪関へ行くgo to Jiayuguan

西に向かう大型トレーラーの列

西に向かう大型トレーラーの列

6月14日朝,瓜州賓館を出たバスは直ぐに高速道路に入った.トールゲートでは反対方向から西に向かう大型トレーラーが列をなしている.安全に関わる検問なのであろうか?何れにしても,ここ甘粛省やウイグルでは日本ではあまり見かけることがないようなとても大きなサイズのトレーラーが多い.


嘉峪関へ行く途中の広い畑

嘉峪関へ行く途中の広い畑

祁連山脈からの水脈があるという地方は青々とした畑が見える.綿花や小麦,とうもろこしなどの野菜が栽培されているようだ.特に綿花は育つに適した環境なのであろう,良質で生産量が多いようだ.


嘉峪関へ行く途中の祁連山脈

嘉峪関へ行く途中の祁連山脈

白い雪を抱く祁連山脈が見える.白い辺りは5000m級か?美しい.

祁連山脈の雪解け水は上のように畑を潤し,またゴビ灘の中に湖を作り,人々の生活を支えているようだ.

山脈の麓では延々と工事が進められている.新幹線の工事だそうで,現在橋脚の施工段階であるようだ.この新幹線は,現在の在来線に加え,西安/ウルムチ間200km/hrで結ぶことになるそうだ.


嘉峪関市街

嘉峪関市街

嘉峪関市に到着し,王朝酒店で昼食を食べた.知名度の高い嘉峪関の名を冠した市であるが,観光もさることながら銅鉱石や鉄鉱石を産するため,精錬などの鉱工業が盛んで,人口もどんどん増えて発展の激しい町だそうだ.市街地の道路は随分立派で,新しいビルが建ち並び,さらに建設中の集合住宅が数多い.

嘉峪関市民の平均年齢は他より低く,世帯収入は多く,新しい集合住宅はどんどん売れるということだ.


嘉峪関市の工場

嘉峪関市の工場

嘉峪関市の郊外にはこのような重工業の工場が点在している.ここは製鉄所であろうか.

銅鉱石や鉄鉱石は祁連山脈と反対側にある黒山で産するそうで,特に鉄鋼は中国でも大きな地位を占めるようだ.経済発展は結構だが,今後大気汚染や人口増加に因る環境劣化も懸念されるのではなかろうか.


下は,嘉峪関へ行くとき眺めた写真

嘉峪関へ行くときの眺め
嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め 嘉峪関へ行くときの眺め

嘉峪関Jiayuguan

嘉峪関は天下第一雄関

嘉峪関は天下第一雄関

嘉峪関は南が祁連山脈,北が天山山脈の支脈(嘉峪山?黒山?)に挟まれた谷の中央部,少し高台に築かれた砦若しくは関所だったそうだ.河西回廊が最も狭い谷を通る場所で,砦を築くには格好の場所であったようだ.既に見物してきた陽関や玉門関よりかなり後世の明代に築かれたようであるが,非常に堅固な造りのようだ.

建設後中央アジアでティムール帝国が版図を拡大していた頃,これを防ぐために一段の強化が図られたそうだ.だが幸いティムールが没すると帝国は急激に衰え,攻め入られることはなかったそうだ.


嘉峪関の城壁

嘉峪関の城壁

嘉峪関は高さ11m,周囲733mの城壁に囲まれており,階段で登ることができる.材料はレンガと黄土を版築で固めてできているそうだ.嘉峪関の発注者は,建築士に建設に必要な煉瓦の数量を1枚たりとも誤差なく見積るよう求めたそうだ.もし見積りと施工結果に差が出たときは殺す,と言われていたそうだ.そしてその見積書を元に工事を進め,やがて完成したとき,1枚だけ余ってしまったそうだ.余ったレンガは.....友人が隠しいてくれた..,だったか?詳細は失念.最終的には数十万枚のレンガでたった1枚と云う超精密な設計と施工結果だった訳で,現在はその一個が建築士の栄誉を讃え城壁の一画に置かれていた.


万里の長城西の端

万里の長城西の端

万里の長城はさらに西にも残っているのを見物してきたが,公式(ユネスコ世界遺産的に)にはどうもここが西の端になっているようだ.前述のように両側が山で,防御壁を築くには好都合な場所だ.写真は南の祁連山脈方向に延びた長城で,主に版築で建設されているようだ.

北側は大分失われたが,やはり山の中腹までしっかり築かれているようである...が,私の目ではちょっとはっきりしなかった.


楼閣の摩滅した道

楼閣の摩滅した道

東西にそれぞれ楼閣(門楼)を備え,東を光化門,西を柔遠門と名付けられているそうだ.門を抜けた先は高い壁の囲いが設けてある.門から囲いに入る方向から囲いの出口は90°位相をずらして設けてある.これはティムール軍にしろ,モンゴル軍にしろ敵は優秀な騎馬民族であり,猛スピードで攻め入って来る....が,そんな馬も減速しない限り駆け抜けられなくするためだったそうだ.

で,写真は楼閣の石畳の舗装である.馬車や戦車の通行量が多かったのであろう,轍の跡が2本深く刻まれている.もちろん戦時以外はシルクロードを行き交う交易の馬車が桁違に多く,シルクロードの繁栄ぶりを感じさせてくれよう.


下は,嘉峪関のいろいろな写真

嘉峪関での眺め
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嘉峪関入り口にはユネスコ世界遺産の看板が掛かっている.これは嘉峪関単独のものでなく,東端の遼寧省虎山から,西端のここ嘉峪関まで総延長は8,851.8kmの万里の長城(明代)の一部としてのものであるようだ.



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