西安(前半)Xian (1)

この西安(前半)編では,西安へ行くまで,明代城壁,大雁塔,陝西歴史博物館,回民街,鼓楼と鐘楼辺りの写真とキャプションを載せました.

成田から上海経由西安へfly from Narita to Xian via Shanghai

電車で成田空港へ

昼頃自宅を出て東急,東京メトロで京成上野駅に行った.京成は普通の特急であるが平日午後のこの時間帯は空いており楽だ.窓を見るとあちこち開いており,直ぐに節電のためエアコンを止めていることに気付く.走りだすまでは若干暑いかなという気もしたが,走りだすと適度に風が入りちょうどいいようだ.一昔前はギンギンに冷やした列車もあったが,やはりやり過ぎだったと思う.外国,特にアジア諸国ではまだギンギンに冷やすところがあるがあまり嬉しくないものだ.

中国東方航空MU522便のうなぎランチ

中国東方航空MU522便で先ず上海へ

成田第ターミナルで添乗Nさんの下に集まり,Eチケットをもらう,今回のツアーメンバーは自分も含めて11人だそうだ.よろしく願います.この後中国東方航空のカウンタで搭乗手続きをした.日航とのコードシェア便ということでJALマイレージカードのポイントを加算してくれた.87番ゲートから乗り込んだMU522便の機体はシート配列2-4-2のA340-300機で,90%くらいの搭乗率であろうか.内装はさほど傷んだ風に見えないが,個別のLCD画面は備えず,共用の画面もCRTであるところからすると古いのであろうか?機は定刻の17:00に出発し,程なく夕食を出してくれた.ビーフかうなぎの選択で,後者を選んだがなかなか美味しかった.ビールはBUD ICEと,若干バドワイザーのパチモン的香りを漂わせたものだった.

上海空港の愛心座椅

上海空港の愛心座椅

MU522便は順調に飛び,予定通り19:00(東京時差1時間)上海に到着した.上海はあくまで経由地なのだがここで入国手続を行う.入国完了後引き続き次の西安行き搭乗ゲートに向かった.ゲート前には写真のよう優先席がが設けられていた.日本の電車ではとかく優先されなくて済む人がのさばっていることも多いが,上海のようにシートそのものを色分けし,大書きすれば効果があがるだろう.そこまでしなければ....というのも何だが.

暫く待って同一フライトNoの西安行きは,シート配列3-3という比較的小型のA320機だった.成田から西安まで行く客は高々20人程度であったであろうか,大半の客は上海が終点で,また西安に行く客は殆ど新たに上海から乗り込んでいた.なお搭乗券も別だし,座っていたシートも変わり(機体が違うので当然)実質的に上海/西安区間は国内線扱いということになるようだ,でもフライトNoだけは同じで,少し不思議だが.で,そのA320機に乗り込み,新たな搭乗券に記されたシートに落ち着く.

西安空港の検疫犬

西安,つまり古都長安に到着

機は上海を21:00頃飛び立ち,2時間強の飛行の末23:10,予定より若干早く西安に到着した.西周から秦,漢,隋,唐の時代の都長安だ.当時相対的には未開国であったであろう日本(倭国)から遣隋使や遣唐使が目指した地だ.で,その西安空港で写真の検疫犬の活躍するターンテーブルから荷物を受け取る.成田の麻薬犬は何も着ていないが,ここの犬は着衣で大切に(?)されている.一方麻薬捜査官はTシャツにジーンズと,至ってカジュアルな出で立ちだ.

外に出るとこれから2週間案内してくれるというガイドMs.Cさんが待っていてくれた.お願いしま~す.

そして空港駐車場からバスでこの日の宿西安賓館へと向かった.既に夜も更けて比較的空いた通りを30~40分くらい走ると到着した.今日から急に暑くなったそうだが湿度が低いので然程問題はなさそうとの話だ.尤も深夜はいいとして,翌日日中の天気予報は37℃だそうだから,さてどうなるか.

西安のホテル前の通り

西安のホテル前の通り

西安賓館の一室で目覚め,早速ホテル内のレストランで朝食を頂いた.そして表に出てみると通勤時間帯なので,バスや車,バイク(電動が多い)などが多く行き交っている.普通の車道の外側にバスとバイクの専用レーンと広い歩道が設けられている.概して中国の都市の道路はとても広く立派だ.都市計画ができると6ヶ月以内に立ち退かねばならないという法律は,数十年も道路建設が進まないこともある我が国からすると驚異的だ.まあいろいろ意見はあろうが.

今の西安は人口830万人,古都だけに奈良,京都とは姉妹都市でたくさんの文化遺産を有しているが,一方ソフトウエア開発では中国随一と,先進的な面も見せているそうである.なお今年は園芸博覧会(花博)も開催されており,全国や海外から多くの観光客が詰めかけているそうである.

西安では到着した日と翌日の2日間は大学入試の日だそうだ.西安は大都市なので大学は沢山あるが,地方の人が都市に移る稀な機会でもあるので,地方からの受験者も多いそうである.そう,中国では自由に住所変更できないのだ.

明代城壁the Ming Walls

明代城壁は広い

広い城壁

14世紀後半,明の時代に築かれたという城壁は四角形で高さが12m,周囲が14kmもあるそうだ.南門から登り,輪タクに分乗し西門まで半周した.なお自国の観光客は電気カートで私たちをさ~っと追い抜いていったが,やはり輪タクの方が行楽気分を盛り上げるよ(見解の相違だが)

内部は土で,両側と上部は強度の高い青レンガで造られているようだ.上部は恰も道路のように広く,馬車が4台並んで走れるようにつくられたそうであるが,輪タクが並んで走る様を見るに納得できよう.

ガイドCさんが子供の頃,上部は一部土が露出していたそうだが,近年補修され,広い中国でも最も保存状態の良い城壁だそうである.


周囲の商用建築もクラシックに

周囲の商用建築もクラシックに

昔の長安の名に相応しく,新しい建物も伝統デザインを採り入れた建築が間々見られる.なかなか調和しておりいいと思う.

城壁を築くための材料は,その外周にお堀を掘った土砂で賄ったようだ.このやり方は日本でもよくあるのではなかろうか.

城壁のかなり短い間隔毎に櫓が置かれ,当時は武器庫などであったという.現在それらの内の幾つかはお土産店などに転用されている.

明代城壁で結婚準備写真の撮影

結婚準備写真の撮影

中国では結婚式を前に色々な場所で大々的に撮影し,その写真を披露する慣わしがある.台湾でもよく見かけることがあるし,ヨーロッパの街に出掛けてまで撮影している場面に遭遇したこともある.こちらとしては見る方も恥ずかしいように感じるのだが,古い人間だからかな~?

ちなみにガイドCさんは皆類型的,同じように写るし....で,撮ることはしなかったそうだ.ところで経済成長著しい現代中国では,マンション,車若しくは最低限バイク,ダイヤモンドを用意できないと結婚出来ないそうだ.マンションは内装なしで販売され,本体は男性側,内装と家具は女性側が用意するケースが多いともいう.一般に親御さんが一人っ子のために購入費用の大半を工面することが多いそうだ.なので年寄りは金が無くなり,この先巡る観光地では,私たち日本人はジジババでいっぱいなのに,中国人は尽く若者だけ,年寄りは皆無という気の毒な現象を目の当たりに見せられるのだ.

ちなみにCさんのご両親の時代(今から50~60年前か?)は,自転車,時計,ミシンが結婚準備標準品で,電気製品と言えばラジオに懐中電灯程度というのも稀ではなかったそうだ.


下は,明代城壁のいろいろな写真

明代城壁での眺め
明代城壁での眺め 明代城壁での眺め 明代城壁での眺め 明代城壁での眺め 明代城壁での眺め 明代城壁での眺め 明代城壁での眺め

大雁塔the Giant wild goose pagoda

大雁塔は慈恩寺というお寺の境内の奥の方に建てられている.慈恩寺は唐の皇帝高宗が建立したという.バスで到着すると入口脇切符売り場には既に大勢の観光客が詰めかけていた.入り口は駅の改札と同様な光学読み取り式ゲートであるが,うまく作動しないこともあるためか,或いは不正入場監視か,係員が切符を翳して客を通過させている.以降殆どどの観光地も自動改札+係員方式だった,

境内に入ると大きな香炉を据えた広場になっている.香炉の屋根は先が上方にカールした中国様式で,青銅製のようだ.

↓慈恩寺,大雁塔の入り口↓香炉と大雁塔
慈恩寺,大雁塔の入り口香炉と大雁塔
慈恩寺への階段慈恩寺で礼拝の人
↑慈恩寺への階段↑慈恩寺で礼拝の人

慈恩寺本堂(多分)に上がる階段中央には龍をあしらった石の彫り物が横たわる.ただし北京の紫禁城のように大きな一枚岩というわけではなく適当な長さで分割された石を組み合わせたものだ.

本堂の大きな仏像前ではお祈りする人の姿があった.この先あちこち仏教遺跡や寺を巡るのであるが,中国には仏教信仰に篤い人がこれまで思っていたより遥かに多いと感じられた.

大雁塔最上階からの眺め

大雁塔最上階からの眺め

大雁塔は玄奘(三蔵法師)がインドから持ち帰った膨大な仏典や仏像を保存するために建てられたそうだ.652年のことだそうで,日本では645年大化改新の少しばかり後になるようだ.途中老朽化したため,再建された経緯があるそうだ.

30元の別料金を払って最上階まで登ると,小窓が四方にあり西安の街並みが望める.

三蔵法師はここ慈恩寺の西側の道で壮行会が催され,インドへと旅立ったそうだ.三蔵法師は当時既に高位の僧であったが,政治的には必ずしも公認されて旅に出た訳ではなく,西域へのスパイ容疑有りとして途中の関所には手配書が配られていたそうだ.私はこれを聞いてびっくりしてしまった.幸い,往路出会う各地に支配者は三蔵法師に好意的で,捕らえられることなく無事インドを往復できたのだが.


慈恩寺の絵馬

絵馬

日本では絵馬を奉納するのは普通神社だと思うが.....思い違いかな~?ここ慈恩寺,つまり仏教寺院の一画でもたくさんの絵馬が奉納されていた.日本同様学業成就,事業達成のようなお願い事が認められている.まあ,色々なお願いを神仏に託すのは人間誰しも同じということであろう.


下は,慈恩寺と大雁塔の写真

慈恩寺と大雁塔での眺め
慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め 慈恩寺と大雁塔での眺め

大雁塔近くの天龍宝厳レストラン

大雁塔近くの天龍宝厳食館で精進料理の昼食

慈恩寺の見物を終えると昼時だった.そこから近い天龍宝厳というレストランで昼食を戴く.慈恩寺のお坊さんもよく食事するという精進料理の店で,植物なのに肉に見える料理など,工夫と苦労が滲み出ている感じだ.日本のお坊さんのように般若湯とか,うさぎを一羽,二羽と数えるとかの方便は使わないようだ.それどころかお坊さんは生涯独身を保つなど大変厳しい生活で,現代中国で坊さんを志す人はとても少ないと教えてもらった.少ないのは十分理解できます,はい.

陝西歴史博物館the Shanxi museum

陝西歴史博物館正門

陝西歴史博物館正門

ここは正面玄関.複数の建物から成り,115万年前の化石から秦の時代,漢の時代から魏晋南北朝時代,随,唐及びそれ以降に分けて展示されている.


115万年前の藍田人化石(複製)新石器時代(5000年BC)の刻符鉢新石器時代の彩陶と図案
↑115万年前の藍田人化石(複製)↑新石器時代(5000年BC)の刻符鉢↑新石器時代の彩陶と図案

新石器時代既に漢字の走りのような符号が現れていることは驚きだ.中国5000年の....ではなく,7000年の歴史だ!

先周時代の卜骨青銅の鼎内側に記された金文鼎の金文拓本
↑先周時代の卜骨↑青銅の鼎内側に記された金文↑鼎の金文拓本
青銅の編鐘西域の趣きの水筒(?)兵馬俑
↑青銅の編鐘↑西域の趣きの水筒(?)↑兵馬俑
篆書の記された動物文字瓦(三国時代)金の怪獣(475年BC)
↑篆書の記された動物↑文字瓦(三国時代)↑金の怪獣(475年BC)
ラクダの焼き物随,唐時代の宗教関連品唐時代の彩絵ラクダ
↑ラクダの焼き物↑随,唐時代の宗教関連品↑唐時代の彩絵ラクダ
小型の俑(埴輪)仏教遺跡壺と使用法説明図
↑小型の俑(埴輪)↑仏教遺跡↑壺と使用法説明図

最初の卜骨には甲骨文が刻まれているものと思い眼を凝らしたがよく判らなかった.鼎の金文は明瞭である.文字研究上,沢山の文字が刻まれた青銅器ほど高価で取引されるそうだ.以下興味深いものが沢山展示されていた.

一般館見物の後,特別室に案内してもらい,まだ未公開の秦と唐時代の品々も見せてもらった.最初に白い手袋を着けたので自由に手に取っていいのかと思ったら触れるだけで,移動や回転してはならないということだった.何のための手袋か不明ながら,折角なので腫れ物に触るように撫でてみた.個人的には小篆で『半両』と記された秦時代の鋳造コインが印象的だった.日本ではまだ縄文期か弥生時代の初め,洞穴生活の頃,既に漢字があり,貨幣経済の世であったことに改めて感服した.

回民街,鼓楼と鐘楼界隈around the Moslem street, the Drum tower and the Bell tower in Xian

回民街

西安の回民街(Xian Moslem Street)

博物館の後,イスラム教徒の回族の街,回民街を訪ねた.ここは鼓楼の北側に位置し約500m程度の通りで,主に回族の人たちが住んでいるそうだ.なので白いキャップの男性やスカーフの女性をよく見かける.イスラムなので豚肉が大好きな漢族と違って,『清真料理』の看板を掲げたレストランやケバブの店は豚肉料理はないであろうし,様々な食材の店もイスラムの掟に従う商品を並べているようだ.また当然酒類販売店はないようだ.

通りを歩いているのは私たち観光客や普通の漢族の人が住民より多いようで,ちょうど横浜中華街で住民以外の通行が多いのと同様な雰囲気かと思う.それと,店舗の看板は殆ど漢字で,同じイスラムのウイグル族がアラビア文字と同系統のウイグル文字を用いるのとは幾分異なるようだ.回族は中国の多数の地域に住まうそうだが,ここ西安という漢族の真っ只中で長年暮らしてきた人たちは少なくとも言語や文字に関しては漢族に同化してきたのかも知れない.


鼓楼

西安の鼓楼

回民街の突き当たりに鼓楼があった.1380年に建てられたそうで,夕方,大きな太鼓を叩いて時刻を知らせたそうである.写真のように回廊に太鼓が見えるが,随分大きなものだ.まあ,これはシンボル的なものであろうが.青レンガの土台の上に築いた楼は高さが33mあるそうで,立派なものだ.


鐘楼

西安の鐘楼

鼓楼から少し先,大きな通りの交差点中央に鐘楼がある.現在工事中の地下鉄駅へ向かう地下道を潜ると楼の軒下に出ることができる.楼の周りは花博の催しと同期して膨大な花が植え込まれていた.前回訪れたときは鐘楼上に登ってみたが,今回はわざわざ別料金を払って登るまでもないかな~と皆で直ぐ引き上げた.

この後,近くの徳発長という餃子が名物のレストランで夕食が予定されていたので,そちらに気が奪われていたせいもあるかも知れない.徳発長は随分繁盛し賑やかだった.脇で琵琶と琴が奏でられ,十数種類の餃子(飲茶料理風)がどんどん出てきて,美味しかった.必ずしも評判が芳しいとは言えないビールと,名前は覚えてないが販促用に出してくれたお酒も全部平らげて満足した.

私たちは結構ゆっくりしたが,地元のお客さんはささーっと入ってきて,ぱーっと盛り上がり,あっという間に引き払う,そんなグループが多いように見えた.お店の回転率は高いし,客はやる事が多そうだし,まあ中国の活力の一面を見せられたような気がした.


下は,回民街及び鼓楼と鐘楼の写真

回民街,鼓楼と鐘楼での眺め
回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め
回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め 回民街,鼓楼と鐘楼での眺め

こうして腹いっぱいになると再びバスに乗り西安賓館に戻ってきた.賓館のロビーでは若い女性がグランドピアノを弾いていた.かなり長時間弾くようで,ピアニストも結構大変だな~と思った.さて明日はウルムチに向かう暑いだろうな~



Cannergy'sホームへ