莫高窟と楡林窟Mogao Caves and Yulin Caves

この莫高窟と楡林窟編では莫高窟に関する楊先生の特別講義,莫高窟,鳴沙山と月牙泉,沙州市場,楡林窟の写真を載せました.

莫高窟の特別講義lecture on Mogao caves

楊先生の莫高窟特別講義

楊先生の莫高窟特別講義

莫高窟見物の前夜,敦煌賓館会議室で敦煌研究院の楊先生から莫高窟の特別講義を受けた.全くの素人が泥縄式に受講するので申し訳ないが,時代に応じて絵画や彫刻の様式が変化していく様など面白く伺うことができた.また先生は神戸大学に留学していたこともあるそうで,とてもわかり易い日本語で話された.たくさんお聴きしたなかで,少しだけ記憶にあるのが

など.砂漠の中の大画廊と言われるだけあって,アート的に各時代の特徴を詳しく述べられたが,どうもよく覚えてない.


莫高窟Mogao caves

莫高窟外観

莫高窟外観

6月11日朝,敦煌のホテルを出て,比較的早い時間,莫高窟に到着した.列車の到着時刻などの関係で,午後になるに連れ非常に混むので一般窟を早めに観て,午後は別料金の特別窟に入るという作戦だった.駐車場からチケット売り場を経ていよいよ写真の窟の前にやって来た.ここで女性学芸員Tさんが現れ,私たちを案内して廻ることになった.Tさんは東京の大学に留学したことがあるそうで日本語が達者だった.窟内の写真は禁止で,全てのカメラはゲートのところに預かってもらった.

ゲートをくぐり,私たちは先ず一般窟である第96,130,148,244,249,61~63,329,328,16~17の各窟を見物し,その後特別窟である第45,57両窟の順に巡った.

添乗Nさんに戴いた記録資料を参照しながら各窟の記憶を辿ると


57窟:左側壁の菩薩像(敦煌莫高窟から転載)

57窟:左側壁の菩薩像(敦煌莫高窟から転載)

窟内の撮影は禁止であるので「敦煌莫高窟」(80元)という写真集を買い求め,一部転載させてもらった.

57窟は莫高窟入り口近くにあるとても有名な窟.正面の柔和な仏様(下の左上写真)もさることながら,左側壁の菩薩像(右写真)はあちこちで紹介されて特に有名.平山郁夫画伯も最高のお気に入りだったそうである.

ガイドの学芸員Tさんが下方からライトで照らすと金のネックレスや衣装が立体的に見えた.不思議だ.

以前ロシア人が探検調査か何かで住みつき,炊事の焚き火で一部煤けたという跡がある.


敦煌莫高窟の塑像と壁画(敦煌莫高窟から転載)

↓第57窟:仏像及び阿難と迦葉像↓第45窟:胡商遇盗の図
莫高窟57窟:仏像及び阿難と迦葉像莫高窟45窟:胡商遇盗の図
莫高窟328窟:菩薩と阿難像莫高窟328窟:阿難像拡大
↑第328窟:菩薩と阿難像↑第328窟:阿難像拡大
莫高窟130窟:供養者婦人(敦煌莫高窟から転載)

第130窟:供養者婦人(敦煌莫高窟から転載)

盛唐時代の高さ26m大仏塑像のあるある窟の入口側にあって,供養者(スポンサー)婦人と侍女たちを描いたものだそうだ.当時の美人の条件,ふくよかな,若しくは下膨れ顔で描かれている.変色がなく美しい色彩を保っている.この奥方が法要などでこの窟に参拝するときは,後ろの侍女に供物を持たせ,このような出で立ちで現れたのであろう.


下は,莫高窟のいろいろな写真

莫高窟での眺め
莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め
莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め 莫高窟での眺め

莫高窟エリアの一画には広い墓地がある.ここで修行し,亡くなられたお坊さんのお墓が集まっているようだ.ただ仏塔はチベット仏教のチョルテン様式が多いようだ.前日の楊先生のレクチャーを思い出すと,元の時代の頃,この辺りは吐蕃王国の支配下に入り,同時にラマ僧がチベット密教と共に入り,盛んになってきた経緯があるようだ.

鳴沙山と月牙泉Mt. Min Sa and Crescent moon spring

鳴沙山

鳴沙山は鳴き砂の砂山

鳴沙山は敦煌市街から数kmの近くから連なる砂山.陰影の際立つ夕刻(若しくは朝)見るのがいいと思われ,実際夕方見物に出かけた.でも全国北京統一時間の敦煌では時刻は夕方でも陽はまだ高く,左写真程度のコントラストで色彩も殆ど赤みがなく,まあ凡庸な結果に終わった.

入り口から麓までは電気カートで,戻るときは2こぶラクダで下った.1こぶラクダに比べて,こぶとこぶの間に跨るので乗り易いかな~と想像したが大差ないかも知れない.立ち上がるときと,かがみ込むときの前のめりにカクンとくる動きは同じように要注意だ(これが嫌で乗らない人もいた).

さて鳴沙(日本語で鳴砂)であるが,実際自分で歩いてみてもよく判らなかった.耳と音感がしっかりした人なら判別できるのであろう,実際数十人の児童を歩かせて音響データを採取し,分析し,どのような波長の音波が生じるかを分析した論文も発表されているそうだ.

去年まで麓から山頂まで簡易な階段が設けられていたそうだ.実際そうした写真を見かけることがある.しかしある時中央政府のエラいお方が見えて,「これは何だ,見苦しい,取り外せ!」との一言で無くなったということだ.砂山なので階段や梯子がないと登るのはなかなか困難で,砂そりなどのアトラクションも疎らになったようだ.さて階段はある方がいいか?自然のまま無い方がいいか?


月牙泉

月牙泉

三日月は中国語で月牙と言うそうだ.写真を見れば一目瞭然,月牙の形の湖が鳴沙山の麓に見える.不思議なのは周りが砂,砂,砂....だらけなのに長い年月砂に埋れず,ちゃんと水も湧き出ていることであろう.

いや,実際は昔に比べると水位はかなり低下しているのだそうだ.そのため当局はここ数年,月牙泉を水源とする水脈で消費される農業用水の取水制限,流れ込む砂量の軽減するための防風林の植林といった手を打ってきたそうだ.そして少し水位が回復,と成果が現れてきているそうである.

一方,農地の防砂林転換で耕作地がなくなった農家は生活できなくなる問題がある.そこで当局は農民に園内売店の営業権,ラクダサービス営業権,防砂靴カバーレンタル店営業権....と云った各種権利と土地(中国では元々国有)とを交換したということだ.私たちにも,つい最近畑仕事から園内ビデオカメラマンに転職したという若い男性がビデオカメラを手にして付いて廻っていた.撮影した映像はDVDに焼いて,夕食のレストランでプロモーション再生し,販売していた.日本で道路や空港の土地買収はしばしば数十年と気の遠くなるような年月を要することも稀ではないが,中国では短期間で強制執行,階段撤去も即時.....強制も問題あろうが,数十年進展なしも考えさせられる.


ロバ肉麺

ロバ肉麺の夕食

鳴沙山と月牙泉の観光を終えて近くの郷土料理レストランに入った.普通の中華料理に混じって,ここ敦煌の目玉料理,ロバ肉麺が出された.左写真がそれで,これを皆の小皿に分け,右皿のタレをかけて食べた.ロバ肉はチャーシューのように予めローストしてからスライスしたもののようだ.中国で,4つ足ではロバ肉,飛ぶものではガチョウ肉が,それぞれ一番美味しいとされているそうだ(ガイドNさんの言).実際なかなか美味しいと思った,確信するにはちょっと量が少なかった(大食いなので).ロバ肉麺全体としては,まあウイグルのラグ麺の1バリエーション,敦煌風パスタ....そんなところか?いやちょっと違うか?

同行者に,この日めでたく誕生日を迎えた方が居られた.ハッピーバースディトゥユーを歌い,大きなケーキに立てられたローソクを吹く姿を皆で祝福した.私たちもケーキのおこぼれにあずかった.


下は,鳴沙山と月牙泉の写真

鳴沙山と月牙泉辺りでの眺め
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沙州市場Dunhuang market

沙州市場のフードコート

沙州市場のフードコート

沙州市場の沙州は敦煌の古い地名だそうだ.その沙州市場は宿泊した敦煌賓館の直ぐ近くにあった.看板には『沙州市場』と一緒に『敦煌夜市』も併記されている.市場は他同様,生鮮食品,乾物,日用品,衣料品....といったところがメインだ.

それと,かなり広いフードコートもあった.既に結構客が入っているが,まだ多くのウエートレスが手持ち無沙汰にしており,も少しすると『夜市』の主役になりそうだ.で,ここを通りかかり思ったのだが(1)予めテーブル脇にストックされたビールはどう見ても冷えていない.人事ながら,これでいいのかな~と気になる.(2)若者ばかりで年配者が少ない.中国の年配者頑張れ!


2本ミナレットのモスク

2本ミナレットのモスク

沙州市場の近くにモスクがあった.2本のミナレットが夕陽に輝いている.敦煌は仏教の街であるが,回族やウイグル族,さらにシルクロードの要衝であっただけに遠くイランやウズベク族,タジク族,カザフ族....などイスラムの人たちがそれなりに住んでいるのであろう.


下は,沙州市場の写真

沙州市場の写真
沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真
沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真 沙州市場の写真

楡林窟Yulin caves

6月13日敦煌のホテルを出て楡林窟へと向かった.楡林窟は行政的に瓜州に属するのか瓜州の料金所を通過した.やがて祁連(きれん)山脈,若しくはその支脈の茶色い山が見えてきた.

楡林窟へ行く途中のゴビ灘の墓地

ゴビ灘の墓地

なおも行くが,途中の風景はやはりゴビ灘が多く,所々オアシスがあり,畑が広がっている.ゴビ灘の所々では写真のような盛土した墓地を見ることができた.なお墓地(埋葬場所)はウイグルや甘粛省の多くを占めるゴビ灘などの荒地(一般に国有地)のどこでも好きな場所を選んで埋葬することが可能だそうだ.あまり遠いとお墓参りが大変なので,村からあまり離れていない場所を選ぶことが多いと聞いた.


上から眺めた楡林窟

楡林窟に到着

ホテルから2時間余り走って楡林窟に到着した.上から見る眺めは,前々日訪れた西千仏洞と似ており,ゴビ灘に深く流れる谷(楡林河)とその両岸の崖にたくさんの窟が抉られている.渓谷はかなり深く,30mいや50mだったか?でもしっかりした階段が付いており歩きやすい.階段の途中で犬に吠えられたたが,ケージの中なので安心.近くに人の住んでいる様子はないし....楡林窟管理当局直属の番犬かな?

谷の底に到着すると,流れは速く水量も豊富だ.また楡林窟の名に違わず,粗いメッシュ状樹皮で覆われた楡の大木が並んでいた.暫くして男性学芸員Kさんが現れ,私たちに解説,ガイドNさんが通訳,という手筈で見物することになった.廻った順は一般窟12,14,特別窟25,2,4,再び一般窟6と歩いた.

あまり良く思い出せないので添乗Nさんに戴いた記録資料を参照しながら各窟概要をメモしてみると

ということで楡林窟は総窟数42と莫高窟に比べると規模は小さいが,主に中唐以降のものが多く,美術の観点からは特に西夏時代の壁画が注目されているようだ.


楡林窟2窟:西夏時代の水月観音の看板

2窟:西夏時代の水月観音の看板

窟内は全て撮影禁止で,絵葉書も販売していなかった.入り口に有名な2窟西壁北側の水月観音図看板などがあったので載せてみる.この窟は1038年から始まり,元の前の西夏時代のものだそうだからかなり新しい.この看板ほどではなかったかと思うが,かなり細密なタッチで多くの色が鮮明に残っていたと思う.

またこの図右下は三蔵法師と少し猿に似たところがあった西域部族とされる,お供の孫悟空で,これからインドに向かう場面,だったと思う.かの有名な「西遊記」はこれから下ること300年,明代の猪八戒などフィクションを含む作品だそうで,西夏時代はまだ実在した三蔵法師と孫悟空だけだったようだ.

なおこの2窟の本尊は文殊菩薩だったようだ.



下は,楡林窟に行くまでと楡林窟の写真

楡林窟に行くまでと楡林窟での眺め
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私たちがここを訪れていたとき,他の観光客は一切来なかった.莫高窟の人出と比べると嘘のようで,行くのが大変ではあるが穴場であろう.



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