このマゼラン海峡越え編では,2013/2/7(木)朝プンタアレーナスのホテルを出てフェリーでマゼラン海峡を渡り,チリ/アルゼンチンの国境越え,リオグランデを経由し,ガリバルディ峠を越えてウシュアイアに到着.その後ウシュアイアで散歩したときの写真を載せました.
この日は先ずバスでプンタアレーナスのホテルを出て,一旦前日通ったマゼラン海峡沿いを戻り,255号線と交わるところで右(東)に折れ,海峡の最も狭くなる港街プンタデルガーダに至る.ここでフェリーに乗りマゼラン海峡を渡る.渡った先はフエゴ島(Tierra del Fuego)のバイアアスールというやはり極小さな村だ.
上陸後南に向かい,やがてチリ/アルゼンチン国境に至り,越境する.アルゼンチン入国後は大西洋沿いの3号線を南下しリオグランデに来て休憩.その後南下を続け,トルウィン,ファニャーノ湖に立ち寄りながらガリバルディ峠に至る.
峠からは山を眺めつつ下り,ウシュアイアに到着した.
この日はウシュアイアまで650kmも走るという.そこでIsla Rey Jorgeホテルのロビーには6:00AMという早い時間に集まり,バスで出発した.
最初は前日通ったマゼラン海峡沿いを遡り,255号線で右(東)に折れ,小さな港街プンタデルガーダに至った.途中バスから日の出を眺めていると,6:40AMと遅かった.パタゴニアの時間帯が実質的に遅い方にシフトしていたためであろう.
ここはマゼラン海峡で最も狭いところで,対岸のフエゴ島まで5kmだそうだ.フェリーは私たちのバスやトラック数台を積んで出航した.小さなフェリーは静かな海面を進み,15分くらいの航行で到着した.
これが朝出たプンタアレーナス辺りだと海峡の幅が40kmもあり,対岸まで4時間も掛かるそうで,この狭い部分を渡るのがやはり正解のようだ.
マゼラン海峡は前出のページで触れたように,1520年マゼランが発見し,乗っていたビクトリア号で太平洋に抜けた.マゼランは太平洋の航行を続け,1521年フィリピンに至るが,ここで戦死.1522年ビクトリア号がスペインに戻った時既にマゼランの姿は無かったそうだ.
なおマゼラン海峡の対岸は全てチリ領で,従って海峡はチリ領となっている.
僅かな航行で対岸のフエゴ島(Tierra del Fuego)に着いた.ここも長閑なバイアアスールという小さな町だ.
下船し,直ちに南下を始めた.ガタガタ道である.草原には馬に跨ったガウチョの姿も見える.
下は,マゼラン海峡を渡るときの写真
草原の中をガタガタ道は続いている.でもアジア諸国の大きな穴だらけの道とかと違って,ここは砂利のガタガタで程度は軽微だ.雨が少ないので,固い地盤はあまり痛まないのではなかろうか.
短く毛が刈られた羊も混じっている.ちょうどこの農場では毛刈り作業の最中のようだ.
毛刈りは夏の11月~3月に行われ,一般に2,30人から成る毛刈り専門集団が,パタゴニアに点在する1万もある農場を巡りながら実施されるという.ベテランのプロは一頭4分で刈り上げ,集団では一日で1200頭刈るという.概ね1農場1週間で仕上げるそうだ.刈られたウールは勿論高値で取引されるが,以前よりは低下したそうで,パタゴニアの羊農場は減ってきているそうだ.
さてチリ国境の町サンセバスチャン(San Sebastian)に到着した.混み合っているそうで,朝ホテルで用意してもらったサンドイッチをバスの中で頬張る.そのうち順番が来たようで,ここのイミグレーション窓口に並び出国完了.
続いてアルゼンチン側サンセパに来て,ここはバスドライバの方が皆のパスポートを集めて提出し,OK.短時間で通過できた.
ここのパラボラアンテナの仰角を見るとかなり立っており,緯度の高さが感じられる.相当南に来たものだ.
下は,国境越えまでの写真
アルゼンチンに入国後は大西洋沿いの3号線を南下しリオグランデ(Rio Grande)の街に入った.ここは住宅街でカラフルな住宅が建ち並んでいる.
リオグランデはフエゴ島のアルゼンチン領ではウシュアイアと並ぶ大きな街だそうで,人口は5万人以上だそうだ.農業に加え,工業も盛んだという.
マスの漁獲高が確か世界一と説明があった.そのシンボルモニュメントが交差点に据えられていた.街の名前がリオグランデ,即ち大河であろうから,そこで捕れるのだろうか?
リオグランデの街のガソリンスタンドで休憩し,再び走りだすとこの川を通過した.これがマスの棲むリオグランデであろうか?深い紺碧の水面が印象的だ.
下は,リオグランデへの写真
郊外の南極ブナ林には,鳥の巣が架けられた木があったり,グアナコがうろついていたりする.
リオグランデから更に南進し,やがてトルウィン(Tolhuin)という小さな街に到着した.この街で評判という自家製のお菓子やパンを供するカフェで休憩となった.今は亡くなったが近くのお医者さん(整形外科医だったか?)が設立したお店だそうで,店の一角にその方のマネキンが置かれていた.
ケースの中の一つを,『それ』っと指さして注文したら,アルゼンチン風肉まんのようなもので,美味しかった.以前サンパウロかどこかで食べたのと似ていたが,幾分小振りだと思った.
トルウィンからは左(西)に曲がった.そして程なくファニャーノ湖(Lago Fagnano)の畔にやって来た.ここの水もまたとてもきれいだ.
地図で見ると横(東西)にとても長い.110kmもあるそうで,アルゼンチンで一番長い湖だそうだ.110kmとは東京駅から伊東や富士山頂までより少し先になるというからやはり相当の大きさだ.
ファニャーノ湖沿いを進み,坂を登って行き,標高430mのガリバルディ峠(Garibaldi Pass)に到着した.
パスの展望台に立つと,手前にエスコンディド湖(Lago Escondido),遥か向こうに先ほど通過したファニャーノ湖(Lago Fagnano)が望めた.エスコンディド湖はファニャーノ湖に比べて圧倒的に小さいようで,小さな地図上では判別できない.
珍しいことにこの展望台にはお土産の露店があった.細やかながら売り上げがあるのであろう.
下は,ガリバルディ峠までの写真
ガリバルディ峠からウシュアイアに下る道は大きな谷に沿うように走っていた.なので,高くはないが脇の山を眺めながら徐々に高度を下げていく.これまでも場所による空模様の急変は多いのだが,この辺りはそれに輪をかけて目まぐるしく変わる.
谷あいの道を越えると向こうに海原が見えてきた.ビーグル水道(Beagle Channel)で,その手前がここフエゴ島のウシュアイアの街だ.水道の向こうはナバリノ島,オステ島だそうだ.水道上に国境があり,対岸の島は全部チリ領のようだ.ありきたりだが『海は広いな~たとえ水道とは言っても』と思う.波はなく静かなようだ.明日はここをボートでクルージングの予定だ.
ウシュアイアに入ってから,少し山側に上ったところにAltos Ushuaiaホテルがあり,ここにバスが到着した.長い距離ドライバさんご苦労様でした.ちょうどルピナスが盛りで,色とりどり咲いていた.
下は,ウシュアイア到着までの写真
南向き(陽が射さない)で,ビーグル水道とウシュアイアの街がよく望める部屋だった.WiFiも部屋で使えて,速度も十分だった.
窓から眺めると,ウシュアイア港には貨物船,小型ヨット....などに加え,結構大きな客船も停泊中だ.これくらい海面が静かであれば殆ど揺れないであろうか.聞けば南極ツアーの船はこの港から多く出るそうだが,このビーグル水道を抜け出し,ドレーク海峡に入ると,それはそれは大変な揺れとなるそうで,.....南極も行ってみたいが,ここくらいにナギであれば....と,ふと思った.
ところでウシュアイアは南緯54度48分に位置し,世界最南端の街とされているそうだ.もち論ビーグル水道向こうのナバリノ島,オステ島にはチリ領の村が幾つか在るのだが,規模が小さく,『街/都市』とは見なされず,あくまでウシュアイアは『街/都市』と云うのがミソなのだそうだ.なおウシュアイアはティエラデルフエゴ州の州都で,人口は6万人以上になるそうだ.
ホテルに到着したのは5時過ぎだったのだが,例によってまだ陽は高い.ウシュアイアの街を散策してみることにした.
ここはその住宅街,小さいが一軒一軒個性的で,洒落た造りの住宅が目に付く.
丘に立ち港を眺めると,個人用であろう小型ボートやヨットも結構停泊している.岸に係留せず少し離れているのが多い.珍しいような....いや普通か?
ウシュアイアの目抜き通りがこのサンマルティン通り.アウトドア用品店,お土産店,レストラン,...等々建ち並び,観光客も多く歩いている.
一目でそれと判るウシュアイアの幼稚園.でも街なかで子供はそれほど見かけないような気もするが....気のせいかな.
歩いていたらマゼラン街にダーウィン通りと道路標識あり.いかにも最南端の街,ここに所縁深い二人の名が刻まれている.
大規模ではないがホテルやロッジもよく目にする.ここも夏だけであろうが観光客の集まるところのようだ.
下は,ウシュアイアの街を散歩したときの写真
明日はここウシュアイアに滞在し,近くを見て回ることになっている.さて何があろうか?