このパイネへ編では,2013/2/3(日)チャルテンをバスで出発し,エスペランザまで南下し昼食,その後西へ進み国境の町カンチャカレーラからアルゼンチンを出国,そして直ぐ隣チリの町セロカスティージョから入国し,チリのバスに乗り換えてパイネ国立公園へ行った.このときの写真を載せました.
朝バスでチャルテンを離れ,ビエドマ湖(Lago Viedma)沿いを東に走り,40号線に至ると南にターンし,往きでも立ち寄ったラレオナ(La Leona)で休憩.その後40号線の南下を続け,カラファテへの分岐点辺りで,バスとドライバさんの交代.
新しいバスで40号線の南下を継続し,5号線への分岐点でそちらに逸れ,エスペランザ(Esperanza)に到達し,ここでランチ.
食事後.7号線,再会した40号線を突っ走り,国境の町カンチャカレーラ(Cancha Chacarera)でアルゼンチンを出国し,バッファゾーン先,チリのセロカスティージョ(Cerro Castillo)で入国する.ここでチリのバスとガイドさんに交代し,パイネ国立公園内のLas Torresホテルまで行く.
2013/2/3朝3泊したチャルテンをバスで出発した.ビエドマ湖に沿って走っていると虹が見えた.山の天気なので場所と時間で目まぐるしく変化し,雨模様のエリアに陽が射すのであろう.
往きと同じようにラレオナ(La Leona)に来て休憩した.お土産販売のコーナーにマテ茶やその茶碗に並んで,写真のように,両端に重い球(多分金属球)を付けた革紐があった.ガウチョが走る牛の脚に投げつけ,絡ませて牛の動きを封じる道具,錘付き投げ縄だそうだ.ボレアゾラス(boleadoras)或いはボラ(bolas)と呼ばれるようだ.ループにして投げる投げ縄より,さらに一段高度な技が要りそうだと想像する.
また背後のナイフはやはりガウチョ必携の短刀で,クチリョ (cuchillo)と呼ばれるそうだ.鞘も含めてなかなか味わい深いデザインだ.
やがてアルヘンティーノ湖を過ぎた辺りでバスとドライバさんが交代した.カラファテのバスが早朝からチャルテンに迎えに来たため,労働基準法に定められた一日の基準労働時間に達したためという.ご苦労さんでした.
さて,交代したバスは南下し,高台に来た.広く見渡せるということで,バスを降り,アルヘンティーノ湖方面からこれから向かう南を眺める.風が強烈で,茶色い大地の荒々しさを引き立てる.う~んやはり荒地だ.
延々と続く荒地に,たまにこうした一軒家が建っている.日本などではとても想像できない光景で,いや~大変な所で暮らしてますね....とありきたりの感想が脳裏に浮かぶ.
途中5号線への分岐点があった.上のマップで40号線を真っ直ぐ行けば国境に近いが,実際は40号線は途中で途切れているそうで,5号線経由で進むそうだ.
そして暫く走り,エスペランザ(Esperanza)の小さな町に到着した.そして街道脇,写真のLa Esperanzaレストラン/ホテルで昼食となった.
ミンチしたものではなく,トマトソースで絡めた塊のローストビーフが載っかったスパゲティ.いかにもアルゼンチン風だ.美味しい.
ワインは一般的なもので,まあ普通だ.アルゼンチンはワインの大生産国だが,自国の消費が殆どで,チリと違って輸出が少ないそうである.
なお,アルゼンチンの一人当たりの年間ビーフ消費量は60数kgに達し,主食であり世界一,日本人の一人当たりの米消費より多いそうである.確かにお米,それほどには食べないですね.
下は,エスペランザへいくときの写真
昼食後エスペランザから西へとひた走った.道路脇には写真のように針金のフェンスが必ず設けてある.家畜囲いなのだそうだ.でも家畜を見掛けることはあまりない.今は奥のほうで草を食んでいるのですよ,と云うことだが.....それにしても広大な土地に比べて少ない.
なおこうしたフェンスはチリ側でも同じように張り巡らせている.
やがて未舗装路になり,程なく国境の町(村)カンチャカレーラ(Cancha Chacarera)に到着した.水が豊富なようで緑地があり,木があり,村を成している.
カンチャカレーラにはサンタクルス州の地図を掲げたアルゼンチン出入国管理事務所がぽつんと建っていた.出入国者があまり多くない小ぢんまりしたオフィスで,成田,アトランタ,ブエノスアイレス....といった大都市のイミグレーションとは著しい差で,いかにも『国境』を感じさせる雰囲気も格別だ.
ところでこの州地図を改めて眺めてみると,アルゼンチン側パタゴニアは全てこのサンタクルス州に含まれることが判った.広~い州だ.
私たちは狭いオフィスの窓口に並んでスタンプを押してもらった.幸いこの日は並んでいる人が少なく,然程時間が掛からなかった.
その狭いオフィスの壁には写真のような行方不明者や,多分指名手配者と思しき人物の写真に懸賞金を添えたポスターが掲げられていた.この国境辺りは格段国境警備が厳重といった風には感じられないし,道路周辺は原っぱなので,その気になればどこからでも簡単に越境できそうである.そんな訳で,どちらの国でも,もし見かけたらぜひご連絡を,ということであろう.
下は,アルゼンチン出国までの写真
アルゼンチン出国の後は,数kmの未舗装バッファゾーンがあり,この先チリのセロカスティージョ(Cerro Castillo)のチリ出入国管理事務所に着いた.入国カードはスペイン語だけでなく英語も併記されていたので助かった(以前サンパウロ→リマ線機内で,スペイン語だけで往生した経験があった)
チリ政府は環境保護に力を入れ,動植物の持ち込みを厳しく制限しているそうだ.添乗Iさんからは果物はもちろんドライフルーツとかも全く無いように処分しておいて下さい,と案内されていた.そんなかいあって,一部のバゲージを開けチェック,殆どX線だけで通過することができた.
ここでアルゼンチンのバス,ドライバGさん,ガイドMさんの皆さんとお別れした.ありがとうございました.そして迎えてくれたチリのバスに乗り換える.ガイドはCさん.どうぞよろしく.
イミグレーションのセロカスティージョ(Cerro Castillo)の町には,レストランやお土産物屋さん,農家が並んでいる.羊が車の前を行く光景は実に長閑で,中東のような雰囲気も感じさせる.
下は,チリ入国での写真
チリ入国後この日の宿泊地パイネ国立公園に向かった.少し走るとニャンドゥ(Nandu)と呼ばれる大きな鳥に出合った.ダチョウ科で,とても大きく,飛べないが時速50km/hrにも達する速度で走るそうだ.でも走っている場面には合わなかった,残念.猛獣並みに一夫多妻だが草食で,写真のオス(1mの体長で判別,多分)の他,群れ状のメスなどこの辺りではかなりの個体数を見かけたが,実は絶滅の危機に瀕しているようである.
ダチョウと同じように肉は美味しいそうで,それ故以前乱獲され,絶滅の一因になったらしい.なお所によって(ウルグアイなど)は,ダチョウと同様家畜として飼育されているそうだ.
チリに入る道は砂利だらけの粗末な道になる.簡易舗装と呼ばれ,路面に簡単なアスファルトコーティングを施したようなものらしい.バスはガタガタし,案内の声が聞き取りにくい.アルゼンチンも以前のデフォルト,さらに現在も経済が危険水域にあるが,チリはさらに貧しい国なのだそうだ.それでもアジア諸国の山間の道などに比べれば,全く安全で快適なのは言うまでもない.
パイネ国立公園に近くなった.サルミエント湖(lago Sarmiento)にパイネの山々が見えてきた.サルミエント湖のエメラルドグリーンに輝く湖面はとても綺麗だ.
グアナコ(Guanaco)が見えた.アルパカ,リャマ,ビクーニャと並び,アンデス原産,南米のラクダ科動物の一つだそうだ.アルパカ,リャマは家畜化されているが,グアナコはビクーニャ同様野生のままだそうだ(資料によってはペルー辺りで飼われていたとの記載も見えるが....).
顔付きはラクダだが,アルパカのように大きくはないが,最大140kgになるという.毛はビクーニャほどではないがなかなか上質で,肉もそれなり(想像ではあまり美味しくなさそうだが...)に食用され,そのため乱獲されたそうだ.現在は保護されているという.
バスはパイネ国立公園に入り,アマルガ湖(Laguna Amarga)の南を通過し,橋を渡ると,園内のLas Torresホテルに到着した.一見コテージ風の建物が並んでいるように見えるが,一体で連なっている.午後6時半でまだ陽射しは強いが,緯度が高いので陽の位置は低く,影は長い.
先住民の道具などで装飾された部屋は広く,窓からはアルミランテニエト山(Mt. Almirante Nieto)が見える.ただ背後のトーレスデルパイネ(Torres del Paine:パイネの塔)の展望を妨げるので良し悪しでもある.
Las Torresホテルは国立公園内にぽつりとあり,周囲には何もない.まあ,公園内にホテルがあるのだから当然であろう.従ってここに滞在中は専らホテルレストランで食事を摂ることになる.朝も夕もバフェスタイルで,好きなようにお皿に盛るのでなかなかよい.ビール小瓶US$8と高目だが,まあ国立公園内だから仕方なかろう.
下は,パイネ国立公園への写真
さて明日は今回ツアーのハイライト,パイネの塔ハイクが待っている.期待を込めて眠りに入る.