このウシュアイア編では,2013/2/8(金)ウシュアイア滞在中ビーグル水道クルーズ,エンセナーダ湾の散策,世界の果て号乗車,ティエラデルフエゴ国立公園の散策等を楽しみ,夕方サンマルティン通りに繰り出した.このときの写真を載せました.
ウシュアイア観光一日目はこのマップのビーグル水道のクルーズ,その後バスでエンセナーダ湾を訪れ,世界の果て号に乗り,またバスでティエラデルフエゴ国立公園周辺などを巡った.
ホテルレストランで普通の朝食を頂戴した.フリーWiFiサービスのステッカーが窓ガラスに貼られ,売りにしている様子だ.実際部屋でも十分な速度で使えた.リゾート地のホテルにしては意外と独りで食事をしている人もいる.
食事後玄関前からバスに乗り,ウシュアイア港へと向かった.歩いても30分くらいで行けるのだが.
このカタマラン,エリザベス号とちょっと畏れ多そうな名称だ.結構多くのシートがあり,満席近いか.でもどうせ皆デッキに行くし,混んでいる風ではない.
さてビーグル水道であるが,全長320km,幅はここウシュアイア辺りでは10kmもあるが,最も狭い所では1kmくらいだそうだ.また水深400m(max)程度だそうだ.
ビーグル水道(Beagle Channel)の名は,1831~1836年チャールズダーウィンが英海軍の帆船ビーグル号(フィッツロイハイクのページで触れたが,このときの船長がフィッツロイ)で地球一周航海で,ここを通過したことに由来するそうだ.なお帆船の船名はさらにビーグル犬に由来するそうだが,乗せていたのであろうか?
出航すると,ウシュアイアの街の上方に,翌日その下側を歩く予定になっているマルティアル氷河がよく見える.標高は低いが緯度が低いため氷河が形成されるという.
そして少し進み,ブリッジ島に上陸.ここでは先住民ヤマナ族の貝塚だったという直径2~3mの穴など見せてもらった.ダーウィンが上陸した頃,ヤマナ族はしばしば裸もしくは毛皮を纏い,この後見るオタリアなどの油脂を身体に塗り保温し,浜辺のムール貝を一日80~100個食する(小島なので他の食物は確かにあまりなさそう.魚は?)習慣であったそうだ.だがその後徐々に着服する生活に変わり,やがて欧州から伝わった免疫のない疫病などにやられ,現在その末裔は少しだけという.
アシカの仲間だというオタリア(Otaria)のハーレムの島に近づいた.極めて凶暴な野獣だそうで,上陸することはできないそうだ.雄の体長は2.6m,300kgくらいにもなるというから恐ろしい.雌は雄よりも小さく,雄の半分程度だそうだ.
周りに幾頭もの雌を従えた雄は,時々首を上げて,振りながら雄叫びを上げている.どうやらただ単にハーレムで,静かに寝そべっていれば済むというものではないようだ.多分前門の虎,後門の狼といったあぶれた雄の襲撃がいつあるか判らないのであろう.
オタリアの周囲にはなぜかウミウがいっぱい群がっている.多分オタリアの餌には向かず,互いに何らかの益がある共生関係にあるのであろうか.
こちらの島にもオタリアが居るのだがウミウが圧倒的に多い.コロニーを形成しており,斜面には海藻と糞で作るという巣が架けられている.
ウミウは日本にも多く棲息しているそうで,長良川のウと同じ仲間であろうから魚捕りは非常に上手いであろう.
ビーグル水道に建てられたこの灯台は,1920年に建設され,エクレルール灯台(Eclaireurs lighthouse) と呼ばれるそうだ.この辺りは岩礁が多く,ビーグル水道の難所,座礁事故が後を絶たず建設されたそうだ.
しかし残念ながら,灯台建設後の1930年,1200人余の乗客を乗せたドイツの客船モンテセルバンテス号が座礁し,沈没したという.ただ幸いなことに船長は乗客全員とクルーの救助を図り,全員救命を成し遂げたそうだ.しかしお気の毒なことに,自身は最後まで船と運命を共にし,波間に沈んでいったということだ.後に映画になったそうだ.
下は,ビーグル水道クルーズでの写真
左手には白いダーウィン山脈が聳えていた.これはチリ領内になるらしい.
エンセナーダ湾び行く前に,ルピナスに咲くPatagonia Miaレストランでアサードの昼食を食べた.マトン,ビーフ,チョリソーと定番アサードにサラダで,まあアルゼンチンで標準的味だった.甘いライスプディング(お粥)は正直ちょっとピンとこなかったが.
Patagonia Miaは私のパタゴニアかな?続々と観光グループが入ってきて,繁盛していた.
ここがエンセナーダ湾.取り立ててどうこう言う場所でもなさそうだが,海岸には上述の先住民族が好んで食したムール貝が多く棲息していたり,脇のブナ林にはやはり食用にしたらしいという寄生植物があった.
これが南極ブナの木に寄生した『インディオのパン』(Pan de Indio,Indian Bread)で,きのこの一種だという.上の島と違って各種植物が茂っているので,何がしかの食物が採れそうだが.....実際はあまりなさそうで,そんな中でこのきのこ,インディオのパンは大事な植物性栄養源だったのかも知れない.
世界一小さいと云う限定詞を付しても当たっているのではないかと思われるほどコンパクトな郵便局.地上最南端の街の小さな郵便局から発信しようという人達で賑わっている.
頼むと有料で記念スタンプを押してくれるのだそうだが,そこにはちゃっかり局長さんの顔写真や生年月日が載っているのだそうだ.
ところで,数日前カラファテで投函したハガキはまだ着いてないな~途上国では切手狙い(剥がし)で届かないことが多いが....
下は,エンセナーダ湾での写真
『世界の果て号』に乗るため,始発駅に駆け付けた.この鉄道はこの最果ての地,ウシュアイアに,凶悪犯を収容する刑務所建設用木材を山から切り出して運ぶために1920年に敷設されたそうだ.
木材切り出しや運搬は枷で繋がれた囚人たちで,武装した看守の元で作業に当たったそうだ.ただ囚人にとって,この列車に乗って出掛けるこの作業は,狭い獄中に居るより開放的で大変人気があったそうだ.模範囚であれば,これに乗れたが,態度が芳しくない囚人はこの作業に就けなかったそうである.
まあ.こうしたいろいろな経緯を改札口の前で駅長さんがスペイン語で,時々英語を交えて延々と話してくれる.よく解らなかったが.
駅構内には工作室があり,旋盤やミリングなどの工作機械が据えられている.特殊な機関車や車両であるので,ここで修理したり,交換部品を作っているのであろう.
多分往時は囚人たちがこれらの仕事にも携わっていたのではなかろうか.なお,ウシュアイア刑務所は最大時600人も収監したそうだが,1947年に閉鎖され,現在は博物館になっているそうだ(未訪問).
シートは車幅いっぱいに配置された3席向かい合わせで,かなり狭い.とてもフルに6人掛けは無理そうで,6つの席に3人の予約であった.しかしイザ乗る時別の人が入ってきたりして混乱した.結局丸く収まりはしたが.
日本の民放TV撮影クルーが同じ列車の一つ後ろの車両に乗りあわせた.出発前にはホームに大きな三脚を立て,カメラを載せたり,車内では肩に架けて前方を捉えたり....大忙しだ.確か春に放映するとか.....
とても小さなSL(蒸気機関車)はシュポシュポ音も立てながら,5両(だったか?)編成の客車を引っ張って進む.SLはなかなか楽しい.数ヶ月前に乗ったダージリンヒマラヤ鉄道のトイトレインも小さかったが,一応客車内に通路があったし,それが無いこの世界の果て号はさらに小型かと思われる.
途中で滝のある場所で一時停車し,再び林の中を走り終着駅に到着した.楽しかった.
前記ダージリンヒマラヤ鉄道は半ば観光用,半ば実用であるが,本世界の果て号は完全に観光用に徹したもので,夏場だけであろうが,結構客がいることに感心した.日本からは遠いし,アジア人の顔は少ないが,国内や南米諸国,北米,またヨーロッパの客が多いのであろう.
下は,世界の果て号の写真
ティエラデルフエゴ国立公園のALAKUSHビジターセンターを訪れた.資料館になっており,例えば猟に用いる矢じりなど,先住民に関する資料や,ここの自然に関して展示されていた.
なおALAKUSHとは鳥の名前で,その習性についてこの受付の女性が説明してくれたのだったが....思い出せない.
チリ領に跨る大きなロカ湖周辺にはキャンプサイトがあった.直接車で乗り付けることができる便利なサイトだ.周囲に色々な野鳥が棲息し,バードウオッチングには最適なようだ.
ハヤブサのカップルであろうか,南極ブナの枝に止まっていた.雌雄で随分違う外観で,まるで別の鳥みたいだ.
小雨の中を歩きアシガミ湖(Lago Acigami)に着いた.分からないながら珍しい野鳥も見えて楽しい.随分水位が高いな~という印象も持った.ただ天気が芳しくないためそそくさと引き上げた.
園内を流れる川を堰き止める如く盛り上がった土手状の堤防があった.ビーバーダム(beaver dam)だそうだ.傍らの表示板の図解を眺めると,確かにダムとして堰き止めて上下で水位差を生じさせ,しかも堰は内部に空間を作るが如く二重になっているようだ.この二重構造の内部に居れば外敵は侵入できず安心して棲息できると云う訳だ.
元々ここにいた訳ではなく,1946年に毛皮採取の目的で,25ペアをカナダから連れてきて,放したのが15万頭まで大繁殖したのだそうだ.カナダ産と較べて,毛の密度が低く短いため,毛皮としての価値が低いのと,外敵も少ないので繁殖したそうだ.今は大繁殖の結果,周囲のブナの木が食い千切られ,植生に大きな脅威となっているそうで,何とか駆除しようとしているそうだ.食い千切られたブナの木の跡を見ると,そのシャープさに驚くばかりだ.まるで日本刀でスパっと切り落としたような鮮やかさだ.
ティエラデルフエゴ国立公園内にパンアメリカンハイウェイの終点標識があった.ここで皆記念撮影している.これによれば,北の端はアラスカで,17,848kmもあるようだ.
なおこの辺りは舗装がなく,土の路面である.
下は,ティエラデルフエゴ国立公園での写真
ティエラデルフエゴ国立公園をバスで通っているとバスがスピードを緩めた.窓から覗くとこんな狐が大して警戒心もなく,こちらを向いた.ガイドGさんによれば,『Red Foxです』とのことだ.すかさず,『みどりの狸もいるかな?』の声が上がった.
パンアメリカンハイウェイの終点からほんの少し歩き,このラパタイヤ湾(Bahia Lapataia)に出た.広々した気持ちのいいところだが,雲に遮られ向こうの山が見えないのが残念だ.
ティエラデルフエゴ国立公園を巡った後,ウシュアイアの街に引き上げ,サンマルティン通りに来た.クルーズのエージェントだったかが配ってくれた無料ココア券があったのでお店を訪ねてみた.←わざわざね~(^^;
このお店もそうだが,森永とか明治といった大ブランドでなく,こうした一地方都市の一ショップが独自ブランドでチョコレートを販売しているのが大したものだと思う.なおここのTuristaチョコはなかなか良く知られたブランドらしい.ココアはごく並,いやちょっと甘みが強かった.
サンマルティン通りから少し港に下る通りにこんな寿司屋さんがあった.この辺では無いであろう竹を用いたエクステリアで日本風を演出している.ここは魚が多く手に入るであろうから,寿司屋はいいであろう.
サンマルティン通りでこのレストランを見かけたら,『大阪風』と思ってしまった.大阪のカニは確か手が動くようだが,ここのはそこまで凝ってはいない.とにかく今夜はここで夕食なのだ.
Iさんが予約してくれていた小さめのこのレストランに入り,テーブルに座る.程なく,調理してくれる人が,生簀からこのカニ(キングクラブ)を引き上げ,ボイルする前に見せてくれる.皆で3杯,他にサラダや,エビ,イカなど注文し,シェアして食べた.
カニは単純にボイルしたものだがとても美味しい.ワインとも合う.アサードもいいが,こうした海産物もやはりいいもんだ,もち論.
十分食べた.バスに乗らず,ホテルまで歩くことにした.しかし途中から雨が強くなり,カッパを着たが,結構濡れてしまった.パタゴニアは天気が悪いね~
下は,サンマルティン通りでの写真
下は,この日,島や公園で見かけた幾つかの花と実
明日はホテル裏手になるマルティアル氷河を眺めるハイキングだ.晴れてくれ~