このフィッツロイハイク編は,ロスグラシアレス国立公園内のフィッツロイ山を目指し歩くコースで,2013/2/1(金)朝チャルテンのEl Paraisoホテルを出て先ずカプリ湖へと歩き,次いでポインセノットキャンプサイトへ至り,ここから往路とほぼ同じトレイルを下りフィッツロイ展望台へ至り,次いでチャルテンの街まで下ったときの写真を載せました.
トレイル入り口に下写真の標識があった.これを参照すれば,この日は朝チャルテンのホテルを出て街外れのトレイル入り口ゲート(標高420m)に行き登り始めた.多くは林の中で先ずカプリ湖へと歩いた.次いでポインセノットキャンプサイト(標高720m)へ行き,ここが私たちの終点,一休みの後.ここから往路とほぼ同じトレイルを下り,途中Y字路を左に折れフィッツロイ展望台に至る.次いでチャルテンの街まで下った.往復20km/8hrの予定だ.
8:45AM,ガイドFさん,アシスタントガイドAさんに連れられ弁当を持ってEl Paraisoホテルを出発した.トレイル入り口ゲートまでの途中このようなカフェ(いやアウトドア店だったか?)があった.この日眺めに行くフィッツロイ山初め,ロスグラシアレス国立公園内にはロッククライミングの山に事欠かないので,練習用の場を提供しているのであろう.
フィッツロイトレイルの入り口ゲートに到着した.先行グループの人達がここで装備を整えている.ここには案内板があり,その写真を上に行程マップとして載せた.
山のような大岩,いや山そのものか?の脇を通った.ロスグラシアレス国立公園や後日訪れるパイネ国立公園の山は花崗岩が多いそうで,硬いそうである.目を凝らすとすぐその下を通っている人がいる.多分地図にないトレイルであろう.
暫く歩くとラスブエルタス展望台(Mirador Rio de Las Vueltas)に出た.眼下にはラスブエルタス川がうねうねと流れる様子が見える.流れの元の方向に見えるのはエルドンデルボスケ山(1,800m)と呼ばれるそうで,デシエルト湖の東になるようだ.
相当昔,だれも居ないこの辺りに来て羊の放牧を始めた人(イタリア系だったか)は,ラスブエルタス川は写真の右下辺りに居を構えたそうだ.多分土地は自由であっただろうが,このような荒野に単独で住むのは並大抵の苦労ではなかったであろう.
カプリ湖への途中待望のフィッツロイが見えてきた.幸い雲が取れるときがありそうで,しばしトレイルに立ち止まり皆で撮影した.
カプリ湖キャンプサイト脇を抜け,カプリ湖(Lago Capri)の畔に到着した.先程より雲が少なくなり,湖から立ち上がるフィッツロイが美しい.
フィッツロイ(Fitzroy:3,375m)の別名はチャルテン(街の名前にもなっているChalten)で,先住民デウェルチェ族の言葉で『煙を吐く山』の意だそうだ.写真のように頂上からあたかも煙を吐くように見えることから,そのように呼ばれたそうだ.と云うわけで,この山は雲が完全に取れて,完全に青空になることは少ないのだそうだ.
さて後世の名称フィッツロイは,チャールズダーウィンが乗り,ガラパゴス諸島など巡ったビーグル号の船長であった英海軍軍人ロバートフィッツロイ(Robert FitzRoy)の名前に由来するそうだ.1834年,前日朝カラファテを出て程なく通過したサンタクルス川や,この辺一帯の探検調査を行ったそうである.なお後に出版された『種の起源』は,フィッツロイには大きな苦痛を与えたそうである.航海も進化論も先進的であったであろうが,やはりキリスト教の教えとの隔たりは大きかったのであろう.
下は,チャルテン出発からカプリ湖までの写真
カプリ湖先からポインセノットキャンプサイトに向け歩きを再開した.この辺りからは南極ブナが減り,灌木が多くなる.山は見え易くなる.これまでもそうだが,トレイルは広く穏やかで,とても楽に歩ける.
なおも行くと川が流れていた.ブランコ川(Rio Blanco)というから白い川の意であろうが,特段白いようには見えないような....地図で見るとその源がリオブランコ氷河(Glaciar Rio Blanco)とあるから,その白っぽい氷河から流れ出る川ということであろうか...多分.
川周辺は湿地帯にもなっており,木道が整備されている.『一人ずつ』の標識の橋もなかなか楽しい.
灌木帯を暫く行くとまた大きなブナ林帯に入った.そして程なくポインセノットキャンプサイトがあった.沢山のテントが張られ,中には写真のようにハンモックでお休みの人もいた.サイトの一画にはトイレがあり,借用した.これだけ多くのテントで,たった1つでは朝は大変な混みようでは...とちょっと心配.
キャンプサイトであるから傍に水場があるが,ブランコ川またはその支流であろう.私たちも林の先の灌木帯に腰を降ろし,運んできたサンドイッチのお弁当を頂戴した.私は前日からの腹具合が不十分で1/3くらいに留めておいた.
下は,カプリ湖からポインセノットサイトへの写真
ポインセノットで一休みの後,当初の予定通りここから引き返すことになった.ほぼ往きと同じ道なのはつまらないが,他に一般ルートがないそうなので仕方ない.
最初はブナ林ちょっとで,次いで湿地帯に入る筈だ.私たちが下る頃,登ってくるハイカーも数多い.日が長いから平気なのだ.時々しっかり装備を固めたクライマーも登っていく.
Y字路に差し掛かった,このループでは往きと反対の東側ルートへと分岐した.こちらを行けばこの看板にあるフィッツロイ展望台に出る筈だ.まあ今更ながらであろうが.
途中パーティの一部メンバーの姿が見えなくなった.私たちが止まって待っていると,後ろを歩いていたお一人が,転倒し鼻と口から出血し手当中で,先行隊は先に行って欲しいとの伝令が入った.添乗IさんとチーフガイドFさんはそちらでゆっくり追いかけて下るという.
そして私たちはアシスタントガイドAさんと先に下ることになった.Aさんと四方山話を交わしてみて驚いた.Aさんは3年前までパリで弁護士を開業していたそうだが,思うところあって,アルゼンチンに通うようになり,やがて移り住むようになったそうだ.トリガーはアルゼンチン人のボーイフレンド(普通夫君のこと)と知り合ったことで,何度か通ううちパタゴニアを愛し,離れなくなり.....『生き方を変える』に至ったそうだ.夏はこうしてしがない(多分)ツアーガイドや自分の楽しみでハイキングに出掛け,冬はスノーボードなどを楽しんでいるそうだ.弁護士と言えばもっとも凄い職業の一つだと思うが,お金に拘らない『生き方を変える』実践はもっと凄いように思う.
怪我をされた方は,その後無事ゆっくり下り,次の日のハイキングは大事をとってパスしたが,その次からは歩けたので良かったと思う.
やがてィッツロイ展望台に着いた.ここの案内板には真ん中のフィッツロイ(Fitzroy)は3,375mと記されている.左の尖った山はポインセノット(Poincenot:3,002m),右のギザギザはメルモッツ(Mermoz:2,579m)とある.いずれにしてもパタゴニアの山は皆低いようである.ただ低いが尖っている.これはヒマラヤとかと違って,山が形成されてからの年月が短く,風雨で削ぎ落とされていないから....と聞いたことがあった.そうなのでしょうか?
フィッツロイの初登頂は1952年に仏G.マニョーヌ隊によってなされたそうだ.標高こそとても低いがエベレスト初登頂の僅か前年で,それだけ困難な山だそうである.また非常に困難な厳冬期の『冬季単独初登頂』は山野井泰史氏だそうだ.氏はその後もクライミングを続け,ギャチュンカン北壁登攀後,雪崩に巻き込まれ凍傷で手足の指10本を失ったことなどでもよく知られる.
下は,フィッツロイ展望台へ下るときの写真
展望台からさらに下った.もう4時頃であるが寧ろ朝より晴れて,陽光が気持ちいい.そしてそのままどんどん下ると入り口ゲートに至り,さらにホテルに帰り着いた.午後5時過ぎだった.
テライ(Terry)レストランで珍しくパスタの夕食だったが....味は今一つだったか.
夕食後El Paraisoホテルの展望室で夕焼けを待ったが,タイミングが合わず見逃した.地元の人も驚くほど空(雲)は全天真っ赤に染まったようである.山はそれ程でもなかったようだが...
下は,下山での写真
見かけた花のいくつか.右のパープルの花は,花びらは全く違うがへたの部分がちょっとハグマのようなところが印象的だ.
さて明日はセロトーレを眺めに行く.楽しみだ.