このプンタアレーナス編では2013/2/6(水)朝パイネを離れ,プエルトナタレスを経由し,プンタアレーナスに到着.そしてプンタアレーナスの街を見て回ったときの写真を載せました.
この日は先ずバスでラゴグレイホテルを出て,パイネ国立公園ゲートを出て暫くガタガタ道の9号線を南下する.そのうちに舗装された道になり,港町プエルトナタレスに至る.その後なおも9号線を下り,プンタアレーナスに至る.そしてここで昼食を食べ,街を見て回る.
ラゴグレイホテルの朝を迎えた.やはりこの日もパタゴニアらしい荒れ模様で明けた.北西方向には朝から虹が架かっている.私の固定観念では虹は午後から夕方なのだが....
バスでラゴグレイホテルを出発し,暫く東に走るとトロ湖(Lago del Toro)の辺りに来た.この湖は初めてお目に掛かるがやはりエメラルドグリーンの湖面がとてもきれいだ.そしてその先にはパイネの角が聳えている.ありがちなことであるが,峰の上には雲が架かっている.
下は,パイネを離れるときの写真
山間のパイネ国立公園を離れて,平原のステップ地帯を南下していった.やがてプエルトナタレス(Puerto Natales)の郊外辺りに達し,農家や放牧地が見えるようになった.パタゴニアの羊はとても美味しい.動物性飼料とかなく,ほぼ草原の草のみを食んで育つのが理由の一つらしい.チリから日本にはあまり輸入されてないようだ.水産物やワインは多いのにどうしてだろう?
なお羊毛や毛皮も価値が高く,パタゴニアでは肉より高価で取引されるとか.
9号線はやがて港の近くにやってきた.プエルトナタレスの街に入ったのだ.ウルティマエスペランサ湾(Urtima Esperanza Gulf)と云う湾に面しているそうだが,上の地図のようにあたかも迷路のように入り組んだフィヨルド地形の湾が,一体全体どのように繋がっているのがちょっと判らない.ほんとに太平洋に出れるのか?湾ではなく湖では?....
チリ南端のマガジャネス州では,この先向かうプンタアレーナスに次ぐ2番目に大きい町で,人口20,000人だそうである.パイネに近いので観光,港があるので海運業や漁業などが盛んという.町の名前プエルトナタレスは『生誕の港』の意だそうで,マゼランがクリスマスの日にこの良港を発見したことに因むそうである.
バスはこの街で給油し,少し休憩した.街に高い建物はなく,交通量も多くなく,長閑な雰囲気だ.通りには広葉樹も茂り,一所懸命育てているのだな~と感じる.
下は,プエルトナタレスまでの写真
プエルトナタレスで休憩後再びプンタアレーナスに向けバスは出発した.この日通過した辺りは,この写真のようにこれまで通ったアルゼンチンのステップ地帯やパイネ周辺より総じて草が茂っているように見える.現に羊や牛,馬といった家畜を結構な頻度で見掛けることができた.茂っていると言っても,草ボウボウではなく疎ら程度で,何らかの草育成方法が実用化されれば家畜の密度は相当上がるであろう....まあ,それはないであろうが.
テウェルチェ(Tehuelches)とはパタゴニア先住民族の一つだそうだ.別ページで触れたAonikenk族と同じように身体の大きな部族で,現在チリとアルゼンチン合わせて6000人ほどが暮らしているという.このカフェがその部族の人の経営なのか,或いはこの街(集落)にその人達が多く住むのか....は聞き漏らしてしまった.
テウェルチェカフェで休憩していると,馬で二人の男性が現れた.車道を来たのでレジャーではなさそうだし,車でもない.ガイドCさんが『ガウチョです』と教えてくれた.特有の装束(帽子,ブーツ,ズボン...など)や腰のナイフで判るのだそうだ.北米のカウボーイの10ガロンハットと比べて,ベレー帽のように小さな帽子にちょっとびっくりした.
プンタアレーナス近くになり風車が回っていた.風力発電は周りに民家もないし,風のパタゴニアにはピッタリであろう.
左手(東)にマゼラン海峡が見えてきた.青々とした海面はきれいだ.砂地ではなく岩の海岸なのであろうか.でもプンタアレーナス(Punta Arenas)とはスペイン語で『砂の岬』の意だそうだから....ちょっと違うか.さて目指すそのプンタアレーナスは間もないであろう.
さらに進むとこのように結構大きな客船も接岸していた.プンタアレーナス港は,1520年マゼランがこの大西洋と太平洋をつなぐ海峡を発見して以来発展してきたそうだ.以来海峡最大の港街として栄えてきたが,1914年パナマ運河の開通でこの海峡を通過する船舶は激減し,街も縮小していったようだ.ただ現在もチリ共和国マガジャネス州の州都であり,人口およそ13万人で南部パタゴニアでは最大の都市ということだ.
下は,プンタアレーナスへ行くときの写真
1920年に建てられたという古く大きな邸宅にやって来た.エスタンシアリオシェルボスと呼ばれるそうだ.エスタンシア(estancia)はアルゼンチンやチリの大牧場経営のことだそうで,またリオシェルボスはRio Shelbosでシェルボス川だろうか?まあ,何れにしてもこの邸宅は現在,レストランとして営業しており,経営する大牧場で飼育された羊を調理して出してくれるという.楽しみだ.
元々邸宅として建てられているので内部は家庭的な間取りや内装となっている.とても温かな雰囲気だ.
ダイニングの前に,先ずその前室に座ると早速ピスコサワーを振舞ってくれた.これは白ブドウの蒸留酒『ピスコ』3に,レモンジュース1,シロップと卵白少々をシェイクし,シナモンを軽く振ったカクテルだそうだ.美味しい!お酒を召し上がらない人も分けてくれたので,それも全部飲んでしまった.
ウエルカムドリンクをしこたま飲んだ後,ダイニングルームに入り,美味しい羊肉(マトン若しくはラム)のアサードを出してもらった.これがまた大層美味しい.おまけにこれまた飲み放題という赤ワインも出してくれて,諸に地が出てどんどん頂いてしまった.
昼間からこんなに頂いてすっかり出来上がってしまった.まあいいんじゃないの,パタゴニアなんだから(←解らないが)
昼食後プンタアレーナスの街の観光に出た.先ず十字架の丘(セラデロクルス)を訪れた.スペインカルロス一世の命を受け1519/9/2マゼランは5隻率いて出発.翌年1月現在のブエノスアイレスのラプラタ川に至り,太平洋に抜ける海峡かと一時勘違いするも,誤りに気付け,南下を続け,ついにこの丘に立ちマゼラン海峡を発見,と云うことだ.
こうしてまた改めて知らせてもらうと,あの大航海時代の発見はもの凄いことだったのだな~と思わずにはいられない.ただその後ヨーロッパ諸国の覇権が,先住民抹殺など重大な事象に及んだのは何とも許容できかねることではあるが....
なお,『十字架の....』の修飾は,後の世ある事件で亡くなった人を弔うため建てられた十字架に由来し,マゼランの時代は単なる『丘』であったようだ.
リマなどにも同名の広場があるが,ここもスペインの武力制圧象徴の広場であろう.現在はほぼ100%征服者側の人々の国家で,そんな市民の憩いの場に供されているようだ.
アルマス広場の中心にはマゼランの像が建てられている.まあお寺のご本尊の像と同じでコンセプトであろう.ただマゼランの足元には数体の先住民像も据えられている.
これがその先住民像の一つ.なかなかいい顔だ.なぜマゼラン像の下にこうした像が置かれたのでしょうか?非征服の象徴?或いは海峡発見後先住民との諸事協力があったため?....
これら先住民像の足に触ると幸運が....とかで,青銅の足はピカピカに輝いていた.確かプラハかどこかでもそのようなことが....
まだ酔ったまま,プンタアレーナスの街を逍遥してみた.端的に言って諸にヨーロッパの街並みと同じようだ.クラシックスタイルの建物に,歩いている人々が欧州系の人ばかりだから.いや寧ろ黒人やアラブ系の多いパリやロンドンと比べると,私たちアジア系を含めて,非白人は殆ど居ない,といった印象だ.かといって差別を感じるとかいうこともなかった,いやごく短時間なのでもちろん判りようもないだろうが.
酔っ払っていたので帰れなくなっては大変と写真に収めていたのがこのカット.Isla Rey Jorgeホテルといい,ごく質素なヨーロッパ風ホテルだった.でもこうして改めて眺めて見ると,なかなか凝った造りになっていて,少し感心した.
下は,プンタアレーナスの街での写真
明日はマゼラン海峡を越えて再びアルゼンチンに入り,ウシュアイアに向かう.南だから寒いかな~