このカラファテへ編ではESTAなどの準備をし,成田からアトランタへ飛び,次いでブエノスアイレスへ飛び,ブエノスアイレス国内線空港に廻り,そこからカラファテへ飛んで,この街で落ち着くまでの写真を載せました.
今回旅行のパタゴニアはアルゼンチンとチリに跨るが,両国とも短期間の観光ではビザは不要である.また米アトランタ経由であるが,もち論米国ビザは要らないのだが,ESTA(the Electronic System for Travel Authorization)を申請しないといけない.
ESTAの申請は"U.S. Customs and Border Protectionのページ"(当時)でインプットでき,申請料金US$14はクレジットカード払いで可能だった.以前連れ合いが申請したときは無料だったそうだが,有料になったようだ.
出発の5日前に,添乗Iさんから電話があり,諸事案内を受けた.案内書記載の気温より実際寒い,とか,今回はテントや山小屋泊はなく全部ホテルなのにライトが必要かもと云う話に少し驚く.今回のツアーは男性7人,女性5人ということだ.
1月27日午後,半蔵門線から京成線で成田空港第一ターミナルに到着した.先ず旅行会社でeチケットを受け取り,いろいろ説明を聞く.米国の荷物安全検査で,係官が随意開けるに適合する鍵を付けていたのだが,それでも壊されることが間々あるそうで,鍵は一切付けないことにした.
次いで搭乗のデルタ航空カウンタに行く.機械でチェックインと聞いて,大丈夫かな?と思ったら,傍らの担当者が親切に操作してくれた.デルタのマイレージ登録も済ませてくれた.
太平洋線の荷物はエコノミークラスでも23kgまで可能だそうだが,後に搭乗予定のアルゼンチン国内線は15kgだそうで,実質的にはその制限を受けよう.私は大して衣装持ちではないのでその範囲内で収まった.
DL-296便の出発は北ウイング16番ゲートからで,写真の通路を歩いた.冬の関東地方らしい陽の降り注ぐ明るい通路は気持ちがいい.
さて乗り込んだ機体はB747-400で,若干の遅れで飛び立った.満席,いや一部オーバーブッキングがあったそうで,例のB787のバッテリートラブルでANAやJALの太平洋線フライトキャンセルが多くなったのも響いているのではとの話も聞いた.
暫くして夕食を出してくれた.写ってないがワインは大きなコップに満々と注いでくれるのが嬉しい.その昔,別の路線であるがデルタのエコノミークラスは酒類は有料だったが,少なくとも今回この路線のワインとビールはフリーだそうだ.
さてこの何でもなさそうな夕食,左上のサラダであるが,透明な蓋を開けないでドレッシングを振り掛け,しかもフォークを突き立てるまで気が付かなかった.一言でいえば眼と脳の老化であろうが,この先が思いやられる.
写真は機内のフライトトラック画面で,今アラスカ上空辺りだ.行き先のアトランタは普通の地図で見ると,成田より若干南で,時差は-14時間なので,概ね成田の裏側辺りに位置すると思う.それがアラスカの南端あたりを経由して飛ぶのがなかなかピンと来ない.きっと地球儀に糸を当てて見れば最短距離だと納得できるのであろうが,それも手元にはないし....
高倉健さんは81歳になったそうだ.今も現役で映画を撮るのは素晴らしい.『あなたへ』はその昔,典型的健さんの任侠映画とは全く異なり,歳相応の役柄と演技だ.ハリウッドで言えばクリントイーストウッド辺りが同年代であろうか?
切った貼ったが一切ない,しっとりした展開で,ワタクシ的にはちょっと物足りないが,まあこれはこれで良かろうか.また,この映画の後,最近亡くなった大滝秀治さんにとっては遺作となったそうである.
なお,この機体のLCD画面は綺麗なのだが,音質がイマイチなのは残念だ.
12時間余りのフライトでアトランタ国際空港(The Hartsfield-Jackson Atlanta International Airport)に到着した.デルタ航空のハブ空港で,世界最大級の発着回数があるようだ.次のブエノスアイレス行きまで6時間ほど間があるので何とか時間を潰さないといけない.
大きなアトランタ空港は,他の空港同様ショップやレストランが並んでいる.とあるショップの前に来ると写真の白衣を着たガイコツが立っていてちょっとドキッとする.日本ではちょっと抵抗があるディスプレイかも知れない.
機内では何度も食事やスナックを出してもらい,その都度食べたのだが,またちゃんとお腹が空いてきた.2階のフードコートに行くとハンバーガー店があり,ここはアメリカ,やはりハンバーガーにコークと,注文.まあ普通に美味しかった.
なおこの空港のフリーWifiサービスは,空港内案内とかに限定され,殆ど役に立たない.この点,成田空港やこの先到達するブエノスアイレスなどアルゼンチンの空港のフリーWifiサービスはどこにも繋がり,速度も速い.
下は,アトランタへ行くまでの写真
アトランタからブエノスアイレスへのフライトはアトランタ発19:50デルタ航空DL-101便で,機体はA330-200だった.これも満席で,およそ10時間のフライト予定だ.
F6ゲートから乗り込む前に,ゲート前にキャプテンがマイクを手に現れ,挨拶と飛行計画を話した.飛行中コックピットから挨拶が流れるのは普通だが,搭乗ゲート前での挨拶を聴くのは初めてだ.デルタに対する好感度はアップしそうだ.
写真は機内フライトマップで,ちょうどボリビア上空辺り,目的地まであと2時間39分と表示が出ている.まだ大分先だ.
ブエノスアイレスに近づく頃,窓を眺めると朝日が昇り始めてきた.そして朝食を配布してくれた.こうして絶え間なく食事を出してくれるので,少なくとも空腹になる心配はない.ただデルタ航空のコーヒーは実に美味しくない.後で添乗Iさんが話すに,デルタのコーヒーは不味いので定評があるそうだ.
機は定刻の午前8時頃ブエノスアイレスのエセーサ(Ezeiza)国際空港に到着した.流石夏の真っ盛り,暑い.国際空港であるが油断できません,スリとかかっぱらい(スリと同じか?)にはご注意を,とアドバイスされる.まあ,ブエノスアイレスはそうした街らしい.
アトランタ空港と比べて,エセーサ国際空港の光景で著しく異なるのは人種だ.アトランタ空港では黒人が非常に多く,アジア系なども少なからず目にするが,エセーサ国際空港で働いているのは白人だけだ.本とかで見聞きしただけであったアルゼンチン(とチリも)はほぼ白人だけの国で,他の南米国に多いインディオ系や黒人系はほぼ皆無だということを目の当たりにした.
そして空港で出迎えてくれたガイドTさんがこの辺りの事情を解説してくれた.それによれば,人口比で一番多いのはイタリア系,次いでスペイン系など欧州系で,ユダヤも350万人とそれなりに多い.先住民はほぼ絶えた(絶えさせられた)そうである.アジア系では中(10万人),日(3万人),韓(近年4万人と日系を逆転)と説明してくれた.日系人は花の栽培やクリーニング業に携わっている人が多いそうだ.
ブエノスアイレスからパタゴニアのカラファテ空港に飛ぶには,エセーサ国際空港ではなく,国内線専用のホルヘニューベリー空港(Aeroparque Metropolitano Jorge Newbery)からである.ここに移動するために,時間がいっぱいあった(あり過ぎた)ので,バスはわざわざ都心を通ってくれた.ちょうど成田空港から大手町辺りを通って羽田空港に向かってくれた感じだ.
写真はブエノスアイレス中心部,独立のきっかけになったという1810年5月25日の五月革命から1周年を記念して建てられたオベリスクだそうだ.既に200年前のこととなるようだ.ブエノスアイレスは南米のパリと称され,人口280万人だそうだが,確かにパリのように堅固でクラシカルデザインの建物が多く見える.ただパリより明るく,広々した印象に感じられる.
下は,ブエノスアイレスまでの写真
ガイドTさんの説明ではブエノスアイレスの治安は非常に悪く,歩くときは要注意.またよく知られているように暫く前のデフォルト問題は一旦収まったかに見えたが,そうではなく,例えばペソの為替レートは以前1US$=1ペソだったのが,近年は1US$=5ペソ(公定レート),=6.5ペソ(ヤミレート)で,とりあえずペソが必要なら銀行ではなく,その辺でヤミ換金するが吉と教わる.私は旅行中ず~っとUS$を使うか,クレジットカード払いで済ますことができたので,ペソは一度も持つことがなかった.たくさんお買い物をする場合などは多分ペソで買った方がレートが良いのではと思われる.
ガイドTさんには後日のブエノスアイレス観光で再度案内してもらうことになる.どうぞよろしく.
国内線ホルヘニューベリー空港は巨大なラプラタ川の畔にあった.ラプラタ川はアルゼンチンとウルグアイ国境を流れ,この辺りでは川幅が42kmもあるというからもう殆ど海だ.対岸のウルグアイはもち論見えない.
空港脇の歩道からは大勢の釣り師が糸を垂れている.この土色の全く濁った水を見ると果たして魚が棲めるか疑いたくなるが,以前イグアスの近くでは50kgものナマズが掛かると聞いていたので,多分ここら辺でもそうした大物が掛かるのかも知れない.
ホルヘニューベリー空港では先ずレストランで昼食となった.食べたのは薄く伸ばしたビーフ唐揚げで,ウィーン風カツ(シュニッツェル/Schnitzel)のサイズを大きくした感じだ.とりあえずアルゼンチンに来て,同国の主食ビーフからスタートを切った訳だ.
この空港はラプラタ川沿いに建つが,都心からも近い.一帯は広い公園で,空港はその中に設けられているようだ.ただし都心寄りには新たな高層住宅もどんどん建設されているようで,結構間近に見えている.
カラファテ行きはアルゼンチン航空AR1876便(機体B737)で,飛行時間は3時間20分の予定だ.途中チョコやシリアルバーなどの甘いモノを出してくれた.アルゼンチンの人々は甘いものがお好きなようだ.
広大なアルゼンチンの上空を飛ぶと,比較的都市は疎らなように見えた.そしてやがてアンデス山脈を望み,広い湖や川が展開されるパタゴニアの大地が眼下に広がり,着陸態勢に入った.
B737はカラファテ(El Calafate)に到着した.ランディング時には拍手が聞こえて,ロシア風に感じられた.途中,時差や日付変更線で計算できないが,添乗Iさんに依れば成田を出てからおよそ38時間になるそうだ.あ~腰が痛かった.帰りは向かい風になるので更に時間が掛かりそうだが...
空港の外に出ると案の定強風で,早速パタゴニア気候の洗礼を受ける.そしてガイドMさん,ドライバWさんの小型バスに乗り込む.どうぞよろしく.バスのタイヤにはバースト検知が付いている.南米特有の仕組みだと思うが,今はバーストしないタイヤがあるのでは.....とも思うが.それよりバスは風に煽られて,船のようにいくらかローリングするようで,場合によっては問題になろう,多分.
ちょっとホテルそのものは写ってなかったが,大体前の通りはこんな感じだ.西部劇,開拓時代の街と云った雰囲気で,落ち着いており静かだ.
私たちの泊まったPatagonホテルは実に小ぢんまりした,アットホームな雰囲気のホテルであるが,カラファテでは皆そうした小型ホテルやロッジのようで,トンの付くような大きなホテルは無いようだ.まあ,一年のうち実質的に数ヶ月しか営業できないので大ホテルではとても立ち行かないのであろう.
ホテルに着くと部屋に入ってゆっくりした.写真はそのタイミング,既に午後7時過ぎだが陽はまだ高く,強い陽射しがある.アルゼンチン国内で時差はなく,カラファテが比較的南で,しかもかなり西に位置しているため,夏の昼間の時間が長く,それが遅い方に相当シフトしているからのようだ.下手すると,いや普通に午後10時くらいまで陽の光が残っているようだ.
ホテルで一段落した後,私たちはバスで,写真のカラファテ中心部のLa Carmelaレストランに行った.カラファテ繁華街も小ぢんまりした街で,おみやげ店やスポーツ用品店,スーパーマーケット,レストラン...等々並んでいる.表通りから少し引っ込んだ辺りにはロッジやホテル,住宅が多く並んでいる.いい街だ.
この日の料理はステーキだった.少し焼き過ぎなのが残念だった.以降ビーフは焼き過ぎ傾向に偏る危険があり,ちゃんと焼き加減を聞いてくれるレストランではレアかミディアムレアで頼むと最高の味になる.他国と違って,少しの塩だけの味付けだが,焼き方がちゃんとしていればとても美味しい.
ここには大瓶のラガービールがあった.移民元のスペインやイタリアには無いと思われ,そうかここではアジア同様大瓶ビールがあるんだ,と関心する.飲んでみたがサッパリ味で特段コメントするほどではないような....でも値段は13ドル(US$で)もして,随分高いな~と思った.小瓶はその1/4位なので,次からはそうしよう.なお,アルゼンチンは物価の高い(日本くらい)国ですよ~と添乗Iさんから説明があった.
レストランからホテルまでは歩いても30分位なので,帰りは腹ごなしに歩いて戻った.気温はブエノスアイレスのように暑いことはなく適温で,半袖では少し冷えてくるようだ.
下は,カラファテまでへの写真
さて明日からいよいよロスグラシアレス国立公園(Los Glaciares National Park)のペリトモレノ氷河(Perito Moreno Glacier)を訪ねる.楽しみだ.