茂県Maoxian

朝松潘を発ち幾つかの小さな町や村を越え,先ずは茂県に進む.

鎮江関辺りaround Zhenjiangguan

松潘から木造瓦屋根の家屋の集落など眺めながら進む.暫く走ると,羊や牛の群れを連れた農夫が道路を占有していた.なかなかゆったりした好きな光景だ.ほどなく鎮江関の集落辺りで小休止だ.乾物屋さんの店頭を覗くと,キノコや朝鮮人参(のようなもの)の他,筆者にとっては得体の知れない様ざまなものが並んでいた.

鎮江関辺り鎮江関辺りで羊の群れ
鎮江関辺り鎮江関辺りの乾物屋

畳渓海子Diexihaizi Lake

畳渓海子は地震でできた湖

地震でできた湖

畳渓海子は1933年の大地震で珉江が堰き止められて湖になったもので,チャン族の村人が1万人も犠牲になったそうである.神戸地震より犠牲者が多いし,M7.5というから相当大きなものであったであろう.珉江は九寨溝から黄龍の間,途中立ち寄った弓杠嶺辺りに源を発する川だ.


畳渓海子の前は数軒の露店が並び,バスが停まれるスペースがある.観光客やドライブの途中でちょっと立ち止まるのにちょうどいいようだ.

畳渓海子の子畳渓海子前露店の母子畳渓海子のヤク

下は,畳渓海子の写真

畳渓海子の写真
畳渓海子の写真 畳渓海子の写真 畳渓海子の写真 畳渓海子の写真 畳渓海子の写真 畳渓海子の写真 畳渓海子の写真

茂県Maoxian

チャン族(羌族)の住宅

チャン族(羌族)

茂県辺りに来ると,住宅が石造りになって少し前の木造住宅の民族とかなり違う民族の地域であると感じる.また写真右端の台形垂状,石造りの建造物はティアラオ(石偏に周の字+楼)と呼ばれるそうで,たしか見張り櫓であったかな?断崖のようなところでも所々見かける.

茂県は中国最古の民族の一つであるチャン族(羌族)がもっとも集中的に分布している地域であるようだ.チャン族はチベット系民族で,古代より中国北西部の青海で遊牧生活を営んでいたそうである.その「羌」字の象形は牧羊する人を指していると言われるそうであるが,確かに羊と人の字の組み合わせに見える.漢代には西羌と呼ばれ,時に漢の領土に侵入したことがあるそうだ.また魏晋南北朝時代に入ると中国に匈奴や鮮卑が入り始め,羌もまた陝西に入り,自らの国を建てたそうである.その後前秦に吸収されるが,前秦が東晋に大敗し分裂すると羌も陝西に割拠し後秦を名乗ったそうな.この頃はかなり強かった訳だ.後秦は417年に東晋の劉裕,後の宋の武帝に滅ぼされたという.

西北部の森林地帯にパンダや金絲猴などが棲息することで知られるそうだ.作物はとうもろこし,小麦,じゃがいも,豆類が主だという.


下は,茂県の写真あれこれ

茂県の写真
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