このダージリン編では,2012/10/29(月)車でヨクサムからダージリンに行きここで一泊.
翌10/30日タイガーヒルでのヒマラヤ見物,市内のチベット難民センターを訪ねたり,動物園と登山学校博物館見物,市場巡り,世界遺産ヒマラヤ鉄道トイトレイン乗車など行い,このときの写真を載せました.
2012/10/29朝,4WDに分乗しヨクサム(Yuksom)からダージリン(Darjeeling)目指して出発した.少し走ると大きな滝があった.パームロンの滝(Phamrong Falls)と記されている.脇に長~い階段があり,上まで上る.
滝に詳しい人の話ではこれだけの水量と落差の滝は結構稀だと聞かされ,見て得した感じになる.
大分走りお昼時になった.何という町か,橋の袂のホテルレストランでインド料理,つまりカレーの昼食となった.珍しいことにポークカレーを出してくれたが,プリプリした脂身だけも多くちょっと日本式とは異なるようだ.
客には外国人も多く混じっていた.特段観光地であるように見えないが....滞在している人が多いみたいだ.
中華風(いやチベット風か?)ゲートを備えたチェックポストに来た.ここも大きな橋の袂だった.インドのチェックポストではパスポートの提示が求められ,そこにちゃんとスタンプが押される.もっと時間が掛かるかと思われたが,15分程度で通過できた.
どんどん南下すると,やがて斜面に茶畑の広がる光景が見えてくる.ダージリンが近いそうだ.
少ししてダージリンの街に入ってきた.ダージリンとは爽やかな高原の美しい避暑地,と勝手に想像(空想)していたが,それとは全く異なって,他のインドの街同様,いやそれ以上に道路は狭く,ゴチャゴチャ混み合い,美しくない街だと感じられた.まあ,でもその方がインドらしいか.
ひとまずSinclairsホテルにチェックインし,部屋の鍵を受け取り,入る.部屋そのものは問題ないが,カーテンを開けて見えた光景は衝撃的だった.最初替えて貰おうと思ったが,翌日も殆ど外に出かけて,ホテル内に留まらない予定なのでいいことにした.なおちょっと文句を言ったためか,テレビと入り口の電気は点くようにしてくれたようだった.
夜まで間があり,ホテルから近いというダージリンの目抜き通りに皆で出かけた.衣料品店や土産物屋,レストラン,雑貨店...が並んでいる.
インドは丁度この時期ヒンドゥー最大の祭り,ダサインの休暇だそうで,インド各地からの観光客も多いそうである.インド南部はまだ暑いであろうから,避暑の人もあろう.なおダージリンはヨクサムより標高が2,100mと高く,夜は寒く,薄い毛布一枚では足りないと感じた.
下は,ヨクサムからダージリンまでの写真
10月30日未明,タクシーに分乗しタイガーヒル(Tiger Hill)というヒマラヤ展望点に出かけた.到着少し手前から道路はひどい混みようで,また最後に駐車できるかどうか....危ぶまれた.が,そこはインド,狭くゴチャゴチャした駐車スペースを取り仕切る人物がちゃんと場所を空けて,でも何重にも隣り合わせて駐車させてくれるのだ.
写真は人の入場券販売カウンタだ.展望台は満員で,屋外展望券になるそうだ.まあその方がクリアに見えていいだろう.
券を貰って暗く,人と車で混み合った道を暫く行く.コーヒー売り子が『コフェ,コフェ,コフェ』の掛け声で売り込んでくる.添乗Kさんさんが皆に買え与えてくれた.
日が明けてきた.絵葉書を参照すると左からクンバカルナ(Kumbhakarna/7,710m),ラトン(Raton/6,670m),カブルー南(Kabru S./7,317m),カブルー北(Kabru N./7,338m),タルン(Talung/7,349m),カンチェンジュンガ(Kangchendzuga/8,586m),パンディム(Pandim/6,691m)のようである.
傍に見物に来た親子連れの小学校高学年くらいの利発そうな男の子が,『あっ,キリマンジャロ』と叫んだので,お母さんも,私も吹き出してしまう.そこで話してみると,インドは南のバンガロールから来たそうだ.そして,そうですか所謂ハイテクシティと言われている所ですね,と言ったら,『所謂ではありません,ほんとにハイテクの街です』と誇らしげに返された.すみません分かりましたです.
多くのインドの皆さんはヒマラヤ側ではなく,東から上る太陽のご来光を眺めている人が多い.まあ富士山と似た光景だ.
なおタイガーヒルは高台であるので,アンテナが所狭しと設置されている.
カンチェンジュンガから左に目を転じると,かなり小さいが3つの小さい峰が見える.左からローツェ,エベレスト,マカルーだそうだ.一瞬ローツェとエベレストの順序が反対のように思われたが,この場所から眺めると確かにローツェ,エベレストの順に並びそうで,納得.
ホテルの前側バルコニーからはエベレストは見えないものの,カンチェンジュンガ方面はよく見えていた.緑豊かで建物も乱雑には見えない.綺麗だ.
つまり,このようにしてダージリンの街を見る限り,結構綺麗に見えるというか,あらが見えないようだ.まあ,それはそれで結構であろう.
チベット難民センターを訪れた.ダライラマ14世が北部のダラムサラに逃れたころから,ここにもチベット難民が来たということだ.最初は二人だったが,現在は大分大勢が暮らしているそうだ.
入り口近くのマニ車列がチベットらしさを物語っている.ゴンパは直接見かけなかったが敷地内のどこかに建てられているのではなかろうか....
敷地内の一画にはカーペット工房があった.羊毛を紡ぐ行程,染色,織り....といった作業が行われている.アラブとか中央アジアのカーペット工場では若い女性が一般的だが,ここでは結構年配の人も多いと感じられた.出来上がったものは正に実用品といった趣きで,素朴な仕上がりだと思う.
出来上がった品物は施設内のショップで他のお土産品と並べて売られている.カーペットは重いので,他の軽い羊毛製品を買ったが激安に思えた.
下は,チベット難民センターでの写真
道端の小さな岩山ではダージリン登山学校の学生がクライミングの練習に励んでいた.かなり気合が入っている.クライマーや山岳ガイドを目指している人達だそうだ.ところで日本にも登山専門の学校ってあるのだろうか?それとも大学の体育学部だけか?
なぜか動物園と登山学校が同じ敷地内にある.登山学校そのものでなく併設の登山博物館の見物の便宜を図っている様子だ.天気もいいし,ダサインの休暇でもあるのでどんどん客が詰めかけている.
ここの動物園の目玉は希少動物のユキヒョウ(スノーレパード)だ.見物している間,ほぼ居眠りして,たまに薄っすら目を開けている.夜行性なのであろうか?
林も備えた大きな檻にいたのはベンガル虎.こちらも希少種であろう.檻を巡回するようにゆっくり歩き廻っている.迫力がある.こちらは昼行性か?
ユキヒョウもベンガル虎も金網が邪魔してAFが効きにくい.何とかマニュアルで合わせたのは実に久しぶりだった.
この登山学校の初代校長(この銅像)は,エドモンドヒラリー氏と共にエベレスト初登頂を果たしたテンジンノルゲイ(Tenzing Norgay)氏だったそうだ.同氏はネパールのシェルパ族で,ネパールではもち論いろいろ活動したがインドでもいろいろ関わったようである.
登山学校には登山博物館が併設され,エベレスト初登頂時の装備から,近年インド隊の真新しい装備,また色々な写真など展示され,なかなか面白い.またエベレスト女性初登頂の田部井淳子氏関連展示にかなりスペースが割かれ,感激した.
ただ1960年代インド登山隊の装備として日本製カメラ2点が並んでいたが,そのカメラの製造年はそれより新しいのでは....?と疑問に思ったところもあった.館内は撮影禁止なのが少し惜しい.
下は,動物園と登山学校の写真
インドの動物園なのに象がいない,と言ったら笑われた.そんなもんかな~?
ダージリンなのでヒンドゥーに加えて仏教徒も多いであろう.それだけでなく写真のように立派なキリスト教会もちゃんと存在する.このデザインや古さからするとイギリス統治時代からの建物であろうか?
子どもたちをレンタルポニーに乗せて,馬子が引いていく.親御さんが馬の少し先を反対向きに歩きながら,ビデオカメラで撮影している.どこの国でも共通の微笑ましい光景だ.
昼時になり,グレナリーレストラン(Glenary's Restaurant & Bar)でインド料理(当然カレー)を頂いた.人気のお店だそうで大繁盛している.味はまあこんなものか.私にはちょっと辛いが.
お店はベーカリーとバーもそれぞれ別の階で営業されており,そちらも人気が高いそうだ.
目抜き通りの少し下(標高が)側に降りるとこれまたゴチャゴチャの市場が展開されている.衣料品から,食料品,雑貨....お茶などの嗜好品....まあ市場の典型的商品は皆揃っているようだ.衣料品はここでも結構中国産が幅を利かせているのではなかろうか.
下は,ダージリン市内と市場巡りの写真
ダージリン駅に煙を吐きはきSLに引かれた列車が近づいてきた.小型の割に盛大な煙だ.速度はかなり遅く,確か時速10km/hr程度であったと思う.それもなかなか愛らしく,楽しい感じがする.
その昔お茶を運び出すため建設されたという長い歴史を有する鉄道の終点(始点)がダージリン駅だそうだ.ホームにも線路にも自由に立ち入ることが可能な大らかな駅だ.
運転士と助手は何度もなんども客車を連結したり,離したりしながら編成を整えている.どうしてそんなに多くの手順が要るのか,とまだるこしく感じられる.でもダージリンと次のグゥーム(Ghum)駅の間は完全に観光用として営業しているそうだから,客に見せるためのこうして冗長な手順を披露しているのかも知れない.いや,きっとそれに違いない.
ちょっとこの写真では読み取れないが,SLに貼られたプレートには”Frame Re-built 1963, Tindharim Workshop”などと記されている.1963年,つまり50年前に骨格が再構築された訳で,元々製造された年代は相当古い筈だ.本路線は1879年から建設が始まったそうで,SLも100年以上経っているのではないかという話があった.当初『ダージリンヒマラヤ鉄道』としてユネスコの世界遺産に指定されているが,こうした古いものを保存するのは素晴らしいことだ.
なお,このSLは専ら観光用でダージリンと次のグゥーム(Ghum)駅間だけで運行されているそうだが,実はその先も実用でディーゼル機関車が引いているそうで,ニュージャルパーイーグリーという駅まで88kmも続いているのだそうだ.ダージリンだけでの運行と思っていたので,驚いてしまった.ディーゼル車はSLよりパワーがあって,スピードも出せるのでかなり実用的だそうである.
SLは客車2台連結までが限度だそうだ.客車の前後縁は壁になっており,ドアがない.つまり次の車両に移動することはできない.この塞がれた縁は常識と異なるためであろう,単純ながら実際目の当たりにするとかなりインパクトがある.山手線とかと違って客車は完全に定員を維持し,しかもそれは少数であるが,それでも坂のところではかなり喘ぐような感じだ.運転士と助手はボイラーに燃料を入れたり,ピストンやブレーキの操作で忙しく,SL共々大変働き者の印象だ.
ダージリンで客を満席で乗せると,定刻から15分程遅れて汽笛を鳴らし,出発した.路面電車と同じく一般道路上の線路を走る.列車は道路脇の樹木や建物に近接して走るので,窓から顔や手を出すのは甚だ危険だ.ただし『出すな』とかの案内放送は一切ないので,自分の判断が大事だ.
そして,少し行くと停車し,給水が行われた.停車したとき,前に座っていた車掌が『ほら見に行きなさい』とドアを開けてくれた.給水は,写真のように脇の壁の上にある水道パイプをボイラーのタンクに載せて入れている.こんな所でやるなら,始発のダージリン駅でやればいいのでは....と思うが,ダージリン駅は横に土壁と水道管がないのだろう.いや,それよりやはりわざわざ見せ場を作っている,というのが正解であろう.
名前は忘れたが,ここは『ダージリンヒマラヤ鉄道』の最高高度地点だそうだ.列車はここで止まり,外界や脇の花壇を眺めることができる.SLは進行方向に逆向きに取り付けられているが,この運転席に乗って記念撮影する人も多い.まあ,観光に徹したいい列車だ.
それにしてもSLとは大量に黒い煙,時々火の粉とか黒い石炭クズなど吐き出しながら走ることを久し振りに再認識した.顔など煤けてきたよ.
下は,ダージリンヒマラヤ鉄道の写真
ここが観光SL列車の終点グゥーム(Ghum)駅.一応想定時間内に到着したか?駅名表示板のデザインがロンドンのメトロのマークと似ているかな?なかなかいい味出している.
グゥーム(Ghum)駅舎2階には『ダージリンヒマラヤ鉄道博物館』が設けられ,いろいろ展示されている.最近は土砂崩れで一部運行不能になった様子なども見て取れる.かなりの写真はモノクロで,それだけで歴史を感じさせてくれる.東急の電車とバスの博物館と比べても小規模だと思うが,気軽に立ち寄れていいと思う.
さてこれでダージリンの観光が終わり,ほぼ全日程が完了した.明日はバグドグラからデリーに,デリーから成田へと飛ぶことになる.