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京都めぐり

この京都めぐり編では,2020年11月27日泉大津港に上陸した私達はバスで先ず東寺を訪問し,次いで嵐山に行き,天龍寺境内を歩き,清水寺に移動して散策し,レストランで夕食を頂き,京都のビジネスホテルで一泊したときの写真を載せました.

京都めぐり付近のGoogleマップ

京都めぐりは,東寺17,嵐山18,清水寺19を見物し,レストランで夕食後アーバンホテル京都20に入った.

東寺

東寺南大門

東寺南大門

泉大津港を出発したバスは,やがて京都に入り,目指す東寺にやってきた.ここはその東寺の南大門だ.南大門は随分大きく,複数ある入口の中で言わば正門で,その両側に堀が巡らされている.ちょっと平城のようでもある.

東寺は平安遷都(794年)とともに国立寺院,官寺として建立され,創建から1200年余りになるそうだ.建立された後,嵯峨天皇から空海(弘法大師)に運営が託され,日本初の密教寺院になったという.現在は真言宗の根本道場,東寺真言宗の総本山として機能しているそうだ.


東寺講堂

東寺講堂

バスは南大門と反対側の駐車場に停まり,私達は北大門から,参拝者受付を経て入った.

大きな建物が2つあり,はじめは写真の講堂である.講堂は825年弘法大師により着工され,10年後に完工したそうだ.現在の建物は一旦戦火で消失した跡に再建されたものという.赤い柱に白い壁,一層の入母屋造り瓦屋根構造である.

私達は右側の入口から入り,大日如来を中心に21体の諸仏並んだ立体曼荼羅を成すという仏像群を参拝し,左に抜けた.ここを含めてお堂内部の写真は不可なのでないが,パンフレットには載っており,ある程度思い出せる.

予めガイドさんより「立体曼荼羅」が在ると説明されていたので,チベットなど他所で見た,普通の平面曼荼羅図を水平に置き,ワックスや砂でレリーフのようにしたものと想像していたが,全然違って驚いた.仏像が平面(床)に2次元配置されている.これが弘法大師の教えを表現した立体曼荼羅なのだという.もちろん難しくて解らないのだが....


東寺金堂

東寺金堂

講堂と南大門の間に在るのが金堂(本堂に相当).途中消失し現建物は入母屋造り瓦屋根葺きで1603年に再建されたという.二層に見えるが,下の屋根はひさしで,裳階(もこし,裳層とも)と称されるようだ.

お堂内部には何れも光背を持ち,鈍く金色に輝く本尊の薬師如来坐像,両側に月光菩薩と日光菩薩が脇侍として配されている.これら仏像も桃山時代1603年(慶長8年),康正(こうしょう)作で国の重要文化財ということだ.


南大門から眺めた金堂

南大門から眺めた金堂

一旦境内から出て,南大門から金堂を眺めてみた.南大門,金堂ともに全てが木造構造で落ち着いた木の肌が美しい.


南大門横の弘法大師像

南大門横の弘法大師像

再び境内に入り,南大門の西側を望むと八幡宮や弘法大師像が見える.弘法大師像は托鉢と金剛杖を手に,傘を被った修行僧姿だ.四国八十八ヶ所の寺や,真言宗系の寺ではこの出で立ちの像が見られる.


東寺の庭

東寺の庭

東寺の庭はとても広い.紅葉も見頃で美しい.幸いここは参拝者が多くなく,密にならずにそぞろ歩きが楽しめる.


東寺五重塔

東寺五重塔

五重塔は他のお堂と共に826年弘法大師の手で着工されたという.しかし建物の高さが日本随一で落雷しやすいこともあって,これまで4回も火災で消失し,現建物は1644年徳川光秀公の寄進で再建されたという.金堂とともに国宝だという.

建築全体のデザインや組木工法が純和風であるということだ.


東寺五重塔公開ポスター

五重塔公開ポスター

普段は見られない東寺五重塔内部が公開されると云うポスターが掲げられていた.写真はそのポスターの一部を撮ったものだ.

この写真のみで全体は見えないが,解説によれば五重塔各層を貫く中央の心柱は,そのものが大日如来,周りを四尊の如来,八尊の菩薩が囲んでいるということだ.

また心柱や仏像のみならず,部屋の壁や天井などこれでもかとばかりに色々な模様に彩色されている(彩度は下がっているようだが).


東寺西側の諸お堂

東寺西側の諸お堂

東寺西側にはいろいろなお堂が並んでいる.東寺の一部なのか独立した組織なのかよく解らないが,皆立派な建物である.


大師堂山門

大師堂山門

弘法大師の提灯を掲げた山門があり,その右奥の大きな建物が大師堂(西院御影堂)のようだ.

門の左に掲げられた毘沙門天の看板は,同じ境内に在る毘沙門天堂に関わるようだ.


東寺大師堂の祭壇

大師堂の祭壇

大師堂の階段を上り,祭壇前でお参りしてきた.祭壇はシックな木造外観には似合わずバカにピカピカジャラジャラした雰囲気だ.

これで一応東寺参拝は終わったことにしよう.


嵐山

京都駅脇を通過

京都駅脇を通過

東寺でバスに乗り,北に向かった.程なく京都駅脇を通過した.駅だけは特段古都の趣は感じられず,まあ並みの眺めですね.

線路の先にはいろいろな人,主に貴族の方が詠んだであろう峰々が連なっている.またさらにその先は滋賀県でしょうか.往時JRはなく,周囲は一層自然豊かであったことでしょうが.....


嵐山に到着

嵐山に到着

バスは渡月橋手前,お土産店やレストランの並びにある駐車場に停まった.これまでの観光地と比べてかなりいっぱいバスが駐車している.

天龍寺の後ここに戻り,3,4人のツアー同行者と近くのレストランに入りてんざるそばを食べた.味は普通に美味しかった.そして階下のお店で八ツ橋などを買い,自宅配送の伝票を書いて,お願いした.


嵐山渡月橋

渡月橋

桂川の流れは多分この時分普通なのであろうが少な目だ.渡月橋の橋脚は下までむき出しだ.晴れており気持ちのいい日だ.

背後の山の紅葉は疎らというか,緑豊かというか....


少し北に歩く

少し北に歩く

少し北に歩いてみる.うどんとか湯豆腐とか,各種レストラン,それにお土産店が並ぶ車歩道一体の通りを行く.駐車場で多くのバスがあったように,自分も含めて観光客がぞろぞろ通る.道沿いの建物は統一的ではなくそれぞれ異なるデザイン,看板でなかなかいい.


嵐山竹林の小径

竹林の小径

左に折れ,竹林の小径に入った.竹林は結構続くので,一人ではなく複数の地権者の土地に跨っているのかな~.....

筍のシーズンになれば筍や,堀り残し,竹の皮を巻いたまま大きく伸びつつある新竹も見えて,それもまたいいかも知れないな~


天龍寺

天龍寺北門

天龍寺北門

上写真竹林から100m進むと天龍寺北門との看板が出ており,そこから入ってみることにした.

北門受付には遠足の小学生も並んでいた.京都の子は見るところが多いのでいいですね.でも頻繁にお寺さんではちょっと飽きちゃうかな.

なお天龍寺は臨済宗の禅刹で,足利尊氏を開基とし,後醍醐天皇の菩提を弔うため1339年(暦応2年)に創建されたということだ.以来幾度もの火災に見舞われ,昭和初期の頃までにほぼ全体を再建したようだ.


天龍寺の紅葉

天龍寺の紅葉

北門から入り樹木の多い境内を南に進んだ.

天龍寺の紅葉はちょっと遅いかな~でも紅葉は個体差が大きいので,ちょうど見頃のものもあるし,まだこれからのものもあるのは確かだが.


天龍寺の牡丹

天龍寺の牡丹

途中赤い牡丹が咲いていた.牡丹は葉のあるとき花を付けると思っていたので,この葉のない枝に花はちょっと不思議に思えたが,右側にちゃんと牡丹との立て看板がが掲げられている.今でもちょっと不思議だな~と思ってる.


天龍寺多宝殿

天龍寺多宝殿

北門から比較的近い位置に多宝殿があった.入母屋屋根に茶の柱,障子のように見える白い壁が美しい.屋根の前側張り出しは,雨の日の参拝時,上る階段前や脇に靴を置けるようにするためであろう.

ここも長らく消失していたが,1934年(昭和9年)には多宝殿が再建,翌1935年には元冦600年記念の多宝殿奥殿,廊下などが建立され,今見ている姿になったそうな.


天龍寺大方丈と曹源池

天龍寺大方丈と曹源池

左が大方丈で,天龍寺の造営よりず~っと昔,平安時代後期の創建ながら8度の火災に遭い,現大方丈は1899年(明治32年)の建築という.天龍寺最大の建物で,本堂に相当し,釈迦如来坐像が本尊とし祀られているそうだ.

右の池が曹源池(そうげんち)で,この池や周囲の石庭,築山,林....を含めて曹源池庭園と言われるようだ.本国で初めて特別名勝指定されたというだけあって美しい庭園だ.


天龍寺大方丈と嵐山

天龍寺大方丈と嵐山

上写真の位置を少し左に寄せて撮ってみた.逆光なので彩度が落ちているが,なかなか池背後の紅葉はきれいだ.また背後が嵐山のようで,曹源池庭園の一部を成している構成だ.これは数日前鹿児島で見た仙巌園がちゃっかりと背後の山や,前面の桜島を園の一要素として加えデザインしたのと同様ですね.


天龍寺石庭

天龍寺石庭

大方丈表側の曹源池を見て,裏側に回るとこれまた大きな石庭,とは言っても殆ど砂であるが,直線上模様を描いて広がっている.まあ何ともシンプルな模様で,これが禅寺らしいところであろうかと解らないながら思ったりしてみる.


天龍寺庫裏

天龍寺庫裏

石庭が尽きると庫裏(くり)が建っていた.庫裏は七堂伽藍の一つで台所と寺務所の機能を有しているそうだ.切妻屋根の破風とそれに連なる下の壁を構成する木の柱と梁の濃い茶が白地の壁に浮かび美しい.

台所と寺務所の機能性を高めるためであろうが方丈や客殿と棟続きになっているそうだ.また屋根上の小屋根は台所の排煙のためにあるのでしょうか.


天龍寺傍らの神社

天龍寺傍らの神社

庫裏を通り過ぎ,表門に向かって歩いた.門の辺りで赤い鳥居の神社があった.八幡大菩薩のようである.天龍寺の一施設であろうか,それともお隣さんであろうか....仕切る壁がないのでやはり前者に相当しようか.

一般に八幡は神社の名称,大菩薩はかなり高位の仏教の仏さんの名であるところが興味深いですね.この名からしてもやはり天龍寺の一部なのではなかろうか.


すすきに紅葉

すすきに紅葉

八幡大菩薩辺りではすすきに紅葉が見頃であった.

平安時代嵐山エリアは貴族の別荘地であったそうだが,この辺りは往時の環境を彷彿させるようですね,もちろん想像ですが.


清水寺

清水寺に向かう

清水寺に向かう

嵐山エリアを離れ清水寺に向かった.先ず大きな川を越えた.大きな川はあまりないので多分桂川でしょうか.

山も見えるし,河原ではピクニックの人の姿もあり,なかなかいい光景ですね.


清水寺参道を行く

清水寺参道を行く

清水寺への駐車場に到着し,寺に向け参道を歩いた.ここは嵐山以上に密で,ふと正直大丈夫なのかな~と感じた.自分もその一員であるのだが....

参道の両隣はこれでもかとばかりお土産店,歩く人の殆どは観光客で,清水の檀家の方はほんの僅かではないでしょうか.立ち振舞いからそんな感じです,多分.


清水寺に到着した

清水寺に到着した

しばし参道を歩き清水寺に到着した.写真は重文の仁王門と三重の塔(右側).清水寺の山号は音羽山で,元は法相宗に属したが,現在は独立して北法相宗大本山を名乗るという.本尊は十一面千手観世音菩薩ということだ.

ガイドさんに教わったことだが,千手とは物理的に1000の手を有する仏像の意ではなく,四十二本の手のうち,前の二本の手を除く四十本それぞれが二十五の世界(40X25=1000)を救うことを示すそうである.二十五の世界がなぜここに現れるのか....は思い出せない.


清水寺随求堂と経堂

随求堂と経堂

仁王門をくぐると先に無彩色の随求堂(ずいぐどう)と,その右に朱色の経堂が現れた.

随求堂は,早い話がすべて叶えてくれるという大功徳を持つという秘仏随求菩薩を祀るというので,これは何が何でも参拝しなくては.

経堂は名のごとく経典を収めたお堂であるようだ.朱色が鮮やかだ.


清水寺出世大黒天

出世大黒天

本堂前に鎮座し,右手に打ち出の小槌,米俵に載った大黒天は本来ヒンドゥーの神の一人で,そのうち日本の七福神に組み入れられたそうである.ヒンドゥーではマハカーラ(大きな黒)で,大黒となり,日本の大国様,大国主の命(発音はダイコクとも)と習合していったとのことらしい.仕事運や金運が必ず上がるという大層ありがたい神様という.ちょっといい事ずくめな気もしますが....(信じない人は救われませんよ)

続く本堂は外陣,内陣,内々陣に分かれ,私は人の流れに乗り外陣を進んだが,内々陣に本尊の十一面千手観世音菩薩(33年に一度開帳という)が祀られているのではないでしょうか.


清水の舞台は補修工事中

清水の舞台は補修工事中

写真左側の本堂のバルコニーに相当するのが有名な清水の舞台.修理工事中であったが,概ね工事は済んでいる様子だった.

帰宅して暫くすると舞台近くで当寺森貫主が今年の漢字は「密」と揮毫し,掲げておられた.そのときは工事のブルーシートはなかったので工事を終えていたのでしょう.


清水寺舞台から眺めた子安の塔

舞台から眺めた子安の塔

舞台から向こう真正面には子安の塔が森の中に佇んでいる様子が見えた.千手子安観音を祀り,安産と子育ての観音様ということだ.


清水寺音羽の滝

音羽の滝

清水寺の名の由来になっており,その流れ出る清水は「清め」の水として尊ばれるそうだ.ただ現在はコロナ問題で柄杓等は撤去してあるようだ(これは他のお寺さんの手水場などでも同じだ)

また滝祠に不動明王や行叡居士(ここで200年間修行したという)を祀っているということだ.


東側から眺めた清水寺本堂

東側から眺めた清水寺本堂

東側から清水寺本堂を眺めた.高さ12m(4階相当)舞台下の柱群はまだ工事が完了してないので覆われている.この基礎柱は見どころの一つだけにちょっと残念.

現本堂は徳川家光公の寄進で1633年(寛永10年)に再建されたもので,寄棟檜皮屋根葺きだ.この屋根は50年に一度葺き替えられるそうで,ちょうど今年2月に工事を終えたとのことだ.何れにせよ堂々とした見応えあるデザインだ.

舞台の先には京都の街がよく望めたが,写真では切れてしまった.


清水寺舞台下の道

舞台下の道

舞台下,南の道は紅葉が見事で快適だ.

写真中央のように和装の人(特に若い女性)が多い.通り過ぎるとき聞こえる言葉は日本語に加え,ベトナム語か,タイ語か.....よく解らないが外国語も間々ある.新たに入国するのは困難だが,逆に日本からお国に戻れなくなった人たちが多いのではなかろうか.参道にはレンタル着物ショップや,看板が所々に見えた.


清水寺で紅葉する樹木の一つ

紅葉する樹木の一つ

もみじなどに加えこの写真のような紅色の葉っぱも見える.はて何の木だったかな.....


地主神社

地主神社

舞台から音羽の滝方向に降りるとすぐに地主神社(じしゅじんじゃ)の鳥居があった.地主神社は神社や寺院が建立される際に,その土地の地主神を祀るために建立された神社で,本神社のように寺院に隣接して建てられる場合が多かったようだ.

現代は新規寺社建立は少なかろうから,新しい事業分野を開拓しないと経営が難しくなろう.そこでこの神社では新規「縁結びの神」事業を打ち出したのであろう.あくまで想像だが.


京都の夕食

京都の水車のあるレストランで夕食

水車のあるレストランで夕食

清水寺を去り,名は忘れたが水車の回るレストランに到着した.京都のお店らしい趣が感じられる.

コロナ対策でテーブルの両側には座らず,テーブル列を引き離し,あたかもこれから会議を始めようかといった配置だ.


平らげた夕食

平らげた夕食

朝も,昼も,また夕食も,食べたものをすぐ忘れる.認知症だ.ただ今回は食べた後であるが写真があったので,空のお皿から思い出してみよう.

多分茶碗蒸し,サラダ,お刺身,天ぷら,小さな寄せ鍋あたりであったか.どれも私の好きなもので,美味しかった筈だ.


京都で一泊

アーバンホテル京都にチェックイン

アーバンホテル京都にチェックイン

夕食後バスでアーバンホテル京都に行き,チェックインした.私はこれ以上出かけることはないが,色々なお寺さんに行く人には良いロケーションかと思う.なお翌朝乾電池が必要になり,斜向かいにコンビニがあったので普通生活的にも便利と感じた.


京都のホテルの超狭い部屋

超狭い部屋

見事なまでにコンパクトな部屋だ.タブ付きバスルームもまたこれでもかとばかり小さくまとめられている.ただこうしたコンパクトな造りは何もここだけでなく,日本のビジネスホテルと称せられるものは大方こんなものであろう.あまり動かずに色々アクセスできるのでよろしい.

さてこうして京都の一日は終わった.明日は滋賀県に行く.