このマダバ編で,2015/11/24(火),短いイスラエルツアーはほぼ終わり,エルサレムで朝を迎え,順光のエルサレム旧市街を眺めにオリーブ山に立ち寄る.次いでエリコへ行って休憩し,国境越えでヨルダンに入国,次いでマダバに寄って聖ジョージ教会を見物.そしてアンマンからドバイ経由で成田に飛び,帰国したときの写真を載せました.
この図はエルサレムからアンマンへ移動したときのトラックで赤線で示される.
別窓で大きなGoogleマップを開く朝Rimonim Shalomホテルで目覚めて,窓の下を覗くとプールには水が満たしてあった.東京より幾らか温かいとは思うがさすがタフな白人系の人にも冷たいのでは.....でも入るかもしれないな....
エルサレム新市街のホテルから,近くの住宅街を見る.陽が昇り始めた段階で,一部はまだ照らないようだ.ただこうして眺めると,予想外に緑が豊かだ.相当気合を入れて街づくりしているのであろう.
最初泊まったティベリアのホテルは,たまたま金曜の夕刻でシャバットエレベータに遭遇し,皆で訳が分からず,何だ何だ?と騒いだ.
それがこのホテルではエレベータ脇にShabbt liftと表示されている.既に用はないが,初めて来る旅行者には役立つ筈だ.
朝食を食べ,バスに乗るため庭に出た.雲一つない青空だ.これまでも大体良かったが,この日は最良の天気だった.
バスはオリーブ山に向かいホテルを出発した.通勤時間帯で混むといけないので,遠回りして行くという.
現在の道路網と地下鉄では混雑解消には不十分で,鉄道網をエルサレム郊外に拡張するための工事中だそうだ.写真の橋脚を見るとちょっと華奢に見えるが,地震はないそうなので大丈夫なのであろう.そして建設は比較的楽であろう,多分.
遠回りしてオリーブ山に近づいていく.イスラエルの道路交通法では都市間の道路では,こうした天気の良い日中もヘッドライトを点灯しなければならないそうだ.カーブと坂が多いので,対向車に早めに注意喚起するためだそうだ.
オリーブ山に到着した.天気と光線方向がいいので,見晴らしがきく.やはり狙い目の時間であろうか,お揃いの黄色いキャップの中国の人など,既に大勢展望台に群がっている.
足元近くには先ずキドロン谷に広がる墓地がやはり壮観だ.広がった墓地にもさすが限りがあり,ここは聖職者など優先的に埋葬され,一般市民は別の場所になってきているそうだ.
何と言っても目立つのが金色の岩のドームだ.ここもそうだが,これまで通ったアラブ人の街や,チラッと覗いたパレスチナの街では金色(おそらく金メッキ)のモスクが幾つもあった.これは他国のモスクではあまり見かけないのでこの地方特有のことのように感じられた.
仏教国ではミャンマーのようだ.
シオンの丘方面ではやはり大きなマリア永眠教会に目が行く.そうかそうか円錐主ドームの周りに塔が付いているのか,と改めて認識する.ちょうど大型ロケットの周囲に付けたブースターエンジンのような形態だ.
聖墳墓教会の黒いドームが見える.ただ色が黒いのと,それがまた抜け出ている訳でないので目立ちにくい.ヨーロッパの都市ではキリスト教会と言えば,一段と高く聳えて目立つところが多いが,エルサレムでは周囲が密集しており,これ以上の改築は無理なのであろう.それに6宗派の共同管理であるし.
観光ラクダが客待ちしている.ただオリーブ山は砂漠ではないし,ラクダは必ずしもフィットしているとは言いがたい.そんな訳で客は付きそうもないな...
それにエジプト辺り同様,乗るのは只だが,降りる時にはかなり請求される可能性もあるとか....(真相不明,エジプトでは体験あり)
同じように観光ロバも来ていたのだが,乗る人がいないので引き上げていった.ロバはラクダに比べればマッチしている気がする.即ち,聖母マリアがお産に際して,ナザレからベツレヘムに移動したときや,イエスがティベリアから上京するときこれに乗って現れた,と言われており縁深い.
せっかく愛ロバを引き連れて来たのに,だれも乗ってくれないロバのおじさんのトボトボ感を見ると気の毒なような....
オリーブ山での展望が終わって,いよいよエリコに向かうことになった.で,オリーブ山はアラブ地区にあり,直ぐにモスクの前を通った.比較的新しいモスクのようで,何というのでしょうこの標識のような書き物があった.アラビア文字のカリグラフィー教本の如くいろいろな種類の文字がきれいに記され面白い.
エルサレムからバスは東に向けて走った.暫くは写真のように樹木が生えるエリアが続く.道路は必ずしも自動車道ではないが,途中交差する道は多くないようだ.
地中海からの水分を含んだ空気は,エルサレム辺りの標高800mくらいの山脈で遮られ水分を下に落とし,ヨルダン川の標高マイナス地帯には乾いた空気が運ばれてくる,ということだそうだ.そんな訳で途中から樹木はあまりなくなるのではなかろうか.
ただヨルダン川に近づくとまた別の理由で水分が増えるらしく,緑は多くなるらしい.
家畜を連れ,何やら農作業に励む人たちを見かけた.ここは占領地であるが,元々はパレスチナの地であるので,アラブ人であろう.
旧約聖書時代から存在感の大きなエリコ(Jericho)の街に入ってきた.現在は農家や田舎町から成るそれなりの人口を抱える街のようだ.やはりパレスチナの街であるが占領地内にあるとの位置付けのようだ.
これが誘惑の山だ.頂上に構造物が見えるがギリシャ正教会の修道院だそうだ.写真右下にゴンドラが見えているが,麓から頂上までロープウェイが通っている.
イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受け,この山で40日間の修行に励むが悪魔の誘惑に悩まされたという話の山だ.
こうして見たところハゲ山で,山自体は必ずしも美しい訳ではないのに,ロープウェイがあるということは何らかの魅力があるのでしょうね.上から見下ろす眺めがいいとか,宗教的な言い伝えが目で確かめられるとか,....でしょうか.
お土産品をいっぱい並べた『誘惑の山のレストラン』だ.ここでバスを停めて休憩となった.ここのデーツはとても美味しく,買い求めた.
誘惑の山のレストラン庭には椰子並木や池が備えられていた.私たちの少し後でバスで着いたインドかどこかの人たちはこの池がひどく気に入ってしきりに記念写真に励んでいた.
庭のナツメヤシの木にはたわわにデーツが実っていた.一房でこれだけ大量に実を付けるところが何ともすごい.
誘惑の山のレストランで一休みすると,再びバスは走りエリコの街を抜けてヨルダン国境を目指した.
バスはイスラエル側バッファゾーンのゲートに入った.雲一つない好天で地面は乾ききった感じになっている.
バスはゲートを潜りヨルダン国境へと進んだ.そして両国出入国管理事務所に至り,イスラエルを出てヨルダンに入った.長い間お世話になったイスラエルのガイドSさん,バスドライバさんありがとうございました.お気をつけてエルサレムまでお戻り下さい.
国境でヨルダンのバスに乗り換え,僅かな時間だがヨルダンのガイドが付いてくれた.お願いします.
國境から進むとこのようなテントが見えた.遊牧のベドウィン族でしょうか?
作物が何であるか見当付かないが何か植えている最中に見える.ヨルダン川に近いエリアなので,適量の水は確保できるのでしょうか.
えーと,りんごでしょうか.日本を含めて世界のどこでも見られる路傍の果物販売.
後ろのバカに間延びしたアラビア文字が気になる.いたずらでなくともこんな風に胴長にするのか.
ヨルダンに入って暫く走り,ここのお手洗い目当てで休憩した.キラキラ装飾された椅子やテーブル,大きな花瓶が目立つ.小さなお土産品もあった筈だ.
こうしたピカピカ,キラキラは概してアラブとかイランでは人気が高いように思われる.
水かどうかは定かではないのだがとにかく大きなポリタンク4個をロバが運ぶ.未舗装の小径であれば長閑さ満点だが,舗装された大通りではそれが半減だ.全く旅行者の勝手というものだ.
イスラエルやパレスチナで金ピカの豪華なモスクをたくさん見てきただけに,こちらのモスクはとても簡素に見える.まあ世界的にはこれが普通だと思う.ウイグル辺りのず~っと修復されず朽ち果てそうなモスクと比べれば随分立派だ.
ヨルダン川沿いを南に暫く進んだ後,バスは東のマダバに向け上り始めた.途中草のあまり見えない茶色い土地に羊が放牧されている.感動を覚える.
標高が上がり,西の低い位置に標高-418mの死海を望む(写真中央)ようになった.モヤがかかりぼんやりしている.ここからだと高低差は1000mくらいあろうか.
標高763mというマダバの近くまで来た.そしてその辺りで羊の群れとすれ違う.連れているのはベドウィン族でしょうか,それとも定住のアラブ人でしょうか.
さてバスはマダバの街に入ってきた.ヨルダン国旗を掲げてますのでお役所でしょうか,公共機関でしょうか,そして3枚の肖像画はアブドラ国王でしょうか?
バスを降り歩いていると,元気のいい少年が手振り身振りで何かをうったえてくる.どう言っているのか皆目解らないのだが,何かの売り込みか,とにかくばかに気合が入っている.
大きなアラビア語看板がヨルダン風味を醸している.
この近くのレストランでミックスケバブの昼食を頂くが,ひき肉ビーフが美味しかった.
聖ジョージ教会(St George's Church)に到着した.この教会そのものは比較的新しく,19世紀に建てられたギリシャ正教の教会という.ただその元の教会は古くローマ帝国,ビザンチン時代まで遡るそうだ.
この教会が有名なのは最古の地図『マダバ地図(Madaba Map)』が床にあることだ.
殆どがイスラム教徒のヨルダンにあって,少数派のクリスチャンの大半はここマダバ在住で,人口約60,000人中35~40%を占めるそうだ.他にもキリスト教会が在るのかもしれませんが,本聖ジョージ教会があるのもその理由でしょう.
礼拝堂は採光豊かで教会にしては明るい.正教なので壁に多数のイコンが架り,正面に木製のイコノスタシス(聖障)が立てられている.ただ天井はなにも装飾されずさっぱりしている.
床に敷き詰められたこれがマダバ地図(Madaba Map)だ.
マダバ地図は6世紀に作られたと見られるモザイク画で,聖墳墓教会なども判るエルサレムや,エリコ,死海など,パレスチナやエジプト地方の形状に地名が添えられている.文字はギリシャ文字だ.
オリジナルのモザイク画には多くの動物も描かれていたが,イスラム支配時代にそれらの大半は削り取られてしまったそうだ.
聖ジョージ教会だけあって聖ジョージの絵が掲げてある.これは有名な聖ジョージ龍退治のシーンだ.
聖ジョージがリビアのシレネの街に来たとき,近くの池に龍が出没し,軍隊を差し向けても追い返されていた.龍が街まで来ないよう,毎日2匹の羊を与えて,空腹を満たしてやっていたが,そのうち与える羊が底をつき,やむなく息子や娘を龍に差し出した.やがて生贄の順番が王女となり,王は悲しみに暮れながら娘を王衣にくるみ送り出した.そしてそこへ聖ジョージが馬で通りかかると,龍はまさにその娘に食らいつこうとしていた.聖ジョージは槍で龍を突き刺し(この絵の場面),ジョージの指示で王女が腰帯を龍に巻くと,龍は従順な猟犬のように従うようになった,ということだ.めでたしめでたし.そして後,王様と臣下,住人は皆キリスト教の洗礼を受けたそうだ.
なお最近ジョージアに呼称変更した旧グルジアや,米南部のジョージア州は聖ジョージに因むのでしょう.
私たちはマダバ地図を見た後,マダバの街を少し歩いた.そしてバスに乗り,街を抜けた.
マダバの街外れになった.かっこいいカフィーヤ(Keffiyeh)の男のトラクタがゆっくりなので大分車が溜まっていしまった.国によっては文句を言われそうだ.
アンマンに向けて走り,マダバが遠くなりつつあった.この位置から眺めるとマダバが結構大きな街と判る.実際ヨルダンで5番めの規模だそうだ.
茶色い野原に羊がいっぱいだ.羊の色もまた茶色で,大型のタイプだ.
左の野原から右に行くため,ラクダが道路横断中だ.合わせて6,7頭いたが人はいない.羊のように放し飼いできる家畜のようだ.
アンマン空港に向かう街道脇に側面に多数の穴のある円錐建物があった.以前エジプトでよく見かけた鳩小屋にそっくりだ.巨大だが多分そうであろう.エルサレムで鳩肉のお店も見てきたことだし,まず間違いなかろう.
バスでアンマン空港に到着し,アンマン16:55発エミレーツ航空EK0904便に乗り込んで,中継地ドバイに向けて出発した.往路逆向便ではA330-200機であったが,今回の復路はB777-300機だった.
EK0904便は定刻にドバイに到着し,写真のシャトルトレインで次の成田行ゲートに行った.
深夜と言うか,夜明け前と言うか,ドバイ2:55発エミレーツ航空EK0318便に乗り,成田へと向かった.機材は往きと同じB777-300だった.
眠いのだが,思うようには寝付けないのだが,そのうちウトウトしたようだ.途中2度ほど食事を出してもらった筈だ.そしてワインは美味しかったと思う.
そして夕方になって成田空港に到着した.楽しかった.お世話になりました,皆様お気をつけてお帰り下さい.