この岩のドーム編では,2015/11/23(月)朝バスでエルサレムのRimonimホテルを出て,エルサレム旧市街モズレム地区の神殿の丘を訪ね,岩のドームを見たときの写真を載せました.
このページでは右下ループで囲んだ神殿の丘,特に岩のドームを巡る.
神殿の丘観光に関わる簡易マップ
なおちゃんとしたマップは 別窓で大きなGoogleマップをどうぞ.
11/23(月)朝,エルサレムRimonimホテルで目覚め,朝食をあと玄関に出てバスに乗り込む.真っ青な空で今日も天気の心配はなさそうだ.
私たちのバスは旧市街へと向けて発進した.この日は月曜日のせいか,少々渋滞気味の箇所もあるが長い区間ではない.そして道の所々にはバス停があり,通勤客がバスを待っている.バスは場所によってはタンデムタイプも走っている.
ホテルも新市街にあるのだが,概ね住宅のエリアで,ここからオフィス街の脇を抜けて,旧市街へと向かった.オフィス街付近は道路幅が広くなっているようだ.
新市街を抜けると,旧市街アラブ人エリアになった.この辺りはおおまかに言って雑然とした様相が濃くなる.まあそれだけ歴史が深いということだろう.
さて旧市街城壁糞門(Dung Gate)に到着した.糞門とはまた妙な名だが,し尿を含むゴミを車(例のメロディーの流れる青いごみ収集車でなく,多分馬車)で城外へ運び出す門だったからだそうだ.しかも場所は多少違うも旧約聖書の時代からその名はあったという.ただ当時プラスチックはなかった筈で,分別収集は要らなかったであろう.
糞門はユダヤ教徒地区の壁に設けられているが,神殿の丘に通じる陸橋通路も設けてあり,私たちはそのルートを行く.直接神殿の丘にあるゲートに行かないのはバス駐車場確保できないためかな?
糞門をくぐり入ると,緩い傾斜の広場になっており,脇には発掘調査中という遺跡が見える.そしてその奥の白い石垣で囲まれた小高い部分が目指す『神殿の丘』だ.
神殿の丘へはセキュリティゲートを通る.電光掲示のように入門は少なくとも午前は7:30~10:00AMの間に限定されているが,これはお祈りやその準備の時間帯を避けるためだそうだ.神殿の丘はイスラム教徒エリアだが安全検査はイスラエル当局が担当しX線検査や手荷物検査など,国際空港と同じような内容だ.
なお安全検査や域内の警察はこのようにユダヤ人担当だが,それとは別に宗教警察があり,そちらはアラブイスラム教徒が当たるということだ.
セキュリティゲートを通過すると,神殿の丘に通じる陸橋を渡る.そして陸橋から『嘆きの壁』を眺めるとこの写真のように見える.ここからだと仕切壁手前の女性の祈り場と,奥の男性祈り場の両方がよく見える.いや,他所では見ることができない.
陸橋を渡りきり,神殿の丘(temple mount)に入った.写真はそこに見えたアルアクサーモスク(Al-Aqsa Mosque)710年ウマイヤ朝ワリード一世の建立という.ただこれまでに火災等あり,改築や再建はなされたそうだ.
丘はユダヤ教とキリスト教,イスラム教の聖地であるが,現在建物としてはイスラムのこのアルアクサーモスクと岩のドームが建てられている.そして実質的にイスラムの支配下で,ユダヤ人(とキリスト教徒,他)はこの丘で宗教行事を執り行うのは禁止されているという.
今回のパッケージツアーで最も関わり深いキリスト関係で見ると,イスラムの興る600年くらい昔,今から2000年前イエスの時代を見てみると,この丘にはユダヤ教の大神殿があり,その前は生け贄を捧げるための仔牛やヤギ,鳩を売る商人の市場(門前町)となり,両替商(*)や金貸しが幅を利かせており,とても聖地とはいえない状況になっていた.(*通常流通のローマ帝国通貨にはユダヤ教禁止の偶像が描かれていたので,お供え用に他通貨に替えた...だったか?)
ガリラヤ湖畔からロバに跨がり首都エルサレムに着いたイエスは先ずこれら諸々の商品やキャッシュレジスターを打ち壊したり,神殿から追い払う実力行使に打って出た.これは古いモノクロ映画『ゴルゴダ』でも相当激しく描かれていた.一方ユダヤ教神殿維持のため,ペテロに釣らせた魚の口から得た銀貨を神殿税として納め,(新興)宗教法人の長として義務は立派に果たしていると主張していたそうだ.また統治者ローマ帝国に対しての国税納税も抜かり無く果たしていたという.
ただそれであっても既定宗教の権力者や,一般ユダヤ教徒大衆のかなりは,イエスの新興宗教を危険視し,捕まえて何とかしなければ....となり,実際別ページで記した大祭司カイアファにひっ捕らえられるに至ったわけだ.
ところでこうした聖地共有は他でも見られる.例えば私の経験内でチベット旅行で歩いた聖なるカイラスは,チベット仏教徒,ヒンドゥー教徒,ボン教徒3つの宗教の聖山だ.ただ取り合いはなく,和して共有している点は異なる.
アルアクサーモスクの前では男性たちが車座で読み合わせをしている.コーランかな?若い人たちではなく,中年以上と思しき人たちだ.感心するというか....気になるな~
上述の如くテロや破壊工作に対する警備はユダヤ教徒の担当だが,重装備だ.ただ常時臨戦態勢というわけでなく,このようにリラックスして寛ぐのも仕事の一部のようだ.
アルアクサーモスクの先に金色屋根の岩のドーム(Dome of the Rock)が見えてきた.
さて宗教警察は,上警備警察と別にイスラムの担当であるのだが,最近この監視がとみに厳しく,既にガイドSさんから半袖やミニスカート類の禁止は言われていたが,細かなことも改めて知らされる.それは
私は実際この後,欧風若い女性3人組が手をひらひらさせて,(踊りと見做されたのであろう)警告を受けている場面を目撃した.えっ,これくらいで.....と驚いた.
神殿の丘は一段と高い場所にあるので,旧市街西側が見渡せる.黒い屋根の聖墳墓教会もくっきりだ.
神殿の丘から東を眺めるとオリーブ山を望む.神殿の丘より少し高いようだ.
手前金色玉ねぎ屋根はマグダラのマリア教会で,19世紀ロシア皇帝アレクサンドル3世建立のロシア正教会だそうだ.マグダラのマリアとともに,アレクサンドル皇帝の母マリアを祀るそうだ.
アルアクサーモスクから少し北に歩き,数段の階段上アーチゲート前に来た.アーチ越しに金色のドームが朝日に輝ききれいだ.
ドーム内部には聖なる岩(Foundation Stone)が祀られているそうで,いわばドームは神殿あるいは記念堂であるが,祈るためのモスクではないということだ.ただその聖なる岩はイスラムのみならず,ユダヤ教とキリスト教にとっても重要な意味合いをもっているのだそうで,いかにも争いの種的響きに感じられる.
最も古くは,ユダヤ教における『聖なる岩』で,4000年前アブラハムが息子のイサクを神の生け贄にしようとした時,イサクを載せた台岩であったとされるそうだ.映画『天地創造』で観たときの岩は完全に荒野のまっただ中で,ちょっと現在の周囲環境からは想像しにくい.それにしてもアブラハムが正妻間の実の息子(他に妾との子もいた)を殺そうとしたのは衝撃的で,正に剣を振り下ろそうとした段階で,出現した天使が止めさせたのにほっとしたものだ.
この岩はアブラハムが関わる話で,ユダヤ教分派のキリスト教徒にとっても『聖なる岩』であり,さらにイエスが弟子たちに教えを伝え,そして処刑され埋葬された後,復活した場所,と言われるそうだ.尤もイスラムにとっても,ムハンマド以前,アブラハムの時点から同じである筈だが.....解らない....
まあそうしたことから,3000年前,古代イスラエル2代目のダビデ王が神との『契約の箱』を祀り,3代目ソロモン王(971年B~931BC)がここに神殿を建てたそうだ.そして587BC一旦バビロニアに破壊されるが,515BC再建し,AD70年ローマ帝国のエルサレム攻囲戦でまた破壊されたそうだ.このときの残された城壁の一部が,この後訪れる『嘆きの壁』なのだそうだ.
岩のドームは広々した平面に建てられている.ウマイヤ朝時代AD691年に建設され,幾度かの改築を繰り返し,1522年オスマン朝時代にブルーのトルコタイルが加えられ,1964年ドームが金メッキされたアルミ板になったそうだ.
なお岩のドームはモスクではないのでミナレットを備えてないということだが,ドーム内部,岩の周囲には二重の八角形回廊が備えられ,左回り(反時計方向)で廻り,お祈りするそうだ.イスラムはどこでも左回りということだ.何でもかんでも右回りのチベット仏教とは逆な点が面白い,単に偶然だろうが.
岩のドーム前でアラビア語の書物,コーランであろうか,を広げお祈りする人がいた.一日5回のお祈り以外で,熱心な教徒であろう.
ところで岩のドーム内にあるイスラムの『聖なる岩』はどういう意味合いか.イスラムにとってもアブラハムが重要な預言者の一人であることに変わりないのだが,生け贄の台にしたとは見ていないという.この岩は預言者ムハンマドがメディナのモスクで過ごしていた時代,メッカのカアバ神殿を経由し,一夜のうちにエルサレムこの岩まで旅し,大天使ガブリエル(ナザレでマリアに受胎を告げた天使)に導かれ一夜のうちに天馬ブラークに乗って昇天した場所とされるのだそうだ.岩にはそのときのムハンマドの足跡や大天使ガブリエルの手の跡が付いているそうだ.
ここでムハンマドの昇天とは,Sさんの解説では,亡くなったということではなく,一時天の方向に上っていったということらしい.
この方はタブレットで自撮りであろうか?
イスラムにとって,ここエルサレムは上述のメッカおよびメディナに次ぐ3番目の聖地ということで,巡礼に訪れる信徒は多いことでしょう.タブレットは自撮りに便利だと思う.
北東から眺めたとき見えるちょっとミニチュア版の建物は,岩のドームの前に試験的に建てられたようだ.柱のデザインなどはそれぞれ別で多様だ.
ここにいて,私たちがSさんの説明を聞いていると,宗教警察(服装は平服)が傍に来て,文句を言われる.何だかんだ説明時間が長過ぎる....とからしい.とりあえず場所を変えて,そこで説明を継続してもらったが,再び注意され,そこで私たちはユダヤ人エリアに退却した.
岩のドームに異教徒は立ち入ることが許されない(それどころか上述のように詳しい解説もだめ)が外側はじっくり眺めることができる.外壁は八角形で,下側は有色大理石の組み合わせ,上側は青を基調とする焼きタイルのようで,どちらもとても美しい.タイルは,この地がオスマン朝に落ちた16世紀半ば,スレイマン一世がトルコ製タイルで修復させたものという.
スカーフを着けた若い女性なら問題なし,いや模範的参拝者と見なされるでしょう.写真撮影にも寛容で,いいですかと訊くとニッコリしてくれた.
岩のドーム下にモスクが見えた.かなり欠け落ちていて古く見える.ドーム屋根にレリーフが刻まれているのが珍しいと思う.